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1.春の香りにいざなわれ

平安風ファンタジー開幕! 毎週土日に更新していきます。

色々な香りをお楽しみください。

 ほんのりと甘い香りが風に乗って運ばれてくる。

 

 花がほころび、新芽が土から顔を出す春。この時期になると、寒さで縮こまっていた都人(みやこびと)たちも、冬眠から目覚めた虫のようにワラワラと戸外に出てきて、京はたちまち活気づく。


「良い季節になったねぇ」

「これも、すべてあの方のおかげじゃ」


 と、この時期になると市井の人々も口を揃えて言う。


「昔は、こうはいかなかったものねぇ」と。


 かつて、京の都は魑魅魍魎の巣窟だった。夜はおろか昼間でさえ、貴族連中はお抱え陰陽師同伴でないと外に出たがらないほどだった。


 そんなとき、きら星のごとく都に燦然と現れたのが陰陽師安倍晴明だった。彼の活躍により、都を根城としていたアヤカシどもは、都の西に鎮座する山に追い立てられ、以後百年、都は安寧の地となって、人々は春になると心から宴を楽しめるようになったのだ。


 惜しむらくは、桜の名所だった山がアヤカシ山となってしまったため、見物に行けなくなってしまったことだ、と都人は言う。今は、遠くからその桜色に煙る山を眺めるしかできない。

 

 そんなアヤカシ山に向かって、都の上空を飛ぶモノがある。春の日射しを受けて水面が反射するようにキラキラと輝きを放っているが、地上の人々は無関心だ。そもそも気が付いてすらいないのだろう。


「おぉおぉ、今年も絶景だな」


 青空を泳ぐように駆ける獣は、春色に染まるアヤカシ山を見て艶やかな琥珀色の目を細めた。


 見た目は狐にそっくりだが、普通の狐よりもだいぶ大きく、馬ほどもある。その毛並みは真珠を思わせるようなまろやかな純白色だが、耳や手足、尻尾の先に行くにしたがって段々と深い夜空色に染まり、額には濃紺の花びらが三枚、特徴的な模様を作っている。花びらと同じ色が目尻にも入っていて、アヤカシであることを際立たせていた。


 妖狐(ようこ)の一種である香狐(こうこ)のマホロは、鼻をフンフン動かした。山からたゆたうのは、盛りを迎えた山桜の香りだ。花のほのかな甘みの中に、若葉を思わせる清々しい草の香りが広がっている。その香りに触発されて、腹の虫がくぅくぅ鳴いた。


「あー、腹減った」


 マホロは溢れる唾を飲み込んだ。香りを糧としている香狐のマホロにとって、桜の香りは春のごちそうだ。食べると、魂が春色に染まって心がふわふわと軽くなる。それを楽しみに、マホロは昨夜から夕餉を我慢し、今朝は朝餉を控えて、アヤカシ山に向かう最中である。

 

 人々は、この山がアヤカシ山になってしまったことを嘆くが、アヤカシ連中は逆に喜んでいるモノが多いだろうな、とマホロは思う。山は命の宝庫だし、人の立ち入らない場所は彼らにとっては都だからだ。


「着いたら吐くまで食べるぞ~!」


 マホロは空に向かって吠えると、アヤカシ山に向かって宙を駆けた。



「おぉ、今年も最高のできだな!」


 山の中程に降り立つなりマホロは感嘆の声を上げた。


 どの桜も見事に咲き誇り、芳香を漂わせている。それだけではない。遅咲きの梅や桃の花も、盛りは過ぎているものの、競うように枝に花を付けていた。旬の香り食べ放題会場である。


「どれを食べるか迷うなぁ」


 マホロはニヤニヤしながら地面に肉球を着けると、トテトテと辺りを廻ってみることにした。


 せっかく飯抜きで頑張ったのだから、吟味して美味しい香りを食べたいところだ。


「瑞々しい桜も良いけど、ジュクジュクに熟した桃も捨てがたいし、でも一発目はほんのちょっと酸味が出てきた梅ってのも乙なんだよなぁ……」


 鼻を上に向けて軽い足取りで歩いていると、何やら気になる臭いにぶつかった。


「うっ……なんだこれ……」


 腐敗した屍肉に蜜を掛けたかのような吐き気を催す悪臭と、夏の夕立を思わせる匂いが混ぜ合わさり、反発し合って辺りに揺らめいている。思わず足を止めると、どこからともなく声が聞こえてきた。


「もしもーし、誰か、いないのかい~?」


 何とも間延びした声である。


「助けておくれぇ~」


「なんだ?」


 極限状態の空腹を抱えて、マホロは声のする方に近寄って行った。助けを求められて無視することはできない。


「うえぇ……」


 強烈な臭いに思わず息を詰め、そろそろと草むらを掻き分けると素焼きの赤茶けた甕が出てきた。そこから、最初に感じた悪臭に加え、葡萄の甘酸っぱい香りと蜂蜜のような甘くて美味しそうな香りが漂ってくる。どうにも相性の悪い臭いに胸が悪くなってくる。


 甕は人が両手で抱えられる程の大きさで、蓋は付いていない。それなのに、


「ここから出しとくれ~」


と、情けない声が響いてくる。


 肉球を鼻の穴に押し当てても容赦なく襲ってくる臭いに辟易しながら、恐る恐る甕を覗いてみると、薄い煙のような膜が表面を覆っていて中身は全く見えなかった。どうやら一種の封印が施されているようだ。なんとなく嫌な予感がする。


「あ、そこに誰かいるね? ちょいと、出しとくれよ」


 中に閉じ込められているモノが友人に話しかけるような気楽さで頼んでくる。少々図々しさを感じつつも、マホロは甕を前足で持ち上げた。


「ちょっと歯ぁ食いしばってろよ」


 一応声を掛けてから、大きく振りかぶって甕を地面に叩き落とす。ガシャンと大きな音と共に甕が割れ、煙のような物がモクモクと立ち上って霧散する。同時に、甕の中に溜まっていた淀んだ臭いが辺り一面に広がった。


「くっしゅんっ!」


 あまりの悪臭に鼻が拒絶反応を引き起こす。


「くしゅんっ、くっしゅんっ!」


 嗅覚を刺激する臭いの奥に、かすかに真逆の性質の香りも混じっている。そのせいで余計に気持ちが悪くなった。


 くしゃみを連発していると、視界の端で何かが動いた。前足で鼻面をこすりながら見てみると、甕からニョロニョロっと白い蛇が這い出したところだった。


「まったく、乱暴だねぇ。もう少し優雅に救い出せないのかい?」


 チロチロと真っ赤な舌を出し入れしながら文句を垂れている。蛇は蛇でも、人語を操るアヤカシの類いだ。その白蛇は、億劫そうに鎌首をもたげてマホロを見るなりせせら笑った。


「なんだい、妖狐じゃないか。それなら野蛮でも仕方がないね」

「何だとっ⁉」


 マホロは耳を後ろに倒し、琥珀色の眼で白蛇を睨み付けた。


 狐には何かと悪い印象が付きまとう。確かに、イタズラ好きな連中や悪巧みが趣味の粗野な野郎もいるが、妖狐全般をそういう目で見られるのは心外だった。


 マホロは低く唸って牙を剥く。


「せっかく助けてやったのに、食われたいのか?」

「その気もないのに悪ぶるんじゃないよ。それに、お前さんに凄まれても、ちっとも怖くないからおやめ」


 白蛇は、マホロの威嚇も軽くいなすと、シュルシュルと地面を滑って、マホロの周りをグルグル廻った。


 一周、二周するごとに、白蛇からは、山奥の清純な水の香りがふわりと立ち上る。


 深く息を吸い込むと、身体の奥に入り込んだ灰色に濁った空気が攫われていくようだった。マホロは自分に纏わり付いていた瘴気が薄らぐのを感じ、ホッと息を吐いた。


 白蛇のことは気に入らないが助かったのは事実だ。軽くあしらわれたことに対して毒づきたい気持ちを抑え、いまだにマホロの周りを廻っている白蛇に尋ねた。


「で? 白蛇。お前、誰にやられたんだ?」


 アヤカシが別のアヤカシを攻撃するなら、直接手を下すはずだ。あんな道具を使うなんて回りくどいことは人間の仕業以外に考えられない。しかし、人間がこの山に足を踏み入れることは禁じられている。


 注意深く白蛇の姿を目で追っていると、白蛇は廻る速度を緩めて愉快そうにマホロを見た。


「あんたは、アヤカシにとって一番厄介な奴ってどんな奴だと思う?」

「はぁ?」


 質問したのに、謎掛けのような言葉で返されてしまった。答えに窮していると、白蛇はニヤリと笑った。


「あたしはね、そんなヤツにその甕に閉じ込められてたのさ」

「……陰陽師か?」

「ふふふっ、あんた、まだまだだねぇ」


 白蛇はマホロの周りを廻るのをやめて、鎌首を持ち上げた。赤い瞳でマホロをじっと見る。


「あたしらアヤカシにとって一番厄介な奴はね、分不相応な力を手に入れた野心家さ」

「!」


 そのとき、スッとするような(ひのき)の香りと新鮮な柚子の香りが迫ってきた。それも束の間、あの腐敗臭が鼻を突いた。とっさに頭の中で警鐘がけたたましく鳴る。


「助けてくれて感謝してるよ。せいぜい頑張んなさいな」

「あ、おい!」


 白蛇はシュルシュルと目にも留まらぬ速さで草むらの中に消えていった。どうやらマホロは白蛇が逃げるための囮として使われたようだ。白蛇の姿を目で追っていたマホロだったが、その耳元を何かがかすめた。ドキッとして視線を動かすと、近くの地面に矢が突き刺さっていた。


「な、なんだ……⁉」


 そう思っている間にも、次々と背後から矢が飛んできた。尻尾をかすめて真っ直ぐに飛んできたと思ったら、今度は空から弧を描いて降ってくる。状況を把握する前に、次から次へと矢が襲い掛かってきてマホロは慌てて逃げ出した。


 遠くで人の声がする。低く、くぐもった声で、話をしているのか何かを唱えているのかは分からない。辺りに漂う臭気はますます強くなり、頭が朦朧としてきた。どうやらこの臭いは、まじないが施された(こう)――呪香(じゅこう)の類いらしい。このままだと、意識を失いそうだ。


(ま、まずい……)


 そう思った時、ドスッと鈍い音が全身を貫き、左脚に激痛が走った。


「ぐっ……!」


 顔を向けると、左の後ろ足に矢が深く刺さっていた。


「くそっ!」


 悪態を吐いて、矢を咥えると一気に引き抜いた。傷口から血が湧き水のようにドクドクと溢れ出す。ぼんやりしてくる頭を振って、マホロは足に力を込めて地面を蹴った。


 空に駆け上がりたいのに、その気力がない。血と共に、命が身体の外へと抜けていく。目がかすみ、足がもつれ、上がらなくなってくる。


 どこかで休みたい、と思うものの、マホロは足を止めるわけにはいかなかった。足を止めれば、あの死の臭いに絡め取られてしまうのではないか。そんな思いがよぎって、無理矢理足を前に出し続けた。


 そうして気が付くと、マホロは人里に下りてきていた。おそらく都の外れだろう。水気を含んだ泥道に、ポツンポツンと寂れた荒ら屋が建っている。


(なんだ……? この匂い……)


 マホロは朦朧とする意識の中で鼻を動かした。


(清々しい夏の風のような……)


 陰気で荒んだ場所に似つかわしくない晴れやかな香りだ。

 

 マホロはフラフラと匂いに吸い寄せられた。こんなに心惹かれる香りは、今まで一度も出会ったことがない。


(もしかしたら罠かもしれない)


 チラリと頭の片隅で思ったが、動き出した脚を止めることはできなかった。


 ボロボロの築地から身体を滑り込ませ、中に入る。と、その瞬間、えもいわれぬ香りに全身が包まれた。


 爽やかなスッキリとした甘みのある香り中に、夏の夕暮れを思わせるどこか懐かしくて切ない香りが漂っている。それから、様々な花の香りと草の匂い。奥の方にかすかに気になる匂いを感じ取ったが、すぐに霧散してしまった。


(あぁ……なんてうまい匂いなんだ……)


 マホロは大きく息を吸い込むと、その場で意識を失った。

傷を負ったマホロが辿り着いた先とは――?

次回「2.もの悲しい橙の香り」につづく。

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