王子様とナイトの初喧嘩
レオンと過ごす日々は楽しい。
けれど、そんな毎日でも、憂鬱な日というものはあるわけで。
まさに今日がその日だ。
温室で読書をしつつ、ハイネはそっと溜息を吐いた。
今日は、午後から、週に一度のオリオン史の講義がある。
ハイネは別に、オリオン史が嫌いなわけではない。
むしろ、歴史を学ぶのは好きな方だと思う。
問題は、講師の方だ。
ハイネのオリオン史の講義を担当するウェルター教授は、名の知れた歴史学者だ。
数々の研究を行い、成果を上げている優秀な人物である。
しかし、研究には莫大な資金が必要だ。
その資金を融資しているのが、オリオン第四王子の母である、サエラ王妃なのだが、ハイネは、このサエラ王妃とうまくいっていない。
それも、非常に深刻なレベルで。
向こうが一方的にこちらを目の敵にしているので、関係の改善の仕様はなく、どこまでも悪化の一途をたどっている。
その影響で、ウェルター教授のハイネに対する態度も決していいものではなく、毎回、オリオン史の講義では、ねちねちと嫌味攻撃を受けている。
サエラ王妃が命じているのか、ウェルター教授が、王妃のご機嫌取りの為に自主的にそうしているのかは知らないが、嫌味以外にも、毎回手を変えてちょっとした嫌がらせをしかけてくるので、オリオン史の講義は、精神的疲労度が高いのだ。
まあ今日も適当にやりすごそう、でもやっぱり面倒だなーなどと考えつつ、読みかけの本を閉じて視線を上げると、すぐ側の芝生で、剣の稽古をしているレオンの姿が視界に入った。
ハイネが温室で読書をする時、傍らでレオンが剣をふるうのは、すでに馴染みの光景となりつつある。
無駄のない身のこなしで、迷いなく剣を振るうレオンの姿は、いつ見ても清々しい気持ちになる。
一つ一つの動作が精錬されていて、剣術の知識など全くないハイネから見ても、レオンがかなりの使い手であることがはっきりと分かる。
「見てばっかいないで、本読まないんなら、お前もやってみたらどうだ?」
しばらくぼんやりと眺めていると、視線に気づいたレオンが動きを止め、こちらに歩み寄って声を掛けてきた。
稽古してやると、レオンから剣を渡されたので、とりあえず受け取る。
「やりたいのは山々なんだけど、多分、レオンがものすごく苦労するはめになると思うよ?」
「苦労?運動音痴過ぎて、教えるのが大変ってことか?」
続けて、大丈夫だ、お前に運動神経とか全然期待してないと、笑顔でさらっと失礼なことを言い放つレオン。
船を作っての賭けで負けて以来、レオンは約束通り、ハイネと二人の時は敬語で話すことをやめた。
最初は、しぶしぶと言った感じであったが、最近では、今のような遠慮のない言葉もポンポン飛んでくるようになった。
どうやら開き直ったらしい。
「君、最近ホント僕に対する言動に容赦ないよね。」
「嫌なら、喜んで敬語に戻してやるぞ?」
「嫌じゃないから。むしろ嬉しいくらい。」
笑顔で答えると、“お前はマゾか!”とすかさず返された。
「どうだろう?考えたことなかったなぁー、サドではないと思うんだけど、マゾかと言われると…」
「真面目に返事するな!そこは普通に否定しておけ!」
レオンの全力のつっこみに、更に笑みがこぼれる。
こんな、たわいのないやりとりがどうしようもなく楽しい。
冗談ではなく、本心で、彼が容赦のない言動を自分に向けてくることに、喜びこそすれ、不快感など微塵も感じたことはない。
例え、賭けで負けて仕方なくそうしているだけだと分かっていても、何やらレオンとの距離が縮まったような、親しくなれたような、そんな気がして暖かい気持ちになれる。
「で、結局稽古するのか、しないのか?」
ため息混じりのレオンの問いかけに、やっぱり遠慮しておくよと答えを返す。
「さっきレオンが言った通り、運動神経は壊滅的だから、教えるのはもちろん大変だと思うんだけど、僕が言ってる苦労っていうのは、教えてもらった後のことなんだよ。」
そう言うと、レオンが怪訝そうに顔をしかめたので、説明の言葉を続ける。
「前に一度、稽古してみたことがあるんだけど、途中で動けなくなっちゃって…そこから二日間くらいはまともに動けなかったんだよね。」
「…どこか、怪我でもしたのか?」
途端に、レオンが眉を寄せ、心配そうな表情を浮かべる。心配してもらっているところ申し訳ないが、そんな深刻な話ではない。
「いや、筋肉痛で。」
「………は?」
「だから、筋肉痛。」
「………。」
あの時は、さすがに驚いた。ほんの一時間ほどしか稽古していないというのに、全身筋肉痛で体がガタガタになったのだ。
それこそ、腕をまともに持ち上げることが出来ないほどで、着替えから何から、人の手を借りていたものだ。
「だからさ、何をするにも、普段の五倍は手がかかると思うんだよ。ほぼ一日中僕と一緒にいるレオンには、全面的に世話してもらうことになるだろうし、大変だと思うよー。」
「運動不足にも程があるだろう!!!!!」
返ってきた予想通りの反応に、声をあげて笑うと、笑い事じゃないとまた怒声が飛んできて、だから日ごろから運動しろと言っているじゃないかなどと、レオンのお説教タイムが始まった。
レオンとの時間は本当に楽しい。気づけば、憂鬱な気分はどこかへ引っ込んでいた。