28話 那古野、再訪
結局、次の日は津島ではなく、那古野へ行くことにした。
那古野の具足屋の主人に大橋家について先に聞くことにする。大橋家は信長と姻戚関係もあるし、慎重に進めたい。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず、だ。特に大橋清兵衛の人となりについてもう少し知っておくべきだろう。
昨日のうちに具足屋の息子が那古野に向かう伝馬に父親への手紙を乗せてくれたそうで、恐らく今日俺が訪ねることは伝わっているということだ。
なるべく早く那古野に着きたいので、日の出とともに出発する。早朝なので町には人はほとんどいなかった。
ちょうど町の出口に差し掛かった時だった。馬を走らせる音が近づいてきたので、道の脇に避けつつ、後ろを振り返る。こんな朝早くに馬?城の馬だろうか?と馬上に目を向ける。
・・・乗っていたのは信長だった。
向こうもこちらに気付いたらしく、少し馬の速度を緩めた。
「殿!?こんな早朝にどちらへ!?」
驚いた俺に向かって、いつも通りニヤリと笑いながら信長は答える。
「うむ。ちょっと鷹狩をな。お前は何をしている?藤吉郎」
鷹狩?一人で?・・・とつっこみたい気持ちをグッとこらえる。
「私は、所用で那古野へ参ります」
「ほう、そうか…」
そう言うと信長はすぐにまた馬を走らせて行ってしまった。
こんな早朝に一人で馬で出かける…ウチの殿はまたなにかヤンチャしているのだろうか?
…そう思いながら信長を見送り、気を取り直してまた歩き始めた。
那古屋には正午前に到着することが出来た。
まだ引っ越してからそれほど経っていないのに、那古野の街並みを見たらなんだかとても懐かしい気持ちになる。
町に入ると自然に足が進み、なぜか自分が住んでいた長屋の前まで行ってみてしまった。もう誰かが住んでいるようで、中を覗くことはできない。郷愁と寂しい気持ちがまじりあって胸がじんわりとする…。
そのまま歩いて、寧々の住んでいた家の前まで来る。ここも既に人が住んでいるようだ…。今度は急に寧々に会いたい気持ちになってきたので、慌てて具足屋へ向かう…。何やってんだ俺は。
…具足屋は全然変わっていなかった。なんだかほっとする。
「ごめんください」
そう言って引き戸を開ける。・・・すると前と変わらず、奥から具足屋の主人が出てきた。
「これはこれは。木下殿…。お待ちしておりました。倅がお世話になったそうで…」
具足屋の主人は慇懃に頭を下げる。
「いえ。こちらこそ那古野に居た頃は色々とお世話になりまして…」
俺も丁寧に頭を下げる。
「ささ、ここではなんですから。どうぞお上がり下さい」
具足屋の主人が奥の座敷に案内してくれる。座敷からは綺麗な庭が見えた。自分には良く分からないが、素人目でも趣味の良い庭なのだろうなと思えるほど、整った庭だった。
「倅からの手紙を読みました。色々とご迷惑をお掛けしたようで本当に申し訳ない。あいつは末っ子なもんで甘やかしたせいか、昔から変に人の良いところがありまして…。織田家で奉公させてもらっているのも鍛える為だったのですが、人様に迷惑を掛けてしまってねぇ…」
困ったように具足屋の主人が話す。とはいえ、本当に息子を心配して言っているようだ。良い父ちゃんだな、と思った。
「おっと。私の愚痴ばかりで申し訳ない…。本題に入りましょうか。津島の大橋家についてでしたね」
「はい、そうです。…近々、大橋清兵衛殿にお会いしなくてはならないのですが、実は先方にとってはあまり良くないお話をしなくてはならず…どのように話を持って行くのが良いか検討したく…」
「なるほど、そのための下調べということですな…。あなたは武士なのに中々に商人的な発想をされるのですね」
と具足屋の主人はなんだか楽しそうな顔をする。
「はぁ、そうでしょうか。…まあ一応、昔は商人をやっていた時期もありましたが」
「ああ、なるほど。そう言うことでしたか!」
具足屋の主人はぽんと膝を叩いた。
「まずは大橋家についてお話する前に一応私の立場をお知らせしておいた方がいいかと思いまして。私は確かに大橋家とも商売上取引を行っていますが、元々は熱田商人衆の一員でございました。現在は故会って熱田からは離れておりますが、津島の陣営でもないのです。念のため、そういった前提で聞いて頂ければと思います…」
俺の抱えている問題がデリケートな事だときちんと分かってくれた上で、自分の立場を明らかにし情報のバイアスがあることを最初から提示してくれる。やはりこのおっさんはデキルな。人の良さそうな顔して案外キレモノなのかもしれない。
「分かりました。ところで熱田商人衆であったということは、加藤家の方ということですか?」
「ええ。良くおわかりで。現当主の加藤順盛は私の兄です。不出来な弟は熱田の屋敷から出奔したのですよ。ふふ…」
主人はまた楽しそうな顔をした。…おお、ビンゴかよ。
最初に俺が在籍した連雀商人集団が、熱田の名門加藤家と良く取引をしていたのだ。いわゆる子会社みたいなもんだったのかもしれない。
「しかし、出奔したとはいえ熱田加藤家の方が、よく津島の大橋家と直接の取引を…」
「ふふふ。そこが、大橋清兵衛殿の優れたところなのですよ。目先の損得では無い所を重視される御仁ですよ」
へー。もしかすると大橋清兵衛は想像と違うかもしれない…。
ちなみに俺が想像してたのは「越後屋、お主も悪よのぅ…」「いえいえ、お代官様ほどでは…」の越後屋のイメージだったのだが。
「…と言うことは、ご主人は大橋殿に目先の損得ではない何かをご提示されたということですか?」
「ふふ…私も若かったもので。熱田を出た後、実家に対する当て付けもありましてね…。その足で大橋殿を訪ねて、この戦国の世こそ商人の活躍すべき時代だと熱弁をふるったのです。熱田だ津島だではなく、この日本を取りに行くべきだ、と。ふふ…今改めて話すとなんだか恥ずかしいですね。若気の至りと言うやつです」
「…いえ。私もまだまだ未熟者ですが、仰っていることは分かる気がいたします。金を制する者が戦国の世を制する、ということは身に沁みております」
ふむ、と商人が俺を少し見つめ、また口を開いた。
「…大橋殿もつまりはその話に乗ってくれたのです。それ以降、長年に渡って良いお付き合いをさせていただいている、という状況です」
「なるほど。…お二人は今も商売で天下取りを目指している…ということですか?」
「ふふ。まあ、そういうことです。理解が早いですね…あなたの様な若者には久しぶりに会った気がしますよ」
また主人は楽しそうにほほ笑んだ。そして少し笑みを曇らせて一言付け加える。
「…ウチの倅も、あなたの様な考えを持ってくれれば良いのですが…。100貫文ごときで悩んでるようではまだまだですね…」
その後、具足屋の主人から更に大橋家の話を聞き、大橋清兵衛の話を詳しく聞いた。
「大橋殿には小手先の対応は通じませんよ。彼は取引する相手の内面を見てくる…逆に信頼を失うのでやめた方が良いでしょう。あなたが目指す大義を話しなさい。それが結局は一番説得しやすいでしょうから」
具足屋の主人は最後にそう語ったのだった。
大義・・・か。