Cancer
大体2200年くらいのつもり
そうだな…何処から説明したらいいかな。
現代に至って、根絶された病は多く、根絶されないまでも適切な治療を受ければ完治するものばかりになっている。治療そのものの種類も増えた。様々な技術革新があってね。ワクチンや抗生物質の生成、薬剤合成、生体移植に義体換装、果ては遺伝子治療、…遺伝子書き換えによる遺伝病治療や、そもそも生まれる前の、胎児の段階での遺伝子調整。
200年程前からしたら魔法にさえ見えるかもしれない。だけど、今も確実に完治できる治療法の発見されていない病が二つある。それが、風邪と癌だ。ただまあ、風邪に関しては原因も様々な同様の症状の見られる病の総称だからね。正確には、細分化された病名への正確な診断の開発中、という方が正しいだろう。
問題は癌だ。昔から様々な治療が試みられている。投薬、放射線、ホルモン、切除に移植。確かに、癌化した細胞をすべて取り除き、正常で健康な細胞と置き換える技術は確立されている。事実それで一時は治るんだ。だけど、どんな患者も平均して10年以内に再発する。老いも若きも、男も女も、例外なく。癌を発症して、死なない患者はいないんだ。
いや、まあ、死なない人間はいないんだけどね?
けれど、此処に至って一つの結論が出ないではなかった。即ち…癌による死というのは、一種の寿命なのではないか、とね。
そう、寿命。癌とは、一種のアポトーシスなのではないか、という事だね。
アポトーシス、わからないかい?まあざっくり言うのなら、自殺機能だね。これは、正常だからこそあるのだとも言う。ただまあ、それで納得できないのも人間というものだ。特に、若いものはね。寿命と言われても、というわけだ。若くして死ぬのは、理由がどうあれ理不尽感があるだろう。いや、理不尽でない死などないのかもしれないがな。
ともかく。だから、癌と呼ばれる病は現代に至っても完治の望めない病気であるわけさ。治療法の研究自体はなされているだろうけどね。
しかし、逆に尊厳死、安楽死というものも認められるようになった。第三者の立会の上での本人意思表明があった上で、医師による医療行為の一つとして認められるようになったのさ。
いや、個人的に、それに悪感情はないよ。お世話になる羽目にはなりたくないとは思うけどね。
何の話だっけ?…そうそう。病の話だったね。
まあ、そういうわけで、人類は完全に病を克服することはできていないし、勿論不死を手に入れてはいない。とはいえ…個人的な意見を言わせてもらえば、病はともかく、死は克服するべきものではないのだけれどね。言い方は少々アレではあるが、そうだな。人は死ぬからこそ、健全な生物であれるんだよ。死なないなんて、命にありがたみがなさすぎる。
だって、考えてもみてくれ。何をしても死なない、どんなダメージを受けても回復する…なんだそれは。ゲームか?怪物か?そんな軽い命に何の意味がある。取り返しのつかないものだから大事にするんだろう。取り返しのつくものだから粗末にするんだろう。誰も死なない世界などただの地獄だぞ。間違いない。
何故そんなことが言い切れるかって?知ってるからさ。人間の中には遊び半分で人を傷つけて、何の罪悪感も持たないものがいる。ただでさえ、やり過ぎて殺してしまうことがあるのに、何をやっても死ななくなったらどうなると思う?
人は死を克服するより前に改善すべきところがあるのさ。
ああ、極端な話ではあるだろうね。でも、絶対あり得ないとは言えない。画一的な手段で全てを解決することなど出来ないのさ。それぞれに別の、適切な対処法がある。何故なら、全ての人間は同一ではないから。仮に同一であったなら、違いがないのであれば、同じ行動に、同じ事象に、同じ物質に、同じ感想を抱くだろうが、実際はそうじゃない。その反応は十人十色だ。当然、同じ事でも相手が変われば結果は変わってしまう。
君は認めないかもしれないけれど…まあ、今の人類には、死は必要なものなのさ。そもそも、生きてさえいれば幸福というわけではないしね。
実際の病気とは違うと思う、多分
まあ進化した結果ってことで