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安楽椅子勇者は異世界に旅立たない

作者: 越波

「という訳なんだけど、どうかしら?」


「‥‥すみません弓川先輩。もう一度言ってもらえますか」


 放課後の部室。


 備え付けの長机で部活の先輩と差し向かいになっていた月見鷹(つきみよう)は、いつも通り先輩の話を聞き流そうとして、今日は見事に失敗した。


 美しい射干玉(ぬばたま)の黒髪をたおやかな仕草でかきあげると、弓川エリはにっこりと微笑んだ。


「ええ、いいわ‥‥では、月見くん。わたしと一緒に、異世界に行かないかしら?」


 それは窓から差し込む陽に逆光となって鷹の網膜に焼き付いた。息を呑むような幻想的な光景にやや現実感の均衡が失われるのを感じつつ、彼は言葉を紡ぐ。


「お断りします」


「即答したわね‥‥一体何が不満だと言うの」


 整った細い眉しかめてエリが言うと、鷹は読んでいた単行本の小説を閉じて指を三本立てて見せた。


「‥‥3?」


「僕が先輩のお誘いを断る理由です」


「そんなにあるの? ‥‥いいわ、聞いてみれば解決出来るかもしれないし。聞かせて」


 ではまず、と鷹は今度は人差し指一本だけを立てて答えた。


「まず第1。別に行きたくないです。海外ですら悩むのに異世界とか」


「‥‥もう何か解決どころかどうしようもないのだけど。貴方ファンタジーよく読んでるじゃないの。異世界転移とか興味ないの?」


「先輩、創作と現実を混同しないでください」


 月見鷹が呟くと、エリは嫌そうに顔をしかめた。


「気を取り直して第2に」


「待ってまって。気を取り直すのってわたしの方じゃないかしら!?」


「第2に、僕先輩の事ニガテなんで」


 今度こそ、エリは胸を射られたように仰け反って動かなくなった。


 それはもう、指先を突きつけられては「バーン!」と言われた関西人ですらシャッポを脱ぐ見事なやられっぷりだった。


「第3に」


「あなた血も涙もないの!?」


 トドメを刺すべく三本目の指を立てた鷹の所行に、エリが飛び起きて涙目の抗議を挙げるが、鷹は容赦なく言葉を続ける。


「第3に、この話自体が胡散臭いです」


 鷹の言葉に、エリの表情が固まる。一呼吸の間にいつもの怜悧な美貌に相応しい落ち着きと神秘的な空気を取り戻したエリは髪と衣服の乱れを直しながら姿勢を正した。


「‥‥ようやく解決出来そうな問題が出て来たわね。いいわ、聞きましょう」


「異世界転移モノって大体が巻き込まれ前提ですよね。僕に今確認を取ってる、先輩のその余裕が胡散臭いです。一体何故なんです?」


「‥‥それはね」


 鷹に疑問をぶつけられたエリは、制服の胸ポケットから黒い物を取り出した。


 それは手のひらに収まるサイズの黒いビロード状の表紙が貼られた、生徒手帳だった。


 白魚のような指先が手帳をめくり、そこから現れた物に鷹の顔が歪む。


 そこはビッシリと、几帳面で米粒のような文字と奇怪な図形で埋め尽くされていた。おぞましい圧が全体から放たれる、正気を疑う一品だった。


「黒魔術よ」


 学校一の美少女の唇から放たれる言葉に、鷹は全力で後退った。ドン引きである。


 エリはそんな鷹の様子を満足げに見つめると、手帳を片手に滔々(とうとう)と語り出した。


「ある満月の晩に繋がったのよ、向こうの世界の神様とやらとね。どうしても力のある人間を呼びたいって話だったから、幾つか条件を呑ませたの」


 エリが自信を漲らせる程に、鷹の顔色は悪くなっていく。


「まずは言語。海外でも言葉の問題があると行きづらいでしょう? だからこれは最初にクリアしたわ」


 彼女は手帳のページをめくると、嬉しそうにコロコロと笑った。


「次は加護。病気や怪我は怖いものね、致命傷じゃなきゃ死なないように確約を取り付けたわ」


 じり、と手帳をめくりながらエリが近付いてくる。鷹は反射的に退いた。


「更にホットライン! 時間と条件は決められてるけれど、必要ならネットや電話と繋がる安心仕様! ね? もう行かない理由がないと思わない?」


「僕の出した3つの否定条件忘れてませんか? 絶対行きませんからね!!」


「どうして? こんないい条件で、こんな美少女が、あなたを誘ってるって言うのに!? きっとアレよ? 異世界行った暁には朝から晩までわたしと組んずほぐれつ、ピンクのしおりも真っ青な薔薇色人生になるに決まってるわよ!?」


「結局何色なんですか! 最終的に混ざりすぎてネタにしかならないドリンクバーのアレ的なヤツですよね絶対!?」


 貞操の危機を覚えた鷹が席を蹴ってドアに突進する。


 しかし、ドアはビクともしなかった。鷹が全身全霊で体当たりをしても、ロック部分だけでなくスライドドア自体が壁と一体化したみたいに微動だにしない。


「無駄よ! そのドアはわたしの呪いでロックしたわ!」


「呪いって言った!? もはや黒魔術よりタチ悪いな!!」


「それは中からはわたし以外誰も開けられないわ。外からだって、許可がなければ誰も入って来れない!」


 言って、エリは椅子を押し退けると鷹に覆い被さった。俗に言う壁ドンの体勢だったが、方や恐怖に顔をひきつらせ、片や興奮と欲望に美貌を歪ませるという、実に人様にお見せできない有り様だった。


「もう四の五の言ってる場合じゃないわね、行くなら今!! Let's異世界!! さあ!!」


「い、今!? 満月の夜とか言ってなかったですか!?」


「なう!! 満月の夜は神とファーストコンタクトとるのにチューニングしやすかっただけよ! 座標がわかってる今なら時と場所は選ばないわ!!」


「せめて巻き込む人の迷惑は選べ!! もう――限界だ! 助けて(かん)ちゃん!!」


「ういさーー!!」


 突如、鷹の叫びに応えてスライドドアが爆発した。もたれかかっていた鷹とエリもドアごと長机辺りまで吹き飛ばされていたが、鷹は廊下から駆け込んできた少女に助け起こされる。


「な、何者!?」


「鷹くん大丈夫? この女に変な事されなかった!?」


「誰が変な女よ!」


 エリの言葉に耳を貸さず、少女は鷹をお姫様抱っこの体勢で抱えると一跳びで教室から飛び退いた。


 エリはそれを追いかけようとして、文字通り後ろ髪を何かに掴まれた。


「あっ!? まさかさっきので転移始まっちゃってる!? くっ‥‥そこの怪力女、月見くんを寄越しなさい! せっかくの異世界転移のチャンスを逃すわよ!?」


「異世界‥‥転移? ナニソレ」


 少女が鷹の顔を覗き込むと、彼は激しく(かぶり)を振りながら指先でこめかみ辺りをクルクル回すようなジェスチャーを取る。


「ちょっと! わたしが頭おかしいみたいな言い方はあんまりじゃない!? わたしみたいな美少女がひとりでやってる文芸同好会に入会したんだからあなたも下心満載の健康男子よね!? 一体何が不満だって言うの!!」


「いや僕純粋に文芸同好会の蔵書目当てでしたし日頃から先輩のエスカレートしていくセクハラは先生に訴えるべきかどうか悩んでたぐらいですし」


 それに、と鷹は自分を抱きかかえる少女と目を合わせた。


「僕、この子――神ちゃんと付き合ってるんで」


「は、はぁぁあああ!!??」


 鷹のカップル宣言に神ちゃんと呼ばれたポニーテール少女は「キャッ」と可愛らしく声をあげて頬を赤らめたが、転移の渦に半身を飲み込まれつつあるエリは鬼のような形相で吠えた。


 額に青筋を浮かべ、ざわざわと射干玉(ぬばたま)の黒髪をざわめかせて三白眼を剥く姿は鬼女以外の何者でもない。


 床に爪を立てて這って来ようとする姿に戦慄しつつも、転移の渦の海外製掃除機のような吸引力の方が強い事に落ち着きを取り戻した鷹はポニーテール少女の腕から降りて眼鏡のズレを指先で整えた。


「こうなる事はわかってました‥‥いや、異世界転移は想定外でしたが。受験を控えた先輩が、そろそろ僕の貞操に関わるアクションを起こすだろう事は、予測がついていました」


「だから、アタシがこっそり助太刀できるようについてきてたんだよ!」


「‥‥計画は完璧だと思っていたのに。さすがは月見くん。推理小説好きは伊達じゃないわね」


 エリは肩口まで呑まれながら、出来る限り乱れた髪を整えた。


「だけど覚えてなさい。この屈辱、絶対に忘れないわ。見てなさい‥‥神の出した用事を片付けたら速攻で帰って来るから‥‥首を洗って待っているのね」


 ズブズブと光り輝く転移の渦に顔を飲み込まれながら、エリはその目を爛々と輝かせて2人を睥睨し続けていた。


 やがて、彼女が突き出した右手と「‥‥I'll be back」という恐怖の捨て台詞も消え失せた教室には、鷹とポニーテールの神ちゃん、それに転移に使われた不気味な手帳だけが残されたのであった。






『ねえ、月見くん。相談させてもらってもいいかしら?』


「何ですか先輩」


 翌週の放課後、鷹はいつものように文芸同好会の部室で本を読みながら、珍しくスマホで通話を行っていた。


「‥‥って言うか、神様の用事とやらを速攻で終わらせるんじゃなかったんですか?」


『それがもー聞いてよー!! いざこっちに着いてみたら聞いてた話と全然違うのよ!?』


 鷹のスマホから話しかけているのは、先週異世界へ旅立ったエリである。


 いみじくも彼女が語ったように、異世界からの電波はこの部室に限って届いてしまうのだった。


 最初は無視した鷹も、電話が着信拒否されるなり大量の気狂い地味たチェーンメールの絨毯爆撃でメールボックスをパンクさせられてから渋々電話に応じるようになったのだ。


 そして、これから暫くの間、これが現実世界と異世界を隔てた彼と彼女の不思議な交流として続いていくのだった。


 その間、鷹と神ちゃんは仕方のない問題ばかり起こす先輩の頼みをスマホの繋がりだけを頼りに幾つも解決して『安楽椅子勇者』とまで呼ばれる活躍を行う事になるのだが、それはまた別の話である。


 今日も文芸同好会の部室には、何処からか困った先輩の頼みが電話で届く――。

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