《第三章 仕えし者が従えし者へ捧ぐバッラーデ》
月が出ている。
下弦の月、三日月。
至極当然だが、この世界には月が三つある。
一番高い軌道を回り一際に白い光を放つ『クォルクォイクの氷』。
鉱石や大気の関係でほんのり赤く見える『カルササナの火』
そして今は夜空に見えないが、小さいため他の星と見間違えてしまう『テルネの雫』
『すれ違い』と呼ばれる三つの月は軌道がかぶさることなく比較的近い範囲を周回するが、三つ同じ夜空にそろうことはない。
人々はそれを悲しい戯曲として歌うが、詩人にして魔術師にして商売人であるピルチー・メルトファクトに言わせれば『氷と火は恋中で、雫はその恋文である。文を読むことで逢わない時間は実を熟し、再開した時をさらに甘く酔わせるのだ』といろいろな解釈があるが当の月達からしてみれば、いい迷惑かもしれない。
二つの月光を浴びて己も何か一節ぐらい考えるべきかもしれないが、そんな気を回すくらいなら目の前の少女に向けたい。
「ん………ふぅ…………あっ」
苦しそうにベッドの上であえぐ少女を己は組み敷いている。長身の男である己が、覆いかぶされば姿がすっぽり隠れてしまう小柄な少女を、組み敷くなど悪夢以外に何物でもない光景。
苦しく、痛く、何より気持ち悪いだろう。
彼女の顔が水にぬれた。
泣いているのか?
「なかないで」
彼女が手を伸ばして自分に覆いかぶさる男の頬に触れた。その指を伝って、水が流れていく。泣いていたのは己か。
「あなたのせいじゃないわ」
違う。
己が無力だからだ。
言葉にはせず唇をかみしめて己は体を動かす。その調子に合わせて少女は目をつぶり吐息を漏らしはじめた。
己の心を占めるのは女を組み敷いていることの征服感や性欲ではなく、ただ一つの憎しみ。
【召還魔法】よ。
〝The Sun〟と〝The Moon〟と呼ばれる大昔の魔術師によってつくられた己が最も嫌悪する魔術よ。この世にいる人間のただ一人もその仕組みを意味を本質を知らない、人の身に余りし力よ。
かの魔術師にして高潔なる騎士として『最高実在魔術騎士団』の初代最高統括騎士を務めたパライソ・ゾーネン・イコールラウンドは、歴代最強と呼ばれる騎士団を率いて天使と悪魔の軍団と戦ったという。
その魔術師にして【召還魔法】は【禁術】に指定された。
禁術指定された魔術の関連文献は全て騎士団の本拠地もある『アレスタクト大聖都』の『秘匿図書』に回収・保管・管理される。そして研究についても禁止されていて発見され次第、厳罰を処され従わなければ犯罪者扱いとなる。
誰も不思議に思わない。
召還魔法という、たかだか遠くの土地に住む魔物を手元に呼び寄せる魔法が、幼等魔術師でさえも発動だけなら出来る簡単な魔術が、【禁術】なんて物騒な扱いを受けているのか誰も疑問に思わない。
かつては栄華を誇った『砂水国』ルィミエを100年も前から停止させている【死眠街】。
他者の魔力を強制的に奪い、生命の危機におとしいれる無差別魔術【栄枯盛衰】。
たった十年前【廃鉱術師】ザナドゥ・トレインが巻き起こした事件の核、人間を別の形に変えてしまう【新羅の拠り床】。
どれもこれも禁じられるのに疑問が入り込む余地すらない、悪劣な人の身には余る【魔術】だ。
そこに無差別で魔物を呼ぶだけの【召還魔法】が含まれるのは、屈強な肉食獣の集団に小さな草食獣が混ざっているような場違いさがある。
たしかに、手に負えないような魔物を街中で召還してしまえば簡単にテロリズムを起こせるが、魔物側には拒否権なるものが存在するらしく、気性の荒い魔物はそもそも召還自体されないので、本当に気性の穏やかな魔物に手を貸してもらう程度の力しかないのだ。
「むっ………なにかんがえてる」
腕の中の少女が不思議そうに、どこか咎めるような目をしながら手を伸ばしてきた。たしかにこんな時に考えることではない。
「わたしをみて」
己はその手を握り、少女を組み敷きながらその甲に忠義をささげる騎士のように口付けをする。
ように、ではない。己はこの少女のためなら死すらをも、いとわない。
二つの月が不気味に見下ろしている夜空を見ながら、私は誓う。
彼女が生きる為に死に、彼女が死ぬ為に生きよう、と。彼女を守る、と決意を新たにする。
「もういいよ」
たとえ彼女の意に反する事だとしても。
「わたしを――――――ころして」
『ネコが勇者の異世界召還論』
《第三章 仕えし者が従えし者へ捧ぐバッラーデ》
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