崩壊の足音
生まれた時から決まっていた。
α、β、Ωの三種の性が存在し、優れたαは種のトップに君臨し、もっとも個体数が多いβはそれを支える臣下であり、Ωは臣下にもなれぬ奴隷のような存在だった。
Ωには繁殖期があり、それによって社会的地位は底辺を這いずり、Ωはαから体の良い性欲処理と繁栄の道具として扱われていた。
Ωは生まれて来た時から、その全てがαに属するものとしてみなされていた。
Ωの絶望による崩壊の前兆はどこかにあったのだろう。
しかし奴隷のような身分のΩのことなど、取り立てて気にしなかったαは。その後悔を未来永劫引き連れることとなる。
Ωが死ねば、誰もが平等で幸せになれる世界に生まれ変われる。そこにはαもβもΩもなく、努力次第でどんな生き方も出来ると言う根拠もない話。
そんなものがΩの間で広がった。
死後の世界など誰が分かるものか。αもβもそんな話を鼻で笑ったが、虐げられていたΩはその希望に縋った。
死と言う終わりと始まりに、希望を持ってしまったのである。
沢山のΩが死に急いだ。
とある力のあるαは、二十人近いΩを囲っていたが、同じ日にみなが命を絶った。辛い生活に嫌気がさして逃げ出したΩに与えられるのは死。
見せしめのように設置されていたレーザーは、それを求めて逃げ出したΩの頭を的確にぶち抜いた。
全員の逃亡に驚いた見張りのβがレーザーもスイッチを切ろうとしたが、時は既に遅かった。
可愛がっていたΩも、捨て置いていたΩも全て失ったそのαは、茫然自失で未だに精神の安定が取れていない。
幸せそうな顔で死んでいったΩたち。
その彼らは平等な世界に行ったのだろうか。
どんなに勉学に励もうとも、骨を粉にして働こうともΩである限り認められることがないこの世界から旅立って。
馬鹿な奴らだと真面目に取り合っていなかったαもβも、耳に入る立て続けのΩの自死と、確実に個体数を減らしているΩに焦りを感じ出していた。
αの子供は、Ωとしか成せない。
もっとも個体数が多いβはβとの子しか宿せない。β同士の子は、βのみ。Ωとαの子は、αとΩどちらの可能性もある。
Ωが絶滅に至れば、自然αの存続は不可能なのだ。
Ωの社会地位の改善がなされたが、植え込まれた観念と言うのは急激に変えられない。
βは突然手厚く保護され出したΩに不満があり、αの見えぬところで虐げた。
αも以前よりはΩへ心を向けるようになったが、自らが優位と言うスタンスは変えられなかった。
Ωの自死をニュースで聞かぬ時はなかった。
αとΩの両方の子を持っていたΩの母は、Ωの子と共に死んだ。同じ子であるのに、食べるものも着るものも全て当然のように差が付けられていた。
母はずっと不憫であったのだろう。Ωに生んでしまったことを後悔していたのだろう。
遺言にはどうかΩの我が子にも心を砕いて欲しいと切実な願いが書いてあった。当初は、母はΩの子を道ずれに死んだのだと思われていた。
しかし違った。
Ωの子は自らの意思で母のあとを追ったと言うことが、その遺言から分かった。
優秀なΩたちも死を望んだ。
とあるΩは非常に頭が良く、勤務する会社に多くの貢献をしてきたがΩと言うことで昇進できぬまま、低給料の待遇に甘んじていた。
大きなプロジェクトが成功した時、彼の手腕だとみなが知ることであり、褒める言葉はあったものの、彼に対し何ら報酬が与えられることはなかった。
その会社は彼の友人であるαが社長を勤めているところで、彼はそのαに恋い焦がれていた。
αの役に立てればいいはずだった。しかしやはりどこかで期待していたのかもしれない。彼のもっと近くで働けることを。
どんなに頑張っても、認められることはなかった。
ごめんな、後で驕るから。Ωを上に取り立てると他の会社と上手く行かなくなるんだ。
プロジェクトの成功を祝う会場の隅でαに言われた言葉に、彼はうんと寂しそうに笑って頷いた。
少々の罪悪感に捉われたものの、自らを呼ぶ賓客への挨拶に忙しく、αはそのまま彼を置いて行った。
その夜、彼は自室で静かに命を絶った。
死後の世界に持っていこうと思ったのか、目新しい発想が記録されたメモリーを握りしめて。
彼の死を聞いたαは発狂したように泣き叫び、そのまま表舞台から去って行った。
緘口令が敷かれていても人の口に戸は立てられない。
悲報は続々と流れた。
そしてとあるαは、それを聞きつつも自分のΩは大丈夫と高を括っていた。
無体をしても、八つ当たり気味に酷い言葉を投げつけても、そのΩの目には自分を慕う色が見えたし、普段の生活には金に糸目を付けずに贅沢をさせていた。
たまの訪れを心待ちにしているだろうΩを見て、びっくりした。前とは比べ物にならないくらいにやせ細っていた。
焦って、彼の好物を手当たり次第に取り寄せれば、彼の世話をするように宛がっていたβたちが頭を擦りつけて、土下座した。
手配したβは、Ωが何も言わないのを良いことに、彼に与えられたものを好き放題搾取していたと言う。
Ωの好物だと言われ、手に入れていたものはβが欲しがっていたもので、Ωの口に入ることはなかった。
贅沢させていると思っていたΩは、傍に付けたβによって乾いたパンや冷めたスープ、薄汚れた服を与えられていた。
もっと頻繁に彼を訪れていれば、すぐに気づけることだった。
自分たちの残り物を与えていたΩが何も食べなくなり、巷でΩの自死が流れる頃になるとβは危機感を感じて、ありとあらゆる手を尽くし、Ωに食事を取らせるようにした。
無理に与えれば吐いてしまい、脅しても放置しても何も食べない。
汚れた服は、今まで通り彼が来た時に取り繕うことは出来るが、痩せ衰えた体は隠すことが出来ない。
叱責を恐れたβは、αに平謝りをした。
Ωが弱り切っても、βがΩに謝罪することはなかった。βはαに頭を下げ、許しを請うた。不当に扱っていたΩへ、悪いと思う気持ちはない。
それが変えられない事実だった。
「お前が食べたいものは何だ?何でも言え、何でも与えてやろう」
「……特にありません」
自分を好きであっただろうΩは力のない目を向けた。
彼の体にはたまに青い痣があった。
転んだと言うβの報告を鵜呑みにしていた自分を悔いて、彼が望むものは何でも与えようと何度も要求を尋ねた。
毎日Ωの元に訪れ、したいことはないか、欲しいものはないか、食べたいものはないかと重ねて尋ねた。
αの心を占めるのは、Ωを失うかもしれない焦燥感だった。
何度も何度も、尋ねた。
やがてΩが小さく呟いた言葉は。
「望むのは、新しい世界で自由に生きることです」
それを聞いたαは真っ青になった。
生きがいであった仕事を投げ出して、彼に付き添った。今更ながら、心を向けてくれたαへの恋心は、新しい世界で生きると言う喜びを上回らなかった。
そのΩは緩やかに餓死し、その最後を傍で見ていたαも安らかな死に顔を見て、狂ったように笑うと、そのまま銃で自分の頭を撃ち抜いた。
Ωへの待遇改善が公布されたのちも、Ωを虐げ死にやったβには厳しい処罰が与えられた。あとを追ったαもその罪の重さに重ねられたのだろう。
αはヒエラルキーの頂点であり、Ωは最下層であった。
急激なΩの減少により、そのピラミッドは揺らぎつつある。
どこからか崩壊へ向かう足音が聞こえた。