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Lv10―『診療所』・無熱病〈アルーフ〉




「――――――――でさ、10階で毒をくらっちゃって頭はくらくらするは足はふらふらでやばかったね」

「それでそれで?」

「だけど、都合よく毒消しの薬が部屋の隅に落ちてたんだ。プライドを捨て落ちてた物を食べて生き残るか、プライドを優先し毒で死ぬかの選択に僕は迫られた」

「落ちてたの食べちゃったの?」

「もちろん、プライドは食べられないからね」

「ふふっ、ぷらいど捨てちゃったんだ」


 ベッドで上半身だけを起こして口に手を当てて上品に笑う少女―――キシィは傍らの椅子に座るあるじの失敗だらけの人生談にくすくすと笑っている。


「落ちてたの食べたらお腹壊しちゃうよ?」

「大丈夫、ちゃんと煮て食べたから。何でも煮ればとりあえず食べられるんだよ」

「そうなの?」



 懸念していた独房行きを回避できただけではなく、人見知りをしていたとは思えない饒舌さであるじは少女とかれこれ数時間も談笑していて、窓から差し込む光が赤くなりつつある。

 精神年齢が低じゃない対等に接するのが好まれるのだろう、あるじは年下にはよく懐かれる。逆に年上には都合よくあしらわれるか相手にもされないのでバランスはとれている。



「でも野草は似るとアクがいっぱい出るから気をつけないといけないことは覚えておいて」

「うん、おぼえとく」


 子供にいらないにも程がある知識を吹き込んでいるが、まあ〈患者の相手〉が仕事であるのだから大目に見よう。

 白衣少女に頼まれたのは留守番ではあるが、本命はこっちだろう。診療所を訪ねて来るのは怪我人か病人くらいしかいまい。どちらが来たとして、あるじが白衣を着たとしても軒下にぶら下げてテルテル坊主の代わりぐらいにしかならない。


「次の、次のおはな――――こほっ、けほっ」

「だいじょうぶ? 水持ってこようか」

「い、いいよ平気」

 背中を曲げて咳こむ少女の顔を覗き込んであるじはおもんぱかる。

 具合が悪そうならば水を用意したり患者の話相手ぐらいならばあるじでも出来るだろう。

「ところで水ってどこから汲んで来ればいいんだ? 水道なんてあるわけもないし……近くの川? それとも井戸を掘りあてるべきか」

 …………出来ると信じたい。

「ダウジング棒がないな…………猫のヒゲで代用できるか。よし、ちょっくら井戸掘りに行こう」

 猫のヒゲにダウジング能力はない。アンタは私を超能力者か何かと勘違いしてませんか?

「え? 猫が顔を洗うと雨乞いの超能力が発動して雨が降るって言ってたじゃん」

 言いましたけど、あれを信じてたんですか!?

「嘘だったの!? 自信満々に人に教えちゃったよ……………」

 ちょっと、何してんですか!? あんま恥ずかしいことしないでくださいよ。

「だいじょうぶ。二十人くらいしか話してないし」

 二ケタは〈くらい〉じゃないですよー。正確には二十人〈も〉ですよー。………………何しとんねんアンタ。



 どこぞで私はエスパー猫として名をはせているかと思うと気が重いどころか、猫ジョークが知識としてあるじの中に根付いていた事に私は驚きを隠せない。おちおち冗句も言えないってなんだこの緊迫した関係。



「ふふふっ、おかしー。ほんとに猫さんとしゃべってるみたい」

「ホントにしゃべってんだよ」

「嘘だよぉ」

 傍から見れば猫相手にいきなり話しかけて一人でテンション上がってる変態だが、幼い少女は優しいゆえに変態にも微笑みかけるのか無知だからか変態の恐ろしさを知らないのか、病弱少女は変わらず笑いかける。

「ホントなんだけどね。まあいいや。だけどいいのかね、こんなに話し続けて。寝てないとダメだったりしないの」

「う、ん…………今日は調子がいいから、いいの」

「なら、いいけどね。…………キシィはどこが悪いの?」


 あけすけと無遠慮に聞きづらく答えづらい質問をあるじはした。見たかぎりでは怪我やら重病そうではないが、簡易なワンピースの袖から伸びる腕は昼にあった同世代の子供とくらべるとあまりにも細い。私は少女の伸ばした膝―――というより太ももの上で丸くなっているのだが、シーツ越しに感じる感触も年相応のやわらかいものではない、骨を感じさせるものだ。

「ん…………私ね、生まれつき体が弱いの。昔っから、ベッドの上で過ごしてて、外で遊んだこともあまりないの」

 とつとつと少女は語りだして、あるじは静かに聞く。



 体が弱い少女。それだけならいい、いやよくないが、深窓の令嬢ですむ。だが、彼女の家は貧しかった。と、いうよりそれが一般なのだろう、飽食や豊作、機械や大量生産の時代と一緒にしてはいけない。


「働かざる者食うべからず」、忘れがちで良い言葉であるが、働けない人間にとっては死刑宣告に近い。日々の糧を得るために、その日その日を生きる―――その日の糧を得られなければ生きられない。

 ならば、代わりに働く者が必要である。



「だから、リオカにも迷惑かけてるの」

 彼女の場合はあの銀髪の青年のことだろう。キシィのお兄さんか親類か。どちらにしても彼が彼女の分の仕事までしているのだろう。それを彼女は申し訳なく思っているのか、悲しそうな表情である。


 野生の生物など動けなくなればエサを獲れなくなり死ぬのが野生の掟であるのと、今しがたあったばかりの人間にそこまで感情移入できないのとで、はぁそうですか以上のことは感じなかった。冷たい、のではなく温かくない態度だというのは自覚している。


 数時間前にあったばかりで大した関係でもないのに必要以上に他者に感情移入をする、温かいというより温いあるじは困ったように眉を寄せている。



「迷惑って………本人に言ったことあるの?」

「ううん、言ってない」

「それはリオカ………さん、が悲しむから言っちゃダメだよ」

「でも、リオカも言ってくれないの」

「何を?」

「苦しいとか、辛いとか」

 何も言ってくれない、と彼女は続けた。



 闘病生活において辛いのはわずらった本人だけではなく支える周囲の人間もである。金銭的なことだけではなく、患者を気遣い世話するというのはとてつもない労力を肉体と精神に要求する。あるじより5、6くらいしか上でない青年が、楽々こなせるような役目どころではないはずだ。

 と、普段あるじの介護をしている猫が言ってみる。



「ふぅん…………じゃあ聞いてみれば?」

 それが出来ないから悩んでいるというのに、なんでもないようにあるじは言った。

「聞いて――――そして言ってみれば?」

「言う?」

「そ。人間、言葉に出さないと伝わらないことってあるもんだよ」



 人間とは不便なものである。言葉などという祖語のあるものでしか会話が出来ないなんて。動物同士ならば言語なんてなくとも、ある程度の意志疎通は出来る。

 猫であろうと、犬であろうと。

 鳥であろうと。

 狼であろうと。

 竜であろうと。

 虫とは出来ないけど。

 ウィットにとんだ会話をするには私くらい賢くないと出来ないが。


 例外的ながらも人間とも意思伝達でき、特にあるじと私は目と目どころか雰囲気で以心伝心が出来る。

だから私がこうして信頼をもって見上げるとあるじは返事の代わりにほほ笑んでくれた。そして「腹減ったのか」と差し出してきたツクシを猫パンチで払いのけた。気持ちは微塵も伝わってなかったよチクショウ。



「まあ、人間は『大丈夫?』って、ねぎらわれるだけでもずいぶん救われるもんだよ」

「そう………かな」


 一人前に人の機微を語るあるじだが、少女は納得したのか深くうなずいた。

 その時、まるで話が終わるのかを待っていたかのように扉が開いた。数時間前とは逆側、この部屋から診察部屋へ顔をのぞかせていた銀のように硬質な髪に浅黒い肌の青年―――リオカが、今度は診察部屋からこの部屋へ顔をのぞかせた。


「誰だ……………あー、さっきいた先生のお客さん、だっけ」

「ただ今、冒険者 兼 臨時助手 兼 留守番の在名です」

「そうか、先生が気を利かせてくれたのか」


 なにやら苦い顔をしてリオカ青年は、ここにいない白衣少女をにらむかのようにあるじから目線をそらした。とはいえ、白いベッドとカーテン以外に目につく物がない狭い部屋だ。泳いだ視線は自然と少女へそそがれることになる。膝の上で丸くなる私を青年は見つけた。


「猫…………………か?」

 なぜに疑問形。

 なーお、と鳴いてみるも私を見る視線に変化はない。ときめかれて抱きつかれてもそれはそれで嫌だが。


 珍しい物でも見るようなリオカ青年と、目をそらすのも負けだと思って見つめ返す私。微妙な空気に不思議そうなキシィとそんな空気を読まずぽけーとしているあるじ。

 空気を変えたのはまたもや扉の音だった。がちゃりと開いて白衣少女・セニスが顔をのぞかせた。


「ん、おお、リオカいたのか。てっきり夜まで帰って来ないと思ってた。わざわざ留守番まで置いた意味がなくなったね」

「………事前に一言ぐらい教えてく」

「おい、アリナ。ぼさってするな」

「………………」


 人の話を聞かないのはいつものことのようで、青年は微妙な顔をして口をつぐんだ。逆に呼ばれたあるじはまだのんびりと座っていた。

「留守番は終わりだ。ついてこいよ」

 どこに行くんだ? という疑問を投げかける暇もなく白衣少女は扉を閉めてしまった。しがない雇われ者のあるじとしては説明のない命令でも従う必要があり、げんなりした表情で立ち上がった。

 あるじ労働頑張ってくださいねー、と他人事気分でいたら再び扉が開いて白衣少女が顔を出した。

「早く来いよ、雑用一号二号」

 私もちゃっかり加えられていた。


 


 


 






 ベッドの上に横たわるのは一人の少年だった。

 このくらいの年頃だと顔のつくりや体系ではまださほど男女による差が出にくいため性別を判断しにくいのだが(猫である私はなおさら)、少年はそれどころではなかった。

 腕は細い―――猫の手ほどではないが少なくとも成長期の少年の手ではない。もっと老人のような皮がはりついただけの骨ばったものだ。頬もこけていて、まさしく病人といった風体だ。


「ミィズ…………ミィズ…………」


 ベッドの脇にひざまずいてすすり泣く母親らしき女性とその肩を抱く父親らしき男性、兄妹らしき少年と少女の泣き声をぼんやりと聞いている私とあるじ。悲壮感がひしひしと伝わってくるが、さすがに訪問したばっかのご家庭で涙をするのは難しい。


 雑用一号と猫二号は白衣少女に連れられて葬式のように暗い、何の変哲もない一軒家を訪問していた。無論、電気など便利なモノはこの世界に存在せず電灯などの明かりがないため洋燈〈ランプ〉の火が部屋を照らしているのだが、日が沈んだ今となっては本を読むのに苦労しそうな明るさである。

 もっとも、部屋が暗いのはそれだけではないのだが。



「セニスせんせー…………これはいったいどういう状況?」

 ぼそぼそとベッド上の少年が周囲の家族と会話している蚊帳の外、部屋の扉にもたれかかりながら立っていたあるじは傍らの白衣少女に小声でたずねた。

「なんか、こう……………部外者立ち入り禁止な気配がむんむんとするんですけど」



 葬式のよう――――と表現するにははばかられる。あまりにもベッドの少年が衰弱していて真実味があるのだ。こんな空気が立ち込める場所に連れて来られたら、誰でも説明を求めるだろう。位置がずれた丸眼鏡を直しながら、白衣少女は簡単に答えた。



「あの子はこれから死ぬんだ」

 簡単すぎた。

「え…………あんたが殺すの?」

「馬鹿を言うな、俺は医者だ。んなことするわけがないだろ。どうしたらそんな物騒な発想が出来るんだ。常識というものがないのかそれとも配慮というものがないのか?」 

「…………ご、ごめんなさい」

「ああすまない、配慮だなんて難しい言葉を使ってしまったな。君の頭じゃ理解できなかっただろう」

「謝ったのに罵倒が続くなんてどう対処すればいいの!?」


 どうやら彼女は罵倒でも人の話を聞かないらしい。両手に顔をうずめて泣くフリをするあるじを横目で見て、気が抜けたのか溜息をついた。


「はぁ………………彼は『アルーフ』だ」

「無関心(aloof)?」

「『無熱病(アルーフ)』だ。知らないのか?」



 この世界では風邪並みにメジャーな病気なのか、またもや白衣少女の眼がすぼめられる。また気が抜けたのか溜息をついた。あるじが舌をちょっとだけ出して頭をこつんと叩いたからだ。男がやっても可愛いさが全く発生しないどころか殺意が発生する動作をやってのけた。

 しかし、気をそらしたという意味では成功だろう。普通の男ならば代償にいくつかたいせつなモノを失っていただろうが、失うプライドが既にないあるじは無敵だ。



無熱病(アルーフ)はな、文字通り熱〈エネルギー〉が無くなっていく現象だ」

「エネルギー? 体温が低下するってこと?」

「低下するのは体温じゃなくて【魔力】。病気、というより障害だな。生まれつき魔力を生成できない機能障害だ。魔力は日々生きているだけでも消費するからな。

 生まれた当時に母体から受け取っていた魔力だけで生きて―――それが尽きると死ぬ」

「魔力ってなくなると死ぬの……………!?」

 ぎょっとして声を上げたあるじが慌てて口を押さえる。だが部屋のぬしたちは舞台劇で観客を気にしない俳優のように、気にも留めず泣いていた。



 驚くのも無理はない気がする。多少なりともゲームの知識があれば理解してもらえるだろうが、魔法が出て来るゲームには大抵が体力(HP)と魔力(MP)に別れている。体力(HP)がゼロになると死亡したことになりゲームオーバーだが、マジックポイントの略である通りMPは魔法を使えば減るけどもゼロになっても魔法が使えなくなるだけである。死にはしないのだ。

 だが彼女が言うにはMPがゼロになっても死ぬらしい。



「え、でも魔術つかうと魔力は消費するんじゃ…………」

「そうだ。魔術の本質は〈命を燃やす〉ことだからな。とはいえ魔術を使って死ぬことはほぼない。その前に気絶するからな………………というかおまえ魔術師なのに知らないのか? …………わかった聞かないからその表情はやめろ。次やったら引っこ抜くぞ。上も下も」

「下ってなに!?」

 出していた舌を引っ込めて小声で叫ぶなんて器用なことをしている場合じゃないですよ。どうせ大したもんじゃないんですから引っこ抜かれるくらいで取り乱さないでください。上も下も。

「だから下ってなに!?」

 それよりも彼女が気になることを言っていた事に気づいてください。



【魔力】は日々生きているだけでも消費する――――そしてそれが尽きると死ぬだって?



 初耳どころの話ではない。まるで歩き慣れた道で開いたマンホールに落ちたかのような驚愕と理不尽さだ。だって、それは【魔法】を使いすぎれば死ぬ、ということだ。そして私は何回も魔法を使っている――――――!

「気にする必要はないんじゃない?」


 ファミレスで散々飲み食いした後にサイフを忘れたことに気がついたあるじのように青ざめていると、あるじは他人事のように気楽に言いやがった。


「僕らもともと魔力とは無縁の世界で生きてきたんだから。魔力がなくなって死ぬってことはなくない?」

 そういうものでしょうか? 実は気付かなかっただけで向こうの世界にも【魔力】は存在していたけど、有効活用するための【魔法】が存在しなかっただけ………ということはないでしょうか?

「うーん、それもないんじゃない。だってそれって存在したとしても観測できないってことだろ。それって魂とか神様とか天国とか地獄とかと大して変わらないオカルトの範囲だよね」

 異世界に来て何を今さら。

「まあ、【魔力】が生命エネルギー? みたいなものだとしたら、【魔法】使って【魔力】減るのも走ったりしてスタミナ消耗するのと変わらないと思うけどね。魔法使ってさ、なんか疲れたとか体がだるくなったり頭痛がしたりした?」

 特にないですね。本当に頭の中で呪文を唱えるだけ――――です。頭痛はしてますけど、それは元いた世界の時からですね。

「偏頭痛持ちだったの、お前?」

 ええ、あるじの一挙一動を見てると、こう頭痛がよくするんですよ。

「なんでだろうな。事故か何かで失った記憶がよみがえろうとしているとかかね?」

 ……………また頭が痛くなってきました。

「能力覚醒フラグか!」



 頭が痛くなるといえば。

 魔法使う時に現れる【既知感】。珍しい料理を食べた時の思い出せないがどこか憶えがある舌触りのように、〈現実世界〉で生まれ育った私が知りえるはずもない〈幻想世界〉エドガルズの魔法をそんな風に感じたのだ。


 私はこれを【通訳機能】の延長線――――つまり異世界という見知らぬ土地なのに言葉が通じる、のと同じように【魔法】を【通訳】していると考えていた。

『地熱街』でとある魔術師の研究手帳を読む際にも【通訳機能】は働いて異世界文字をすらすら読むことが出来た。そのおまけで頭が割れんばかりの頭痛と頭の中を埋め尽くさんばかりの既知感もオマケでついてきた。



【通訳機能】と魔法。【既知感】と頭痛。そして命と魔力。

 この頭痛は関係………あるのか?



「……………話続けなくていいのかい?」

「ああ、ごめんね話の途中で」

 私達のこそこそ話に区切りがついたのを見計らって白衣少女が再び説明を始めた。

「検診をすれば日々どのくらい魔力が減るかわかるんだよ。それを体内に残った魔力量と計算すれば、何日もつかわかるわけだ」

「魔力って生きてるだけで消費する…………ということは生きてるだけで回復するの?」

「どこで精製するのはわかっていないけどな。心臓か、脳か、はたまた別のどこかか。消費する以上に回復するから人は生きていけるんだが、無熱病(アルーフ)にはそれがない」



 そろそろ一ヶ月にもなる異世界での生活は驚きと新鮮さ、時に血なまぐさいことがあった。それだけだった。

【魔法】があっても、無重力だとか悪魔が跋扈しているとか天使がいて致命傷を負っても死ねないとか、そんなとんでもない世界観念ではなく、死が連鎖していて機械が嫌われていたり人を傷つけることが推奨されていたり猫を見たら三味線を作れな世界観でもなかった。

 魔術や魔物といった【魔法】的なことを除けば豊かな自然に囲まれた辺境の土地と変わらないのである。何よりも言葉が通じたのが大きい。言葉を学ぶこともなく、選ばれし勇者に選ばれたりすることもなかった。

 異世界に来ても何も変わる必要がなかった。



「魔力とは命だ。魔術とは命を燃やしてこす炎だ。命の種火がなければ炎をおこすどころか暖をとる火さえもままならず凍死する」

 変わっていたのは、世界だった。

「魔力がなくなれば、人は死ぬんだよ」












「………………魔力がなくなれば死ぬ。死ぬやつは普通の人間だ、死なない奴は訓練された普通の人間だ。異世界はほんと現実だぜー」



 耳をすませるとりーんりんと名前も知らない虫の声が聞こえる。この中継街の周りは草原に囲まれているだけではなく、森が街を囲む赤壁を越えて食い込んでいる部分もある。この家もそんな森の近くなのだろう。

 日が落ちたとはいえ、まださほど遅い時間でもない。逆T字型の大通りから遠いとはいえ、耳をそばたてないと虫の声が聞き取れないくらいには喧騒が聞こえて来る。家の前の道は歩く人がいないこともないがまばらであった。


 私達がいるのはさきほどの家の扉の前。扉を守る番猫のように座っている私とロウソク立てを片手にたたずんでいるあるじ。

「番猫? 番犬のネコバージョンか?」

 あんな自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回るような間抜けと一緒にしないでください。

「じゃあ、番猫の番ってなんだよ」

 そんな番長の番に決まっているでしょう!

「猫番長は新しいなあ。学帽に学ラン来てるの想像するとちょっとなごむ。でもなんで番長が民家の門を守ってるんだよ。校門を守れよ」

 知らないんですか? 番長とは校門だけではなく世界中の門を守る天を貫き地を割る鉄壁の守護者のことですよ。

「とりあえずお前の中の番長がとんでもないことになってるのはわかった。もうそれ学校だけにおさまる器じゃないよね」



 ロウソクの火がゆらゆらとそよ風に揺れてあるじの顔の陰が右に左へと変わっていく。

「外に出てくれないかい」

 いつまでこの一家族の悲劇を見続ければいいんだと部屋の中で思い始めていたら白衣少女が前触れもなくそう指示をした。

「外に出て、というか何で僕はここに連れてこられたんだ?」

「『結界様』の外様役としてだよ」

「とざまやく…………語感からしてお茶」

「簡単に言うと宗教……というより風習だな」「うん、せめて最後まで話は聞いて」「ここ百年ほどで新しく出来た宗教だ………って、何で結界様を知らないんだ」「えっとー、それは」「エドガルズ大陸は結界によっておおわれているだろ」「言い訳くらいは最後まで聞こうよ!」「だから死んだ人間の魂がこの大陸、現世に閉じ込められるのを嫌って儀式を行う。家を【結界】家の中を『大陸』、俺を『弔う身内』役、外にお前が出て『魂を連れ出す外様』役、ロウソクの火を『死者の魂』に見立てて〈魂を外へ連れ出す〉という儀式を行うんだ」

 そんなことを言われてロウソクを片手に追い出されたのだ。

「特に無熱病患者は自身で結界の外に出る力がないと考えられていて、この儀式は必須なんだ。身内役と外様役は魔術師にしか出来ないからお前が来てくれて助かった」

 とも言われた。



 まあ、あれだ。ようするに異世界風の葬儀だのだろう。その手伝いとしてあるじが呼ばれた訳だ。だからぼーっと突っ立っているように見えるがちゃんとあるじはお仕事中なのだ。

「まあ、あれだな。松茸はキノコの王様なんてもてはやされているから試しに食べてみたけど言われるほど美味しくなかった気分? 松茸味はダメだ、やっぱ一番はタマゴ味の振りかけだな」



 自然にあふれた異世界。電気や機械がなくとも文化は発達し衛生観念もしっかりしていて、むしろ元いた世界よりも排気ガスや地球温暖化や電気災害などない人に優しい世界。老後じゃなくとも永住してもよさげだと思っていた。


 だが、やはり産まれた世界とは全く別の世界だった。

 非現実的で夢の世界だと、どこかで考えていたフシが私にはあった。魔法なんて超常現象があるのだから、極端な話、カボチャは馬車になりネズミは馬に、人はみなみな幸せみたいなことを頭の隅ではあるが思っていたのかもしれない。


 だが、根本的には変わらないのだ。

 こうして外でたたずんで話をしても話題は避けている。家の外のあるじ、とその手のロウソクの火、『外様役』、魂を連れ出す者。ということはつまり、魂が連れて行かれるということ。


 この世界に来ていくらか人の死に触れたとはいえ、やはりそれをどこか〈特別〉だと感じていたのかもしれない。

 しかし病死という誰にでも訪れる、だが静かで劇的ではない、あまりにも当たり前の死に様に、雲の上を歩いていたかのような不安定感は完全に消え去った。


 天使や悪魔といった人類に害をなす存在もいて、魔力がなくなれば死ぬという法則もあり、何よりも見知らぬ病気があり、人は死ぬ。

 無理が通らない道理はちゃんと存在するのだ。

 ようするに、異世界もやはり現実である。



「再確認、ってのは大事だよ。地を這う虫は空飛ぶ鳥の幸せを知らない。だが空舞う鳥の苦しみも知らない、ってやつだね」

 しょせん他人に庭が青く見えるだけですね。番長もいないですし。

「だからお前の中の番長像は変だからな。………まあ、当たり前のことなんだけどねー。なんというか、ギャップかね。小動物がばりばり小鳥とか喰ってるのを目撃した感じ? 雑食だから当たり前なんだけどさー」

 ? 私はあるじの前で小鳥なんて食べたことないですよ。

「その代わり容赦なく高い肉とか食いまくってるけどな。あれにはホント幻滅した。気づくべきだった、猫がプリンに醤油かけるとウニの味がするって言ったのは嘘だという事に…………! ウニが至高の味とか言う割にお前は刺身ばっかり食べてたもんなあ! よくよく考えたらあれご飯のプリン和えじゃねーか! デザートでも出ないわそんなもん!」

 また古い情報を……………嘘じゃないですよ本当のことですよ。

「だいたいウニの味って何だよ、食ったことねーのにわかるわけないだろ…………それなのに『おお、これはウニの味だ!』と喜んでた僕は何なんだろうね…………」



 なんとなーく暗い雰囲気(まあ扉一枚向こうのことを考えれば当たり前なのだが、それとはまったく無関係な出来こと)でやるせなさを感じていた。



「おぉーーーー!!」



 暗い雰囲気と遅い時間には不釣り合いな、喜びが前面に押し出された無邪気な声が私の耳に届いた。

 たまに道を通り過ぎる人を焦点もあわせず何となしに眺めていたら、急にぼやけた視界に飛び込んできた者にピントがあった。

 とたとたと駆けよってきたその小さい者は片手をあげてあるじに挨拶をした。



「奇遇じゃ! のう!」



 そしてその傍らに立つもう一人の者も片手を上げた。



「よう、久方…………ほどでもないか。3日と4時間と12分31秒ぶりだな」



 水色の長い髪を何本にも束ね上は着物下はスカートな少女と、藍色のネクタイを締めたダークスーツに法被と下駄の青年。

 水路がはりめぐる大聖都で出会った和洋上等でこぼこコンビだった。





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