5.最悪の職場(第三者視点)
5.最悪の職場(第三者視点)
国内に新しく製造所が出来るというだけで充分衝撃なのに
それが皇国とデセルタ国王の共同経営だという事実は
ここリシェット製造所の責任者であるローガンにとって
とてつもない精神的ダメージをもたらした。
その新しい製造所の存在は、間違いなく邪魔だ。
絶対に阻止せねばなるまい。
ローガンの頭の中は良い策を探し、めまぐるしく駆け巡った。
「どうせ皇国が言いくるめて担ぎ出したのだろう。
国王様はご高齢だぞ。なんという無理をさせるのだ!」
「いえいえ、あちらからのご提案です。
国王様は、国内にあまりにも働き口が少ないことを憂慮され
未来のために雇用を生み出したいと仰いました」
近年は伐採を控えるようになり、採掘するにもそんなには取れない。
昔に比べ、格段に仕事が少ないのだ。
ローガンは揚げ足を取るように反論した。
「この国の雇用を増やしたいなら、国費をかけてこの製造所を拡大すれば良い。
すでに”実績”もあり、成果も多大に上げているこのリシェットを」
カイルは皮肉な笑いを口元に浮かべて首を横に振る。
「腕の良い職人を大量に解雇した”実績”もありますからね。
今まで多くの労働者が、ここを正当な理由なく解雇されています。
さっきのアスティレア様みたいに。
その多くは国王様の、昔の仲間の弟子やご子息だったそうです」
思い当たる節があったようで、ローガンはあっと小さく叫ぶ。
ローガンがこの製造所で職人や作業員に要求する内容は
現場の現実や実作業からかけ離れたものだった。
彼の経営理念は教科書的であるため、採掘や石工などの事業には向かず
その内容も論理の仮面をつけた単なる精神論だった。
そんな彼のやり方を、熟練の職人が黙って従うわけがない。
腕の良い職人ほど頑固な人が多いが、
ことごとくローガンとぶつかり、みな解雇されていったのだ。
しかし彼らは国王にとって旧知の者が多かった。
国王は根っからの山師であり、若い頃は行政そっちのけで
国民と一緒に山に入って採掘作業をしていたそうだ。
「国王様は、彼らの能力を発揮できる場を用意することを約束しました。
放置するには、その技術や知識はあまりにももったいない、と。
個々の能力を生かし、働く場所や機会が増えるように取り組み、
働きたい者たちが仕事につきやすくなるようにするのは行政の役目です。
だから国王は皇国に、新しい製造所の建設をしたいと相談してくださいました」
……それにこの製造所に何かあった時の受け入れ先も用意しなくてはならないし。
カイルはその件については伏せておいた。
追い打ちをかけるようにカイルはいう。
「彼らは口をそろえて、二度とここでは働かない! と言っていますし。
それでは国王様は、新しく製造所を作るしかありませんね」
ローガンは身から出た錆とはいえ、
有能な人材が新しい製造所に集まっていることにも苦悶した。
これはマズイぞ。調子に乗ってクビにしすぎたか。
それにこれまで、どうせ他にたいした働き口がないのだからと
かなり経営側に都合の良い労働条件にしていたのだ。
就業規則などあってないようなもので、
毎日長時間労働であり、休日は極端に少ない。
どんなに利益を上げていても給料は最低賃金で
時間外労働は”仕事が遅い自分の責任”といい残業代は出ない。
ミスは減給の対象。厳しすぎるノルマも課されていた。
このままではもっと人材を奪われるかもしれない。
新しい製造所が出来る前に、いろいろ見直さなくてはならないな。
もっと魅力的な労働条件を打ち出しアピールしなくては。
……もちろん、損は出ないようにだが。
眉間にこぶしを当て黙り込むローガンに、カイルはにこやかに続ける。
「では話を戻しますが、まず、ソフィー嬢は退職する権利をお持ちです。
残った仕事についてはあくまでも会社側の采配であり責任です。
終始、個人で作業するという彼女の仕事内容においても、
引継ぎの必要もありません。
従って仕事を放り出すという表現は大間違いです。いいですね?」
「了解した。……行くがいい」
ローガンはもう、勝手にしろと言わんばかりに手の平を上に向けた。
もうソフィーどころではないのだ。
国内に生まれる敵に対して、すぐに新たな戦略を練らなくてはいけない。
それに対し、クリスはえええっーと叫んでソフィーに走り寄る。
「え? なんで? 本当に辞めるの? ここにいてよソフィー」
その慌てる姿を見て、ブリアンナが鬼の形相になっている。
「はい、辞めます。みなさんどうかお元気で。
それから……ブリアンナ様、クリス様、どうぞお幸せに!」
それはもう、とびっきりのキュートな笑顔だった。
クリスはおろおろとしながら小声で(丸聞こえだが)
「違うんだよ……後でちゃんと説明するから……謝るから……」
などと必死に呟いてる。
アスティレアがわざとらしく爆弾を落とす。
「あら? 公爵家が相手だから仕方なかったって話は聞きましたよ?」
カイルが無表情のまま乗ってくる。
「それも聞いたが、隠れて愛妾を置きたいって話のほうか?
それならハッキリと断られていたが」
クリスはムカッとしたのか、つい言ってしまう。
「いや、ちゃんと話せばソフィーも分かってくれる……」
そこまで言ってあわてて振り返ったクリス。
ブリアンナは両手をこぶしに固め、ブルブルと震えている。
驚くことに、一般労働者の中から
「そうだよなあ、公爵令嬢からあれだけ強引に迫られちゃなあ」
「ソフィーここで一番可愛いし」
「クリスにはもったいなかったからな」
といった声がちらほら囁かれてきたのだ。
これまでは、どんなにこの製造所に不満があっても、
家族を養う者は特に、逆らうという選択肢はなかった。
しかし雇用の機会を増やそうという国の方針や
新しい製造所が出来るという情報を知り、
この製作所にしがみつかなくても良いのだと気が付いたのだろう。
ここは本当に劣悪な労働環境だった。皇国までその話が届くほどに。
しかもそれだけではない。
パワハラやセクハラは日常茶飯事で、
彼らのストレス解消や暇つぶしのために
労働者たちは嫌がらせを受けることすらあったのだ。
残業代の支払いなど、雇用条件についてはカイルが国王の命として是正し
人間関係はアスティレアが調査とともに手助けした。
そのために反感を買い、彼女は解雇の対象となってしまったのだが。
「まあ”古い道具は捨てておけば、似合いのやつが拾う”ってやつか」
どっと笑う労働者たち。
遠慮のない発言をする彼らを見て、ローガンはひどく慌てた。
まずいぞ、もう彼らの気持ちはここから離れ始めている。
慌てて彼らの前に行き、
これを機に労働条件の見直しを宣言しようとした、その時。
「全員、クビよクビ! ここから出ていきなさいっ!
私を、公爵家をバカにして~! お兄様、全員、解雇ですわあっ!」
ブリアンナがこれまでで最大のかんしゃくを起こしたのだ。
自分とクリスを揶揄した者たちを
子どものように次々に指さしながら、クビ、クビ、クビと繰り返す。
ローガンはそんな妹の腕をつかみ怒鳴った。
「やめるんだブリアンナ!」
兄がいつものように自分の頼みを聞かないと知り、
彼女は兄までも敵として認識し、言ってはいけないことを暴露する。
「お兄様だっていつも”あいつらの代わりはいくらでもいる”って、
”使い捨ての消耗品”だって言ってたじゃない!」
パーンという音が室内を響く。
ローガンがブリアンナの頬をたたいたのだ。
うわあああと泣き叫んで走り出ていくブリアンナ。
そんな妹を放置し、労働者に向き直ったローガンは
彼らの目がひどく冷めていること気付き狼狽する。
しまった……最悪だ。
何も言えなくなったローガンに代わり、
カイルが静かに言葉をかけた。
「もし新しい職場をお探しでしたら、いつでも大歓迎いたします」
そういって振り返り、ソフィーを伴って出口へと歩き出した。
するとソフィーは振り返り、親しかった女の子たちに向かって
いたずらっぽい顔で小さく”おいで、おいで”をする。
アスティレアも笑って、一緒に”おいで”をする。
それを見た彼女たちは顔を見合わせ、笑顔でうなずいた後、
ソフィーを追って駆け出す。ドアの外で娘たちの歓声が聞こえた。
それを聞いた他の労働者たちも、足早に部屋を出ていく。
どんどん、どんどん、人数が減ってきて。
最後に残ったのはローガンを含む、実務は何も出来ない貴族たち。
そして右側でずっと、見守るように立っていた産業医リベリアが言う。
「今日は怪我人が出ることはなさそうですから、
……帰らせていただきますわね?」
最後までお読みいただきありがとうございました。