episode 2 王都へ
蹄の音が遠ざかり、村の外れに消えていった。館の広間には、重苦しい沈黙だけが残された。
「……さて、それぞれ持ち場に戻ろうか」
レオンがそう言うと、六人のメイドたちはそれぞれの思いを胸に散っていった。リリアは厨房へ、ソフィアは警戒に、エレナは子供たちの元へ。マリアンヌは祈りに戻り、ティナは不安げな顔を隠すように庭へ駆けていく。やがて広間には、レオンとクラリスだけが残った。
クラリスは静かに息を整え、主をまっすぐに見据える。
「……やはり、来てしまいましたね」
レオンは椅子に腰を下ろし、額を押さえる。
「想像はしていた。だが、思ったよりも早かった印象だな」
クラリスは帳簿を閉じ、冷静な声で言葉を続ける。
「王都に戻られるということは――ただ“助言役”として呼ばれるだけでは終わりません。国王陛下の容体悪化。王位継承問題。その渦中にレオン様が姿を現せば、王宮は必ず動揺します」
「……」
「七年前、殿下は王位を辞退されました。ですが一度でも王宮に戻られれば、“再び意志を翻すかもしれない”と見なされるでしょう。第一王子派、第二王子派、宰相派、将軍派……。いずれも、殿下を駒として扱う可能性があります」
クラリスの声は淡々としていた。だが、その瞳の奥には強い緊張が宿っている。
レオンはしばし黙り込み、やがて低く答えた。
「……わかっている。俺が王都に戻れば、静かな生活はもう終わりだ」
「はい。ですが――」
クラリスは一歩近づき、言葉を切った。
「レオン様が自ら剣を執る理由を見つけたように、王都でその理由を問われる時が来るのです」
沈黙が落ちた。窓の外では、春の芽吹きが揺れている。
しかし、広間の空気は、冬のように冷ややかだった。レオンは深く息を吐き、瞳を伏せる。
「……過去に背を向けたつもりだったが、どうやらまだ追われているらしいな」
クラリスは静かに頷いた。
「だからこそ、殿下――いいえ、レオン様。今度は逃げずに、向き合う時かもしれません」
その言葉に、レオンの胸に重い響きが残る。彼は答えを出さぬまま、椅子にもたれた。
――こうして、七年の平穏は終わりを告げた。
王都からの召集は、青年と六人のメイドの運命を大きく変える第一歩となる。
その夜。ルーベンス村の館の広間には、レオンと六人のメイドたちが集まっていた。卓上には灯されたランプの炎が揺れ、皆の顔に影を落としている。レオンは腕を組み、静かに切り出した。
「……王都へは必ず行かねばならない。問題は、誰が同行するかだ」
重い沈黙が落ちた。まず口を開いたのはクラリスだった。
「当然、私がご一緒します。王宮の空気を理解し、政治の動きを読むには経験が必要です」
ソフィアが短く続ける。
「護衛は必要だ。……私も行く」
「ちょっと待ってよ!」と声を上げたのはリリアだった。
「レオン様にもしものことがあったら……! 私だってお役に立てます!」
だがクラリスは首を振った。
「リリア、あなたの料理と気配りは村にとって必要不可欠です。王都に連れて行けば、ただの“足手まとい”と見なされかねません」
「……うぅ」
リリアは唇を噛み、俯いた。マリアンヌが穏やかに言葉を添える。
「私も残ります。村人たちが不安を抱かぬよう、支えが必要でしょう。祈りと導きなら、私に任せてください」
エレナは頷きながら笛を抱えた。
「子供たちもいるし、村の空気を和ませる人間も必要よ。私が残れば少しは安心できるでしょ」
そしてティナが手を挙げる。
「わ、わたしも……行きたい! でも……」
その言葉は小さく消え、彼女は視線を落とした。
レオンが優しく微笑む。
「ティナ、お前にはここを守ってもらう。俺が戻るまで、みんなの目になってくれ」
「……うん!」
最終的に、結論は一つだった。王都へ向かうのはクラリスとソフィア。リリア、マリアンヌ、エレナ、ティナは館と村を任されることになった。クラリスが代表して確認する。
「三日後、出立です。残る者も、村人たちに不安を与えぬよう振る舞ってください」
「了解しました」
「わかったわ」
「……任せろ」
それぞれが思いを胸に返事をする。館の空気は重いが、その中に確かな絆があった。
レオンは皆を見渡し、深く頷いた。
「必ず戻る。王都に何が待とうとも、必ず」
炎が揺れ、夜は静かに更けていった。しかし、この決断が彼らの運命を大きく動かすことになるのを、まだ誰も知るよしもない。
大陸暦一〇二三年・芽吹き月。
王都からの使者が去ってから館と村は慌ただしくも、どこか緊張を帯びていた。
レオンはその間、村人たちを集め、王都への召集の件を説明した。
「しばらく村を離れる。だが、クラリスとソフィアが共に行くため、館を留守にせざるを得ない。残る三人のメイドたちと共に、村を頼みたい」
集まった村人たちの間に、ざわめきが広がった。
「王子様が……いや、レオン様が戻られるのか」
「王都に呼ばれるなんて、ただ事じゃないな……」
不安げな視線を受けながらも、レオンは真っ直ぐに言葉を続けた。
「心配はいらない。必ず戻る。それまでの間、皆で支え合ってほしい」
その声に押されるように、年長の村人が頷いた。
「承知しました。我らも力を尽くしましょう」
村長や他の大人達数人と打ち合わせをしたり、村に最低限の結界魔法を施したりと、3日の制限がありながらも、最低限出来ることをレオンは行う。
館に戻ると、残る三人のメイドが待っていた。リリアは目を赤くしながらも、必死に笑みを作っている。
「食料の備蓄は確認しました! 畑の管理も、わたしに任せてください!」
マリアンヌは落ち着いた表情で言った。
「村人たちが不安に陥らぬよう、祈りと導きを続けます。……安心して行ってください」
エレナは腰に手を当てて、にっと笑う。
「子供たちの面倒も任せてよ。賑やかにしてれば、余計な不安も吹き飛ぶから」
三人の頼もしさに、レオンは深く頷いた。
「……ありがとう。村を頼む」
その言葉に三人は一斉に頭を下げた。
そして――出立の日。
春の風が芽吹いた木々を揺らし、村の入口には黒塗りの馬車が待っていた。王都の紋章を掲げた旗がはためき、使者が恭しく立っている。レオンは館を振り返り、残る三人へと視線を送った。
「必ず戻る。……皆を頼んだぞ」
「はい!」とリリアが声を張り、マリアンヌは静かに微笑み、エレナは明るく手を振る。ティナは涙を堪えきれず、庭の影から小さく手を振っていた。クラリスとソフィアがレオンの後に続き、三人は馬車へと乗り込む。重い車輪の音が響き、ルーベンス村の景色が少しずつ遠ざかっていく。
――こうして彼らは再び、王都カヴァレインへと向かうこととなった。
それは七年前に捨てたはずの道であり、運命が再び呼び戻す試練の始まりでもあった。
大陸暦一〇二三年・芽吹き月。
ルーベンス村を後にした馬車は、石畳の街道を王都へと進んでいた。
重厚な車輪が揺れ、窓の外には広がる緑と丘陵。春風に花々が揺れ、遠くには農夫たちの姿が見える。
レオンは背を預け、静かに外を眺めていた。
その横でクラリスが口を開く。
「殿下――いいえ、レオン様。王都に入れば、すぐに陛下の容体を巡る議会や継承問題の会議が開かれるでしょう。各派閥がどのように動くか、予め想定しておく必要があります」
ソフィアが短く言葉を添える。
「護衛の配置も考えねば。……宮廷の中だからといって油断はできない」
クラリスは小さく頷き、さらに続けた。
「第一王子派は、殿下が戻ることを“復権の兆し”と見るでしょう。第二王子派は、“敵陣営の象徴”として警戒するはず。宰相派は利用価値を計算し、将軍派は兵を動かす口実にする。……戻られるだけで、波は必ず立ちます」
だがレオンから返事はない。彼は窓の外に目を向けたまま、ゆっくりと流れる風景を追っていた。木々の緑、鳥の群れ、そして遠ざかる村の景色。クラリスが怪訝そうに眉をひそめる。
「……レオン様?」
少し遅れて、レオンは視線を戻し、短く答えた。
「……ああ、すまない。聞いていた。だが、俺にとってはまだ実感が薄い」
ソフィアがわずかに口角を動かした。
「……戦場なら、そんな事はないのに」
レオンは苦笑し、肩をすくめた。
「戦場なら剣や魔術を振るえば済む。だが、宮廷と言う場所はそうはいかん」
クラリスは真剣な眼差しを向けた。
「だからこそ、殿下には“立場”を意識していただかねばなりません」
その言葉に、馬車の中は再び静寂に包まれた。窓の外には、遠く霞む王都の尖塔が、かすかに影のように浮かび上がっていた。
――再び踏み入れる、捨てたはずの場所へ。
その道のりはまだ始まったばかりだった。
揺れる馬車の中。クラリスの言葉に、しばし沈黙が続いた。レオンは窓の外を眺めたまま、小さく吐息を漏らす。
「……まあ、心配はしていない」
「え?」クラリスが目を瞬く。
レオンは視線を戻し、静かに言葉を継いだ。
「第一王子や第二王子とは、仲が悪いわけではなかった。むしろ幼い頃はよく共に学び、剣や魔術を交えもした。だから、俺が戻ったところで、彼らが即座に敵視することはないだろう」
クラリスは眉を寄せる。
「ですが、王位継承の最中に“第三王子”が姿を現せば……」
「警戒すべきは、兄上たちではなく、その周囲だ」
レオンの声には確信があった。
「宰相や貴族連中――彼らは必ず、俺の存在を利用しようとする。派閥の旗印にしようとするか、あるいは排除しようと画策するか。どちらにせよ、王都にとって一番の火種は“血縁”ではなく、“欲”だ」
ソフィアが腕を組んで短く言う。
「……敵は、外よりも内」
「そういうことだ」とレオンは頷いた。
クラリスはしばし考え込み、やがて小さく息をついた。
「――殿下がそう仰るなら、私もその前提で備えます。ただ、どうかご油断なさらぬように」
「わかっているよ」
レオンは再び窓の外に目をやった。思い耽るのは――七年前に背を向けた場所。そこに戻れば、静かな日々はもう二度と得られないかもしれない。
それでも、彼の胸の奥には奇妙な確信があった。
「今度は逃げない」――そう、心のどこかで繰り返していた。
街道を進む馬車は、やがて夕暮れを迎えた。
王都に向かう道中はどうしても数日かかる為、どこかで野営をしなければならない。西の空が赤く染まり、草原に長い影が伸びていく。使者は当然レオンに気を遣って、街道沿いの宿場町に泊まるつもりでいたが、レオンはそれを制した。
「野営でいい。……宿場に入れば、噂はすぐに広がる」
クラリスは即座に理解し、頷く。
「確かに、王都へ戻られる前に余計な尾ひれがつくのは避けたいところですね」
ソフィアは無言のまま、すでに周囲の林を見渡していた。
「……護衛の面でも、その方が安全」
こうして一行は林の中に馬車を停め、野営の準備を始めた。
夜。
焚き火の明かりがゆらめき、草原を照らす。レオンは剣を脇に置き、薪を組みながら口を開いた。
「……久しくこうして野宿をしていなかったな」
クラリスは微笑む。
「殿下は旅の間、魔法を使って身を守っておられたのでしょう?」
「多少はな。火種を生む〈火精霊の契約魔法〉、夜目を補う〈灯光術〉、そして敵を遠ざけるための〈威圧結界〉……。魔法は便利だが、万能ではない」
レオンは火に手をかざしながら、静かに続ける。
「魔法は“契約”の力だ。精霊と、人の精神の均衡で成り立っている。だが、その均衡が崩れれば、暴走する。……だからこそ、俺は必要最低限しか使わない」
クラリスは真剣な眼差しを向けた。
「それでも、殿下は魔法を扱えます。それだけで王都では“力ある者”として注目されます」
ソフィアが焚き火の影の中から短く言った。
「王都では剣より、魔法の方が恐れられる」
レオンは黙って頷いた。火の粉が夜空に舞い、星々と混ざり合う。やがて、一行は交代で見張りにつきながら、夜を過ごした。
夜が明け、淡い朝焼けが地平を染め、馬車は再び街道へと戻った。朝露を浴びた草原を抜けると、遠くに石壁が姿を現す。
「……見えてきたな」
レオンの声は低い。
その先に広がるのは、
王都カヴァレイン。大陸でも屈指の規模を誇る都であり、魔法と剣と政治が渦巻く場所。空には魔導塔の尖塔が突き出し、壁上には結界石が淡く光を放っていた。それは都市全体を覆う〈防護結界〉――過去幾度の戦火を退けた王都の象徴だった。
クラリスはその光景を見つめ、深く息を吐く。
「……七年ぶりの帰還ですね、レオン様」
レオンは窓から差し込む光に目を細め、答えを遅らせた。やがて小さく呟く。
「……ああ。避け続けた場所だ」
王都の門はすぐそこに迫っていた。彼らの運命は、再び大きく揺れ動こうとしている。




