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想い出の教室

作者: 相原由紀

当作品は、翔愛学園皐月祭2014に文芸部の会誌として出稿した作品です

『想い出の教室』


          作    一年二十五組 相原由紀

          校正編集 二年十四組  みれでぃ



[前知識]

 当物語で登場する教室は翔愛学園と言うオンライン仮想学園内の教室です。プレーヤーが生徒になり、学園でのチャット等のコミュニケーションが可能なバーチャルな世界です。教室を掃除すると羽が貰え内部通貨と交換できます。



 彼、いえ、彼らと初めて出会ったのは、自分の教室がピカピカで掃除出来なかったからだった。丁度新入生のクラス配置が一巡してアクティブなクラスメイトが増えたせいなのかもしれない。しかた無く適当なクラスの教室に入った。それが始まりだった。

 そこには、女子が一人と男子が二人居た。あたしが勝手に掃除しても、話に夢中なようで、挨拶だけして出てきたのだった。

 しかし、何度かその教室を訪れると不思議なことに気がついた。人数は四人くらいになることもあったが、必ず二人ほど居て、延々と話をしている。

 初めは学生さんかと思ったけど、平日の昼間、夜間を問わずなのである。ニートとかそんなのも当てはまるけど、話の雰囲気がどうも異なる気がした。

 出身クラスもバラバラで、何かの仲間と言う感じでここに集まっているようだ。そのうち顔見知りと言うか、好奇心に駆られ、あたしも徐々に会話に加わるようになっていったのだった。

 中心になっているのが男女一組のペアで、恋人の関係であることが判った。そして気まぐれに出現する高校生の男子、夜間だけ稀に来る社会人の男子と言う計四人である。

 ペアの男女は常に在宅で、外出することは無いらしい。席を外すのは食事やお風呂とかで、それ以外は就寝するまでパソコンの前で常にいてることが大判だし、そして話の内容から、あたしとほぼ同世代であることも。


 ほどなくして、学園は運動会が始まっていた。彼らはそんなイベント等は無いかのごとく、日々の出来事やTVの話題等でいつものように終始していた。

「ねぇ、運動会の競技何か参加しないの?」

 あたしの変哲も無い質問に、ペアの彼である貴志君は、答えた。

「俺、走るの苦手なんだ。超遅いし、足引っ張ると悪いと思って」

「単にマウスで足のところクリックするだけじゃん」

「それが出来んのよ、簡単には」

 相当どんくさいのかと思い、笑って返した。

「洋子ちゃんは、どーなん?玉入れなんかクリックするだけだし楽しいよ」

 と、彼女の方にも振ってみたのだった。

「うん、苦手って言うか、ムリだと思う」

 なんと、このペアは運動音痴なのかと思っていると、ひっかかる言葉が続いた。

「洋子は特に連続なクリックはダメだろ。痙攣があるから」

 あたしは、その時、何のことか判らなかったし、明確な疑問に対する解決には、ほど遠い知識しかなかった。

 キーボードでの会話はスムーズと言うかパソコン素人等とは考えられないほど早い返事だし、なぜマウスクリックに問題があるのか。

 やがて彼らから、その少し不思議だった雰囲気が徐々に明らかになっていったのだった。

 洋子ちゃんは生まれつきの小児麻痺で、言葉による会話は出来ず、文字盤を使っての意志交換が主であること。身体は痙攣しているが、キーボードだけは訓練もあり、普通に打てる事。自分単独での移動は困難で、車椅子を使用しての外出は可能なれど、常に介護者を必要とする状態であるらしい。

 高校にあたる養護学校を卒業してからは、たまに入る翻訳等のアルバイトを気が向けばやっているとの事。そして彼女は、生まれつきなので病気では無いと言う。

 貴志君に至っては、一度くらい聞いたことのある筋ジストロフィーで、この年齢で生存していることが既に珍しいこと。進行状態は、指は動くが手首には既に力が入らない状態で、指を使って手を移動させることから、当然敏捷なマウスクリックは不可能だと言う。

 発病したのが遅かったこともあるが、これまで疾患が進行して寝る時は呼吸補助器を使用することもあると言う。移動は電動車椅子で自分の操作によってなんとか可能らしい。

 後二人の男子も小児麻痺で症状はやや軽く、高校生は自分でふらつきながらも歩くことが出来、養護学校へ元気に通っていて、大学をも目指している。

 もう一人の男子は既に社会人として作業所か身障者向きの作業が可能な企業で仕事をしているとのことであった。

 彼ら、特にペアの二人は、そんな状況にも関わらずいたって前向きで明るく、将来の事も話すくらいで、何ら悲観的な面はまったく見せなかった。

 あたしも、話をするにつれ、ごく普通の健常者と変わりなく、彼らの障害等も意識することなく過ごすことができた。そして重要なのが彼らとの付き合いは、差別、区別、特別扱いをしないと言うのが基本のスタンスであることも理解していったのだった。

 このインターネットと言う安価で高速な通信とチャットは、彼らに革命をもたらしたに違い無い。それまで同様な人々は孤独で孤立していたと聞く。それが一気に自由なコミュニケーションが可能となり、このバーチャルな学園だけど、自由に一般人と何ら変わりなく過ごせる、そんな世界を手に入れたのだから。

 貴志君は言う。自分は高校一年以降で通うことが出来なくなって、通信教育に変わったと。けど、ここに居るといつでも高校生の気分がすると。

 事実彼らには驚かされる。知識が豊富で難しい資格も何本も取得しているらしい。そして新たな興味を持ち、夢だって普通にあった。

 今まで自分が抱いていた身障者への知識が大きく誤りであったのにも気づかされた。洋子ちゃん等の小児麻痺は不自由なのは体だけで、思考や心は、あたしらと何ら変わらないと言うことも。

 そんな彼らの仲間、友達の一人として、あたしもこの学園での日々を楽しんで行ったのだった。終わりなど想像もせずに・・・


 数か月の月日が経ち、いつもの様に教室に来た時、異変に気付いた。洋子ちゃんの顔を最近見ない。あんなに毎日いたのに。

「貴志君、なんかあったの?」

 言いにくそうにしてる貴志に対し現役高校生の勇樹君が代わって答えた。

「貴志と洋子ケンカしたんだ」

「えぇ、そりゃまたどーしたの?まぁたまにはそんなのあるよねぇ」

 と、軽く流したのだったが。

「俺、洋子と別れた。前から考えてたんだ。色々違うとこもあったし」

 あまりにも深刻なことになっているのに驚いた。教室では多くは聞けなかったけど、二人の間には長い歴史みたいなものがある。ここに来ての破局はどちらに対してもダメージは多いだろう。

 今思えば、これは貴志君の計画的決別だったと思う。しかも愛しているからこその。

 洋子ちゃんは、登校はしているが、教室には来なかった。またその回数も徐々に減って行った。

 あたしは教室では貴志君や勇樹君らと話し、洋子ちゃんの部屋でも話し、そんな日々になって行った。

 きっかけは洋子ちゃんが結婚の話を切り出したのが始まりだったようだが、二人は複雑だった。

「貴志ねぇ、昔はよく家に来てくれてたんだ。今は進行してしまってムリだけど、そのころから、お互い特別な気持ちがあって、将来は一緒に暮らせたらなって、そこまで言ってくれてたのに・・・」

 二人は近所と言うか、同じ地区で、それでも三キロ程度の道のりを車椅子で度々来てたらしい、また小さいころは、普通に歩けたこと等、二人の歴史を洋子は想い出のように聞かせてくれたのだった。

 たしかに両者の状態から一般的な結婚生活等は不可能だろう。けど介助は必要だけど家族の理解等があれば完全にムリと言うわけでもない。そして洋子は単に形式的な結婚でもいいと言う思いからだったようだ。それも残り少ない時間の為であったのかもしれない。

 お互い終わりが訪れるのは判っていた。洋子はだから早くと、貴志は自分の体力の低下とかを敏感に感じたのかもしれない。だからもうムリだと。そのあたりの相違だけだったに違いない。


 それからあたしは、遠いので頻繁には行けないけど、実際に二人のところへ度々行くことになった。

 洋子とは回転寿司にまで行った。これがまた痩せの大食らいで、だいじょうぶかぁ?と聞くも、次々要求する始末で笑ってしまう。

 チャットとは違い、文字盤での会話を必要とするが、大抵めんどくさいので、あたしの質問にYes/Noで答える。それを繰り返すだけで、けっこう通じるのであった。

 介助とか初めてだったけど、慣れればそんなに大変なことも無かったし、何をしても喜ぶ洋子の顔は素直さと愛きょうたっぷりで返ってあたしが癒された。

 ただ、あたしを前にしてのキーボード操作は何度お願いしても見せてくれなかった。変な態勢でするらしく、恥ずかしいとの事。

 貴志はケーキが好きで、持って行って二人とも二個づつ食べるくらいだった。時には勇樹君も来てパーティになった。彼らは普通に喋れるので、複雑で微妙な話題もボケと突っ込みを交えいつも楽しかった。

 部屋は暖かかった。庭の植物が庇を作り、陽を適度に遮蔽しつつも葉の間から差し込む柔らかい日差しがパソコンの乗った机に明るさをもたらしていた。窓を全開にした時に吹き抜ける風が気持ち良く、夏でも涼しかった。

 ここでも初めての経験と言うか体験があった。貴志は半分あたしを試すつもりだったのかもしれない。トイレをしたいと言うのである。

 部屋はバリアフリーになっているので便器の前まで車椅子で移動できる。で、彼を立たせてもたれるようにして指だけでふんばってもらう。当然それからが問題なのだ。チャックを下げて、スボンを下し、介助してやらねばならない。

 これには、さすがに顔が真っ赤になるのが判った。でも嫌らしさや嫌悪感は無い。もちろんもっと若かったらどうなったか判らないけど、なにぶんあたしも、もうそんな何も知らない歳では無い。

「はーい、準備オーケーよ」

 彼氏以外では初めてだったけど、やがて何の抵抗も無く出来るようになった。

「ごめんな、こんなことさせて」

 と、毎回申し訳無く言うのであったが、なんだか謝ることに違和感を感じるようになっていった。

 貴志も洋子との想い出を沢山話してくれた。家族の付き合いも長く、昔はもっと家が近くであったことや、青春時代を向かえるにつれ、お互い愛情が芽生え恋に変化していくことも周りが理解してくれ公認になり、二人だけの時間を作ってくれていたとのことだった。

「俺にもう少し時間があればなぁ」

 そんな言いかただったと思う。ボツリと言ったこの言葉には多くの意味が含まれていたんだと、今になって滲みるように判る。

 また、今取り組んでいる夢についても話してくれた。彼の家は郊外にあり、少し行けば野山が広がる自然の多い地区だった。昔は駆け回っていたそうだが、今は父が写してきた野鳥やその巣の写真を加工整理するのが仕事であり精力的に行うことで生のモチベーションを維持している。完成すれば図鑑として出版されるらしいと聞いた。

 貴志が近くに来ることもあった。定期的に検査入院するのだが、その病院が意外と近くにある。曽根国立病院。彼らのような難病の専門病院らしく、遊びに行くと患者の多くが成人までの子供ばかりであるのがわかった。

 同世代の男女が多いことから、貴志も多くの友達がいてるらしい。自由に使えるパソコンも多くあり病院と言うか学校に近い雰囲気もあったくらいだ。貴志はどうもここではプレイボウイで、多くの女子から人気者であると聞いた。

 

 学園の教室はあいかわらず洋子は来ないけど、四人で永遠と話す日々が続いた。あたしも会社が終わり帰宅すると、いつもの様にネットに接続し、ただいま、の挨拶をしに行くと貴志らが待っていたし、勇樹君の進路やボランティア活動の話。恋の話もあり、話題には事欠かなかった。

 洋子は登校すら少なくなったが、メールでのやり取りが多く、あたしを通じてお互いの情報を交換しあっている感じだった。

 この教室に関わってから多くの月日が経過していった。やがて何度目かの検査入院をするとのことで、貴志はしばらく休むこととなった。しかも今度は少し長くなるとのこと。

 近くなので、またすぐ会いに行けると思い、その日がくるのを楽しみにしていた。貴志からは早くこいと、催促のメールが来るくらいで、さすがに暇にしてるのだろうと思っていた。

 偶々会社での仕事が山積していて、近くに来ているにもかかわらず、その時は、なかなか会いにいけなかった。

 そんなある日の朝、珍しく貴志のお母さんから電話があった。何事かと思いつつ話を聞く。

「貴志が会いたがっているので、できたら早めに来てほしい」

 お母さんは控え目に言ったのだろう。あたしは、そろそろ行かないと、拗ねられると困るなぁくらいの感覚で、その日の夕方行くことにしたのだった。

 ところが昼すぎ、再び電話があり、今すぐ来てくれとのことだった。それ以上お母さんは何も言わなかった。言えなかったのだろう。何か嫌な予感どころか、胸騒ぎみたいな感覚が支配した。あたしは会社を早退してすぐ向かったのだった。

 いつもは何人もいてる病室だったが今回は個室だった。家族全員いてるし、貴志は寝ているだけだった。けど既に喉からの人工呼吸になっていて、多くの機器のコードやチューブが繋がれていた。

「昼前まで意識はあったんだが、今はこんな状態です」

 お父さんの報告も上の空で、あたしの思考は動転してしまっていた。貴志の手を握り、小さな声で何度も呼んでみた。けど貴志は何の反応もないままだった。

 そして、なぜ直ぐ来なかったのか・・・悔やんでも悔やみきれなかった。

(何か言ってよ貴志、こんなので終わるの?)

 心の中で何度も呼びかける。(ごめん、ごめんなさい)

 以前調べたことがあった。筋ジスの末期は心肺機能が低下し、突然だが静かな死になることが多いと。

 時々巡回するように回ってくる医師も、計器の数値をチェックするだけで、新たな処置を行おうとはしない。部屋ではゆっくり過ぎる時をただみんなで見守っているだけだ。妹さんなんかは、泣きたいのを必死に我慢しているのだろう。膝で顔を隠し、ただ耐えている。他の人も目の焦点は定まっておらず、だれも話をしようとはしない。

 偶に、同じ病棟の貴志の友達が車椅子で心配して様子を伺いにくる。そして沈んで帰って行く。

 夕方、家族の数人と休息コーナーへと移動した。自販機から熱いコーヒーを受け取り、一口飲むごとにため息が出る。

「しょうがないんだ、これが現実なんだ、その時が近づいてる」

「何もできないんでしょうか?」

「ああ、充分やってもらった。これでいいんだ。辛いけど」

 既に判っていたけど、お父さんの言葉が現実を受け止めるしかないと、改めて決定事項のように聞こえる。

 夜になると医師から、益々心拍数が低下していると告げられる。

 あたしは教室での楽しかった日々や、貴志の家での出来事を思い出していた。ふと洋子との別れのことが過った。

 それは貴志の優しさだったのかもしれない。わざと遠ざかっていったのに違い無い。徐々に収束させ自ら引くことで、多少なりと洋子の受ける悲しみを減衰分散させることができるように。

 貴志は最後が近い事を悟り、自ら別れを切り出した。そう考えると、俺にもう少し時間があればと言う彼の言葉は想像以上の重みをもってくる。

 

 窓の外が白み始めたころだった。あたしは心電図モニターの波形を眺めていた。定期的に波形を描く。それが唯一生の証のようだった。人口呼吸器の繰り返す音だけが部屋を支配する。

 その時、突然波形が一直線になった。横軸の時間軸だけが進んで行くけど、波形は画面の左に消え去り、まっすぐなラインだけが以後続いている。

 アラームを示すマークが激しく点滅しているけど、警報音は消音してあるのだろう。他は何も変わらない。周期的な呼吸器の駆動音だけ。だれも気がつかない。

 とっても静かだった。貴志が行ったのが判った。

(来てくれてありがとう。少し先に行ってるよ。またいつか会おう)

 なぜか、そんな声が心の奥で聞こえた気がした。突然涙が溢れるように出てきた。ベットの横に駆け寄って手を握って。言った。

「うん、かならず行く。待ってて。おつかれさま。貴志」

 教室での挨拶のようだった。

 その後は家族の人も駆け寄り、遠隔モニターしていた医師も飛び込んできて、しずかな死の宣告を告げた。

 あたしは部屋を飛び出して、病棟の外で何もかまわず大声で泣いた・・・と思う。

 かなりして落ち着いてから部屋に戻ると、計器や装置が片づけられ、寝ているだけの貴志を軽く抱きしめた。

 お母さんから、この後の予定を聞いた。告別式は明日に行うそうだ。貴志の交友関係を考えるとネットを通じた友人が沢山いてるはずだった。まずこれを知らせなければと考え、自宅のパソコンを調べる必要があることを提案した。

 そして一緒に帰り貴志のパソコンを起動した。パスワードは以前YOKOであることを聞いていた。メールクライアントを起動し、過去にメールのやり取りをした何十人のアドレスをコピーした。プレイボーイらしく女子が多いし、沢山なのに、少しだけ驚いた。

 すぐ帰ってから定型文だけど、貴志の旅立ちを告げると共に告別式の場所と日時を記し、丁重に御礼と、間違いの場合のお詫びを付けて全員に送信した。

 次の朝チェックすると、かなりの返信があった。一通づつ印刷して青空と雲のデザイン封筒に入れ、斎場に持っていった。そして祭壇の前に置かせてもらった。

 控室や待合には、沢山の身障者の方も来ていた。洋子も家族と一緒に来ていた。泣きじゃくる洋子を抱きしめ、何かを言おうとしているけど、わかってる、わかってると返すだけだった。

 勇樹君も、ふらふら歩きながらやってきた。肩を支えて祭壇前の貴志のところへ連れて行ってやった。

 泣きながら大声で言葉にならないくらい叫んでいた。それが一段と悲しみを誘ったみたいで、周りの人も多く涙を流していた。

 葬儀は淡々と進み、出棺の時は驚くほど多くの人が見送った。

 帰る時親族の元に行って挨拶すると、多くの人がメールで知り、今日の葬儀に間に合ったらしいことを聞き安堵した。

 斎場を出て少し行くと、急に赤い軽の車があたしの横に急停車した。窓から乗れと言っている。なんと勇樹君だった。

 歩くのはおぼつかないのに、車の運転は自由な手足のように軽快で、駅まで送って行ってもらった。どうも最近免許を取ったみたいで、車は身障者用に改造されているとの事。大学にもこれに乗って行っていること等話してくれた。

「勇樹君、これナンパに使ってるでしょ?」

「なぜわかった?」

「何?このちゃらちゃらした小物。ぬいぐるみだってある」

 どーも大学への自動車通学を武器に雨の日等、女子を今回みたいに誘うのだそーだ。意外性もあり、案外好評なようで。

「あんた特権乱用だねぇ。ほんと近頃の身障者は・・・」

 悲しい後の出来事だけに、心が和らげられる。勇樹君感謝だ。


 話はこれで終わりでない。一月ほど経ったころ。貴志のお母さんから電話があり、パソコンの整理をしてほしいとのことだった。

 実は葬儀の前日、メールの抽出をしている時に、あたし宛ての未送信メールを発見したのだった。貴志も、まだこの検査入院で帰れなくなるなんて思いもしなかったのだろう。それで未送信になっているが、いつかあたしに伝えなければならない重要な内容が記述してあった。

 もし俺に何かあったら、パソコンの中にあるファィルを削除してほしいとのことだった。対象となるフォルダや概要を指定してあった。

 なんとなく何かは判っていた。そこに家族からの依頼だ。何とかしなければと、出かけて行ったのだった。

 予めあたしだけ作業をすると言うのは不可能だった。横にはお父さんとお母さんが鎮座しているし、とりあえずさしさわりの無い貴志の力を入れていた野鳥関連の画像を別ハードディスクにリカバリーしたりして、今後もお父さんが使えるようにした。

 個人的な文章やメールについても、必要の無い広告やメーリングで配信されたものは、削除した。

 さて、問題のフォルダー群だけど、開くとあるはあるわ。画像やら、動画まで。しょうがなく二つ三つ開いたけど、どうにもならなかった。

「年頃の男子って、こんなものですよ。あははははは」

 緊張して言ったけど、お母さんは、かえって普通の男の子の世界と変わらないことが嬉しく感じたみたいで、ニコニコしながら残しておいてと言う。

 相談の上、基本的に全て残すと言うことになった。これこそ貴志メモリアルだ。暇を見て自分で色々見てみるとのことだ。

(貴志ごめん、任務失敗だぁ。これもあんたの悪行。諦めなさい)

 そう心の中で叫んだ。

 帰る時に、一冊の図鑑を頂いた。そう、ついに完成して出版された、いえ、まだ書店等には並んで無いとのことだった。

 膨大な貴重な写真が網羅されている。よくこれだけ整理したものだと感心した。この後、この一連の図鑑は希少な資料と言うことで、版元を変えて何冊か、年度を跨ぎ出版されていった。

 それを今でも見ると、貴志の足跡が感じられる。あの実物の顔とアバターの顔も同時に。

 教室は貴志が居なくなったのをきっかけに、寂れて行った。勇樹君も大学で介護ボランティアサークルを立ち上げると同時に、カウンセラーの資格を取得する為、忙しい毎日を送っているらしい。

 時々教室を訪れる。そうすると、遅いなーと言う貴志の声が聞こえてきそうだ。登校する度に掃除をする。

 その教室だけは、決して酷く汚れることは無い教室。

 だれも居なくても想い出の詰まった大切な教室。

 貴志、ただいま・・・



最後までお読み頂いてありがとうございます。実際に経験した想い出を元に小説化した作品です。

[実際に出版され図鑑]

日本鳥の巣図鑑―小海途銀次郎コレクション

決定版 日本の野鳥「巣と卵」図鑑 [大型本]

http://www.amazon.co.jp/dp/4418119000/


エンディングBGMを提供頂きました。

[あの日の約束]作詞作曲2年33組 佐倉凛さん

http://sdl.dip.jp/cf/maru/anohino_yakusoku.wav


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― 新着の感想 ―
[良い点] キャラフレの世界が再現されていてとてもおもしろかったです^^
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