10話 5歳の憂慮
天文11年8月。
三河の小豆坂という場所で戦が起きた。
今川義元が松平家の助太刀の形で、三河に進出した織田軍を攻めたのだ。
東三河から攻めてきた今川軍に対して、西三河の安祥城から出発した織田軍。両軍が小豆坂でぶつかったらしい。
勝利は織田軍だったという知らせを聞いて、少しホッとする。
安祥城から出た軍の中には、ヤエモンも入っているはずだ。勝ち戦だったなら、まさかの可能性も少ないだろう…。
そう思っていた。
小豆坂の戦いが終わって1ヶ月後、ヤエモンがようやく帰ってきた。
・・・しかし、ヤエモンは左足を失っていた。
1ヶ月間、安祥城で療養していたと言うことだったが、体力はまだ回復していないのだろう。すっかり憔悴した様子で、そのまま寝込んでしまった。
それから3日経った。
ヤエモンは相変わらず床から出られないようだ。食欲も無い。
今日は鶏を絞めて、鶏肉をヤエモンに出してみよう。とにかく何かを食べさせなくては。
俺は鶏を絞めるため、トモにも手伝ってもらって朝から準備に取り掛かった。
鶏を絞めるのは既に3回目だった。
初めは嫌がっていたトモも一度チキンを食べてからは、協力的になった。俺の影響もあるのか、案外トモも実利主義だ。
…さてと、始めようか。
まずは鶏を捕まえて、逃げないように足を紐で結ぶ。
そのまま、トモに鶏を地面に押さえつけてもらい、俺が斧で一気に首を落とすのだ。色々考えたが、これが一番楽な方法だと思う。
首を落とした後も少しの間、鶏の体は暴れる。血が飛び散らないように、俺もトモと一緒に鶏の体を押さえる。
この首を落とした後の鶏の断末魔の様子がいつまでも脳裏に残る。ああ、俺が命を奪ったんだな、と実感する瞬間だ。作業は慣れたが、この瞬間だけはまだ慣れない。
雛から育てた鶏だ。思い入れがあるに決まってる。
…ごめんな。ヤエモンのためにお前の命を貰うな。
手の中で静かに動かなくなっていく鶏の鼓動を感じながら、祈るように目を閉じる。
「ふうー…」
大きくため息をつく。これで山場は越えた。
少し休憩した後、羽根を抜いて解体する作業に入る。
この辺になると、もうかわいい鶏…ではなく肉としての認識に変化する。この感覚も不思議なもんだ。
初めての時に比べて随分手早く処理出来るようになってきた。解体した肉はナカ(かーちゃん)に調理してもらう。
弱ったヤエモンが食べやすいよう、肉と野菜と米、雑穀と、味付けに味噌をぶちこんで、食材が柔らかくなるまでコトコト煮込む。お粥みたいな、サムゲタンみたいな料理だ。最後の仕上げとして、火から下ろす直前に卵を落とす。
その日は久しぶりにゆっくりと家族でご飯を食べた。
トロトロの卵に、トロトロの具材を絡めて食べる。ダシもしっかり出ていて、ナカ特製の鳥粥はとても美味しかった。
ヤエモンも戦から帰ってきてはじめて、おかわりをしていた。
「トモも、ヤスケも、コチクも皆大きくなったなぁ…」
ヤエモンが食後に小竹の頭を撫でながら、しみじみと言った。
「トモとヤスケは、俺が居ない間もしっかりかーちゃんを助けてくれてたんだってな」
「当たり前でしょ」
トモは照れているのか、ぶっきらぼうに答える。
「けど一番頑張ったのは、ヤスケだよ。ヤスケが色んな事を考えてくれたの。私は手伝っただけ」
「え!?…ふぁ?」
確かに色々考えたけれど…。
突然トモにおだてられ狼狽する。
「そうか。二人ともこれからもかーちゃんを助けてやってくれよな」
ヤエモンが優しい目で、俺達を眺める。
なんだよ、改まって。ヤメロよ。フラグみたいじゃないか…。
と心配したが、ヤエモンの体調はその後少し快方に向かったようで、2~3日に一度は起き上がれるようになってきた。
俺が作った魚の干物もけっこう気に入ってくれたようで、自分にも作り方を教えて欲しいと言い出した。
「これぐらいなら、俺にも出来そうだからな。畑仕事が出来ない分、他の仕事をしないとな…」
そう言って、ヤエモンはちょっと悲しそうに笑っていた。
以前ほどの明るさはなかったが、我が家にもようやく穏やかな生活が戻りつつあった。
それに、必要以上に暗い雰囲気にならなかったのは、小竹の活躍も大きいかと思う。2歳になった小竹は天使のように可愛かったのだ。
「とーちゃ、だっこ」(とーちゃん、抱っこして)
「にーちゃ、あそぼ」(にーちゃん、遊んで)
と、小竹にご指名されるたびに、ヤエモンも俺も嬉しくて、太客に呼ばれたホストの如くご奉仕してしまう。
いっぱい遊んであげると、「あーと」(ありがとう)と言って、ペコリと頭を下げるのだが、それが破壊的かわいさなのである。
俺も昔使った技だったが、こんなに破壊力があったとは…もっと活用すべきであった。
小竹は日に日に成長していた。出来ることが増えていき、言葉も達者になっていく。身内の欲目かもだが、所々に賢さの片鱗も見せ初めている。末は博士か大臣だな。
そうこうしてる内に、外は木枯らしが吹く季節になっていた。