第2章 平原でのこと
あたしは、最初それはゴミだと思った。
散らばった残骸、焦げた部品。
ゴミにしては大きすぎるけど、ゴミじゃないのもある。
人だ。
何人か転がっている。
生きているのかさえわからないほど、ぐったりとしている。
平原にぽつんとある大きな木の陰に、少女が一人。
見たことのないゴミと人を目の前に、警戒するように睨み付けている。
そのとき、強めの春風が吹いて少女がかぶっていた麦藁帽子がふわりと飛ばされる。
あっと思ったが、麦藁帽子は少女の手の届かない宙で踊っている。
しばらく踊っていたかと思うと、ひらひらと舞ってぐったりとしている人の頭に落ちた。
全身黒ずくめの、カラスのような格好に麦藁帽子。
非常に不釣合いだ。
お父さんにもらった大切な帽子。
取りに行きたいが、踏み出す勇気がない。
急に起き上がって、もしかしたら殺されるかもしれない。
最近、「隻眼の剣士」という危ない人間がいるという噂を聞くから、知らない人には迂闊に近づくことはできない。
しかし、あの帽子がなければ仕事ができない。
お父さんにもらった大切な帽子だ。
少女は、大きく息を吐くと、木陰からそっとでてくる。
気づかれないよう、慎重に慎重に麦藁帽子に近づいて行く。
ぱし、と乾いた音がした。
「ひっ…!」
枯れ枝を踏んだ少女は身をすくめる。
恐る恐る前方を見ると、やはり手遅れだった。
カラスが起き上がっている。
「うわわわわわわっ」
全速力でさっきの木陰に再び隠れた。
むっくりと起き上がったロキルは、自分の視界が妨げられていることに気がついた。
頭に載っている何かをむしりとる。
赤いリボンがついた麦藁帽子だった。
「なんだこれ…」
まじまじと見つめ、有益なものではないと判断したロキルは、ぽいと麦藁帽子を捨てた。
木陰の少女はあんぐりと口をあける。
黒ずくめの男は一番近くに倒れていた金髪の男(?)を揺さぶった。
「おい、ディアーノ」
エルフ族特有の尖った耳がぴくりと動く。
花が咲くように静かに起き上がり、乱れた髪を手櫛で整えた。
「あぁ、ロキ…ん?ここはどこだ?」
「俺が知るかよ」
「そうだよな」
頭を打ったのか、ディアーノは右のあたりをさすっている。
そのとき、雷にも似た絶叫が響いた。
「ああああぁぁぁぁぁああああああっ!!!」
声の主は、目を覚ましてしまったアルカだった。
彼の場合、自分の最高傑作である城が見るも無残な姿になっているためおきないほうが身のためだっただろう。
しかし遅かった。
「ぼ、僕のっ…ミーファちゃんっ…!」
大人気ない声を上げて、残骸と化した城にふらふらと近づく。
そして、ぺたりとひざをつくと残骸を一つ手に取った。
まるで、愛していた人の遺品を扱うように。
「あああああああっ!そんなああああああっ!」
平原に響くほどの大音声で泣き喚く。
鳥たちは驚いて羽ばたき、野生動物たちは森へ逃げ込む。
そんなアルカを横目に、ディアーノは杖を抱くようにして倒れているエインの元へ駆け寄った。
紫色のローブに包まれた細い左肩をゆする。
「んん…?」
エインは目を開けた。
「エイン、立てるか」
エインは小さくうなずき、杖を持ったまま左手をディアーノの肩を借りた。
風が吹き、エインの長い右袖がひらひらとはためく。
袖の中には、何もないからだ。
幼いころ、ある魔法を使った代償に右手を失ったのだ。
「ありがと、ディアーノ」
ディアーノは、礼には及ばないと微笑む。
二人は微動だにしないロキルに近づいた。
彼は、ある場所を細い目で見据えている。
金色の瞳は、獲物を探す鷹のように鋭かった。
「…(あそこの木の陰に、誰かいる)」
流暢なエルフ語で伝えた。
ディアーノは、ロキルが見ている大木を同じように見据えた。
エルフの子孫であるディアーノだけがわかるように、ロキルは敢えてエルフ語を使った。エルフの気配が大木の陰から感じられないためだ。もしエルフの気配を感じたら、彼はきっと普通の言語を使っているだろう。
「(敵か?)」
「(いや、敵ではなさそうだ。)」
あそこの二人は、いったい何をしゃべっているのだろうか。
木陰に隠れている少女は、聞きなれない言語に耳を澄ましていた。
まさか、どうやって殺そうか相談しているんじゃ…!
被害妄想をすると、小さな頭を抱えてしゃがみこんだ。
まだ仕事が残ってるし、弟も家に残したままだ。
今夜は会合があるし、夕食だって作らなければいけない。
どうしよう…と悩んでいると、「あ!」と若い男の子の声が聞こえた。
「これ、誰の麦藁帽子?こんなかわいい帽子、誰か持ってたかなあ?」
エインは、草むらに落ちている麦藁帽子を拾った。そして、自分が被っていた魔法士の帽子と交換して麦藁帽子を被った。
ローブに合わせて作られている帽子ではないため、今のエインの格好には不釣合いだが、本人は気に入ったようだ。
「俺が起きたとき、この帽子が頭に乗っていた」
ロキルがつぶやくように言う。
「ロキル、こういう帽子が好きなんだね。知らなかったよ」
「は!?ちげぇよ!俺のじゃねえ」
明らかにあせっている。少ししか見えない顔は、赤みを帯びていた。
「あはは、冗談だよ」
エインは帽子のつばをつまんだ。
「持ち主にかえさなきゃね」
そう言うと彼は、誰かが隠れている大木に向かってよろよろと走っていった。
「あ、エイン!」
ディアーノは、エインが転んでしまうのではないかと思うのと、持ち主が誰か気になって彼を追いかけた。
案の定、エインは草むらにころんと倒れてしまった。
「あはは、転んじゃったよ」
「あまり一人で走らないほうがいい」
「せっかくの芝生だもん。走らなきゃもったいないよ」
よいしょ、と左腕だけを使ってエインは器用に立ち上がった。
「僕、左腕はあるしね」
そう言って、また走る。
そんな様子を、ディアーノは苦笑しながら見つめる。
彼は、右腕がないことをちっとも不自由だと思っていないのだ。
左腕はある、というポジティブな発想を、ディアーノは少しうらやましくなった。