はっきり言ってかわいい
リビングのドアを開けると、そこはこの世の地獄かと思うほどに、散乱としていた。
部屋の中心のテーブルには、惨劇の主と言わんばかりに、シオリが眠っている。
昨日と変わらないワイシャツ姿だが、ビールでもこぼしたのか、複数のシミが目につく。
「うわぁ……これはひどい」
「どうしたのツカ……くちゃい」
部屋に蔓延するアルコールの臭いに慣れないのか、アゼルはかわいらしく鼻を押さえている。
熟睡しているシオリをこのままにしたら、風邪をひきかねない。
床に散乱しているビールを避けて、避けて、避けて、シオリの元まで移動する。
「シオリ姉ぇ、起きて。風邪ひくよ」
「ん……もうちょっと寝たいです……」
「どれくらい寝たいのさ」
「二時間ほど〜」
「遅刻するわ!」
このまま放置したい気持ちもあるが、寝ているシオリを持ち上げて、リビングの入り口まで移動する。
シオリはお姫様抱っこの体勢になるが、眠いのか無理に動くようなことはしない。お陰で楽に移動ができた。
「シオリ寝ているの?」
「ああ、熟睡してる」
シオリを起こさないように、ツカサが「しー」と口元に指を当てると、真似してアゼルも口元に指を当てる。
何気ない仕草をするアゼルは、あどけない少女そのものだ。
とりあえずシオリを静かに床へ寝かせたツカサは、服の袖をまくる。
「さーて、片付けを始めるか」
「ツカサ、私はどうしたら?」
「シオリ姉ぇを見といてくれ、万が一でも吐いたら困るし」
「わかった!」
了解したように何度も首を縦に振ったアゼルは、シオリの様子をジーッと眺めている。
(今のうちに片付けを終わらせないと!)
リビングの惨状を放置なんてすれば、確実に臭いがこびりつくだろう。
まずはビール缶の処理から始めるツカサであった。
*********
数分間、徹底的にリビングを掃除し続けたツカサ。その甲斐あってリビングは、清潔でアルコール臭のしない状態になった。
リビングの状態にツカサは満足だった。
「すごい綺麗になったね」
「だろ。それでシオリ姉ぇは……」
アゼルがチラッとリビングの出口に視線を向けたので、ツカサはアゼルの視線を追う。
そこには壁に寄り添って熟睡しているシオリがいた。彼女の寝顔はとてもじゃないが、嫁入り前の女性がする表情じゃない。
「ひっでえ寝顔。起きてシオリ姉ぇ風邪ひくよ」
「ん……あと三時間……」
「さっきより増えてるじゃねぇか!」
ボケなのかよく分からない寝言に、思わずツッコミを入れてしまう。
このままシオリをどうしようか悩んでいると、スマートフォンになにか通知がきた。
すぐさまポケットから取り出して内容を確認すると、鈴音からのメッセージが受信している。
内容は「シオリ姉ぇの世話をやってくれてありがと!」と書かれていた。
「見ているな!」
素早く鈴音の家が一望できる窓を見れば、謝っているような仕草をする鈴音が見えた。
(アイツ、リビングの惨状が見えたから二度寝しやがったな?)
あの元気娘が寝坊するなんて、長年の幼馴染としての付き合いから考えるにありえない。
気づけば窓から見えていた鈴音の姿が、見えなくなっていた。
直後にガチャガチャガチャと玄関の鍵が、開く音が聞こえてくる。
「ごめーん! 寝坊しちゃったー!」
「おう、このメッセージはなんだ? ん?」
「いや、その……リビングから酷いシオリ姉ぇの格好が見えちゃって、ね」
スマートフォンが受信したメッセージを見せれば、急にしおらしくなる鈴音。
そんな鈴音の仕草が可愛くて、つい許してしまいそうになる。
「はぁ……とりあえず、アゼルの着替えを見といてくれないか。男の俺じゃ気まずい」
「えー? ほんとは見たいんでしょ。ツカサってば、スケベだし」
「そこは黙秘させてくれ」
「仕方がないわねー。んじゃアゼル行きましょ」
「うん鈴音」
鈴音とアゼルはリビングを後にした。
リビングに残されたのはツカサと、熟睡しているシオリだけになった。
「さて、シオリ姉ぇを部屋に運ぶか」
軽く力を入れて寝ているシオリを持ち上げる。
(軽いなぁシオリ姉ぇ。ちゃんと飯食べてんのか?)
姉貴分の身体が心配だ。警察に就職してから、シオリは夜遅くに帰ってくることが増えた。
ちゃんと寝ているのかも心配だが、アルコール類を飲む量も増えた気がする。
「シオリ姉ぇ、部屋に着いたよ」
シオリの部屋の前にいたツカサは、寝ているはずのシオリに声をかけた。
「おや、気づいてましたか」
「当たり前じゃん。俺は弟分だぜ」
閉じられていた瞳が開き、シオリがツカサの腕から抜け出した。
「おはようツカサ」
「おはようシオリ姉ぇ。このまま二度寝する?」
「……しませんよ。今日は自宅で仕事をしていいので、存分にリラックスして仕事をしてやります。嫌な同僚の顔も見なくて済みますからね」
そう言ってシオリは微笑みながら、部屋へ入っていった。
(そういえばシオリ姉ぇの職場、詳しく知らないんだよな。知っていることは嫌な同僚がいることに、ストレスがすごい溜まることだけ)
どれぐらいストレスが溜まるのか。と前に聞いたところ、「以前よりアルコール類の摂取量が増えた」と返ってきたほどだ。
やはり一度挨拶に行ったほうが良いのか?
そんなことを考えながら、リビングへ戻っていくツカサ。
「あ、ツカサ!」
「待たせすぎじゃない?」
「あれ? 私たちも今リビングに来たところだよ?」
アゼルの指摘に、ギクッと反応する鈴音。そんな彼女に責めるように笑顔を見せてやる。
無論、あえてなにも言わない。ただ無言で笑顔をするだけ。
しばらくして、無言の笑顔が耐えられなくなったのか、鈴音は頭を下げてきた。
「ごめん! さすがに誇張しすぎた!」
「謝ってくれるなら許すけど……他の人にやるなよ」
「おほほ、当たり前でしょ。なに一般常識を語って……わきをつねるなぁ!」
さすがにイラッときたので、おもいっきり鈴音のわきをつねってやる。
ちゃんと飯を食べているのか? と聞きたくなるぐらいに、鈴音の身体は余分な肉がついてない。
そんなことを考えていると、鈴音がバシバシと頭を叩いてきたので、つねるのを止めた。
「ったく。痛いなら今度からやるなよ」
「ふん! お互い様でしょ」
「ツカサ、鈴音。そこまでにしよ、ね!」
アゼルが介入してきたので、鈴音と同時に口論を止める。
そこでようやくアゼルの服装に気がつく。
全体的に黒色の服でコーディネートされたアゼルは、彼女の銀色のショートヘアがよく際立つ。
はっきり言ってかわいい。
「どーよ。かわいいでしょ? やっぱりすっぴんでもかわいから、コーディネート甲斐があるわね」
「えへへへ。でも鈴音の化粧もすごいし……」
「なに言ってるのよ。アゼルにしたのはナチュラルメイクだから、ほとんど化粧ってレベルじゃないわよ」
マジか……。
元々容姿がいいとは思っていたが、ナチュラルメイクでこれだけかわいいとは予想以上だ。
「でもよ。これじゃ目立たないか?」
「安心しなさい。さらにこれを使うのよ」
そう言って鈴音が取り出したのは、緑色のストールに黒のサングラス。
確かにこのストールとサングラスを着用すれば、口元や目を隠せる。これならアゼルも目立たないはず……。
「でもよ、ストールはともかくサングラスを室内でつけるのは目立たないか?」
「バカね、そのためにこれがあるのよ!」
そう言って鈴音が取り出したのは、色付きレンズのメガネだった。いや、よく見ればレンズに度が入っていない。
「これならアゼルは眼鏡の似合う美少女ってイメージが先行するはず、そして外ではサングラスをつければ……」
「印象が違って変に騒ぎにならない」
「その通り!」
パチンと互いの手を合わせる。鈴音の幼馴染として経験が長年あるのだ、これぐらいは当然分かるさ。
「そんじゃ大学に行こっか」
「おう」
「うん」
そのままツカサたち三人は、大学に向かうのだった。




