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Lv27―VS繋がらない者


「――――――【私の涙で(Kyrie)渇きをいやして(eleison)】」

 


 少女の澄んだ声に、続いたのは濁った音。

 じゅるりっ、と湿った音と共にソレは彼女の両腕を食い破って現れた。白銀の棘のようなものが幾十も腕から突き出てきたのだ。彼女の腕が木の幹で鉄色の棘が葉のない枝のようだ。

 しかし棘にこびりついた赤色の血が彼女の腕が幹ではないと示している。

 幹は生きていても、枝まで生きているとは限らない。棘は金属的な、もっといえば白銀〈プラチナ〉のような輝きを持つ、明らかに人体の一部ではない、異形。

 それは雪山で見たいまだ記憶に新しい――――――天使の【翼】。


 私の頭が再び、だが手帳を読むときと違い本当に知っている既視感で埋め尽くされた、


 


 

 それは翼ではない。

 翼とは風を受けて空を舞うための器官。

 それは風を受けて宙に舞い上がらず、遠い世界から力を受けるためのアンテナ。

 その者だけが持つ世界にただ一つの【翼】の銘は【繋がらない者】。


 


 

 それは紛れもない天使の【翼】。つまり―――――――――


「アリアは天使だった、か」


 どこかかすれたあるじの言葉に、アリアは両腕から滴り裸足をぬらす血を隠そうともせず、向き直る。背中からではなく両腕から生えたそれは、翼なんて優雅な物には見えず虜囚の枷のように見えた。




 天使。

 異世界【天国】の住人。

 人間が住むエドガルズ大陸に侵略してきた異世界の敵。

 100年も前から発動されている【エドガルズ結界】によって侵略を止められて冷戦状態になっていた架空規模の存在。



 それが―――――――アリアだった。

 記憶喪失少女は記憶を取り戻し――――――血染めの翼をその腕に取り戻した。



 異世界の人間(あるじ)が【召還】されたのだ、同じ異世界だが認知されている【天国】から【天使】が召還されるのも、有り得ないという程ではないだろう。手帳にはハルヒニがなにやら召還魔法に細工をしたようなことが書かれていた。それが予想外・機能外の方向に歪んで暴走作動してもおかしくはない。なんては冷静に考えられなかった。




 もう状況についていけなくて頭がこんがらがるどころか真っ白になったが、一つだけ引っ掛かっていたことが腑に落ちた。

 なるほど、雪山の時と同じだ。あの柵を、並大抵の魔術師では壊せない街を囲う檻を外側からとはいえどうやって壊したのかと思ったら、そういうことだったのだ。魔術師には壊せないなら、それ以上の存在を。人間に壊せないのなら、人外を。




 一連の流れとしてはこうなのだろう。

 ハルヒニが少女達を誘拐。

 何者かが街長を殺害。その隙にハルヒニは少女達を連れて森の花園へ。

 花園で【召還】を行うも、失敗し、【天使】アリアが召還される。

 そしてアリアは一人で街まで来て柵を壊して中に入る。


 そこであるじと出会った。


「だから、なに?」

 どうでもいい、と。そんな第三者(カミサマ)視点の話なんて知る意味もないとあるじは両断する。身近だった少女が人外だったことなど、どうでもいいと変わらぬ態度で話しかける。

「【翼】なんてだして、なにそれ自慢? そんならこっちも見せてやれ猫、お前に隠された力を!」

 ふっ、仕方がないですね。

 私はあるじに拾われて抱きかかえられながら、今まで封印していた力を解き放つ! 肉球の中に収納されていた爪をにゅっと出した。

「……………」

「………………………」

 ………………………。

 しらける場。

「猫、こんな時にふざけるなよ」

 ええー!?

 放り投げられて冷たい言葉を浴びせられるという非道に驚くしかない。

「そんなもの見せられても、残念ながら僕にはアリアや猫みたいに隠してる機能はないから驚くような事は出来ないよ。才能なんて隠れてるどころかヒキコモってるからな!」

 だから。

「帰ろう」

 おちゃらけていても、目は相変わらず真剣で、変わらない言葉を投げかける。少女が返したのは答えではなく全く関係のないことだった。

「【神術】…………知ってる?」



【神術】

 天使が使う【魔法】のことである。前に会ったムツゴロウさんもびっくりな天使は、人や悪魔が使う魔法の中でも一番強いと言っていた。



「数値代入………直通回路………占有主権………。つまり、天使は、翼を伝って、神から、【神力】、受け取る。その神力、【神文字】に、伝えて、媒介にして、魔法、使う」

 たどたどしくも【神術】とやらの解説をなぜか始めるアリアを止めず、あるじは合いの手を入れる。

「……………前に一度だけ聞いたことあるよ」

「遠い世界、から、力を受け取る。だから、天使は、遠く離れた、【神文字】、にも遠隔で、神力、送れる」

「それで、ユニの部屋の窓ガラスを割ったんだよな」

「…………うん。それで、私の、神文字、【*】………簡単に言うと、繋がりを裁つ、力」

 ぽた、ぽた、と話しながらも床に血がたれていく。一滴、二滴と微量だが、それでも血を流し続ける状況はよくないだろう。




 だが、私は少女の体調の心配とは別にとある疑問があった。

 前に会った、初めての天使。彼は背中からだったが、いやアリアの方が珍しいのかもしれないが、【翼】を生やした。背中の皮を突き破り、肉と血を撒き散らして、骨とは似ても似つかない無機物な翼を生やした。だが、あんなに赤い血を流し続けていただろうか?




 アリアの足元には血の一滴一滴が同じ場所に落ちず幾つもの赤い丸印をつけていた。完全な丸ではなく、外円が歪んでいる。地面についたひょうしに跳ねたのだ。●というよりは*に近くて、印というよりは―――――――文字のようだ。



 アリアが両手を振った。上には左手を、背後には右手を払った。血が滴る両腕を振り回した。無論、出血したてで固まっていない血は慣性に引っ張られて飛び散った。ドーム状の壁、天井のガラスに、絵の具がついた絵筆を画板に叩きつけて描く前衛芸術家のように塗りたくった。


 飛び散った血が、月の光とは違う光を放ち―――――――砂になった。


 そうではない、血が付着した壁が砂になったのだ。血が付着した壁の部分に穴があいて外が見えた。その数を×20くらいしたのが現在の部屋の惨状である。

 ピシッ、ピシシッ、と嫌な前奏の後にガラララッと本奏が鳴り響き、あっという間に天文台は(故)を付けられてしまうような様にあり果てた。鉄筋なんて技術がないから、一個所が瓦解すると脆いのだろう。ドーム状の屋根は瓦礫と共に崩れさってしまった。



 残ったのは床のあちらこちらに落ちている屋根の残骸。落ちてきたそれを私は避けに避けたが、二人は全く位置が動いておらず瓦礫など意にも解していない。

 血痕という【神文字】を介して【神術】を発動した天使は、背後の背丈より上ぐらいまでしか残っていない壁に後頭部をつけた。

「その【力】、弱めて、頭に向ければ、記憶同士の〈繋がりを裁〉てば、記憶喪失、のように、なる」



 繋がりを裁つ。

 分子同士の結合を断つ、ということか。物は小さい粒の分子同士のつながりによって型作られている。その分子の結合を立てば、分子はばらけて型を保てなくなる。

 物体に向ければ、砂のようにバラバラになる。

 頭に、脳に使えば、記憶の連結をも切る、つまり記憶を思い出せなくなる。

 生き物に使えば、細胞単位でバラバラになってまるで溶けたように崩れる。


 それが意味する所は―――――〈魔物狩り〉はアリアだった、ということ。

 私達が来る一日前にあの森に【召還】されてその魔法を使ったのなら、一日後、森中の動物達が逃げだして道をふさいだのも計算が合う。

 そして、もう一つ。彼女は出会った時、血塗れだった。

 魔物たちと同じようになっていた、6人の少女を殺したのも――――――――



「アリ―――――!?」

 声をかけようとあるじが一歩、動いた。合わせるようにして、アリアの右手も空中の蚊を払うように振るわれる。血はまだ流れ出していて、飛び散るのは明白だ。屋根がなくなったとはいえ月光しかない闇夜を飛んでくる視認できない何かを、あるじは首を曲げてかわした。

 うっすら背後が光ったと思い振り返ると、ドーム状の壁が崩れて階段をふさげてしまった。

「………………」

 背後を尻目で見ることすらせず前を向いていたあるじの髪がはらり、と一房こぼれ落ちる。かわしきれなかったのだ。いや、ギリギリかわせたのだ。もし肌にでも付けば、今まで見てきたのと同じ末路をたどっていたことだろう。冗談抜きで、死ぬ。

 アリアは致死性の攻撃を向けたのにもかかわらず無表情だった。

「……………どうして?」

「………………………」

 その攻撃を向けられたあるじも無表情で、短すぎて意図が読めない言葉に同じく短すぎる疑問を返す。

「………………………今のは何で?」

「私、【天使】で、ありな、『召還者』……………だから」




 災厄を呼ぶ存在。

 天使の敵。

 憎まし気に言われた、断末魔。

 異世界から来た事を、名乗ってもないのに前は天使に見抜かれた。天使なら、敵として何かを感じるのだろうか。恐怖や、憎悪を。




「だから――――――って!」

 今度は首を曲げながった。体を投げ出すようにして右手に転がる。ぴしゃ、と今までいた床を血が染めた。

 そして、音なく床がなくなった。目を向けるまでもなく、文字通りの第二波があるじを襲い、また転がる。



 あるじっ!

 明確な交戦の合図に私は声を上げる。もうこれは観客を決め込んでいるわけにはいかない。【翼】を見たせいでの頭痛をこらえながら、大きな瓦礫の上に飛び乗り私は魔法を発動させようとする。



「ネコは後方支援〈バックアップ〉!」

 飛来する水滴なんて昼でも視認が難しい物を、体を、足を、フルに動かして避けて避けて避けるあるじがそう叫んだ。



 後方支援〈バックアップ〉。

 要するに、黙って見ていろ。

 この期に及んで、あるじはまだ戦う意思はないようだ。そもそも戦いになるようなものではない。

 こちらは銃鞘〈ホルスター〉に収まった双剣だけだというのに、向こうは生きている限りではあるがほぼ無尽蔵。しかも相手に一滴でも付着させられれば体が溶ける、というより組織単位で崩壊させられる死の水である。避けるだけで手いっぱいだというのに、私を、【魔法】を使わないなんてどういうつもりだ。



 もし、ここが舞台なら見蕩れる観客が少なくないだろう躍りで、最小限の動きながらも手を振って無理に重心を移動させることまでして赤いしずくを避けるあるじは、まだ変わらない口調で話しかける。

「どうしてハルヒニを殺した!?」

 さすがに音量にまで気を遣う余裕はなく声は荒い。対して、腕をふるって流れる血を飛ばすだけのアリアは相変わらず無表情だ。

「……………ありなは、感じない?」

 右手だけをあるじに向けて、空いた左手で浴衣の上から腹部をさすった。

「……………この【召還術者】と繋がってる、気持ち悪いの」

 ―――――――この『世界』に縛りつけられている、見も知らぬ誰かと結ばれている感触。

 それをたどって【召還術者】を、ハルヒニを見つけて殺した、とアリアは言った。



 召還術者は召還魔法を使った魔術師のことだろう。つながっている、というのはわからない。私とあるじを召還したのはユニであるが、つながっているなんて感覚はついぞおぼえにない。私にとっての【既知感】みたいなものか?



「……………だから、殺せば、帰れるかも、って」

 繋がれているから、縛られているから。鎖を切れば、離れられると思った。

「……………あんな、帰りたくもない、場所に、帰れるかも、って」


 心中を語る間も、両腕からしたたる血を撒く。床に転がっている内、小さくて手の内に収められそうな石に向かって手を伸ばして、叫んだ。


「アクシオ! 瓦礫よ、来い!」

 ――――――【アクシオ】

 私はその合図とともに【魔法】を発動する。




 それはこの世界の産まれではない、大英帝国発の魔法学園が中心の物語に出て来る、物を手元に引き寄せる魔法だ。何百メートルどころかキロ単位も離れた場所から指定した物体を、宙を飛ぶほどの速さで引き寄せる。




 私の力で空想の魔法が現実となる。

 だが、現実ではぼてぼてと地面を転って何とか足元に呼び寄せる有様だ。しかも、それはあるじの足元にではない、私の足元だ。【魔法】を使ったのは私で〈引き寄せる〉魔法なのだから私の元に来るのは当然と言える。

 しょうがないので私は瓦礫から飛び降りてその石を後ろ足で蹴り上げた。地面をすくうようにしてそれを受け取ったあるじはそのままアンダースローで石をアリアに向かって放り投げる。

 飛来する石は、あるじに付着するコースを進んでいた血を身に受ける。血に触れても石は止まらないが、塗られた血が光ったと感じるより早く砂になって地面にまかれた。



 さすがに避け続けるのがきつくなってきたのか口早にあるじはわめく。

「ああ、もう! 言葉なんて選んでられるか! じゃあ、森の魔物は何で殺した!」

「……………怖くて、襲いかかってきて、殺した」

「ああ、そうだよな! 【召還】は強制だもんな、僕もそうだった! 急に森の中にほっぽり出されて周りが怖い動物だらけだったら攻撃しちゃうよな!」



 ユニ兄に追いかけられて見つけた花畑と召還魔法の【魔法陣】があった花園。多量の動物達の死が積み重なっていた。

 襲いかかってきたのは肉食獣だったのだろう。森の中にいる爪も牙も持たないという生き物は格好の獲物に見えたのだろう。

 だが、それは翼を持っていた。返り討ちにした。普通、あんな様になったら野生の動物は退く。だがあの森の魔物たちは一斉移住できるほど連携している。仇射ち、ではないだろうがあまりにも危険な生物が森の中に入り込んだのを察知して排除しようとしたのだろう。だが魔物ごときの牙では天使の翼には届かない。


 それが、〈魔物狩り〉が生まれた経緯だろう。

 魔物たちには悪いがそんなもの弱肉強食だ。運が悪い、で済む。ハルヒニに至っては自業自得以外の何物でもない。異世界に無理矢理連れてこられれば、馬鹿なあるじでもない限り恨み骨髄は当然である。


 でも、確実に、死ななくてもいい少女達がいた。



「じゃあ、花園の少女達は、どうして!」

「……………!」



 魔法陣の線の上で眠るように倒れていた少女達。あれはハルヒニ流の召還に必要なことだったのだろう。

 年頃の少女達だ、いきなり襲うなんてしなかっただろう。もしかすると眠っていて意識がなかったかもしれない。

 だが、彼女達も魔物たちと同じく【神術】によって死んでいた。



 両腕から血を流すこの天使は被害者なのだろう。無理矢理、見知らぬ土地に【召還】されて、魔物に襲われた。

 だが、彼女は被害者であるのと同じくらい加害者なのだ。

 同じように意識を奪われ連れてこられた少女達も被害者なのだ。



「どうして、殺した!」

 それに返ってきたのは、より激しい攻撃だった。






 

 

 

「どうして、殺した!」

 想像だが、なんとなしに当たりがついているアリアの弱点とでも言べき部分を暴こうと声を上げる。例えそれが正しいことだとしても卑しい行為だということに変わりない。墓荒らしもマスコミがいい例だ。だが、僕は性根までは腐っていないから人の痛みをつついて悦に浸るなんてことはない。というか浸ってる暇ない。


 首を傾ける、腰を落とす、右手を後ろに回す、右足をすり足で地面に円を描くように動かす、左足を下げる。2秒有るか無いかの間にそれだけしてようやく避けることが出来る。一回だけ。また次の赤い滴がかけられる。


 もう既に余裕がない。避けるだけでは限界だ。石や矢と違って、飛ぶ血液は途中ですぐに失速して下降する。それまでをも計算に入れて避けなくてはいけないので、体よりも先に脳が休みが欲しいと訴えてきている。


 だが、それはアリアも同じ。

 一段と多くなった水滴と両手を振る回数。

 流れ続ける血液は弾薬であるとともに毒薬だ。体から血が抜けて呼吸が少しずつだが荒くなっているのがわかる。

 それ以上に、僕には痛い所をつかれて両手を振り回し暴れる子供にしか見えない。



「どうし……って! 僕の所に来た!」

 跳ねるようにして避けて着地する。着地した瞬間を見逃さず、血が飛んでくる。避けられない。そう確信して腰の銃鞘から鞘ごと剣を一振り抜いて、血を払った。

パチンと鞘の留め金を親指で外すと、鞘は置き去りにされるように剣から離れ、直後にバラバラになった。

「【召還】されたのもわかった! 【天使】なのもわかった! 僕が『召還者』ってのもそうだよ!」

 前髪が垂れてアリアの表情はわからない。だが、言葉がナイフのようにアリアをえぐっているのがわかる。揺らいでいるのがわかる。混乱しているのだ。

「だけど、それがどうした!」

「………………っ!?」

 ほんの少しの間、アリアの手が止まった。気づかないくらいの静止だったが、眼球を動かす余裕ぐらいならあり、目は見えなかったがアリアはうつむいて唇を噛んでいた。



 彼女の中では、今二つの記憶が揺れ動いているのだろう。

 全部、思い出した。あの花園、自分が召還された場所を見て思い出した。自分がしたこと、【天使】ということ、『召還者』ということ。

 だからといって、記憶をなくしていた頃のことを忘れるわけではない。

 温泉入ったこと、話したこと、鳥のヒナのように懐いたこと、四日とはいえほぼ24時間共に過ごしたこと。

【天使】と〈アリア〉のどちらを優先するべきか悩んでいるように見える。



 そう彼女自身、思いこんでいるのだろうが、僕にはそうは思えなかった。彼女は悩んでいるふりをしているだけだ。何故、わかるか? 答えは簡単、逃げることについて僕より右をいく者はいない。

 アリアは、逃げているのだ。



「―――――――っ!」

 思考にほんの瞬きの間だけ沈んでいただけで、視界中を赤い点が埋め尽くしていた。止まっていた足を半歩だけ進めてから、左手に隠しこんでいた石を投げる。すぐさま左手を戻し、銃鞘から剣を鞘ごと抜き、鞘で防ぐ。

 これで両手がふさがってしまった。双剣を捨てるわけにもいかず、もう石で防ぐという手は使えない。一難去ったというのに、また僕は射的ゲームの的に戻される。




 自分のミスで気付いたが悩んでいるのは僕もだ。

 僕はどうするべきか、悩んでいたのだ。アリアをどうするべきか、悩んでいた。

 説得する?

 言葉だけでどうにかできるとは思えない。

 力尽きるのを待つ?

 たしか【翼】から魔力を受けてMP常時全快なのにガス欠が起きるとは思えない。

 ならば力づくで止める?

 無理だ。散弾のような血をかいくぐって近づくのは難しい。難しいだけ。出来なくはない。手段とも言えない、手段がある。脳裏に浮かぶのは、懐かしい女性の声だ。




 

『怪我するのが嫌、怪我させるのも嫌。君ね、そんなんじゃいつまで経っても強くなれないよ?

 ………何、逃げるからいい? それでもいいけど、それだと守れる者も守れなくなるぞ。

 ………そんなに怖いのなら目をつむって闘ってみるか? 動いてから考えて、剣を振ってから考えて、倒してから考えて、死体にしてから考える。

 武芸の達人みたいに頭より体が先に動かすようにするんだ。相手のことも自分のことも考えず、ただ相手を殺すことだけを考える。

 ……………まあ、順序が逆になる分、大きな欠点があるが、仕方がない。君にこれを仕込んでやる。そうだな、《僕流・戦闘術》とでも名付けようか―――――――』




 

 子供に向かって殺すだなんて今思うとかなり物騒な師匠であるが、骨折どころか冗談抜きで死ぬような目にあってこれだけは何とか身についた、武術とも呼べないただの心構え。

 だが、それでいいのか悩む。アリアを助けてしまっていいのか、と。脳裏に浮かぶのは金髪の少年の泣き顔。



 考えがまとまらないまま血を避け続け、僕は呼びかける。

「帰ろう、アリア!」

「わ、たし、人殺しの、人なんて嫌いな、天使なのにっ………!」

 白いキレイな髪を振り乱して彼女は必死に僕の言葉を否定する。




 アリア――――僕が付けた本当の名前じゃない、仮の名前。

 でも、彼女は訂正をしようともせず、その名を受け入れている。本当に人がキライならば受け取らないはずなのに。



 半端だ。天使であるといいながら、天使に戻りきれていない。

 アリアは逃げているのだ。

 記憶が戻ったのなら、さっさと戻ればいいのに。

 簡単だ。

 天使だから一緒に帰れないのではない、嫌われるのが怖いから帰れないのだ。



 思い出したのは、キライだということではない。キラわれてしまう自分がいることだ。

 人間の敵である【天使】というだけではない。

 無理矢理【召還】された、見知らぬ場所。体に感じる異変。周りには、同種ではない、天使ではない、人間達。自分と違う体を持つ人。


 これだけ状況あれば、馬鹿でも何があったか想像がつく。アリアは元々、世間知らずで、箱入りのお嬢様だったのだろう。それだけではなく『召還者』を嫌う天使が、【召還】された。

 天使としての恐怖と、少女としての恐怖、一度に二つ恐怖に襲われたのだ。

 だから、恐怖のまま、【魔法】を使った。悪夢を見た子供が暴れるように、周りに自分が使える最大限の力をふりまいた。

 そして、その後の惨状に耐えきれなかったのだ。でなければ《記憶を失う》なんて魔法を自分には使いはしない。自分の犯した罪が、重くて耐えきれなくて、逃げたのだ。




「帰るぞ、アリア!!」

「無理だよぉっ!!」


 嫌われたくなくて、罪の重さに潰されそうで、壊れてしまいそうな少女。

 翼には見えない翼を持つ、どう見ても飛べない少女。

 月へ帰れないかぐや姫。

 彼女は、どこにも逃げられない。


「だって、あの子のお姉ちゃんを×したのも――――私なんだからぁっ!」

 少女の涙が目元からこぼれる。

 フラッシュバックのように脳裏に浮かぶのは一枚の光景。白い髪の少女とくすんだ金髪の少年。年上なのに妹のようで、年下のように兄のようだ。

 初めて聞く荒げた声による悲鳴に、彼女のひびわれそうな心を感じて、僕は目を閉じる。

「勇者なら――――――――化物は殺してよっ!!」

 ――――――――――――――――――――起きろ、僕。









 ――――――――――その瞬間、私は我に返った。

 私は今…………何を見ていた?

 そして――――――何を考えていた?

 聞こえていたのは聞き覚えのない、アリアとは違う大人の女性の声。それと、あるじの声。

 いや、そんなことを考えている場合ではない。状況が、大きく変わったのだ。



 あまりにも多くて雨のような血に私が思わず魔法を発動させようとした時、あるじの動きが変わった。

避けることが出来ないはずの血の量だった、だがあるじは壁を蹴った勢いで、滑り込むようにしてその下をくぐった。今までのどこか余裕があった動きとは違う、曲芸のような動き。

 そこまでしないと避けられない程、今の攻撃は危うかったのかと思ったが、違った。


 速い。

 あるじの動きが速くなったのだ。ぐん、と今までの動きは手を抜いていたかのように一歩で移動する幅が伸びる。速いなんてものではない、こんな身のこなしは獣のそれだ。馬鹿な話だが、あるじがそんな力を隠していたということか。


 違う、あるじは速くなってなどいない。速さは変わらず、むしろ先程より動きが減った。

 そう、減ったのだ。動作が減って、動きが直線的になったのだ。

 今まで首を動かして手を動かしてと踊るように避けていたのに、走る・止まる・跳ねるくらいしかしなくなったのだ。人間の技巧をこらした動きから、獣の本能のままの動きに。



 両手に握った双剣は獣の双牙のようで、左右に避けるだった体が少しずつだが近づいていく。

 本当に、獲物に噛みつくことしか考えていないケダモノのように見えた。

 力を隠していたのでも、本気になったのでもない。

 ――――――――――殺す気になったのだ。

 



「……………ッ!?」

 あまりの動きの変貌とその動きに恐怖を覚えたアリアがとっさに両手を振るう。量は先程の雨の倍。もはや豪雨だ。多少、動いた程度ではしずくを交わすことが出来ない圧倒的な奔流だった。



 避けられない。違う、避けなかった。

 双剣を握って手が使えないあるじは足元の瓦礫を蹴りあげた。今まで投げた石よりかは大きいが、堤防にするにはあまりにも小さかった。


 その目論見は外れた。もとより、それを防御に使うつもりなどなかった。蹴りあげた左脚をそのまま振りぬいたのだ。体を思いっきりひねって繰り出した後ろ回し蹴りが、宙に浮かぶ瓦礫にぶつかりパァンと破片となって飛び散った。


 安全靴のカカトの部分でもろに砕かれた瓦礫の破片は、散弾のような勢いで雨とぶつかる。破片にならなかった部分はもうもうと砂を立ちこめて、窓際のカーテンのように雨雫を防ぐ。



「………………!」



 即興のカーテンに驚くひまもなく、砂塵の中から獣が飛び出した。

 もはや無意識の手加減など忘れて恐怖から腕を振るう。先程の豪雨で大量に使ってしまい腕に付いた血液はほとんど残っていなかったが、新たに供給された一滴だけが降り注いだ。


 前のめりで獣が走るような体勢のあるじにはそれを避けるすべはなかった。急に現れた障害物に反応できるような体のつくりを獣はしていないのだ。

 だから、牙で噛みついた。

 右手だけを振りあげて、牙を立てるように下へ振り下ろした。



 シャ―――――――――――――――ッと一筋の剣閃がほとばしる。



 振り下ろされた一本の双剣は、液体を斬った。斬られた血はその刀身に付着することなく、二つに分かれて避けるように後ろへ流れていく。

 その血の間を通って、獣は獲物へたどり着いた。獣が獲物にすることは当然、噛み殺すこと。

 アリアは本能的に逃げようと後ろへ下がろうとする。

「…………っ」

 だが、今まで背後にあった壁が半壊しながらも後ろに下がることを許さない。

 何かを言う間もなく、アリアの目の前に、もう、たどり着かれていた。

「――――――――――」

 双牙が、首を狩る正義の柱〈ギロチン〉のように、左右同時に突き刺さった。





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