60話 小牧山生活始動
一ヶ月後、城下町移転計画も無事完了し、小牧山城下町には活気が溢れ出していた。
城下町移転もなかなか大変だった。清洲から移動する人の他、新たに小牧山城下町に入りたいという申し出も結構あったので、場所の割り振りが結構大変だった。
ちなみに今回の小牧山の城下町は『武家町』『寺社町』『商人町』『職人町』『学業町』『芸事町』の六つの区画に分けたのだ。清洲には無かった『職人町』『学業町』『芸事町』を増やした所がポイントだ。
『職人町』は清洲の時には自然発生的に出来てしまい、かなりぐちゃぐちゃな街並みになってしまったので、今回はその反省を生かしはじめから作っておいた。
『学業町』はその名の通り、学業に関連する人を集めようと思い、わざわざ作った。
今の時代、学業は寺の坊さんとかが担っていることが多いのだが、あえて『寺社町』と分けたのは特定の宗教や考え方に偏ることなく、色々な事を学べる場所にしたかったからだ。ゆくゆくはここに学校を作ろうと考えている。
『芸事町』もまあ、その名の通りかな。町にはやっぱり娯楽が必要だよね、ってことで作ったのだった。信長の大好きな相撲が見られるよう、屋根付き・観覧席付きの常設屋内型土俵も作ったし、猿楽などに使える舞台小屋も作った。
実はこの構想を話した時、信長がとても喜んでくれたので調子に乗ってあっさり建物を作ってしまった、ってのが本当のところだった。なので、ぶっちゃけまだあんまり中身については考えてないのだ……。
ちゃんと興行計画も立てないと箱モノ作っただけで終わってしまうから気を付けねば。箱物行政はあかんからな。
相撲はまあ、信長のお抱え力士を使えば良いとして、猿楽はどうしようか? 観世流とか、金春流とか、名前は聞いたことはあるけどその筋の知り合いとか居ないしなぁ。
…あ、でも松平元康が猿楽が好きでよく一緒に見ているって旭が言ってたっけ。そうだな、今度旭に聞いてみよう。
考えることはまだまだあるが、とりあえずは小牧山城下町は活気があった。町は整ったので、引き続き、社会実験も兼ねて経済政策の新しいやり方を導入していく予定だ。
治田銀山からは順調に銀が掘り出されており、信長の許可を得て、まずは銀銭の流通を実験的に始めてみる。
もちろん銀だけでは小さな取引に不便なので、銅銭も継続して流通させる。清洲で大量に集まってしまった鐚銭は鋳潰して、新しい銅銭を私鋳することにした。
鐚銭の交換レートは引き続き低めに設定しておき、また一定量貯まったら鋳潰して新しい銅銭を私鋳する。これでどこまで悪貨を駆逐できるか…要観察だ。
ちなみに新しい貨幣はそれぞれ尾張銀銭と尾張銅銭と名付けた。
こうして小牧山城とその城下町は、新しい城と城下町の形として周辺に織田家の威風を知らしめるものとなっていったのだった。
・・・・・・・・・・・
小牧山移転際して、一つだけ胸に引っかかる事件が起きた。
小牧山城へ居城を移すタイミングで、信長が長年傀儡として利用してきた尾張守護『斯波義銀』を突然尾張から追放したのだ
追放理由は今川家などの敵対勢力に内通していた咎だということであった。
「岩竜丸様はそんなこと絶対にしてないのに……」
この話を治田に伝えた時、小一郎は珍しく感情的にそう呟いた。小一郎は清洲に来てから、斯波義銀と時々会っていたようだ。幼名で呼んでいるところから、二人がよほど親しく話しをしていたのだろうと推測された。
そもそも今川義元亡き今、今川方に通じる奴なんかいないことは分かり切っているだろうに……。むりやり追い出したいだけのように思えて仕方がない。
「そうだな。兄ちゃんもそう思うよ。けど、今はどうしようもできない。斯波家と言う名前が大き過ぎる。助けたいんだったら、もっと力を付ける必要があるぞ」
そういうと、小一郎は無言でこくんと頷いた。小一郎は静かに何かを決意したような眼をしていた。
その後、信長は『尾張守』を称するようになった。そして直後に、
「犬山城を攻める!」
と突然号令を出した。
犬山城には信長の従兄弟である『織田信清』がいた。
信清は信長に仕える立場であり、更に信長の姉を正室として貰い受けているため、信長との関係としては非常に近いはずであったが、以前から反抗的な態度を取ることがあった。
信長は本格的な美濃攻めに備えて、尾張と美濃の国境に位置する犬山城を完全に抑えようと考えたのだろう。
小牧山城に移ってから、信長は毎晩小牧山城全体に篝火を焚くように指示をした。ぐるりと篝火に囲まれた小牧山城はライトアップ効果で昼間以上に堂々たる威容を誇っていた。
これについては、まったく信長も権力誇示が好きだな……なんて考えていたら、どうやらそれ以上の効果があるらしいことがその後分かった。
犬山城の支城であった小口城の中島豊後守が、小牧山城の威容を見て犬山城へ逃げて行ったという話が伝わってきたのだ。
……マジで!? 戦わずして勝つとはこのことか! 信長が実際そこまでの効果を狙っていたかどうかは分からなかったが、俺的にはこれは大変勉強になった。
その後、この中島豊後守の撤退については実は丹羽長秀が中島豊後守に調略を仕掛け、信長側に寝返らせた結果だと聞いた。
それでも中島豊後守に寝返りを決意させたのはやはり小牧山城の威容だったということだ。お城にこういう使い方もあるとはね。メモメモ。
そして丹羽長秀は他にも『織田信清』の家臣数名を寝返らせることに成功したとのことで、信長はいよいよ犬山城に直接攻撃を仕掛けたのだった。
丹羽長秀の調略で寝返った者たちの協力を受け、犬山城はあっさりと落城した。『織田信清』は捕らえることは出来なかったが、織田軍の被害も少なく、ほぼ完璧な勝利であった。
この瞬間、織田信長は名実共に尾張の盟主となったのだった。時に永禄7年1月のことであった。
「次はいよいよ、美濃攻めだな」
「稲葉山城か。いよいよだな」
俺が小牧山城の詰め所で又左衞門とそんな会話をしていた頃であった。小牧山城の上段之間に居た信長の下に驚くべき知らせが飛び込んできていたのだった。
「なに!!?? 稲葉山城が乗っ取られただと!!??」




