4.クリスの説得
4.クリスの説得
一気にまくし立てた後、クリスはひと息つき、ソフィーの反応を待った。
ぽかんとした表情で聞いていたソフィーは、
「いや、辞めます。あの人たちや貴方の下ではもう働きたくないから」
とだけ答えた。
それは元婚約者というより、不思議な生物を見る目だった。
クリスはもーっ! といい、ように口を尖らせる。
もともと年の割には幼い言動をする人で、
もうちょっと若いころにはそれが可愛かったのかもしれないけど、
すでに20歳に近い今となっては、気持ち悪いの一言に尽きる。
「彼女のことだよね? くだらないヤキモチ焼かないでよ、まったく。
仕方ないじゃん、だって相手は公爵家なんだから。
もう、そんなことじゃ貴族の妻になるのは無理なんじゃない?」
あんなにノリノリでソフィーを責めていたにも関わらず
公爵家だからそうしたかのように弁解する。
普段からクリスは、他人に依存することが多く
困ったことがあれば原因をすぐ他人のせいにしていた。
ソフィーは面倒見がよく、とても優しいので
小さいころからそんなクリスの面倒を見て来たらしい。
きっと彼らの関係性は、母と子か、
姉と弟のようになっていたのだろう。
だからクリスは、ソフィーに何を言っても、何をしても大丈夫だと
そしてどんな願いも聞いてもらえると勘違いしているのだろう。
しかし、絶対に越えてはいけない一線というものがあるのだ。
公衆の面前で婚約破棄し、さらに新しい婚約者への贈り物を
元の婚約者を騙して作らせるなど論外の極みだ。
「まったくさあ、お前のためでもあるのに。
僕が出世したら、ソフィーだって嬉しいよね?」
「ううん、どうでも良いわ」
即答するソフィーに、信じられないという表情で見返すクリス。
今まではどんな扱いをしても離れていかなかったソフィーが
いつもとは違う反応をすることに衝撃を受けていたのだ。
そしてワガママを聞いてもらえない幼い子どものように、
かんしゃくを起こし始める。
「なに言ってんだよ! だって将来……」
「将来はブリアンナさんとご結婚なさるんでしょ?
私、関係ないじゃない」
「え? あ、まあ、そうなんだけど。
別に、ソフィーとの縁が切れるわけじゃないから安心してよ」
ニヤニヤしながらクリスは言う。なにそれ。それって。
「それはどういう意味? 切れるに決まってるじゃない」
「いや、まあ、彼女は公爵家だから本妻じゃないとね。
ソフィーは別に、そういうの気にしなくて良いんだし」
つまり、妾とか愛人としてキープする気満々だったというわけだ。
私はあきれ果てて、ふとカイルを見た。
黙って立っていて微動だにしないカイルは、まさに美神の石像のようだ。
ただし目が怖い。こちらも石にされそうなくらい睨んでいる。
ソフィーも本当は心の底からキレている、というのが伝わってくる。
激怒し、怒鳴りつけると思いきや、
クリスの扱いに慣れているソフィーは、優しく諭すように言う。
まあ、馬鹿にはわかるように言わないとね。
「あなたが彼女と結婚したら……いやしなくても、
私との関係はすでに終了しています。
二度と関わりたくないし、話すらしたくありません」
ゆっくりと、そしてきっぱり言い放った。
でもクリスは想像を超えた理解力の持ち主だった。
「え? なんで? とにかく戻ってよ。
ローガン様、イライラしていて怖いんだよ。
作業代金の話も帳消しにしてもらえるんだからさ」
迎えに来た理由はそれか。
もしソフィーを連れ戻せたら、帳消しにしてやると言われたのだろう。
そして急にこちらに飛び火が来たのだ。
「お前も早く説得しろよ! ”一緒に戻りましょう”って」
一瞬驚きのあまり、のけぞるかと思ったが必死に叫んだ。
「言うわけないでしょ! 戻らなくて良いし、私だって行きません」
「え? なんで? また雇ってもらえるかもしれないんだよ?
話が詳しく聞きたいって、ローガン様がおっしゃってるんだから。
早く戻ってお詫びして来いよ」
これは本当にダメな人だ。私とソフィーは目を合わせる。
そしてうなずいて、くるりを背を向け歩き出す。
言ってわからない人には態度で示すしかない。
しかし、なぜかカイルは動かなかった。本当に石像のように。
その時、急に声色を変えてクリスがつぶやく。
「断ったら、ソフィーの家の工場がどうなるかわからないよ」
足を止める私たち。
「それに、他のやつらにも迷惑がかかるからな」
私は口調でわかった。これもローガンの差し金だ。
万が一断わられたら、実家や仲間を使って脅せと言われていたのだろう。
明らかに動揺しているソフィー。私は振り返り、
「それは明らかな恐喝ですよね? 法に反する……」
私がそこまで言うと、石像だったカイルは魔法が解けたように動いた。
ソフィーの肩に手を置き、優しく微笑む。そして。
「すぐに戻りましょう」
ショックを受けた顔で見上げるソフィーと、
ぱあっと喜びの表情が広がるクリス。
「さすがは皇国の石工士。ほら、彼もそう言ってるから、いくぞ!」
困惑したソフィーは私を見てきたので、うなずく。
カイルがこう言うなら、戻っても大丈夫と言うことでしょう。
私たちはしぶしぶ来た道を引き返した。
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「はいっ! 連れてきました!」
嬉しそうにドアを開けるクリス。
中は先ほどと変わらず、そのままで並んでいた。
ローガンや貴族は明らかにほっとしているが
ブリアンナはものすごい目でこちらを睨みながら、クリスに駆け寄る。
クリスにソフィーを迎えに行かせた兄を怒っているのと
彼らが再び接近するのが忌々しかったのだろう。
一般の労働者たちは、心配そうにこちらを見ており
「……戻ってきてくれたのか」
という声も聞こえて来た。
つまりは、戻ってこなかった場合について、
彼らは脅されるようなことを言われていたということだ。
仲間の連帯責任を負わせるのが好きな責任者だからね。
腕を組んだローガンがこちらに歩いてくる。
そして私の前に立ち、
「後ほど調査について詳しく話を聞かせてもらおう」
と言った。もちろん私は笑顔で答える。
「お断りします」
あごを上げぐっと詰まったあと、ローガンは冷静に返してくる。
「それでは何故戻ってきた?」
「ソフィーが恐喝されましたので。それは違法だとお伝えしたくて」
ローガンはクリスを睨む。そして目を細めて言う。
「何か誤解があったようだな。まあとにかく、ソフィー。
君に対する解雇はもともと考えていない。
たくさんの仕事を放り出すなんてプロのすることじゃないだろう?」
仕事を持ち出されて、何も言えなくなるソフィー。
彼女の周りをゆっくりと歩きながら、諭すように、
「ここには君の大切な仲間たちだっているんだ。
そしてご実家のみなさんも、君の活躍を期待していると思うがね?」
といい、クリスをもう一度見る。
馬鹿かお前は。直接的にではなく、こういう風に言うんだよ。
ソフィーは苦し気に眉を寄せている。
気が付くとクリスの横に立っていたブリアンナが
嫌な笑い方をしながら歩いてきて、ソフィーの後ろに立つ。
そしてソフィーの耳元に、信じられないことを呟いたのだ。
「あーあ、他の女と結婚した元婚約者の下で働き、
その幸せな二人を見続けなくてはならない立場って辛いわねえ」
その瞬間、ブリアンナが文字通り、引きずられるように飛んだ。
首根っこを何かに掴まれるように斜めになって
後方のクリスにぶつかっていく。
鍛えていないクリスはそのまま一緒に倒れてしまう。
みんな見ていた。
ソフィーは微動だにしていないし、
工具などの入ったバッグを両腕で抱え込んでいる。
そもそもブリアンナは後ろにいたのだ。
ソフィーに押せるわけがない。
ブリアンナは座り込んだまま、
首の後ろを押さえてキョロキョロしている。
やはり引っ張られたのだろう。
ドアの付近から声が響く。
「皆さん、いろいろ勘違いなさっているようだ」
私たちより遅れてカイルが室内に入ってくる。
ブリアンナの横を過ぎる瞬間、汚いものでも見るように
目線だけで彼女を見下していく。
その冷たさに縮こまるブリアンナ。
カイルはローガンではなく、ソフィーの労働者仲間に向かって言った。
「皆さんにお伝えし忘れていたため、戻ってまいりました。
ソフィー嬢は決して皇国の加工職人になるわけではありません。
このたびデセルタ国内に新しく設立される製造所にお勤めいただきます」
ローガンが目を見開いて驚く。
「そんな話は聞いてないぞ! 皇国が製造所を作るなんて」
「いえ、共同経営です。
ごく内密に進められておりましたので。まだ発表には早いのですが、
ソフィー嬢が誤解を受けると申し訳ないので、お伝えいたしました。
彼女とその家族はこれからも、この国のために働きます」
家族という言葉にローガンは苦虫を嚙み潰したような顔になる。
何せ共同経営だ。
また”企業は従業員を守る”と言いだすのが目に見えている。
誰だ。俺を出し抜いて皇国と共同経営を始めるような奴は。
ソフィーの家族か? たしか結構大きな工場だったな。
それともどこかの中小製造所が皇国に買い取られたのか?
とにかく絶対に許さない。計画の段階で潰さねば。
焦りと怒りで思わず声を荒げるローガン。
「それは道理に反しているのではありませんか!?
この国にはこの国の、産業に対する方針があるのですよ!」
カイルはふっと笑って首をかしげる。
「何も反してなどいませんよ。
国の方針による、計画の一部ですから」
そしてカイルはソフィーの肩に手を置き、
さらに反論しようとするローガンに向かって宣言する。
「新しい製造所の共同経営者は、デセルタ国王様です」
最後までお読みいただきありがとうございました。