オーヴァーロードではない人――イノセンス
地獄かと言わんばかりの、おぞましい光景が広がっている。
ついさっきまで騒がしかった店内は、悲鳴とうめき声の重奏で満ちている。猟奇的な声の発声源は、倒れている客や店員たちだ。
おそらくは巻き込まれてアレナに閉じ込められたのだろう。
「これは……」
「ボーッとしない! アゼルを守るわよ!」
「鈴音。でも……!」
「あたしたちの中にこの人たちを助ける力はない。それで満足?」
冷淡に告げる鈴音だが、彼女の手は固くこぶしを握っている。
そんな鈴音の手を見たツカサは、何も言わずにアゼルの手をとる。
「わかった。逃げるで合っているよな?」
「建物の外に出てもこのアレナからは逃げられないけど、……この人たちを巻き込まないだけまだ良いわ」
「ああ、そうだ。とりあえず外へ!」
「うん!」
アゼルの返事を合図にツカサたち三人は、外に向かって一斉に走り出す。
「クソ。酷い有様だ」
ちょうど大型複合商業施設の中央にいたツカサたちは走って、走って、走り続けた。
その間に地獄を見た。大型複合商業施設に来ていた客と店員は、誰もが床に倒れ苦しんでいたからだ。
「なあ、こんな大惨事を引き起こしておいて、騒ぎにならないのかよ」
「それは無理な話ね。アレナが展開された空間は、外の世界と因果関係が切断されるの」
「じゃあこの人たちは……」
「一般的にオーヴァーロードではない人――イノセンスは意識を失うわ。さすがにアレナの中で死ねば……きっと問題になるわね」
淡々と述べる幼馴染の姿に、ツカサは怖さを感じてしまう。いつもの鈴音とは別人に見えたのだ。
それでも足を止めず、走り続ける。もし止まれば鈴音とアゼルに迷惑かけてしまう。
(にしてもまだ外に出られないのか……?)
もう五分以上走っているのに、まだ出口が見えやしない。いくら大型複合商業施設とはいえ、もう出口は見えていいはずだ。
「やばいわね。閉じ込められたかも」
「はぁ!?」
鈴音は足を止めると、手のひらを構え倒れている人に向かってエネルギー弾を放つ。
直後、倒れている人々が跳ねるように起き上がった。
「あぶねぇな、殺す気か?」
「あら、人じゃないもの。殺したなんて言わないわよ」
赤い蝙蝠の入れ墨をした男たち――レッド・ブラッドのメンバーが、一人、二人……五人もいる。
だがそれよりも、さっきまで倒れていた人々――イノセンスは煙のように消えているのだ。
(おいおい、どういうことだ? まさかさっきまで見えていた人たちは……)
「ニセモノとはいえ中々悪趣味よねー」
ニセモノ。
さっきまでの人たちは、ニセモノだったのか。
本当に人が苦しんでいたのではないことに、少し安心してしまう。
「ばか! 安心してる場合じゃないわよ」
「ツカサ! 危ない!」
次の瞬間、鈴音とアゼルに腕を引っ張られ現実に引き戻された。
そして数秒前までツカサがいた場所に、血の槍が突き刺さっている。
もし二人に腕を引っ張られなければ、串刺しになっていた。その事実にゾッとしてしまう。
「ボーっとしてたら死ぬわよ!」
「っと……悪い」
「まずはそこの男から殺して、あとはお楽しみタイムだ!」
ヒャッハーと叫びながらレッド・ブラッドのメンバーたちは、己の身体を傷をつけ、流れた血で武装する。
レイピア、ロングソード、アックス、ハルバード、スピアと多種多様の武器を構えるレッド・ブラッドのメンバー。そのまま彼らは、ツカサたちを包囲するように位置取りを取る。
(囲まれた!)
アゼルと鈴音を連れて逃げようとしても、残りの四方向から攻撃がきてしまう。
どうする……。どうすればいい……。と思考するツカサ。切迫した状況での緊張感と頭をフル回転させているのが原因か、額から汗がツーと落ちていく。
「死ねやぁ!」
レイピアを構えた男が、ツカサに向かって走る。
一瞬、ツカサと鈴音は視線を交差させ、すぐさま動きだした。
ツカサが前で、鈴音が後ろでアゼルの側。そんなボジョニングだ。
即座にツカサは手に黒い大剣――ヴァニティ・ペルグランデを生み出し、男のレイピアによる一撃を受け流す。
「鈴音! アゼルを頼む!」
「まっかせなさい!」
「あんな奴らやっちゃえツカサ!」
アゼルの声援と同時に、レッド・ブラッドのメンバーはツカサへ三人、鈴音とアゼルに二人と二手に分かれた。
鈴音とアゼルも気になるが、今は目の前にいる男たち三人だ。
レイピア、ハルバード、スピアとどれも一癖ありそうな武器ばかり、レッド・ブラッドのメンバーたちがどの程度武器に習熟しているのかは分からないが、油断なんてできないだろう。
「いくぞ、お前ら……フッ!」
レイピア持ちが叫ぶと、ハルバード持ちとスピア持ちも同時に動き出した。
レイピアによる突き、ハルバードの叩きつけ、スピアの薙ぎ払い。三種三様の攻撃がツカサに襲いかかる。
一呼吸したツカサは、ヴァニティ・ペルグランデを構える。
そして再びレイピアを受け流し、ヴァニティ・ペルグランデの腹でハルバードの叩きつけを受け止め、スピアの薙ぎ払いをジャンプで回避する。
「お返しだっ!」
空中で体勢を立て直したツカサは、ヴァニティ・ペルグランデでレイピア持ちに斬りかかろうとする。
「させねーよ」
「そんなデカブツで三人を相手にできるわけないだろ!」
背後から聞こえてくる声に、嫌な予感がしたツカサは、すぐさま攻撃を中止して横にジャンプする。
嫌な予感は合っていた。先程までツカサが立っていた場所を、ハルバード持ちとスピア持ちが突きたてていた。
「この……!」
攻撃目標をハルバード持ちへと切り替えたツカサは、地面を蹴って斬りかかろうとする。
だがレイピア持ちとスピア持ちが、無防備なツカサの背中に攻撃をしかけてくる。
「背中がガラ空きだぜ!」
「くらえやぁ!」
「ぐぅ……!」
背中を斬られた。
慣れない痛みに、苦悶の声が漏れてしまう。
「ちょっと! 三人がかりなんてカッコ悪いわよ!」
「向こうを心配できる状況かぁ?」
鈴音の方を見れば、どうも状況は良くないようだ。
アゼルの前に出た鈴音は、レッド・ブラッド二人の攻撃を捌いているが、彼女の表情は険しい。
「鈴音! そっちは大丈夫そうじゃないな……」
「あんたこそ、数が多いから泣き言をあげるんじゃないわよ!」
鈴音の励ましに、身体へ力が湧いてくる。
「死ねぇぇぇ!」
正面からレイピア持ちが突っ込んでくるが、素早く立ち上がってヴァニティ・ペルグランデで受け止める。
(反撃をしようとすれば、残りの二人から攻撃が来る……。どうすればいい!)
まるでヴァニティ・ペルグランデに問いかけるように、心の中で叫ぶツカサ。
次の瞬間、力の抜けるような感覚がツカサを襲う。
「な、なんだ……?」
「なんだはこっちのセリフだ! なんだそれは!?」
驚いているのは一人じゃない、この場にいるレッド・ブラッドのメンバー五人全員だ。
五人全員の視線は、どれもツカサの背後を見ている。
「ツカサ、後ろのそれ……なに?」
「それって……はぁ!?」
驚いている様子のアゼルが、ツカサの背後を指をさす。
なんなんだ。と思いながらツカサは振り向けば、背後に巨大な灰色の騎士が立っていた。
十五メートルはゆうに超えている巨大な灰色の騎士。敵か味方かも分からない。
「なんだこれ……!」
反射的にツカサがヴァニティ・ペルグランデを振れば、巨大な灰色の騎士も手に持った大剣を振るう。
――斬!
巨大な灰色の騎士は横薙ぎに大剣を振り払う。だけどツカサに鈴音、アゼルを傷つける様子は感じない。
「クソ! なんだコイツは!?」
レイピア持ちとハルバード持ち、スピア持ちが巨大な灰色の騎士に攻撃をしかける。
だがノーダメージなのか、全く反応がない。むしろ不気味なぐらいにだ。
(なんとなくだけど……こいつがどんな存在なのか分かってきた!)