第三部室棟炎上
レッド・ブラッドの掃討を命じていたメンバーが全滅した?
(聞き違いじゃなかったらそう聞こえた。でもアンヘルの表情は嘘を言っているようには……)
アンヘルが嘘を言っているようには見えない。
どう反応したものかと思い鈴音の方をチラリと見れば、サディスティックな笑みを浮かべている。
「へぇ~アンヘル。あんたの手駒が討伐失敗なんてねー。一応精鋭部隊って看板掲げてるんだっけ?」
「ええ、そうです。自他ともに認める精鋭部隊だったはずなのですが……」
「やられちゃったんでしょ?」
遠慮と思いやりがない鈴音の一言に、無言でうなずくアンヘル。
さすがに言い過ぎじゃないかとも思うが、昨日アンヘルは自信ありげに語っていたことを考えると、慰めようとしても逆効果だろう。
ティーカップを口につけようとするアンヘルだが、彼女の手は若干震えている。
「ええ……正直なところ全滅なんて私も予想外です。ですがこの件については、急ぎでツカサさんたちに伝えようと思いまして」
「敗北宣言でもしに来たのかしら?」
「な!? 誰が敗北宣言なんて!」
声を上げ、目を見開くアンヘル。彼女の普段の印象とはかけ離れた表情だ。
だがすぐにツカサの視線に気づいたのか、「こほん」と咳払いをすると、落ち着いた様子で再度ティーカップを口に近づける。
とりあえずアイスが溶けそうだ。そう思ってツカサは、常温状態のアイスを無言で開ける。
ツカサのアイスは好物のバニラ味で、鈴音のアイスはチョコミント味だった。
「あ、うめぇ」
「ちょっと! なに呑気にアイス食べてんのよ!」
「アイスを食べるぐらいいいだろ。それよりアンヘル、全滅したって話だけか?」
「まさか、それだけではありません。アゼルさんを狙う理由が判明しました」
アンヘルの言葉に、アイスを食べる手が止まる。
少なくとも今のアンヘルからは、嘘をついているとは思えない表情だ。
鈴音の手もピタリと動きを止め、聞きに徹するようだ。
「レッド・ブラッドのリーダー、クリムゾンの目的。それはアゼルさんを吸血鬼にし、自分の力にすることです」
「それ正確な情報? 作り話とだったらぶっ飛ばすわよ」
「一応、本人が自供したんですよ? この情報を持ってきてくれたのは、先程言った壊滅したメンバーの一人です」
「オーケー。信じてあげる」
ザクっとアイスにスプーンを入れた鈴音は、もぐもぐとアイスを食べ始める。さっきまでの雰囲気はどこに行ったのか、緊張感の欠片もない。
その間にアンヘルもティーカップを口につけ、小休止している。
(身体に力を張ってるの俺だけかよ!)
思わず叫びたかったが、それより重要なことがある。クリムゾンがアゼルを吸血鬼にすることだ。
「二日間過ごして分かったよ、アゼルは普通の女の子なんだ、あの子を吸血鬼にするって!」
「吸血鬼にするだけなら命があるだけまだいい方です。もっと恐ろしいのは彼女を眷属として食らうこと」
「どういう意味だよ……それ!」
「そのままの意味ですよツカサさん。吸血鬼の子は親の命令を逆らえない、だから子を食らうことがたまにあるのです。そうすればより強い力が手に入りますからね」
アンヘルの説明に無意識に手を握り締めてしまうツカサ。しかし痛みは感じない、それよりも沸き上がる感情の方が強いのだ。
直後、冷たい感触が手に触れる。鈴音が優しく手を合わせてきたのだ。
チラリと鈴音の顔を見れば、母性に満ちた表情で手をなでてくる。
「ばーか。そんなにキレてもなにも変わんないわよ」
その言葉を聞いて、燃え上がっていた心の炎が少しずつ収まっていく。
何度か深呼吸を繰り返して落ち着く。
「っと、悪い」
「いいわよそんぐらい。幼馴染でしょ?」
そうだ鈴音がいる。そんな簡単なことも忘れて、一人で突っ走りかけてしまった。
「とりあえず呼び出した私が言うのもなんですが、アゼルさんはどちらに?」
「え? 俺たちの同好会の部屋だけど……」
「な!? 今すぐに戻ってください! クリムゾンなら派手に襲撃をする可能性は十分…… 」
アンヘルの言葉をさえぎるように、爆発音がこだまする。
ゼミ室の窓ガラスが震え、ゼミ室に置いてある物が揺れだす。
そして直後に多数の悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ!?」
すぐにツカサたちはゼミ室の外に出て、爆発音が聞こえてきた方向を見る。
状況はすぐにわかった。ツカサと鈴音が先程までいた、第三部室棟が炎上しているのだ。
「うそだろ……おい」
「突っ立ている場合じゃないわよ、さっさと動く!」
「お、おう!」
動揺していたツカサであったが、鈴音の一喝で正気を取り戻す。
そしてツカサたち三人は第三部室棟に向かおうとするが……。
「クソ! なんでエレベーター動かないんだ!」
「爆発の影響でどっかに不具合でも出たんでしょ。ほら、アンヘルも階段に行くわよ!」
「私もですか!?」
「いつも椅子に座ってばっかなんだから、少しは動きなさいよ!」
とはいえゼミ室のあるフロアは十五階だ。ここから階段で一階まで降りるのは時間がかかるだろう。
しかしジッとしていても、状況はどうにもならない。むしろ悪化しかしないだろう。
下へ、下へ、下へ、階段を降りていくツカサたち三人。
「今が……十階か」
「まだ、半分も行ってないじゃないですか!」
「アンヘルは文句言わない!」
八階まで降りてくると、異臭――なにかが燃えているような臭いがし始めた。
階段にある窓で外を確認すれば、第三部室棟以外の建物にも火が燃え移っている。
「おいおいおい! 消防車はどうなってんだ!?」
「少し時間を……わかりました。どうもこの地域で複数の火事が起こっているようです」
「んなばかな……」
どんな確率だ。あきらかに偶然とは思えない。
もしかして……故意的な火災?
アンヘルと鈴音はなにも言わないが、考えているのは同じなのか顔色は悪い。
「後……三階! アゼル、もう少しだから待ってなさい!」
「ハァ……! ハァ……! ハァ……! 待ってくれ鈴音。ちょっと足が追いつかない」
「同感ですわ……一人だけ元気ありすぎです……」
鈴音はまだまだ元気そうな様子だが、ツカサとアンヘルは肩で息をするぐらいにヘトヘトだ。
なんとか地上階に到着したツカサたち三人だが、地上は悲鳴と火災によって地獄絵図となっていた。
「だれか助けてくれぇー!」
「苦しい……」
空中には煙が充満している。もし長い時間なにもしなければ、一酸化炭素中毒で倒れてしまうだろう。
すぐさま口元を覆い、煙から逃げるために低くかがむツカサたち。
他の学生たちは悲鳴を上げながらも、避難しているので助けは不要だろう。
今はそう考えたい。
「早く第三部室棟へ行くぞ!」
ツカサの意見に、鈴音とアンヘルは無言でうなずいてくれた。
外に出たツカサたちであったが、襲ってきた熱波に思わず目を閉じてしまう。
「クソ……! なんだ一体……?」
視界に入ってきたのは、空に浮かぶ禍々しい紅い月、そして炎上する第三部室棟。
どうやらアレナが展開されているようだ――誰が展開したかは、だいたい想像がつく。
「これ、レッド・ブラッドの奴らか……?」
「できればそっちの方がいいわね。思いっきり殴れるもの」
「鈴音!」
「不謹慎なのはわかってる! でも今はアゼルでしょ?」
「ああ、そうだな……」
鈴音の意見をとがめる時間はない。今はアゼルを探さないと。そう判断したツカサは第三部室棟へ走る。
「アゼルぅ! どこだぁ!」
「ツカサ、もっと上に行くわよ!」
「正気か!? 死んじまうぞ!」
「大丈夫ですツカサさん。オーヴァーロードは普通の火災じゃ死にませんよ」
直後にアンヘルは「まあ、服は汚れてしまいますが」とつぶやく。確かに彼女の上品そうな服はすすで汚れているが、燃えてはいない。
そのままツカサたち三人は、炎上している上の階層へ上がっていく。




