思春期の男の子ですから
彼女はツキシロ家15代当主だった。「ツキシロ」って聞いたときにもしかしてって思っていたが、まさかだった。試験の時といい、さっきの戦いといい、少しはできる女の子程度にしか見ていなかった。けれど、この家や彼女の立ち振る舞いがそれを確かなものへと変えていった。
「お譲様は只今着替えておりますので。アンジ様、こちらでお怪我の治療を」
ツキシロ家の使用人・・・ツキシロ・ユキナ。それはナナセの実の姉であり、メイドが姉なのはどうなのかと思うところはあった。だが、それを聞くのは野暮なことなのだろうと、アンジは思っていた。そんな物思いに耽っていると怪我をしていた腕の治療が完了していた。
「お待たせしました。アンジ様」
煌びやかとまではいかないも、どこか上品さが伺える服装へと着替え終わっていた。絹のような髪に桜色がよく映えている。その姿に少し目を奪われていたのは言うまでもない。
「お、おう。それより、その喋り方止めないか?」
「そうだろうと思ってわざとそうしてたの」
表情は崩さないものもどこか楽しそうなお譲様に対し、アンジは『やられた』といった表情だ。そんなやり取りをしていれば、食事の準備が終わったようでどこからか食欲を刺激するにおいが漂ってきた。
「アンジ、せっかくだから夕食どうぞ。いつも二人じゃ寂しいからたまにはね」
「いや、そこまでしなくても……っていっても駄目なんだろ?わかったよ」
『当然』とばかりに構えるナナセの前にポンッとウルが現れた。どうやら二人じゃ寂しいといったことに反応して来たようだ。それに気付いたナナセもまた「ごめんね、ウル」と頭を撫でて謝っていた。午前中に見たどこか凛々しい姿とは違ったギャップに思わずぐらりと来てしまう思春期アンジの前にもポンっとケルが現れた。その表情には『俺も忘れるな』と言いたそうにも見えた。
「こいつも寂しがり屋なのか」
思わずケルの頭を撫でたが、首を明後日の方向へ向けてしまった。『しまった』と思ったが、よくよく見れば、黒紫色の尻尾が左右に振れているのが見えてしまったのには思わず苦笑いだ。
「素直じゃないな、お前は」
そう呟き、もうひとつ撫でてやると、ケルの表情も満更でもないようだ。
「ところで、ケルとか、ウルは、何か食べたりするのか?」
「ウルもちゃんと食べるよ。ほら、これとか」
食卓に置かれていた箱には……
ーーーペットフード 前種対応ーーーの文字が。
「世の中って意外と便利なもんだな」
「私も、ウルがモンスターだって今日知ったから、アンジの意見に賛成」
小皿にウルとケルの分を取ってやり、ユキナ、アンジ、ナナセもそれぞれの席に着いた。アンジも相当空腹だったようで、我慢ができないようだ。
「では、食事にしましょう」
ナナセの号令と共に、入学祝賀会を兼ねた3人と2匹の夕食が幕を開けた。
バルコニーに出た瞬間、風が吹き抜ける。風呂から出たばかりでとても心地よい。だが、ここには冷や汗も含まれているが、それは数分前のこと。
楽しい夕食も終わり、家に帰ろうとしたら、何故か風呂を進められ、断る事も出来ずにいると、あれよあれよで泊まる事に。1人暮らしであるが、やはり女の子の家に泊まるのは躊躇われるが、ユキナから聞いたことがそれを許さなかった。
「お譲様は、若くしてツキシロ家の当主を継ぐことになり、同じ年齢の友人はほとんどいらっしゃいません。それが、今回アンジ様を家に招くことになり、お譲様のあのような楽しく笑っている所を見るのは久しぶりでした。どうか、今日1日、いや、これからどうかお付き合いの程をよろしくお願いします」
共感できる部分もあった。それに、ここで断るのは俺が納得できない。覚悟は決めた。
「人生初のお泊まり……楽しんでやるぜ」
そんな想いを掻き消すように耳元で風を切る音が聞こえた。それに次いで聞こえるのは男の断末魔。振りかえると見覚えのある服装の男が倒れていた。その肩には小型のナイフが奇妙な程に存在感を出して、刺さっていた。
「それに、今夜は賊も多いことでしょう。夜分の帰宅は命取りかと」
倒れている賊はピクリとも動かず、するすると縛られ、すぐに来た警備の者に突きだされた。それを口を開けたまま見ていたアンジに、ユキナは一言言い残して片付けに戻っていった。
「あれには痺れ薬が塗っているだけで、命に別条はありません。ただ、お譲様の部屋に入ろうものなら、容赦はしませんよ」
この人に逆らっては命が危ないと悟ったアンジは、がっくりと肩を落とす。楽しいお泊まりはここに終焉を迎えたのだ。
「けど、そんな簡単には諦めきれないってね」
例え、あんな怖いお姉さんが居たとしても、一度きりの人生。こんなところで退くわけにはいかない。男アンジの特にかっこよくない決意表明と共に、ナナセの部屋にお邪魔作戦は決行されることに。
気配を絶ちながら、ゆっくりと静かに廊下を歩いて行く。これこそ、先ほど襲撃してきた賊と同じじゃないのかと言われればそれまでだが、思春期を真っ盛りの少年には残念ながらそこまでの思考力は備わってい無い様子で、その足取りは着実にナナセの部屋へと向かっていた。
「ここまで来れば、ユキナさんもいないだろ……」
周囲をきょろきょろと確認すれば、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと回してみる。ところが、鍵が掛かっている訳でもなく、扉はゆっくりと開かれていき、引き寄せられる様にアンジは部屋へと脚を踏み入れた。部屋への第一印象は、「何もない」というのが適切だった。ただ少しの家具とベッド、そして写真立てが。
「これは……」
写真立てに手を掛けた瞬間に俺は意識を手放していた。そして次に意識を取り戻した時、俺は客室のベッドの中だった。
正直何があったのかは全然思い出せない。ただ、気を失う前の事は何となく覚えていて……ヤバいと思う。
「これは、ヤバいよな」
とにかく、その時はその時と、気持ちを何とかまとめて、部屋を出ることに。ドアノブに手を掛けたと同時に、ドアが開かれ、視線の先にはユキナの姿があった。
「おはようございます。朝食の準備が出来ました。お譲様もお待ちです」
「ああ、分かった」
階段へと向かい共に歩くなか、微かに聞こえる声が俺の鼓膜へと正確に情報を響かせる。
「昨日のことを一切口外してはならない」・・・と。
何のことなのか俺には理解できなかった。思考を懸命に巡らせる中で、首筋に蚊にでも刺されたかのようなかゆみを感じた。が、特に何もなく、その場の雰囲気に耐えきれずに食堂へと向かい、ナナセに怒られるという1日の始まりであった。
その後はやはり、ナナセの愛馬の速度に驚愕しつつも、学園生活2日目に突入することに。
ただ・・・
「馬に酔った・・・」
どこか残念なアンジだった。