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振る手と夢列車

作者: 返歌分式


 ガタンゴトンッ、ガタンゴトンッ、



 揺れる列車の中、二人座れる座席が向かい合う四人用の空間。その一つに陣取っている俺は窓際、流れる風景を頬杖をつきながらなんとはなしに眺めていた。

 風景から視点をずらして窓ガラスに反射する自分の顔見れば、その顔は存外楽しくなさそうだった。

 自分から望んで旅に出たというのに、まったくどういうことだろうか。

 その顔にいらついた俺は窓に手をかけそれを開けようとしたが、ガタガタと木の枠を震わせるだけに終わる。

 「おかしい。開くはずなのに」と首を傾げながら呟く俺の声は、列車の揺れる音に溶けていった。


 窓が開かないと知った俺は大人しくしていることにした。

 暇を持て余す俺は過ぎていく風景を眺める。外は開放的に澄んでいた。都会暮らししかしたことのなかった俺にとって、自然の形を現したそれらは新鮮だった。

 大きな湖に舞い降りる白い鳥は可憐に踊り、鬱蒼と茂る森の中で闊歩する熊は不思議に列車を見送る。空中を走る列車に並列する虎は雄々しく駆け抜け、廃村に集会場を持つ猫は自分の顔を掃除する。崖の上から列車を見つめる狼の目は優しく、草原を跳ねる兎と鹿は警戒に耳を立てていた。

 それらが全て過ぎ去った風景の中のもの。

 今は暗い暗いトンネルの中。

 早く暗い世界から抜け出してくれないものかと考えていた俺の前の座席に、誰かが座った。


 自分の空間に入ってこられた不快感にそちらに目を向ければ、そこにはニヤついた顔で俺を見ている知り合いがいた。

 俺はその顔に呆れと諦めを感じ、ため息を吐く。知り合いはそんな態度に満足そうだ。



「よ。こんなところで会えるなんて、奇遇だな」


「俺は会いたくなかったけどな」


「そんな水くせぇこと言うなよ。まぁ、こんなところで会ったのも何かの縁だ。話でもしよーぜ」



 ニヤついた顔のまま知り合いは話し始める。

 俺はそれに耳を傾けてやることにした。



「今に思えば、お前って結構優しかったよなぁ」


「なんだいきなり」


「いや、なんか言いたくなってよ。お前って勘違いされやすかったよな。根は優しくてくそ真面目なのに、妙に相手にぶっきらぼうに振舞っちゃってよ。しかも言いたいことはどんなことでもはっきり言っちまうし。実は俺、最初の頃はお前のこと嫌いだったんだよな」


「知っていた」


「マジで? ま、そりゃそうか。俺お前に色々酷いこと言ったからな。スマンなぁ?」


「別に俺は気にしていない」


「そうか? ありがとさん。んでも、結局俺はお前のことを嫌いにはなれなかった。今ではお前のことを良い友人だと思っているよ」



 視界が開けた。窓の外には氷の世界が広がっていた。俺はその光景に息を呑む。こんなに綺麗なものが世界にあっただなんて。

 列車の揺れの間隔がだんだんと長く、弱くなっていった。どうやら列車はここで止まるらしい。

 そのことに気付いた知り合いは残念な風に窓の外を見て言った。



「あちゃ。もう降りる場所かよー。俺ここで降りるからな。短かったけど、楽しかったよ」



 視界の隅で知り合いが手を振ってどこかに行くのを見ていた俺は、申し訳程度に一回、手を振ってやった。知り合いはそれで十分だったようだ。顔をニヤつかせて列車を降りていった。

 知り合いを置いて走る列車。

 徐々に速くなっていく流れる風景に、俺はなんとはなしに窓を開けようとした。

 窓はガタガタと揺れ、また、それだけだった。

 さきほども試したのだけども、何故か今回は開くような気がしたのだ。


 氷の世界が過ぎていく。

 氷の空を飛ぶペンギンは水の中を泳ぐ魚のようで、氷の大地に眠りこける白熊は雪のようだ。不純物のように黒々と点々としてるオットセイ。不釣合いに建てられた家の傍にはアザラシだろうか、それとも雪だるまだろうか、家を包囲していた。

 それらに目を奪われていた俺の前の座席に、誰かが座る。

 またか、とさきほどよりも機嫌を悪くした俺はそちらに目を向けた。

 そこには俺の尊敬する先生がいた。先生は顔に刻まれたしわを朗らかに歪ませて笑っていた。



「お久しぶりね」


「お久しぶりです」


「こんなところで会えるなんて、思っても見なかったわ」


「俺もですよ」



 流石に今回は、知り合いの時のようにおざなりに扱うことはできない。

 俺は先生にちゃんと向き直り、居住まいを正した。

 先生は「別にいいのに」と困ったように眉を下げた。



「私にはそこまでしてもらう価値は無いもの」



 そんなことはない。この人には言葉では否定されてしまうので、目で語る。

 そうすると先生は観念したように笑った。嬉しそうだった。



「あなたは勇敢な子だったわ」


「そんなことはありません」


「いいえ。あなたは勇敢で優しい子でした。私は知っています。あなたが私なんかのために身を呈したことを」


「違います。あれは俺がやったことです。俺はあなたのことが嫌いでした。今も、できれば早々にこの席から離れてくれるよう願っています。俺はあなたのことが嫌いなんです」


「……そう」



 尊敬する先生は、俺の言葉に悲しみに顔を覆った。鼻と口を両手で挟む形のそれを見て、俺は先生が先生であることに妙に嬉しく感じた。

 一つ一つの仕草が、記憶にあったそれと重なる。


 窓の外で氷が赤に変わった。

 釣られるように顔を向けると、そこはまさに地獄で、赤色が支配する世界にくらりと眩暈がした。



「……あら、もうこんなところにまで……。ごめんなさいね。私はここで降りなくてはならないの。あなたと話せて、嬉しかったわ」


「先生?」



 顔を元に戻すと、そこに先生はいなかった。

 慌てて立ち上がり列車内を見渡すも、誰もいない。俺はしばらくの間呆然と立ち続け、やがてボスンと音を立てて座り込む。

 悲しみに、先生のように顔を覆う。

 列車は先生を置いて走り出した。


 赤の世界では鬼が踊っていた。数多の鬼がそれぞれ踊る。赤鬼は子供の手を引き、青鬼は赤い川で血を汲む。緑鬼は老人を助け、紫鬼は高いところにいる若者を悔しそうに見ていた。

 高く聳え立つ山は赤土。山に生えるのは赤色の立派な木々。空は赤く澄み、住まいは赤色レンガで建てられ、鬼と人が共存するその場所はまさに地獄でありながら平和を象徴していた。


 俺は無意識に窓を開けようとした。

 ガタ、と一つ鳴り、手放す。

 まだ開かない。

 俺はそのことに落胆した。できるのならば、俺はここに降りたいと思ったのに。

 置いていかないで欲しい。あぁでも突き放したのは俺の方か。

 自嘲する。俺はなんたって不器用なんだろう。


 嘆く俺の前に、誰かが座った。

 今度は誰だ。怒りに叫びそうになった口をねじ伏せ、顔を上げる。

 そこには親友がいた。

 仏頂面でふんぞり返り、足を組むその姿に蹴りを入れる。



「いってぇー! 何しやがる!」


「うるせぇ馬鹿野郎!」


「おーおーなんでぇせっかくお前に会いに来てやったっていうのによぉ!」


「俺はお前なんかに会いたくは無かった!」


「へっ! お前はいつもそうだよなぁ! 不器用さにかけてはピカ一な自分を棚に上げてそうやって理不尽にあたり構わず当り散らす! 周りの奴らはお前のことを優しいだとかなんだとか言っていたが、俺はそう思わないね! この暴力漢!」


「暴力漢? 俺がか? お前こそ自分のことを棚に上げてるじゃねぇか!」


「はぁ? どこかだよ! 俺ほど優しくてカッコよくて頼れる男は早々にいねぇぞボケ!」


「優しいカッコよくて頼れる? 妄想は他所でやれ! 二度と俺の前に現れるな! ここはお前がいていい場所じゃない!」


「おーおーそうかよ! なら俺はここいらで降りさせてもらうぜ! あばよ!」



 親友が怒り気味に足を踏み鳴らして歩み去って行った。その背は一度も振り返ることなく俺の視界から消える。

 いつの間にか立って口論していたようだ。俺は乱れた呼吸を整えながら席に座る。

 外の風景は晴れた白の世界だった。まるで天国のような世界は地面が白い綿で構成され、その上に色々な人、物があり、平らで平凡なその場所を一生懸命飾っていた。

 俺は苛立ちに窓を殴る。ビリビリと震えるガラスは割れることは無かった。


 白鳥が狂ったように踊り、蝙蝠が狂ったように旋回する。愉快に狂う動物達はそれはもう楽しそうで、苦など無いと、ここがまさに天国だと豪語するためか身体で現す。

 俺はそれに怒りを覚えた。どうしようもなく空虚感が俺を満たした。

 今まではこの身体には色々な物が詰まっていると思えていた。なのに、なんだっていうのか。

 ガラスに映る自分の顔は苦痛や悲哀に崩れ、涙を流していないのが奇跡のようだった。

 あぁ、なんだってこんなに苦しい。なんで俺はここまで嘆いている。



 ガタンゴトンッ、ガタンゴトンッ、



 列車の揺れに身を任せていた俺は、ふと顔を上げた。

 そこには両親が座っていた。

 父は厳しく顔を張り、母は眉を下げて笑っている。

 俺が何かを口にしようとするのを父が手で制し、腕を組んで目を瞑った。

 母は胸のところで両手の指を絡ませ、祈る。


 俺はそれを見て笑った。

 きっと今の俺は泣いているんだろう。

 それを証明するように、頬が冷たく、温かい。


 俺は愛されていた。

 いろんな人に愛され、俺はそれを享受していた。

 だが俺はそれに気付くことはなかったのだ。

 気付くことなく現実に悲観し、面白くないと思い、全てを放棄した。

 俺は、俺のために願ってくれている、俺のことを想ってくれている両親に感謝した。


 涙で歪む視界の中、外を見ると白から黒にへと変わっていた。

 黒の帳に散らばる明かりは星だ。星達は歓迎するように飛び交い、不注意でぶつかっては仲間を増やしていた。その光景は銀河で、俺に向けて大きく手を広げていた。黒の世界には川が流れていて、そこの水は随分と気持ち良さそうに世界を横切る。



「いきなさい」



 母の声が聞こえた。俺がそちらに顔を向けると、そこには誰もいなかった。



「いってこい」



 父の声が聞こえた。今度は窓に目を向け、俺はそれに手をかける。



「いってきます」



 俺の声が聞こえた。小さな子供のようなその声の幼さに驚く間もなく窓が開き、俺はその小さな身体を窓の外にへとねじ込んで落ちていった。








夢自体で出来ている列車内でのお話。

主人公以外は夢の中で彼に会っている設定。

水の表現は全てを放棄した場所のことです。

ちなみに窓を開けようとしているのは後悔のため。


銀河は無。

そんなイメージです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一貫して綺麗な夢ですね、銀河鉄道の夜を思い出しました。 私はこういった幻想的な描写が苦手(経験値ゼロ)なので、書かれている方には感心します。 いつか、開拓してみたいものです。 夢での会話…
2011/05/31 20:49 退会済み
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