幸せなキス
ツカサの返事を聞いた鈴音とアゼルが即座にしたことは、無事に帰ってきたツカサへのハグであった。
「ばか! 心配したんだから……!」
「おかえり、ツカサ」
「ただいま二人とも」
鈴音とアゼルを離さないよう、ギュッと抱きしめ返すツカサ。
相手の好意を自覚した三人にとって、なんてことないハグさえ満たされる行為だった。
「あー……こほん。おめでとうと言えばいいのでしょうか?」
さっきまでいなかった人物――アンヘルの声が聞こえてきた。
しかし幻聴か聞き間違いだと判断した三人は、幸せそうにハグを続ける。
「えぇ……私たちこのまま幸せそうな三人を見ているだけですか……?」
(ん、私たち? アンヘルだけならたちなんて使わないよな)
アンヘルの言葉を聞いて疑問に思ったツカサは、そーっと様子をうかがうように周囲を見渡す。
視線が合った。アンヘルだけではない、知らない人が一人、二人、三人……ツカサたちを大きく包囲している。
しかも全員女性というのが、ツカサには居心地が悪い。
「ね、ツカサ、キスしよキス〜!」
「わたしもキスしたい、けど我慢してツカサ、次にキスしよ?」
どうやらハグに夢中な鈴音とアゼルは、周囲の様子に気づいていないようだ。
「やばいって鈴音、アゼル、周り見ろよ」
「周りー? いいのよぶっ壊れた建物のことなんてアンヘルに任せちゃえば」
お気楽そうな鈴音の言葉に、三人から少し離れた場所にいるアンヘルの眉間にシワが寄る。
あきらかに怒っている様子だ。
(さすがにまずいだろ……)
このまま幸せに夢中な二人を放置したら、どうなるかわからない。
多分アンヘルが鈴音を弄るネタにするのは、預言者じゃないツカサでも簡単に予想できる。
「ねーツ・カ・サ、こっちむーいーてー!」
「あ? どうし!?」
鈴音の声に従って顔を向ければ、チュッとキスをされた。
そのまま唇の隙間から鈴音の舌が入り込んでくる。
「ん……ぺろ……ちゅ……もっと……」
くちゅ……くちゅ……ぢゅ〜!
前歯から奥歯まで執拗に鈴音は、口内を舐めまわしてくる。
「わたしも混ぜて?」
さらに頬を赤く染めたアゼルが、耳を舐めてきた。
はむ……くちゅ……れろ……れろ……。
淫靡な水音が耳に響く。
口と耳、同時に二箇所責められたツカサは、襲ってくる快感に耐えきれず、つい足の力が抜けそうになってしまう。
「あらあら……」
アンヘルや多数の知らない人に見られている。その事実がツカサを緊張させてしまう。
なお、鈴音とアゼルは気づいていないようで、キスや耳舐めに集中しているようだ。
「ねぇ……もっとキスして……ツカ……!」
ようやく鈴音が周囲の様子に気づいたようで、一瞬で石像のように硬直した。
そんな鈴音とは逆に、アゼルは周囲の状況に気づいていないのか耳舐めに集中している。
「えへへ~ツカサ、気持ちいい?」
「ああ、すげえ背徳感があるけど……そのアゼル、周りを見てくれ」
「んー……? アンヘルと知らない人たちがいるだけだよ?」
どうやらアゼルは今の状況を理解していたようで、視線をまったく動かさず、平然と表情変えずに言い切った。
「いや何いってんのよアゼル! さっきまでの痴態を全部見られていたかもしれないのよ!? あたしは恥ずかしくて死にそうよ!」
「でも、知らない人だよ?」
「知らないやつだからこそ恥ずかしいの! ってアゼルは疎いんだった~!」
さっきまで密着していた鈴音は、恥ずかしそうに距離をとって頭を抱えている。
鈴音とは対照的にアゼルはまだツカサに密着したままで、彼女の吐息を直接感じられるくらいに近い。
「おほほほ……そろそろ乳繰り合うのは、そのぐらいにして私の話を聞いてもらえませんか?」
どこか怒ってそうなアンヘルの声を聞いたツカサたち三人は、すぐさまアンヘルのいる方へ視線を向けた。
そこには修羅が――否、笑顔のアンヘルが仁王立ちしていた。
アンヘルの迫力に呑まれてしまったのか、包囲している知らない人々は一歩、一歩と後ろに下がっている。
「それで、話をしてよろしいでしょうか?」
「は、はい! お願いしますアンヘルさん!」
「あらやだツカサさんてば、普段通りにアンヘル。と呼び捨てにしていただいて構わないのに」
(いや……あきらかに怒ってますー的な雰囲気出してるのに、それは無理だろ)
などと思っていても口に出せないツカサは、おそるおそる「アンヘル」と彼女の名前を呼ぶ。
「はい、なんでしょうか」
「ど、どうしてここに?」
「シオリさんに聞いて、できるかぎり戦力を集めたのですが……突入! しようとした瞬間にアレナが解除され、中からツカサさんたちが……」
わざとらしい仕草をするアンヘルだが、彼女の話は嘘ではないだろう。少なくともツカサたちを包囲している人々は、誰も彼もオーヴァーロードの気配がする。
「幸せそうに抱きしめいた……と」
「ついでに付け足すならキスまでおっぱじめました」
アンヘルの補足に、鈴音は「ぐはっ!?」と変な声を上げている。
具体的に誰とは言わないアンヘルだが、あきらかに鈴音を狙い撃ちしている。
ここで鈴音のフォローをしようものなら、アンヘルの矛先がツカサに向けられるだろう。
鈴音には申し訳ないと思うが、もう少しスケープゴート役をお願いしたい。
「それで〜その後なんて言ってましたか〜? ぶっ壊れた建物のことなんてアンヘルに任せちゃえば〜。でしたか?」
「わ、悪かったわね! ちょっと酷い言い方だって、反省してるんだから!」
「なら許しましょう。た・だ・し、さっきのイチャイチャしたちゅーは当分弄るネタとして使いますが」
サディスティックで蠱惑的な笑みを浮かべたアンヘルの発言に、鈴音は恥ずかしいのか両耳を塞いでいる。
そんな中、さっきまで包囲している女性たちは、黄色い声を上げて騒がしい。
「いいなー! 私も彼氏できたらおおっぴらにイチャイチャしたい!」
「私もー! でもアンヘル様がいるからねー」
「どういう意味ですか、そこの二人!」
同じような制服に、不特定多数のやかましい声の中から、アンヘルは二人のオーヴァーロードに指を向ける。
「私たちはアンヘル様に目移りしない彼氏が欲しいだけですー」
「そうですよ! 前の彼氏もアンヘル様のためなら死ねる! なんて言い出したんですよー」
「それは、私の魅力があなたたちの魅力より上だったという話でしょう? はい、ろんぱー」
このままだとアンヘルに放置されるのでは? なんて思ったツカサは、キリの良いところで声をかけようとする。
「あー……今いいかアンヘル?」
「っ!? 失礼しましたツカサさんとりあえず外に出ないか? ずっと地下にいても……な?」
「あー……そうですわね。はい、撤収!」
周囲を見渡すアンヘル。が、いくら見渡しても駅の地下道であることは変わらないので、アンヘルは全員に撤収命令を出した。
まるで軍隊のように一糸乱れぬ動きで撤収していくオーヴァーロードの人々。
残されたのはツカサ、鈴音、アゼル、アンヘルの四人だ。
「では皆さん、帰りましょうか」
「お、おう」
呆気にとられていたツカサであったが、アンヘルの提案にうなずくしかなかった。




