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episode 4 政治的思惑 Part2 と新たな任務 



控室の扉が静かに開かれた。現れたのは、緋のドレスに身を包んだ一人の女性。栗色の髪を結い上げ、涼やかな瞳は真っ直ぐにレオンを射抜いている。


「……久しいわね、レオン殿下」


声は澄んでいて、少しの揺らぎもない。しかしその呼び方には、皮肉にも似た重みがあった。

レオンはわずかに目を見開いた。


「……君が、ここに来るとは」


クラリスとソフィアが互いに視線を交わす。侍従が一礼して退室し、扉が閉じられると、室内には気まずい沈黙が広がった。


彼女の名は――エリナ・ヴァルシュタイン。王都有数の名門貴族の娘であり、かつては「第三王子の婚約者」として内定していた人物。レオンがまだ学院に通わず、王宮に隣接する魔術機関で剣と魔法を学んでいた頃。政務に追われる日々の合間に紹介され、やがて縁談が結ばれたのだ。


しかし、七年前。レオンが王位を辞したその時、婚約は白紙に戻された。


「あなたが王位を放り出した時、すべて終わったと思っていたわ」


エリナは淡々と告げる。


「でも……こうしてまた“呼び戻される”なんて、誰が想像したでしょうね」


レオンは苦笑を浮かべ、視線を逸らす。


「俺もだ。二度とこの宮廷に足を踏み入れるとは思っていなかった」


「……後悔は、ないの?」


その問いに、レオンはわずかに目を伏せた。


「後悔していれば、とっくに戻っていただろう。あの日から俺は自分の選んだ道を歩いただけだ」


エリナの瞳が揺れる。ほんの一瞬、感情が滲んだが、すぐに冷静な表情に戻った。


クラリスが一歩進み出て、丁寧に礼をした。


「ご足労いただき感謝します。ですが……今のレオン様は王位にも婚約にも関わらぬ身。この訪問の意図を、率直に伺っても?」


エリナはクラリスを見やり、わずかに微笑んだ。


「意図、ね。……そう、ただ“確認”しに来ただけよ。この人が、七年前と同じように“逃げる”つもりなのかどうかを」


その言葉に、室内の空気が張り詰めた。レオンは深く息を吐き、彼女をまっすぐに見返した。


「どう受け取るかは自由だが……俺は、もう逃げない。たとえ駒にされようと、立ち止まるつもりはない」


その答えに、エリナの瞳がわずかに潤んだ。彼女は背を向け、扉へと歩み去る。


「なら……せいぜい証明して見せて下さい。レオン殿下」


閉ざされた扉の余韻が、重く残った。


室内の空気が重くなる中、レオンは2人に説明する。


「まあ、気にしないでやってくれたら助かる。キツイく見えるかもしれんが、2人きりで話してみればそんな事はないだろうから」


「わかりました」


クラリスはやや困惑しながらも返事を返してくれたが、ソフィアは黙ったままだった。


「(ファーストコンタクトがこんな感じだったら、無理ないか……)」


控室での一時の再会と別れから程なくして、再び侍従が現れた。


「――殿下。会議が再開されます」


レオンは立ち上がり、クラリスとソフィアに短く言葉を残した。


「しばらく待っていてくれ。……また呼びがあるかもしれない」


二人が無言で頷くのを見届けると、彼は再び謁見の間へと足を踏み入れた。




机と椅子が整えられ、王妃を中心に重臣たちが既に着席していた。


宰相の声が静かに響く。


「先の継承については、結論を急がず――保留といたしましょう。今は王都の現状を見据える方が先決かと存じます」


将軍が頷き、地図を机に広げた。


「軍備について報告する。北境の小競り合いは未だ続いている。兵の補充と士気の立て直しが急務だ。第一王子殿下が鎮撫に当たっているが、兵糧と資金が追いつかぬ」


「資金なら商会からの供出を増やせばよい」


第二王子派の貴族が口を挟む。


「しかし、その代わり市民への課税はさらに重くなる。すでに生活は困窮し、暴動の芽が育ちつつあるのです」


宰相は冷ややかに言葉を重ねる。


「外交の安定も忘れてはなりません。南部の同盟国は依然として沈黙。北方の帝国も動きを見せております。王国が内部で争うなど、最も見せてはならぬ時」


王妃が椅子から身を起こし、場を見渡す。


「要するに、軍・内政・外交――すべてが不安定。継承を急げぬなら、今は一丸となって政を支えるしかないのです」


そして、視線がゆっくりとレオンへと向けられた。


「レオン殿下。……助言役として、この王都の現状をどう見ますか?」


突き刺さるような視線の中、レオンは静かに息を吐いた。


「……七年ぶりに戻ってきたばかりで、全容を把握しているわけではない。だが、見聞きした限りでは――」


言葉を区切り、机上の地図と文書に目を落とす。


「軍も内政も、問題は同じだ。“積み重ねた歪み”が臨界に達しつつあるということ。誰かが継承する前に、まずは歪みを和らげねば国は持たない」


その言葉に場が静まった。重臣たちの表情は読み取れない。だがレオンは理解していた。

――彼の一言一句すら、派閥の思惑に利用されるのだと。


宰相の合図で、侍従が机の上に分厚い文書の束を置いた。軍の報告、財政の収支、外交書簡、市民からの請願――。七年間の空白を埋めるかのように、膨大な資料が積み重ねられていく。


「殿下。これが王都の現状でございます」


宰相の声には探るような響きがあった。レオンは黙って資料に目を落とした。紙の匂いと、記された数字や文字の重みが心にのしかかる。


(……なるほど。思った以上に、根が深いな)


数刻の沈黙。重臣たちが息を呑む中、レオンは顔を上げ、低く言葉を発した。


「軍備については、まず補充よりも士気の立て直しが急務だろう。兵に食を与えず、金だけ投じても崩れる。食糧供給路を確保することが第一だ」


将軍が目を見開き、思わず頷いた。


「内政では、課税をさらに増やすのは悪手だ。庶民の不満はすでに限界に近い。商会からの供出を増やすにしても、見返りを“利権”ではなく“信用”に変えるべきだ」


第二王子派の貴族が顔をしかめる。


「信用、だと……?」


「そうだ。商会に“市の安定は利益につながる”と理解させ、王都の秩序に協力させる。暴動が起これば、彼らが一番損をするのだからな」


宰相の目が細まり、鋭くレオンを観察する。


「外交については――」


レオンは指で資料の一枚を叩いた。


「南部の同盟国が沈黙しているのは、王都の混乱を見透かしているからだ。まずは王都の内政を立て直し、安定を示す。それが、外に向けた最大の交渉材料となる」


静寂が落ちた。謁見の間にいた重臣たちは言葉を失い、互いに顔を見合わせる。

王妃はわずかに目を細め、口元にかすかな微笑を浮かべた。


「……助言役に相応しい意見です。殿下」


宰相は机に指を組み、笑みとも冷笑ともつかぬ表情を浮かべた。


「さすがに、王宮隣接の魔術機関で育たれたお方……。言葉に重みがございますな」


レオンは肩をすくめ、視線を伏せた。


「私はただ、渡された資料を見て気づいたことを述べただけです」


――しかし、その一言一句が、またしても盤上に置かれようとしている。

それを理解していながらも、レオンは視線を逸らさずにいた。


重苦しい沈黙を破ったのは、第二王子派の貴族だった。


「……殿下。これほどの見識をお持ちなら、机上の助言に留めるのは惜しい。むしろ実際に政務を担当いただき、改善の先頭に立たれるべきでは?」


すぐさま別の声が加わる。


「そうですな。第三王子殿下が直接手を下せば、民も安心する。軍も商会も従わざるを得ぬでしょう」


「殿下が“改善の象徴”となればよいのです!」


声が重なり、空気は一気に熱を帯びた。その中心で、レオンは眉をひそめ、静かに立ち上がった。


「……何度も申し上げているはずだ」


その声音は低く、しかし鋭かった。


「私は助言役として呼ばれた。それ以上でも以下でもない。ここでそれ以上の役割を押し付けられるつもりはない」


響いた声に、一瞬会議の場が凍りつく。宰相が目を細め、薄い笑みを浮かべた。


「……これは失礼を。あまりに的を射たご意見でしたので、つい望みをかけたくなりまして」


わずかに頭を垂れ、口先だけの謝罪を口にする。


「ご提案として受け入れるかどうかは、今後の協議といたしましょう。助言役としてのお立場を越えることはございません」


王妃が軽く手を叩く。


「……よいでしょう。今日の会議はここまで。陛下の御容体を思えば、長引かせることは得策ではありません」


近衛が動き、文書が片付けられていく。重臣たちはそれぞれの思惑を胸に、静かに立ち上がった。

レオンは息を吐き、椅子から立ち上がる。胸の内に渦巻くのは、苛立ちでも、諦めでもなく――冷静な警戒心だった。


(やはり、俺を駒にする算段はすでに進んでいる。だが……繰り返す。俺は“助言役”でしかない)


その決意を胸に、レオンは王妃の冷ややかな視線を受け止めた。

こうして七年ぶりの会議は、重苦しい幕を引いたのだった。


会議が解散となり、レオンは再び控室へと戻った。重い扉を開けると、待ち構えていたクラリスとソフィアがすぐに近づく。


「レオン様……!」


クラリスの表情には安堵と緊張が入り混じっている。ソフィアは壁際から歩み寄り、鋭い視線を向けた。


「……顔色が悪い。会議は相当に骨が折れたな」


レオンは椅子に腰を下ろし、肩で小さく息をついた。


「言葉の刃は剣より重いな。七年も離れていた身には、なおさらだ」


クラリスは机に水差しを置き、慎重に問いかける。


「王位継承については……?」


「保留だ」


短く答え、杯を傾ける。


「だが、保留は“先延ばし”に過ぎん。結局、誰もが盤上の駒を探している」


クラリスは静かに頷き、ソフィアは眉をひそめて沈黙した。


その時――。扉が控えめに叩かれた。

クラリスが応じると、一人の従者が姿を現した。深い青の制服に身を包み、礼を尽くした姿勢で告げる。


「レオン殿下。王妃様よりお言伝がございます」


室内の空気がわずかに張り詰める。


「今宵、殿下と二人でお食事をなさりたいと」


クラリスの目が大きく揺れた。ソフィアは即座に手を剣にかけかけたが、従者の声音は終始穏やかだった。


レオンは杯を机に置き、深く息を吐く。


「……なるほど。母上は、直接話をするおつもりか」


クラリスが口を開きかけたが、レオンは片手で制した。


「心配するな。行かねばならんだろう。――七年ぶりに、この宮廷で向き合う時が来たということだ」


従者が恭しく頭を下げる。


「今宵、月の出の刻に。お迎えに上がります」


そう告げて退室すると、控室には静かな緊張が残された。クラリスは唇を噛み、ソフィアは黙って剣の柄を握り締めていた。レオンは窓の外に目を向け、赤く染まり始めた夕空を見つめながら小さく呟いた。


「……母上の“本心”を、聞く時か」


王都カヴァレイン、王宮内。

晩餐の時刻まではまだ間があった。

会議を終えたレオンたちは、侍従に導かれて王宮の奥へと歩を進める。煌びやかな燭台の光、壁に飾られた歴代王の肖像画、赤絨毯の延びる廊下――すべてが幼少の頃から見慣れていたはずの光景だった。

だが、七年という歳月は記憶を遠ざけ、懐かしさと同時に微かなよそよそしさを伴って胸に迫る。


「……まるで、昨日までここで過ごしていたかのようですね」


クラリスが小声で呟く。その表情には懐かしさよりも、空気の重さを測る冷静さがあった。

ソフィアは無言のまま、周囲に気配を探るような目を向ける。常に護衛役としての務めを忘れぬその姿は、宮廷という場所でこそ鋭さを増していた。


やがて侍従が立ち止まり、重厚な扉を開けた。


「こちらが本日よりお泊まりいただく客間でございます。殿下のため、王妃様のご意向により特別に整えられております」


広々とした室内には、深紅の天蓋付き寝台、精緻な彫刻を施した机や椅子、窓辺には厚いカーテンと暖炉。豪奢でありながら、どこか整いすぎていて息苦しい。


「……客間、ね」


レオンは足を踏み入れながら呟いた。かつては“自室”と呼べる部屋がこの宮殿にはあった。だが今は、客として迎え入れられているにすぎない。クラリスが彼の横顔を見やり、小さく首を振った。


「殿下、ここはもう“お戻りの家”ではありません。お気を落とされませぬよう」


レオンは苦笑し、軽く肩を竦めた。


「分かっている。……分かってはいるんだがな」


ソフィアは暖炉の前に立ち、短く言った。


「……安全。問題なし」


「頼もしい限りだ」


レオンは二人に目を向け、わざと軽い声でそう言った。だが、その胸の奥には――久方ぶりの宮廷の空気が、重く沈殿していた。この後、晩餐の鐘が鳴るまでのひととき、彼は静かに窓辺に立ち、王都の街並みを見下ろして過ごすこととなった。


窓辺の椅子に腰を下ろし、レオンは夜の王都を見下ろしていた。燭火に照らされる街路、川面に映る光、遠くまで続く家々の灯り。幼い頃から見慣れたはずの景色は、七年の歳月を経て、どこか別の都市のように映る。


(……あの頃の俺は、この光景が誇らしかったのか。それとも、ただ眺めるしかできない檻の景色だと思っていたのか……)


兄たちが政務や軍務を担えず、代わりに自分が書類と剣を握っていた日々。朝から晩まで積み上げられる政務の山。それをこなすことが当たり前のように求められ、当たり前のようにできてしまった自分。


(……気づけば、婚約まで“決められていた”な)


その時の少女の顔が一瞬、脳裏を過ぎる。今はただ、過去の出来事として胸に仕舞うしかない。

レオンは深く息を吐き、頭を振った。


(結局……俺は、この檻から逃げたにすぎないのかもしれない)


外の風が窓硝子を揺らす。背中に刻まれた精霊の紋章が、かすかに熱を帯びた。


「……皮肉なものだな。平穏を求めてここを離れたのに、結局また引き戻されるとは」


思わず声に出した。それは誰に聞かせるでもない呟き。しかし、胸の奥底では既に理解していた。


(母上が王命と称して自分を王宮に戻したのも……俺が拒めないと知っているからだろう)


静けさに包まれた部屋で、彼はただ灯火と夜景を見つめ続けた。やがて晩餐の時を告げる鐘の音が遠くから響く。

レオンは立ち上がり、軽く肩を伸ばし、そう胸の奥で結論を下したとき、ふわりと頬を撫でる気配がした。

次の瞬間、耳元に柔らかな声が届く。


――《まったく……あなたって、どうしてそうやって全部背負い込もうとするのかしら?》


「……勝手に出てくるな」


レオンは小さく苦笑し、窓辺から目を離さない。


――《勝手じゃないでしょ。あなたが呼んだのよ。心のどこかで》


「……だったら、余計なお節介はやめてくれ」


――《ふふ。でも一人で黙り込んでる顔は、あの頃から変わらない》


その声は風と共に消え、静けさだけが戻った。レオンはわずかに肩を竦め、口元を引き結ぶ。


(……行くか)


扉の外から控えめなノック音が響いた。


「殿下。晩餐の準備が整いました。王妃様がお待ちです」


従者の声にレオンは立ち上がり、外套を整える。振り返った窓の向こうには、煌めく王都の夜景。

それに一瞥を投げてから、彼は扉を押し開けた。


再び、宮廷の渦へ足を踏み入れるために――。



夜。

王宮の奥、来客すら滅多に通されぬ小食堂。銀の燭台が灯り、長いテーブルの上には白布と豪奢な器が整えられていた。しかし、その広さに似合わず席は二つだけ。向かい合うように置かれ、他には誰もいない。


レオンは案内され、椅子に腰を下ろす。既に席にいた王妃は、静かに葡萄酒を揺らしていた。銀糸の髪は月光に照らされ、緋の衣は夜に溶け込むように映える。


「……お招きに応じました」


レオンが低く告げると、王妃はわずかに笑みを浮かべた。


「礼儀はまだ捨ててはいないようね、レオン」


料理が運ばれる。

香草で焼かれた鴨肉、葡萄酒に浸した果実、魔導院が調合した香辛料のスープ。だが二人の間に漂う空気は、食卓の華やかさを凌駕するほどの重さを持っていた。


王妃が口を開く。


「七年前、あなたが王位を捨てた時……私は怒り、そして安堵しました。怒りは、王家の義務を果たさぬ不孝として。安堵は、病弱な兄たちを背に立ち、無理に潰れてしまうのではと恐れていたから」


レオンは黙って耳を傾けていた。葡萄酒を口にし、僅かに視線を逸らす。


「では、今の状況で再び自分を呼び戻したのは」


王妃の瞳が細くなる。


「今は――困っているのよ。陛下はもう政務を執れません。兄たちは未だ盤上に立つには、基盤が厚いとは言い難い状況です。……だからこそ“助言役”として、あなたをここに置いたの」


その声には母としての弱さと、王妃としての冷徹さが入り混じっていた。


レオンはしばし沈黙した。そして低く答える。


「母上。俺は、駒になるつもりはないと今日の会議でそう言ったはずです」


王妃はわずかに笑みを浮かべる。


「ええ、聞いていたわ。けれどね、レオン――駒になるかどうかを決めるのは、あなたではなく周りの者たち」


その一言に、レオンの目が鋭く光った。


「……ならば、俺は駒ではなく“剣”であることを示すしかないですね」


王妃は葡萄酒を口にし、ゆっくりと杯を置いた。


「剣……。ならば見せなさい。七年の旅で磨いた力を。そうでなければ、あなたはただの影に過ぎないのです」


二人の視線が交錯する。母と子。王妃と王子。

情と政治が交わり、燭火が揺れる食卓は、静かに戦場と化していた。


燭火が揺れる中、王妃は杯を指で転がしながら静かに言葉を落とした。


「それとレオン。……あなたに一つ、頼みがあるの」


レオンは目を細める。


「頼み、ですか。母上がわざわざ“頼む”と言うのは珍しいですね」


「ええ。命令ではなく、あくまで“お願い”。だからこそ、あなたが応じるかどうかは自由よ」


王妃の声音は普段の冷徹さを残しつつも、どこか母としての響きが混じっていた。


「――王立魔法学院で、教鞭を執ってほしいの」


レオンは目を瞬き、思わず言葉を失った。


「……学院で?」


「あなたは王宮付属の魔術機関で学び、剣と魔法を修めました。旅の間もその技を磨き続けていたのでしょう。“学ぶ者に教える”立場は、不自然ではないはずです」


レオンは苦笑し、椅子に背を預けた。


「……自分が教師、ですか……七年前には考えもしなかった結論ですね」


王妃はわずかに表情を和らげる。


「けれど本当の目的は別にあります」


レオンの瞳が鋭さを帯びる。


「学院には、一人の少女がいる。表向きはただの新入生。けれど……彼女の血筋、そして秘めた力は、もし世に知れ渡れば必ず争いの火種となるでしょう」


「……守れ、と?」


「そう。表立ってではなく、密かに。教師として学院に入り、彼女を見守りなさい」


レオンはしばし黙し、杯を見つめた。葡萄酒の赤が揺れ、彼の胸に複雑な思いを映す。


(……結局、俺はまた“駒”として動かされるのか。しかし――この“少女”を守れというのは、多少の母上なりの誠意なのかもしれない)


深く息を吐き、ゆっくりと顔を上げた。


「……わかりました。学院で教鞭をとりましょう。ただし、守ると約束するのは“少女”であって、この王都や派閥ではありません」


王妃の瞳がわずかに揺れた。次の瞬間、満足げに微笑む。


「それでいいわ。あなたらしい答えね、レオン」


晩餐の席に、再び静けさが落ちた。しかしその静けさの裏で――王国の未来を揺るがす、新たな物語が動き始めていた。



数分、レオンは少し考え込んで母に問う。了承したが情報がなければ意味がない。


「最後に……母上。その少女とは、どのような子か聞いてもよろしいですか?」


レオンの声は低く落ち着いていたが、その眼差しは鋭さを増していた。王妃はしばし沈黙し、葡萄酒を一口含んでから答える。


「名は――リディア。年は十五。今春から王立魔法学院に入学する少女よ」


「リディア……」


レオンは小さくその名を繰り返す。


王妃は続けた。


「表向きは孤児院出身の奨学生。しかし真実は違います。彼女は、かつて滅びた東方の小国の血を継ぐ娘。その血筋は、王国にとっても隣国にとっても――極めて危うい意味を持つ」


「……血筋、ね」


「ええ。そしてそれ以上に、彼女自身が特異な資質を持っています。生まれつき精霊との親和が高すぎるの。魔術師ですら契約に数年を要する精霊と、彼女は自然に“繋がってしまう”」


レオンの眉が動く。


「それは……祝福か、あるいは呪いか」


「どちらに転ぶかは、まだ誰にもわかりません。しかし確かなのは、彼女が“放っておけない存在”だということ」


王妃は杯を置き、まっすぐにレオンを見据えた。


「もし力が制御できなければ、学院内で事件を起こし、出自が何らかの形で漏れれば、諸侯が利用しようと群がります。そして……もし隣国がその存在を知れば、必ず手を伸ばしてくるのは確実でしょう」


「だから、俺に守れと」


「そうなります。表向きは教師として、学院の一員として。けれど裏では、彼女の楯になってほしい」


レオンは長く息を吐き、椅子に身を預けた。


(……また厄介な役目だな。だが、守るべき者が明確にいるのなら――剣を振るう理由は十分か……)


やがて静かに頷いた。


「……承知しました。リディアという少女、俺が見守りましょう」


王妃はわずかに微笑む。その笑みは、母としての安堵か、それとも王妃としての計算か。レオンには最後まで読み切れなかった。


晩餐の席は一区切りつき、王妃が軽く杯を置いた。


「……今宵はここまでにしましょう。陛下の容体もあります、私も長く席を空けるわけにはいきません」


レオンは静かに頷き、椅子から立ち上がった。


扉へと向かい、手をかけたその瞬間――。


「――それと、レオン」


背後から呼びかける声に、足が止まる。母としての柔らかさはなく、王妃としての鋭さを帯びた声音。


「……あなた、精霊と契約しているのかしら?」


レオンは振り返り、わずかに目を細めた。


「……なぜ、そう思われるのですか?」


王妃は椅子から立ち上がらず、ただ冷ややかな眼差しを向けていた。


「あなたの周りに――風がまとわりついているから。まるで、常にあなたを守ろうとしているかのように」


燭火が揺れ、部屋の空気が一層重くなる。


レオンは暫し母上を見つめ、それからゆっくりと唇に指を当てた。


――シー、と。


言葉は一切発さず、ただその仕草で返す。王妃の瞳がわずかに揺れた。しかしそれ以上、問いを重ねることはなかった。レオンは静かに扉を開き、何も言わずに部屋を後にする。廊下に出た彼の背に、燭火の影が長く伸びていた。


王妃との晩餐を終え、レオンは王宮の廊下を一人歩いていた。夜更けの宮廷はしんと静まり返り、燭台の炎が石壁に淡く揺らいでいる。ふと、柔らかな風が足元を撫でた。窓は閉ざされているのに――彼にはその気配が分かった。


「……出てきていたか」


背後から笑うような声が届く。


――《出てきていた、じゃなくて。呼んだのはあなたでしょ?》


振り返っても誰もいない。ただ、左肩の紋章が淡く輝いていた。耳元に、からかうような女性の声が響く。


「……母上の前で指摘されたよ。“風がまとわりついている”と」


――《ふふ、やっぱり見抜かれてたんだ。あの方、勘が鋭いもの》


「余計な真似をするな」


レオンは苦笑しながらも、声を潜めて答えた。


――《余計な真似? 私はいつもあなたを守って来たんだけど? 荒野だって、戦場だって、吹雪の夜だって》


「……まぁ、助けられた事には感謝してるよ」


彼はわずかに肩を竦めた。


――《でしょ? でもね、あの人たちはあなたをまた“駒”として見てる。……本当にいいの?》


レオンはしばし沈黙した。やがて、静かに呟く。


「良いも悪いも……母上が困っているのは分かるから動くしかないって訳だ」


――《ほんと、不器用。もう少し自分のこと考えなさいよ》


風が小さく渦を巻き、彼の銀髪を揺らした。レオンはそれに応えるように、指を唇に当てる。


「……シーッ。聞かれたら面倒だ」


――《ふふ、相変わらず口下手》


風の声が溶けていく。残されたのは、燭火とレオンの足音だけだった。




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