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二話:カウンセリング




 本部に犯罪者を収監して、廊下を歩いていると、上級尉官の制服を着た少年が、ラスティに手を振る。


「やぁ、ラスティさん」

「スメラギ隊長。お疲れ様です」

「うん、お疲れ。ラスティさん、聞いたよ。浮浪者に何故努力しなかったのか? と問いかけた、と」


 苦笑いしながら言うスメラギに、ラスティもつられて苦笑いする。


「申し訳ありません。つい、気になってしまい」

「いいよ、いいよ。そういうものだからね。少し時間がある。話をしないかい?」

「ぜひ」


 治安維持組織アーキバス本部の休憩室で、二人はコーヒーを用意して、語り始める。


「それで? 何を思ったんだい?」

「……私は、秩序と公平さ。真面目で誠実で努力を惜しまない姿勢、そういったものが好ましく思います。結果はともかく、夢を抱いて進むこと。それが尊い事だと思います」

「君らしい価値観だ」

「だからこそ、思いました。何故、途中で諦めたのか? と。今回の浮浪者の件ならば、頑張ることで理想に至ることは稀でしょう。しかし僅かな日銭だとしても、正当な仕事の対価として受け取ることができる。それで腹を満たせば、今よりはマシな筈です」

「確かに、その通りだ」

「理解はしています。搾取される事に甘んじろ、と言っている自覚はあります。しかし、今のように犯罪者として収監され、罰を受けることは無かったと思います。諦めず、その過程に価値を見出せればきっと、彼は今よりマシな人生になった」

「……そうだね」

「頭では分かってます。現実はそう簡単ではない、と。だからこそ、心が追いつかない。自分の価値観と現実が一致しないんです」


 スメラギはカップを静かに置き、ラスティの瞳をまっすぐ見つめた。いつものように穏やかで、どこか遠くを見ているような、底の見えない声で語り始める。


「……ラスティさん。君は正しいよ。君の言う通り、努力を続ければ、少なくとも飢え死にはしなかっただろう。僅かでも正当な対価を得て、明日を生きる糧にはできたはずだ。それは紛れもない事実だ」


  少しだけ間を置いて、苦い笑みを浮かべる。


「でもね。君が今感じているその“心の追いつかなさ”こそが、実はとても大事な痛みなんだよ」


 スメラギは窓の外、灰色の街並みを眺めながら続ける。


「我々アーキバスが見ているのは“秩序”だ。だが秩序とは、誰かの努力が必ず報われる世界ではない。努力が報われる確率を、ほんの少しでも上げてやること。それが我々にできる精一杯なんだ」


 ラスティは静かに聞いている。


「浮浪者のあの言葉……『恵まれたガキには分かるわけねぇ』。あれは嘘じゃない。彼らが味わってきた理不尽は、君や僕が想像できる範囲を遥かに超えている。努力すれば報われる、という前提そのものが、彼らにとっては最初から崩されていたんだよ。家族も、住む場所も、教育も、明日という概念すら奪われた人間にとって、『頑張り続けろ』というのは、時に残酷な呪いにしかならない」


 スメラギはカップを両手で包み込み、ゆっくりと息を吐いた。


「だから君が今、胸の奥で疼いているその違和感は、正しい反応だ。『努力すれば報われるはずなのに、何故諦めた?』という問いかけは、理想主義としては完璧だ。でも現実を生きる人間にとっては、時に“暴力”になる。我々にできるのは、彼らが努力を放棄せざるを得なくなったその“過程”を、少しでもマシにすることだ」


 スメラギの頭の中で、ラスティを見ながら思考が静かに流れる。


 ああ、君は今、ちょうどその地点に立っているんだな、

自分の「正しさ」が、実は生まれ持った特権の上にしか成り立たない幻想かもしれない——という、底なしの穴の縁に。君はまだ気づいていないふりをしているけれど、浮浪者の一言で、君の価値観の土台が音を立ててひび割れた。


『もし自分があそこに生まれていたら、同じように胸を張って“努力は尊い”なんて言えたのか?』

 その問いに答えられない自分を、君は恐れている。答えられない、それは自分の全てが偽物になる気がして。だから必死に蓋をしている。


「完全に救うことはできない。完全に公平にすることもできない。だけど、努力が完全に無意味にならない程度の、ほんの僅かな希望の欠片を、せめて明日を諦めなくても済む程度のセーフティネットを張ること。それが治安維持組織の役目だ」


 そして、静かに、しかし確かにラスティの肩に手を置く。


「君の理想は間違っていない。ただ、それをそのまま他人に押し付けることはできない、ということだけだ。理想と現実の狭間で苦しむのは、君がまだ人間らしい証拠だよ。その痛みを忘れたとき、君は本当に“正しいだけの機械”になってしまう」


 スメラギは思う。

 笑顔で任務をこなし、完璧な報告書を書き、誰よりも真面目に振る舞うことで、『自分は正しい人間だ』と自分に言い聞かせようとしている。でも夜中、コーヒーカップを持つ手が震えているだろう?


 あれは、蓋の下で暴れる黒い絶望が、君の指先まで伝わってきている証拠だ。君が今味わっているのは、理想の崩壊じゃない。


『自分の信じてきた正しさが、世界のすべての人に当てはまるわけではなかった』という、取り返しのつかない喪失だ。そして僕は、それを無理に埋めてやることはできない。

 この穴は、君が自分で降りて、底まで見て、這い上がってこなければ意味がない。だから僕はただ、君が落ちるときに手を差し伸べられる距離にいるだけだ。

 最後に、どこか寂しげな、でも優しい笑みを浮かべて。


「だから、たまにはこうしてコーヒーを飲みながら、僕にが締め付けられるような思いを吐き出してくれ。君一人で抱え込むには、あまりにも重すぎるからね」


 スメラギはカップを軽く掲げて、静かに言った。


「君の優しさは、決して無駄じゃない。ただ、それをどう届けるか、それが我々の永遠の課題なんだよ」


 いつか君が「私の正しさは完璧じゃない。でも、それでもいい」と言える日まで、そっと見守ることしかできない。……苦しいだろうな、ラスティ。でもその苦しみこそが、君がまだ“人間”でいられる最後の証なんだよ。

 ラスティは静かに息を吐いた。


「辛いですね、現実は」

「みんなそのリアリティと戦っている。折り合いがつけれるようになるのは30か40になる頃かな」

「それは……長い戦いになりそうです」

「君はそれが得意だろう? 失敗を前提としつつ最善の努力し、結果を分析して次の努力に繋げていく成長のループ。最善を次の最善に繋げていくのが君の美徳だ」

「これは手厳しい。人にものを説く暇あるなら、まずは自ら実践するべし。正論です。ではそうしましょう。最善を尽くした人生を」


 スメラギとラスティは軽く拳を合わせた。



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