Lv25―専門家の手記
昼には共に紅茶を飲みながら話をした机に、ハルヒニは居眠りをしているかのようにもたれかかっていた。
椅子は机に対して直角で、体も机の方ではなくこちらの方を向いている。椅子から立ち上がろうとしてバランスを崩して机にもたれかかったらこんな体勢になるのではないだろうか。
だが、椅子の足元に赤黒い血溜りが出来ているのが、彼が体勢を直すことはないと物語っている。
それ以上に左腕が、彼がこと切れていることを明確に視覚情報として訴えてきている。
出来の悪い人形のように肩の付け根から丸ごと左腕は抜け落ちていた。だが、それにしては落ちている左腕が短い。ハルヒニの左肩は付け根もなくなっており、脇から肩まで体の線が直線になってしまっている。それに対し、本体から離れた左腕に付け根の部分はなく肘から少し上までしか残っていない。
多分だが、付け根だったと思われる部分はある。血溜の中でぐずぐずになった塊があるのだ。想起させるのは森の中で見た動物達の遺体。まるで溶けたアイスのように体の部位が崩れていた、それと同じだろうか。ハルヒニの左腕の付け根が溶けて、左腕が落ちたのだろう。
こんな惨状だったため血溜りは、もう止まっている左肩の断面から流れ出たものだと思っていたが、違った。こちらに向いているハルヒニの胸に、えぐられたような穴が開いていたのだ。
真っ平らなアイスクリームをスプーンで掬ったような痕だ。平面だったアイスの表面はえぐられて無残な事になっている。そこから血が流れて、下半身は靴に至るまで真っ赤に染まっている。ここも、溶けたのだろうか。
否、溶かされたのだろう。
「何で、死んでんの、この人……………」
呆然と部屋の中の死体を見てのあるじの第一声だ。
呆然とするのはあるじだけでなく私もで、やっぱり同じことを思った。
失踪事件の犯人筆頭だったこの男の研究所に来たら、ユニ姫をさらって探偵漫画の犯人のように不敵な笑みを浮かべていたり、限りなく低い可能性だが不審な行動はすべて誤解だった、という場面も一応だが想定していた。
だが、死んでいることなど想定していなかった。
そもそも一体誰が、彼を殺したのだろうか?
失踪事件の犯人も被害者も全部あらかた見当がついていたはずで、これ以上役者が入りこむ隙はないはずなのに、ハルヒニは突然の退場をはたした。まだ私達が知らない配役が潜んでいるのだろうか。
あるじは安全靴が濡れるのも構わず血溜りに近づき、ハルヒニの首筋に手を当てた。
こんな普通じゃない死因のモノに気軽に触るなんてどうかしている、と普通なら判断するだろうがそこら辺は合理的な考え方をあるじはしているのだ。
死体は人を殺さないが、人は人を殺す。死んでしまえば、生きていないのだ。
自分がこうなるかもしれないという恐怖感と、自分と似た形をした生物が損壊しているという嫌悪感にさえ目をつぶれば、遺体は多くの情報を持つパンドラの箱となる。
こんな考え方を合理的と考えるか非人道的と考えるか動物的と考えるかは意見が分かれるだろうが、善し悪しで語れるような物じゃないのは確かだ。ただ、あるじの場合そこに至るまでの経緯が豊富すぎて慣れてしまっているだけかもしれない。
「…………当然だけど、完全に死んでるね。血も乾いてないし、この具合だと死後十数分……ついさっきか。あー、もう!」
唯一の手掛かりをなくしたどころか、もはや事件の全体像すらつかめなくなったことに落胆よりも焦りを隠せない。
そもそもこの有様では、彼がユニをさらったことどころか、失踪事件に関与していていたことすらも怪しく思えてくる。
そんな終わってしまった事件よりも、ユニの居場所が全く見当つかなくなったのが問題だ。今までさえ犯人しか見当ついていなかったのにそれすらもなくなっては、どうしようもない。
手掛かりゼロ、伏線ゼロ、発信器その他の機能なし、選択肢の総当たりも不可、時間制限だけはアリ。この条件で密室から消えた少女を探すなんて困難を通り越して無謀である。
頭を抱えるしかない状況にあるじはいつものように悪態交じりに嘆くことはしない。その時間すらも惜しいと思い、頭を回転させているのだ。何か見落としはないか、どこかにヒントがあるのではないか、と足りない頭で何とかしようとあがいている。
だが、昨日まで小銭の計算以外で頭を使おうとしなかった人間が都合よく閃くわけがない。
聖剣を握った所で『勇者』になれないように、異世界に召還されただけでは勇者になれないように。一日では、月まで行けやしないのだ。
だが、月を観察する天文台ぐらいまでなら行けるだろう。
ハルヒニの遺体を見ながら考え込んでいたあるじが何かに気付いたのか手を伸ばした。
「ん、なんだこれ?」
机の上にあったものに興味を示したらしいが、私の位置からでは机の底面しか見えない。血に触れないように気をつけながら机へ飛び乗る。
ちょうどあるじが、ハルヒニの右手と頭で隠すようにして下敷きにされている何かをひっぱりだす所だった。下敷きにされていたのは青い革製の分厚い手帳だ。所々に付箋が挟まれていたり、革がかなりくたびれていたりと使いこまれていたのがわかる。
年季が入った他人の手帳だというのに、ためらう素振りを少しも見せずあるじはパラパラ手帳を開く。当たり前だがハルヒニは止めようとしなかった。
机の上から私もめくる手帳を覗き込むが、よくわからない簡易的な形の表音文字〈アルファベット〉が黒いインクで羅列しているのしかわからない。異世界文字だろう。
「駄目だ、読めない」
四ヶ国語の読み書きが出来るあるじでも異世界語は読むことは出来ない。話すのは召還魔法による自動通訳機能『お通さん』があるため異文化の土地でも言葉が通じたが、文字は翻訳されず未知の文字のままである。
「これしか手掛かりがないのに、文字が読めないから詰みってありかよ……………」
異世界だからなんてそんな一言では片づけられない、お前は他所者であると突きつけられるような事実。あるじは歯噛みするしかない。ここにきて現実を見たからだ。
この異世界〈エドガルズ〉は現実なのだ。魔法があっても、魔物がいても、人がいて、誘拐があって、殺人がある、誰も苦しまず憎まず争わないファンタジーな世界などではない。
ホームズのように超能力じみた推理も出来なければアインザックのような閃きもなければエジソンのような発汗もない、異世界に来ただけのタダの少年なのだ。どんな魔法を使える猫〈チカラ〉を持っていても、魔法では現実に勝てない。
だからこそ、私は自分に祈る。
指一本で人を笑わすことが出来る魔法使いがいた。魔法使いが指を振るだけで人々は心底楽しそうに笑った。周りの人間の笑顔に囲まれて魔法使いは幸せになった? 逆に魔法使いは笑わなくなった。魔法使いにとって他人の笑顔の価値が《指一本》分しかなくなったからだ。
それと同じだ。
自分の力ではない意味不明な力に頼って成し遂げたことにどれほどの価値がある? それが念願だとしたら、その価値を下げることにはならないか。指一本で解決するような些事〈ゲーム〉に用はない。
だから、祈るのは自分に。
使い古されて重りもないのについた開き癖で閉じない手帳を覗き込み、未だに意味がわからない文字の羅列に目を通す。これを読めるようになればいいだけの話である。
勝算はあるのだ。
【通訳機能】
異世界の言葉を、それを異世界のものと知らないまま勝手に日本語に翻訳される、召還魔法によって付随した能力。
知らないことを、知るということ。既知にするということ。
【魔法】を見たときにおこる魔法の内容の取得と覚える既知感。これは【通訳】と同じではないのだろうか。【魔法】を通訳しているとは、言えないだろうか。
食べ物や風を見ても何もない。異世界語と魔法だけには既視感を覚えるのは―――下二つが元々いた世界になかったからだ。
普通、いきなり魔法がある異世界に召還されれば、心臓に毛でも生えてない限り取り乱すか現実逃避する。だが、私達はあっさりと納得してしまった。大雑把な性格と価値観だからでもあるが、まるで違和感を埋め合わせるように既視感が発生していたから、既に知っていた事だからたいして驚かなかったのだ。
びっくり箱は知らないから驚くのであって、知っていたら反射神経を鍛えるくらいにしか役に立たない。
このお膳立てがどんな意味をするか、なんてどうでもいい。重要なのはこの文字も読めるはずということ。読めないとおかしい。この見知らぬ文字が、使いなれた母国語のように読めるはずなのだ。違和感を消すために、既知感があらわれるはずなのだ。
笑顔の魔法使いの間違いは、手段と結果を履き違えた事だ。人は笑うから幸せなのではない、幸せだから笑うのだ。魔法なんてものは手段であり、道具である。
だから、流れ星〈マホウ〉に願うな、自分〈ゲンジツ〉に祈れ。
現実に勝てるのは、現実だけなのだから―――――――――
――――――――――その瞬間、既知感が流れ込む。
世界がひっくりかえるような衝撃が起きた。無論、錯覚だ。私はいまだ机の上で、踏みにじるように手帳を肉球で開いている。
開かれた手帳の未知の文字で書かれた文面が、どんどん頭の中に流れ込んでくる。文字が読めるようになったのではない、この形の文はこういう意味をもつという、定型文〈センテンス〉を丸暗記したように文法を無視して意味だけがわかる。
読むには十分な結果だ。
だが、予想していなかったのは既知感による頭が割れるような痛み。それを超える既知感の嘔吐感。絶対に知らない文字でどこまでが単語でどんな意味を持っているのかわからないと目は訴えているのに、頭の中でその答えが用意されているのだ。不気味を通り越して、不信だ。自分を含めたすべてのものが嘘臭く、信じられなくなる。どこまでが自分の本当の記憶で、どこまでが植え付けられた知識なのか判然とせず私はどこまでが自分でどこまでが自分がわからなく―――――――――
「猫?」
――――――――なる前に、あるじの声で我に返った。あるじが机にあごをつけて私の目を覗き込んでいたのだ。その目を見ただけで、嘔吐感は引っ込みさっきまでの狂いそうなまでの既知感は消え失せてしまった。
現金なものだ。これではまるで、親が現れて泣きやむ迷子だった子供のようだ。結局、既知感よりもあるじの方が強かったわけである。
そんなことよりも、既視感の後遺症でくらくらする頭をなんとか制御しながら私は手帳を読み始める。既知感はなくなったがまだちゃんと読めるようで、達筆過ぎて文字と文字がくっついしまっている黒インクも理解できた。
『前置き
当研究書を読む人間が僕こと、ハルヒニ以外に存在するとは思えないが様式美的に前置きを書いておこうと思う。読むことで戒めとしての役割が果たせるなら、なおいい。
この手帳はとある目的のための研究手記である。研究といってもこの間、ようやく師事すべき魔術師に出会えただけで、目的を遂げるまで何年かかるだろうか。1年? 2年? それとも10年? 今はまだ14だが、残っている時間は多くない。
リアは生きている。僕の妹はまだ生きている。あの日、夜盗に襲われて僕だけ逃げてしまった。父は、母は、殺されたかもしれない。だが、まだ年若い子供のリアには価値がある。生かされている可能性が高い。だが時間が経つほど、その可能性は低くなる。
それまでに僕はエドガルズ全土を対象に出来る人探しの【魔法】を発明しなくてはならない。師は言った。そんな魔法は存在しない、と。僕の妹である以外に、手掛かりがない状況で一人の人間を探すのは無理である、と。その上、妹は殺されている可能性が高い、とも。
だが、僕は諦めない。諦められるわけがない。リアが死んでいたら徒労になるだけだが、もし生きていたら取り返しがつかない。
この人形を形見としないためにも、僕は【魔術師】になろう。
以下、研究内容は暗号で綴る。暗号は《二人の思い出の場所の配列循環》である』
読んでみたが、やはりこれはハルヒニの大事な手帳のようだ。他人の日記を読んでいるようで気が引けるが、ここに何か重要なことが記載されているかもしれないことを考えると読まない訳にはいかない。
私が手帳を読んでいることに気付いた、机にアゴをついたままあるじが不思議そうに見てきていたので、ざっと読めるようになったことだけを話して《前置き》の内容は簡潔に伝える。
読めるようになったことに驚くことなくあるじは視線を私から部屋の壁際に移す。
「…………人形はあれのことか」
棚に置いてある中で一つだけこの魔術師の中にふさわしくない、毛糸で編まれた鳥だか何かよくわからない生物のヌイグルミ。
「遺品って言ってたけど、厳密には違うみたいだな…………」
ただ単に詳しく話すまでもないと思ったのか、それとも消息を突き止めて本当に形見になってしまったのかはわからない。
しかし、そんなことを気にしている場合ではない。本が読めるようになっても、手掛かりはここに記されているかどうか確かではないのだ。
「そだね、続きを読もう。最後の暗号ってのは、第三者に機密を漏らさないための暗号処理のヒントの事だろうな。それで、暗号の所も読めるのか?」
肉球ではめくりづらいのであるじがページをめくると、そこには知らない文字で知っている文面が綴られていた。だが、内容は頭の中に入っている。文字を目にすると昔読んだ本の展開を思い出すように、文が浮かんでくる。
その様子だと、あるじはこの文面が読めないままですか?
「…………読めない。相変わらず僕にはミミズがダンスってるようにしか見えない」
どうやら私にしか【翻訳】はされないようだが、今は気にしている場合ではない。文を読もうとしたが、あるじが勝手にぺらぺらページをめくってしまう。
「長いから全部読んでる暇はないだろ。こういうのは後半の10ページ読めば十分読書感想文も書けるんだよ」
筆を頼りに飯を食べている人間からしたら噴飯ものの持論で、たどり着いたページは後半の数ページの内、一番文字が多いところだった。
『桃ノ月、四巡り目、一日
ついに、この日がやってきた。目的が果たせるこの時がやってきたのだ。 研究は万全であり、『地熱街』ウィルマに根を張って信頼を得て、必要な材料はすべて手元にある。私の人生の集大成といっても過言ではない。
不安もある。もし、自分の理論が間違っていたら。もし、リアが既に死んでいたら。
だが、書き始めた頃は新品だった手帳が汚くなっていくことで僕の12年間の努力を証明してくれている。
私は〈計画〉を始めようと思う。
忘れられない赤ノ月、一巡り目、一日というあの子と別離した日に備えて、私という【魔術師】の全てを使い果たしてでも、妹と再び会うために』
ここまで読み終えて顔を上げると、あるじは形容しがたい表情をしていた。
「〈計画〉…………ね。珍しくもない話だけど、会った時はそんなこと企んでいる風には見えなかったけどな」
うつむいて顔が見えない座ったままのハルヒニを見る。もし彼が6人もの少女を誘拐して殺した人間だとしたら、私達と出会った時にはすでに罪を犯していたことになるのだ。
だというのに平然と、普通にふるまっていたのは彼がそういう人間だからか、その程度では揺らがない悲壮とも言べき覚悟を持っていたのか。
「続き、読んで」
せかされて私はめくられて現れた新たな文章を読む。
『桃ノ月、四巡り目、六日
既に5人も拉致したことで、旅館街はともかく住宅街の方はすでに少女が拉致される噂が出回って少数ながらも役場の人間が警邏に当たっている。そのため昨日は一人しか、確保できなかった。
しかもミィーアを拉致するところをリィクに目撃された。外套にフードをかぶっていたから人相はわからなかっただろうが。
しかし、下手を打ってしまった。今までは噂だったが、拉致が事実であるとわかれば警邏する人間はこれ以上に増え、暗い中で歩く少女達もいなくなる。
予定ではあと二人の少女が必要で、その上その少女にも条件がある。無差別という訳にはいかない。問診や検診の時に採取したいくつかのデータに符合しなければ意味がないのだ。そして符合する少女はほとんどいない。
どうするべきか。それとも、最初から協力してもらえばよかったのではないだろうか? 実験を手伝ってくれと言えば、名乗り出てくれる人間もいるだろう。賃金も出せば、断られることもなかったのでは。
だが、今さらだ。そんな過ぎたことを気にするよりも今の事だ。ならば強行してでも後二人を集めるか。
だが時間がない。今日の日付が変わるまでにはシーパァ森のあの場所で、妹が好きだった今でも私が手入れをしている花園に、魔法で眠っている6人を連れていかねばならない。
そもそも、ただでさえ街門を通る手立てがないのだ。数日前なら顔見知りの警備兵に頼めばノーチェックで街の外へ行けただろうが、失踪事件から誘拐事件へ変わってしまえば警戒は強化されノーパスでは外へ出られない。ならば水鳴鳥を【召還】するか? だが、それもいい手とは言えない。【限定召還】は魔力使用量が大きい。その後の〈計画〉に使える魔力が減ってしまう。
打つ手は限られている。時間がないのだ。
ならば、予定人数より少ない6人で〈計画〉を実行してしまうか?
付箋(7°12′)の方法ならいけるかもしれないが、万全とは言い難い。12年間だ。わき目も振らずこの為だけに生きてきた。それが全て台無しになるかもしれない。だが、今日の日付を過ぎれば、次の機会は数年後になってしまう。そんなに待つことは出来ない。
どうするべきだろうか………教えてくれ、リア』
「………………………」
文字は所々ゆがみ書いている者の苦悩が伝わってくる。
12年間。
妹を探そうと人生を費やして努力してきたのが、手汗で変色した革と百何ページにも及ぶ膨大にかきこまれた枚数、そして使いこんでページの付け根よりも口の方が厚くなった手帳が伝えて来る。彼は生き別れた妹を探し続けてきた兄だったのだ。
手帳によるとやはりハルヒニが少女六人を誘拐したのは確かだろう。だが、予想していたのとは違っていた。一言で言うと、揺らいでいる。殺し屋のように仕事と割り切っているのでもなく詐欺師のようにあざ笑うでもない、少女六人を殺したとは思えないあまりにも人間らしい心の変化が映し出されていた。
犯した罪が許されるわけではないが、わかりやすい犯人役ではない悩む人間の姿があったのだ。
そのことにあるじは何も触れず、手帳の所々に挟まって上からはみ出している薄紙を指でさした。
「ここに書かれている付箋の所、読めるか?」
数あるうちの中から(7°12′)と書かれている薄紙が栞のように挟まっている箇所をあるじに開いてもらう。今までの雑な文字から一転、表音文字〈アルファベット〉が一個一個区切られたきれいな物で書かれている。
一番上には他の時より少し大きな字でこう書かれていた。
『人探しの魔法理論―――召還魔法による対象精査』
「召還魔法? 人探しには使えなかったんじゃ?」
読み上げた内容にあるじが疑問の声を上げる。私は言葉を交わすよりも読み上げることを優先した。
『まず、始めに【人探し】の魔法は存在する。
ある一定の範囲内に、ある一定以上の熱量・魔力量を持つ存在を探知すれば、それは人間であると判断できる。
だが、僕の求めている人探しの魔法は、《個人》を探すものである。有無を調べるものではない。つまり、僕の求める人探しの魔法は存在しない。だが落胆はしない。ないのならば創ればいい。
僕が望む人探しの魔法に求める性能とその魔法を想像するに必要な事項を書き出してみる。
一つ、対象となる人間の情報。
人相なんてものでは意味がなく、血液や魔力などのサンプルが必要である。これは血縁者である僕の血液で代用できる。
一つ、捜索範囲が広大でなければならない。
街一つ程度では、コップで海の水を汲むようなものだ。範囲はいっそエドガルズ大陸全土くらいでなければならない。
たった二つの条件。
だが、この二つがあまりにも大きい。
後者はエドガルズ大陸規模の魔法だなんてまず魔力が足りないとかの話で、前者は血液しかサンプルがないというありさまだ。
シンプルゆえに難しい。僕は人探しの魔法を作り上げることが出来るのだろうか。わからない。でも、僕が起きて活動している時間を全て費やせば一つくらいは思い浮かぶだろう。食べながら考え、歩きながら考え、学びながら考える。そのくらいしなければたどり着けない。
挫けそうになったら、リアが僕にくれた人形を見て思い返そう。今日はここまでにする。この後、空白が埋められることを未来の僕に期待して。
数年ぶりにこの空白を埋めることが出来た私の歓喜よりも、研究結果を私は書こう。
前述の人探しの魔法の二つの条件の一つ、〈大陸規模の範囲魔法〉に、心辺りがあった。このエドガルズ全土に効力を及ぼす魔法がたった二つだけあるのだ。
一つは異世界の敵・天使と悪魔の侵入を防ぐ【エドガルズ結界】
もう一つが【召還魔法】である。
召還魔法は少量の魔力で発動するが、その範囲は、北はエルミニ大山脈、東はカラナド砂漠、西は黒き静寂の森、南はジリダル湖畔と、エドガルズ全土である。呆れるほど広い。たかが弱い攻撃魔術一回分の魔力使用量でできる仕組みはわからないが、この魔法は使えるのではないだろうか。
もちろん、召還魔法単体では対象は無作為のため人探しには使用は出来ないが、解析することで人探しの魔法に使えるのではないだろうか。これからは召還魔法に絞って研究を進めていくことにする。
だが召還魔法は【禁術】である。もし研究しているのが知れ渡れば【師格】を剥奪されるだろう。そのことにためらいはないが、そのせいで文献が異常に少ない。そんなものを研究しきれるのかだけが不安である――――――――』
間の空白があるごとに、文字はより上手く洗練されていっている。空白は数秒ではなく数年もの時を挟んで書かれているからだろう。
専門書のようにところどころ素人には判断が難しい内容で、あるじが理解できているのか心配だったが、目で続けるように促してきたのである程度は理解できているのだろう。
『不思議に思ったのは、【召還魔法】は何故人を召還しないのか、ということについてだ。
距離的にも近く大量に生きている人間という動物が召還されないのは不自然である。人間が召還されたという話は童話に多く残っているが、具体的な話は全く伝わっていない。
だが、人間とは別に召還されない動物がいるのだ。
それは【古代種】と呼ばれる魔物たちだ。人間とは比べ物にならない魔力や寿命を持―――』
「結論だけ言え」
ずばっ、と誰もが思いつつも口に出せなかったことをあるじは言って紙をめくった。この手帳を書いたハルヒニからしたら涙目の行為である。しかし、時間がないのも事実なので最後の1ページだけを読むことにする。
『即ち、【召還魔法】は無作為なのではなく選別する条件が入力されていないのだ。
だから、溺れれば泳げる魔物、火事ならば水の魔法を使える魔物といった、危機状況に適した存在が召還されることがある。それはいかな理由かで条件を入力しているからだ。そして通常時では条件がないため本当に無作為〈ランダム〉で魔物が召ばれるのだ。
同じような理由で、人間が召ばれないのは魔物と違って人間はいろいろな事が出来るからだ。よく言えば器用貧乏。魔物たちのように生まれた時から特定の生き方や魔法に特化していないため選別されにくいのだ。
つまり【召還魔法】の解析は無理であるから、それに便乗するような魔法を二つ創ればいいのだ。
一つは《条件の入力》の魔法、もう一つは人も呼べるような《条件の緩和》の魔法である。
必要な物は二つ。
一つは、《条件の入力》のための素材だ。
これには私の血液と、生きているなら17歳になるだろう妹と似た少女達を使う。全面的に似ている必要はなく、瞳の色、髪色、魔力属性、年齢、など一部が似ている少女達を集めればいい。これはサンプルとしてなので少女達の意志も必要なく、後遺症や命の危機も全くないためどうとでもなる。
二つは、《条件緩和》のための素材。
私はこれを力技で解決することにした。
独創である【召還対象固定魔法陣】を対象に持たせることで、召還対象を限定させることに成功した。【固定魔法陣】は後記に詳細する。
つまり〈計画〉は一回目に召還魔法を使う。それで例え見つけたとしても人間は召還できない。その時に楔〈クサビ〉として【召還対象固定魔法陣】を撃ちこむ。
二回目の召還で楔をたよりに【限定召還】を行い、無理矢理召還する。これで理論上は人間でも召還する事が出来るのだ。
……………長かった。ここまで来るのに11年もかかった。ようやく妹に会えると思うと手が震える。 だがここで焦って事をせいしては意味がない。ゆっくりと万難を排して望む必要がある。
決行日は赤ノ月、一巡り目、一日。空にかかる三つの月があの日の配列になる一番近い日だ。
念のために月の配列もあの日の再現として計算に入れておこう。あの森の中の花園も、召還魔法の条件の入力に役立つ――――いや、僕があそこで妹と再会したいだけかもしれない』
物語を読むと主人公の苦悩や生き様を傍で感じ取るような錯覚を覚え本を閉じるとまるで主人公が数年来の友のように思えるが、今の私の心境もそれに似たような物がある。
しかし、感受性が乏しいあるじは論文を読み終わったかのような感想を漏らす。
「つまりハルヒニは生き別れの妹を探すために【召還魔法】を研究して、そのために少女6人を誘拐したってことだな」
簡潔にまとめたそれはあまりにも味気ないもので、彼の人生をそんな簡単な言葉でまとめるには抵抗がある、と普段のあるじなら言うだろう。今のあるじは張りつめているからか、その事に気づかない。
「問題なのは今の内容だと少女を殺す必要がない、ってことだ」
サンプル。
だが、森の花園に描かれていた魔法陣の上で少女達は死んでいた。
何が、あったのだ?
「一見は百聞にしかず。読めばいいだろ、その手帳。どうなったかは書いてあるんじゃないか?」
せかしながらあるじはページをめくるが、私にはどう考えてもあの花園の光景がいい結果につながっているとは思えない。
開かれたページは、これより先は白紙が続く、最後のページだった。今までの潰れたような文字ながらも流れるように綺麗だった文字が、大きさからして不揃いで書きなぐられて所々インクがにじみ過ぎている横暴な文字で埋め尽くされていた。
『赤ノ月、一巡り目、一日
失敗した。これを失敗と言わずに何と言おう。
死んでしまった。なんてことだ。彼女達は死ぬ必要なんてなかった。ただ、あそこにいてくれるだけでよかったのに。少女達は、死んでしまった。皆、私のことを先生と慕ってくれていた何の罪もない子供達なのに。
何がだ。何が間違っていた? 理論か? サンプルか? それとももうリアは死んでいたのか?
わからない。私は確かめるより早く逃げだしてしまった。
私は――――――何という醜悪な生き物を召還してしまったのだろう』
その悲鳴のような文字でこの手帳は終わっていた。
一体何があったのか? 混乱と絶望が手に取るように伝わってくる。手帳を読んで失踪事件の真相はそれなりに掴めたが、ユニの誘拐についての手掛かりは何も書いていない。
そもそも赤ノ月、一巡り目、一日―――つまり四日前、あるじがこの街に来るよりも半日以上は前に書かれている。それ以降は、私達と出会ったことすら書かれていない。
収穫はゼロ――――のはずなのに、あるじは何か、考え込んでいる。真剣にではない、普段の緩んだ顔ではない、全くの無表情。無色透明なガラスのような、あるじ。
「………………………」
険しい表情でも焦る表情でもなくなったというのに、私は自分でも驚くほど動揺しているのがわかる。あるじがこんな顔をする時は、いつだって自分で勝手に考えて自己完結して一人で片付けようとしている顔だ。
私は聞けなかった。あるじが何に気付いて、何を考えているのかを。だって、もし答えてくれなかったら、あるじの中で私がまだただの猫のままだったら、それだけで私は動けなくなる。
私は、自分に祈れなくなる。
黙っていたあるじは私の目の前でぺらりとページを一枚後ろにめくった。私は焦りながら、読み上げる。桃ノ月、四巡り目、六日―――最後の一ページ前。
『街長が殺されたらしい。役場の人間は混乱している。今の内なら、混乱に乗じて街門から出られるかも知れない。願ってもない好機だ。これからシーパァ森の花園へ向か』
急いでいたのだろう不自然な部分で文が途切れている。
たったそれだけだというのに、あるじはまるで少ない状況証拠で犯人を割り出す真相を知った探偵のように呟いた。
「……………………そういうことか」
ひ、一人で納得してないで話してくださいっ。
置いてかれるような焦燥感のまま言葉を出すと、あるじはガラスのような瞳で私を見た。
「柵、だ。ハルヒニは柵に穴を空けて外には出なかった。それが全てだよ」
魔物狩り、失踪事件、柵の穴、姫の消失――――これで全てがつながった。
それだけ言うと、あるじは手帳をジャンパーコートのポケットに入れた。ハルヒニを一瞥すると、しただけで踵を返してぱちぱちと火だけが動く部屋を出ていく。
いや、出る前に扉をつかんで内側のドアノブを見た。見つけた、というより確かめたような、そこに何かがあるのを知っていたかのような動作だった。おしゃれのつもりなのか、ドアノブは赤い液体で表面がコーティングされて床に滴っていた。
予想どおりなのか違ったのか何の反応を見せず廊下に足を進めるあるじに、戸惑いながらも私は机から下りてついていく。
どこに行くんですか?
「どこに行くんだろうね」
はぐらかすというよりは、本人ですら行先がわかっていないような口ぶりだ。
扉を開けっぱなしにしたために明るくなった廊下を迷うことなく歩いていく。玄関に立って外に出るかと思ったら、何の変哲もないドアノブを見ただけでまた戻ってきた。
「ヘンゼルとグレーテルは小石の道で家に帰った。ビスケットの道で魔女の家に迷い込んだ」
そして通路にある扉を―――ドアノブを次々チェックしていく。そもそも広くない通路で扉の数は少なく、すぐ終わる。
「なら、血の道はどこに続くんだろうね」
暖炉がある部屋のちょうど対面の扉。ドアノブに火の明かりでぬらぬらとした光を反射する、まだ乾ききっていない赤い液体が付着していた。
あるじは迷うことなく手に付着するのも構わず、扉を開ける。中は部屋ではなく二階への階段があった。またもや迷うことなく、あるじは暗過ぎて先が見えない階段を上って行き、私は慌ててついていく。
たどり着いた先は、魔女の家でもなければ魔術師の家でもなかった。
天文台。
外からこの家を見ていた時にあった、半球状の屋根の中なのだろう。そう考えれば、ここにたどり着くのもうなずける。屋根から飛び出ている大きな天体望遠鏡に、いくつかの星の模型。壁にはられた月の周期表みたいな紙。
ここまで明りが何もなく暗いはずの部屋の様子がよくわかるのは、ちょうど天頂にある満月からまぶしいくらいの光が、屋根に嵌めこまれたガラスから差し込み部屋の中を満たしていたからだ。
いつもなら三つは輝いている夜空〈ステージ〉に一つだけの満月〈プリマ〉が輝いている。
その光を一身に受ける、一人の少女がいた。
「いると思ったよ―――――アリア」
出会った時と同じ無表情で、奇しくも初めての時と同じ両腕が血まみれの、彼がアリアと名付けた少女がいた。