11話 5歳の哀歓
冬が近付いてきた。
外の冷え込みが厳しくなるにつれて、ヤエモンの体調がまた悪化していった。
なんとか栄養を摂ってもらおうと、好物の鳥粥や魚の干物を出したり、調理法や味付けも工夫をしてみたが、病気を治すだけの効果は無かった。次第に食欲も無くなり、ヤエモンはげっそりと痩せていった。
金があれば良い医者に診て貰うことも出来るのだろうが、そんな医者を呼べるような大金はこの家には無かった。
もう少し早く、干物作りに取り掛かって量産していたら、売りに出して現金を手に入れることが出来たかもしれないのに…。
呑気に過ごしていた日々を思い出し、少し後悔する。
「…ヤスケ、ちょっといいか?」
ナカとトモが用事で村に出掛けた時であった。ヤエモンが最近にしては珍しく、床から起き上がって俺を呼んだ。
「どうしたの?とーちゃん」
なんだか真剣な雰囲気だ。何か大切な話をしようとしていることが分かる。俺はヤエモンの前に座った。
「…ヤスケ。お寺の住職様が言っていたのだが、お前は見込みがあるらしい。お前にその気があれば、寺で引き取ってくれると言っているのだが…お前はどうしたい?」
「とーちゃん…」
急な話に言葉が出ない。
「寺に行けば、食べるものにも困らないし、お前の好きな学問にも好きなだけ打ち込むことができる。お前の為になると思うがどうだ?」
それは…非常に魅力的な気がする。
食べ物集めに四苦八苦しなくてすむ。それに、寺に居れば色々と新しい学びや情報もあるかもしれない…。
心が傾く。
…いや、まてまて冷静に考えよう…
そもそも食べ物探しに四苦八苦しているのは、自分が食べるだけでなく、家族の皆にも食べさせたいからだ。
学びや情報収集に注力していたのも、知識を得ることが結果的に俺自身と家族を守ることに繋がるからだ。
仮にもし俺が寺に行って平穏な生活を送ったとして、けれどその間に家族に何かあったらどうする?俺は死ぬほど後悔するだろう…。
あぶないあぶない。目的を見失うとこだった。
これが手段の目的化ってやつか。確か昔会社のリーダー研修で習ったな。気をつけよう…。
俺がしばらく考え込んでる間、ヤエモンは黙って待っていてくれた。
決めた。顔を上げてヤエモンの目を見る。
「とーちゃん。俺は、家族の皆と幸せに暮らしたいから、頑張ってるんだ。俺だけ今よりも良い環境に行けたとしても、それは俺にとっては幸せじゃない」
少し間をおいて、改めて自分の希望を伝える。
「…だから、今は家に居たい…」
予想外の答えだったのか、ヤエモンが大きく目を見開く。
「…本当に…行かなくていいのか?後悔するかもしれないぞ」
「大丈夫。後悔なんてしない」
「そうか…。分かった」
そう言って、ヤエモンは優しく俺の頭を撫でた。
最後にポツンと「…すまんな」と聞こえた気がした。
「え?」
聞き返したが、ヤエモンは「なんでもない」と言って床に戻っていった。細い肩が少し震えているように見えた。
その後、ヤエモンの体調は一進一退を繰り返していたが、年末に向かっていよいよ予断を許さない状況になっていた。ほとんど一日中寝ているようになり、たまに目を開けても虚ろな表情をしていた。
しんしんと雪が降るなか、天文12年が静かに幕を開けた。
元旦の朝に目を開けたヤエモンは、枕元で看病をしていたナカに何かを言った。ナカは頷くと、土間の方から袋のようなものを持って来て、
「トモ、ヤスケ。ちょっとこちらへいらっしゃい」
と、ヤエモンの枕元に来るように指示した。
トモと俺はお互いの顔を見合わせ、目で会話をする。
…なんだろ?
…わからない。
恐る恐る枕元に行くと、ナカがいきなり衝撃の言葉を発した。
「かーちゃんね。妊娠したの」
「「は!?」」
トモと俺が同時に絶句する。
・・・おいおい、ヤエモンの野郎。いつの間に子供作るようなことしたんだ?具合悪かったんじゃないのかよ??
あれ?似たようなセリフを前にも言った気が…。
「…トモ、ヤスケ。また宜しく頼むな…」
絶句する俺たちに苦笑しながら、ヤエモンが小さな声で言った。
そ、そんなことを言われなくても分かってらぁ
「ふふ…仕方ないわねぇ」
「うん。任せろ!」
トモと俺は同時に答えた。
ヤエモンとナカは顔を見合わせて微笑む。
「二人とも、これを受け取って」
ナカが先ほどの袋を俺達の前に置いた。
「…とーちゃんが怪我した時に貰った銭だ。お前達に使って欲しい…」
ヤエモンが小さな声で俺達に言った。
俺は思わず呟いた。
「これがあれば、お医者を…」
俺の言葉にヤエモンは優しく笑って首を振る。
「…お前達には、何もしてやれなかったな…ごめんな…」
最後にそう言うとヤエモンは再び目を閉じて眠り始めた。
…そして、そのまま永遠に目を覚ます事はなかった。
天文12年1月2日。
新しい命を遺して、ヤエモンが亡くなった。