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Lv17―かぐや姫とカポーン



 私とあるじは温泉に入っていた。かぽーん。

「かぽーん考えた人マジ天才じゃね? 僕の尊敬すべき人物堂々のトップスリーに入るよ」

 月夜の下、あるじは屋根がついている露店風呂に身をつかっていた。




 灰乞研究所から帰ってきたらもう既にいい時間で、旅館の支配人イージルが本館から離れた所にある露天風呂を勧めてきたので言葉に甘えて温泉につかりに来たのであった。

 この温泉は露天風呂と言えばのイメージのままで、岩に囲まれた広い水面に湯気がもうもうと立ち上っている。光源は月と松明で揺れる光だけなのでうす暗いがそれもまた味がある。

 景観も山を少し登った所にあるため良い。月光に照らされてきらきらと反射する眼下の河川の見晴らしもなかなかである。ふうりゅー。




「温泉は命の洗濯だねぇ。HP全快どころか、MPも全快しそうだ」

 MPゼロですけどね。

「それにな、猫。温泉には二酸化マンガンやら過酸化水素水とか含まれていて、色々体にいいらしい。良過ぎて入りすぎるとバンダになったり子豚になったりもするんだぞ。お湯かけると元に戻るらしいけど」

 まじですか、温泉半端ないですね。


 だるーんと軟体動物かと思うくらい全身をリラックスさせているあるじだが、私はそこまでリラックスは出来ていない。


「猫も温泉入ればいいのに」

 水は嫌いです。


 水を被ると性転換するなど1/2な裏設定はないが一般猫と同じく水が嫌いな私は湯船につからず、あるじの頭の上に乗っかり温泉タイムを過ごしているのだ。頭に乗るといっても私はそこまで小さくないので肩車するような感じである。


 …………しかし、暑い。

 お湯には入っていないものの立ち上る水蒸気が私を蒸すのだ。あと数十分もこのままであれば温泉猫(温泉卵みたいな感じで)が出来てしまう。

「僕の頭も熱いんだけど。猫をかぶるのって毛皮の帽子かぶってるのと変わらないからすごい熱こもる。なにこれ我慢大会?」

 一番暑いのはその毛皮を着ている私ですよ。

「温泉なんだからその毛皮脱げよ。タオル付けて湯船はいるのはマナー違反だぞ」 

 着脱不可能ですから!

 装備解除不可の毛皮をカツラみたいに扱うあるじを蒸気でちょっとしっとりした尻尾で叩く。



 こんなにも温泉嫌いな私があるじと仲良く露天風呂にいるかというと、あるじと話をするためだ。くだらなくてとるにも足らない話ならばどこでも出来るが、真面目な話はここでしかできない。アリアがいない、ここでしか。



「そんな、二人っきりになった途端…………」

 硫黄に三日三晩漬けて温泉卵体験させますよ?

「………………すんません」

 顔を水面につけてぶくぶく泡を吐くあるじ。



 本来ならこうして温泉につかることはなかっただろう。この街について高級旅館に着くこともなければ、魔物狩り退治に行ってユニ兄に出会う事もなかったはず。

 そうなれば多分この街から離れて、悪知恵を使って日銭を稼ぎながら元いた世界の時のように日々を過ごしたに違いない。

 アリアを拾わなければ、だ。

 そうすればこの街にいる理由はなく、明日ユニと再開するよりも早くどこへでもふらふらと行けたのだから。


 雪国では物理的に逃げられず、温泉街では状況的に逃げられない。


 逃げる事が生きがいのようなあるじにとっては鬼門のシュチュエーション。そんな境地にわざわざ飛び込んだのはあるじ自身である。

 解せぬ。思わず口調が時代劇風になってしまうくらい納得がいかない。


 当のアリアは女湯の露天風呂を堪能しているはず。ほんの数分前に脱衣所の前で別れたので合流するまでまだあるじを尋問する時間はある。



 さあ、ちゃきちゃき吐いてください。

「吐けと言われても………何を言えばいいのやら」

 両手による水鉄砲でぷしゃーとお湯を噴水のように撃ち上げながらのたまう。お湯は私の上にも降り注ぎ、自慢の白い毛皮がしっとりと濡れる。

「水もしたたるイイ猫になったな」

 どうしてあんな厄介そうな少女を拾ったんですか?

 私は気にせず(シカトして)あるじに聞いた。



 路地裏の記憶喪失少女を拾う。

 映画ではよくある、主人公なら誰でも同じことをするであろうシュチュエーションだが、そんな理由で拾うようなあるじではない。

 容姿が美しい少女だったから、という女ったらしな理由も有り得ない。

 あるじはヘタレである。痛いのは嫌いだし、喧嘩も嫌い。

 自分がヘタレだと知っているからこそ、多くの物を抱えようとしない。今までもどんな事情があっても厄介事からは逃げ続けてきたシビアな性格である。

 困っているから手を差し伸べるような優しい性格でもなければ、綺麗な年頃だからという理由で厄介事を拾う人間味のある性格でも、情にほだされて救おうとするような甘い性格でもない。




 そのはずなのに、何故拾ったのか。

 それはアリアが―――――

「からっぽ」

 ――――――と、言ったからか?

 私の考えを読んでいたのかと思ってしまうくらい同じタイミングであるじは呟いた。

「その言葉さ、色々な人に言われ続けてきたんだよ。だから、ね。思う所があって」

 地雷ってことですか。

「地雷なんてもんじゃない。NGワードだよ」

 軽くなっていませんか?


 どんな指の使い方をしているのかテッポウウオのような勢いの水弾が松明に当たり火がばちばちと音を立てた。


「朝凪の家はボディーガード稼業で有名で、なのに僕は落ちこぼれだったからよく言われたんだよ。お前は空っぽで、人を守る仕事は向いてないって。だから、家出したんだけど。まあ思い出のある一言なのさ」

 ふむ…………つまり小学生時代に~菌と呼ばれたトラウマがもやしもんで復活して微妙な気分になる感じですか?

「やめてくんない、そういうリアルなたとえ話!」

 でもトラウマって敬遠したりするものでは?

「んう?」

 きもい指使いで散弾のように水飛沫をあげていたあるじが聞き返してくる。

 嫌なことを思い出しちゃうから、逆にアリアを助けずに見捨てていく物じゃないのかなあ、と。

「…………………助けようとか、そんなんじゃないんだ。たださ、出会った時アリアは『私と同じ』って言っただろ。僕もまあ似たようなこと思ってね、正確には昔の自分を見てるみたいで……………ああ、もう何が言いたいのかわかんなくなった」


 自分でも何を言っているのわからなくなって混乱したのか頭を搔いた。だが頭上には私が乗っかっていたので、私の体をぐらぐら揺らすこととなった。ちょっ、下が温泉なのにあまり揺らさないで!

 下はワニが泳いでいる川で落ちたら即食われる吊り橋を渡るようなトレジャーハンターなピンチに陥る私のハプニングに気付いてないのか、あるじはあっさりとした口調で言う。


「アリアを助けようとしたんじゃなくて、自分でもわかんないけどただ、あそこに捨て置くのだけは嫌だった。それだけ」

 わ、わかりましたから納得しましたから揺らすのやめてください!

 ところどころ銀が混じった黒髪にしがみつきながら私は求めた。体の揺れが止まりずり落ちかけた後ろ足をあるじの肩に戻す。な、なんとか落ちなかった。



 あるじの協力もあってずれかけた体勢を何とかして、話を続けたのは追及されていたあるじの方だった。あるじはあるじで私の猛質問が気になったようである。

「そんなに僕の行動変? 何かを拾って世話するのは初めてじゃないんだけど」

 そうなんですか?

 今まで数年間あるじと生活してきましたけど、仏様が見たら蜘蛛の糸を垂らしてしまうようなギャップ萌えなあるじなんて見た事がないです。

 あるじは珍しくきょとんとした表情で私を見上げた。

「……………まあいいけど。ガンダダ萌えか新しい着眼点だな」

 歯に物挟まったような言い方に疑問を感じないでもなかったが、尻尾を揺らすだけにとどめておく。

 まあ、拾った事を後悔していないなら、いいですけどね。

「後悔? んー、まあ自分で拾った厄介事だから、後悔はしないんじゃないかな。責任感強いから途中で捨てたりもしない……と思う。一応、実績はあるから大丈夫」



 あるじはすいー、と湯船の底に手をついて泳ぎ始める。私の後ろ足がお湯につかり、水面ギリギリを私の視界が移動する。私はワニのいる川が(妄想)近くなって内心ひえー! と思いつつあるじをたしなめる。

 温泉で泳ぐのはマナー違反ですよ。

「誰もいないからだいじょぶだいじょぶ」

 ばしゃばしゃとバタ足までし始めた。




 子供のようにはしゃぐあるじ。引っ込みじあんの子供のように無口で主体性がないアリア。

 この二人が似ているとは、到底思えない。


 あるじ。

 17になりかけの16歳。銀が少し混じった黒髪。黒に近い灰目。黄色よりの白い肌。身長は170くらい。野生的には到底見えないが、それなりについている筋肉。家出少年で逃げ回っていた。一言で表すとヘタレで、どこかドライな性格。


 アリア。

 16そこらの外見。雪のような白髪。銀に近い灰色の瞳。真白な肌。身長は165くらい。折れてしまいそうなほど細い四肢。病的なまでに痩せて女性らしい肉付きもない体。記憶喪失少女で血まみれだった。一言で表すと幼くて、どことなく臆病な性格。


 二人の類似点なんて年齢くらいじゃないのだろうか。

 最も、お互いに何かを感じたからアリアはあるじに出会って、あるじはアリアを拾ったのだろうが。





 そんなにアリアのことを考え続けていたせいだろうか。

 目の前にアリアの幻が現れた。

 湯気をスクリーンにして映し出されたまぼろしは、一糸まとわぬ姿だった。

 いつもの冷たそうにも見える端整な無表情で私を見下ろしている。すらりとした本当に細い手足と、アバラが浮き出るほど肉づきが薄く、無いと言っていい程に薄い胸を惜しげもなくさらしていた。己の貧困な想像力をフルに使っていると確信できてしまうくらいの幻である。


 うん、まあ、そんなわけないのだが。あるじの思考をトレースしてみた。数秒後に幻ではなく本物だと気づいて奇声を上げるだろう。

「ほえあんどろばすとあっちょんぷりけおっじょんばあ!?」

 ほら上げた。



 あるじはバシャバシャバシャッと手足をばたつかせて幻、もといアリアからものすごい速さで離れる。

って、うわぱっ!?

 あまりにも勢いよく後ずさったので私の下半身が完全に水没してしまう。イヤー、ワニに食われる(?)!

 パニックになりかける私とあるじ。後ずさりしすぎて背中を岩にぶつけて退がれなくなる。私はなんとか岩に後ろ足をかけて下半身を水上に復帰させる。た、助かった………。

 パニックからまだ復帰していないあるじはくちをぱくぱくとさせている。


「あばばばばばばば……………なんでここにいんの!?」

「………………?」

「えー、なにその不思議そうな反応。僕が間違ってるの!?」


 どうやら本物らしいアリアは首をかしげて露天風呂の入り口にたたずんでいた。女風呂に入っていたんじゃないのか?

 あるじは真っ赤になりながらもアリアとコンタクトを取ろうとしているが、「こういう時って湯気で隠れたりするもんじゃないの?」アリアが体を隠していないため健全な男子としては直視できないらしい。

「ね、ネコえもん助けて!」

 結局、いつも通り私に助けを求めてきた。

「ネコえもん、アリアちゃんの………その、あー………見え、とにかく助けて!」

 しょうがないなあ、あるじ太君は。てゅるるるーん、『ネコ目隠し』ー!

「わあ、すごいよネコえもん! ネコえもんを前後逆にかぶると目隠しになったよ! お腹やわらかーい」

 あるじ太君、お腹に息があたってくすぐったいよー。

「ていうか息しづらい」

 我慢しなさい。


 あるじは顔面に私を装着することで視界を隠すことに成功した。猫仮面と化したあるじは臆することなく少女に話しかける。

「アリアさん、何で男湯に入ってきたの?」

「……………?」

「あるぇ? なぜか不思議そうな雰囲気が伝わってくるよ? どうして脱衣所の前で別れたのに、わざわざこっちに入ってきたのでしょうか」

「……………言われたとおり、にした」

 あるじ、まさか…………。

「いやいやいやいや! そんなこと言ってないよ、そんな目で僕を見るな!」

「……………言われたとおり、脱いで、そのまま入った」

 言われた通り、脱いで………!

「別に強調するような部分じゃないよ!」


 あるじをからかうのはここまでにしておく。

 ここ混浴じゃないですか?

「…………混浴?」


 脱衣所だけ分けられているけど、風呂は一緒だったんでしょう。高級な旅館で、貸し切り温泉みたいなものですから男女を分けていないのだと思います。

 混浴だとは予想だにしていなくて顔面に私を張り付けたまま驚いているあるじとそんな事情を理解せず立ちつくしたままのアリア。


「……………」

「………………………」

「……………へくちっ」

「………とりあえず、入んなさい。風邪引くから」

 ちゃぷちゃぷと波立つ音が聞こえる。私は背を向けているので見えないがアリアがお湯につかったのだろう。

「アリア、もう入った?」

「……………うん」

「じゃあ猫どいて」

 首根っこを掴まれて前後にくるりと回されてもとの猫帽子モードに戻された。視界いっぱいの岩から、視界いっぱいに湯気立つ温泉に変化した。水嫌いからしたら、岩の方がよかったかもしれない。

 同じ視界のはずのあるじも何故か固まっていた。

「………………………………………………何で、目の前に座ってるの?」

「……………? ありな、顔が、見えるから」

 岩を背にして座るあるじの正面にはドアップな感じのアリアが体育座りしていた。

「他に場所はいくらでも…………ああ、もう!」

「……………?」

 何を言っても無駄だと悟ったのかあるじは開き直ることにしたようだ。水面下は濁り湯で見えず、胸から上は足で隠れているのでヘタレでもなんとか向き合える。


 思いっきり異性を意識するあるじと違って、アリアは記憶がないのと幼くなっているからか異性に対する羞恥心がないようである。

 とはいえ完全にないわけではないらしく変な質問をあるじにふっかける。

「……………見たくない?」

「見たい見たくない以前に直視する勇気がありません」

「……………いやなの?」

「い、嫌という訳ではなく」

「……………胸、ないから、見たくない?」

 心なしかかなしげな無表情で膨らみに乏しいそれをぺたぺたと触るのを視界の端で見てさらに赤くなるあるじ。

「た、確かにないけど、なんというか、そういうのもアリだと思います」

「……………大きい方が、好き?」

「………ノーコメントで」

「……………小さい方が、そそる?」

「どこでそんな言葉覚えたの!? 子供がそんな言葉覚えちゃいけないざます!」

 純粋なアリアから出たとは思えない言葉にあるじが教育ママよろしく叱咤する。

「……………男の子が、言ってた。金髪の」

「リィクか、あのエロガキ! うちの子に何てことを吹き込むざます! 許せないざます!」

「……………どうなの?」



 金髪少年(10歳未満)に次会ったら教育的指導をかましてやろうと怒りに燃えるが純粋無垢な瞳にさらされ毒気を抜かれてしまう。

 どうしたらいいのかあるじは困って視線をさまよわせ、温泉効果で白い肌をほんのりと赤く上気させたアリアを見てまたもや赤面する。



「え、あー…………そ、そうださっきの話! 僕だけの話じゃなくて、アリアはどうだったの?」

 とっさに話題を変えることで逃げた。ヘタレめ。

 当たり前だがさっきの話を聞いていなくて意味がわからないアリアは無反応であった。彼女の鎖骨にたまった水が、松明の光でゆらゆらときらめいている。

「……………?」

「アリアはさ、何で僕に頼ろうとしたの? 自分で言うのもなんだけど僕ってあんまり頼りにならなさそうでしょ。もっとほかの人間に頼ればよかった、とか思わない?」

「……………」

「たまたま近くにいて、手を差し出しただけの僕なんかじゃな………」

「ありなだから」

 あるじの言葉を最後まで聞かずアリアは言った。いつものようにか細い声ではなくはっきりとした声で。

「ずっと、私は、一人、だった」



 ちゃぷ、とアリアがお湯をかきわけて近づいてくる。だがあるじは取り乱さない。アリアの瞳から目を離せなかったからだ。



「あなただけ」

 瞳の深い、深い場所に、満月に近い楕円が映っていた。

「あなただけ、私を、助けてくれた。手を差し出しただけ………なんて、言わないで。それだけのことでも…………してくれたのは、ありなだけ」

 子供が一生懸命言葉を選んで自分の感情を親に説明するように、アリアは手を水底について四つん這いで近づきながら胸に秘めた想いを語る。

 あるじの真正面に来て、向き合う。いわゆる女の子座りなので、上半身が水面から出て、全くないわけではない胸がさらされる。病的なほど白かった肌があっためられて健康的な色合いになっていた。

 それでもあるじは取り乱さない。月色の瞳は見た物を凍りつかせる魔眼のようで、目を離せない。

 その雰囲気にのまれながらもかろうじて返す。

「………記憶、戻ったの?」

 いつもより多い口数と自分の過去をにおわせるような発言だったから、あるじがそう思うのも無理はないが逃げ口上なのは丸わかりだった。

 だというのにアリアは正直に答える。

「……………夢を見たの。ひとりぼっちの、夢。たぶん、今までの私を、夢に見たの」

 何かが欠落したかのような無表情であるじにすり寄る。お互いの距離はもう猫一匹分くらいしかない。熱のこもった二人の吐息が溶けあうくらい、近い。

「な、にかな………?」

「……………私、ひとりじゃ、ないよね」

 沈黙するあるじと見つめるアリア。

 あるじにとってアリアは言ってしまえば気になるだけの存在だが、アリアにとってはそれだけではないようだ。




 刷り込み、という概念がある。

 卵から孵ったばかりの雛鳥に動く物を見せるとそれを親だと思いこむ、といった奴だ。それと同じで記憶喪失のアリアはあるじを唯一無二だと思い込んでいるのかもしれない。




「大丈夫だよ」

 だからあるじは今まで通りに子供をあやすように言った。だがそれはアリアが求めていた言葉ではない。




 異世界でもここは現実だ。ファンタジーと違い、困っていたから程度の理由で出会ったばかりの女の子を命がけで救うなどできやしない。物語ならばそれでいい。そうしないとストーリーは始まらないのだから。

 だが、誰が見も知らない人間の為に何かを出来るのだろうか。

 誰かを救うために理由はいらないかもしれない。だが誰かを守るのには理由がいる。


 たった三日前に出会ったばっかりの二人の間には、時間も、覚悟も、想いも、何もかもが足りてなかった。



 目を離せないあるじと目を離さないアリア。

 私が気配を消してふわふわ帽子に身も心もなりきっていると、どちらかともなく目を外し、お互い月を見た。

「月」

 明日には真円になるだろう楕円の月。

「………ありなは、連れて行ってくれる?」

 何かのたとえ話なのか、アリアは聞く。

 連れて行く、というのが言葉通り一緒に異世界紀行をするというのなら、さっきとは違う理由であるじは答えられない。




 アリアを連れていく―――それは逃げる事が出来なくなることを意味するからだ。

 一人と一匹、今までいろんな人間やいざこざから逃げてきた。


 とある都市〈シティ〉で電位変質(メタモルフォーゼ)動物が研究所内から大量に逃げだすというバイオにハザードっぽい事件に出食わした事があった。人間達は手を取り合い銃を持って動物に立ち向かった。その間にあるじは私と一緒に動物達の仲間のフリをして一人で逃げだしていた。ゾンビはゾンビを襲わないからだ。


 とある街地〈サブテラ〉のとある高級ホテルでテロリストによる立てこもり事件に巻き込まれた。テロリスト達は宿泊客を人質にとって警察は手が出せなかった。しかし一人の護衛人〈セキュリティ〉の少年が宿泊客の中にいて颯爽とテロリストを一網打尽した。あるじはその間中天井裏に隠れて「そ、そこに隠れているのは誰だ!?」「ニャー」「なんだ猫か………」みたいのを私と一緒にやっていた。 



 降りかかる災難から今までは何とか逃げだしてこられたが、アリアも連れてとなるとこんな綱渡りスレスレの逃走劇を繰り広げる事が出来なくなる。

 いいとこお荷物。悪く言うなら足枷。

 ヘタレなあるじは自分がヘタレな事をわかっている。誰かを守れるほど強くなければ、誰かの信頼に応えられるほど大人でもない。




 だからあるじは話をそらした。

「………最近聞いた気がするね、それは」

「……………?」

「ついこの間、そういう歌があるって話をしたんだよ」



 草原でのユニとのことだろう。当然、その時は出会ってすらいなかったのだからアリアはわからずぽけーとしている。元の性格なのか、記憶喪失ゆえの自主性の喪失なのか話がそらされた事にも気づいてないようだ。

 話すよりも早いと思ったのだろう、あるじは歌い始めた。それは英語の歌詞で、お世辞にも上手いとは言えない歌。それでもアリアは聞き入った。



「《私を月へ連れてって

 そしてお星様に囲まれて遊びましょう

 あの近い星とあの強い星の春はどんなのかしら

 あのね、私の手を離さないで

 それとも、こう言いかえましょうか――――――――――――》」



「……………?」

 途中で歌が止まってアリアは不思議そうに見つめる。


 その先は憶えていないと言っていたあるじだが、どうやらそういう訳で止めたのではないらしい。月を見ながら、苦笑した。


「なんか、改めて考えるとかぐや姫みたいだよな、この歌」

「かぐやひめ?」



 かぐや姫。

 日本地方最古の物語として知られる童話、というより文学である。

 当然ながら異世界の住人であるアリアは知らないようで、あるじが解説をする。



「竹から生まれたかぐや姫。彼女は竹を見つけたお爺さんとお婆さんに愛情をそそがれすくすくとたいそう美人に育ちました」

「……………急展開」

「どこが!? ごほん。そして、月へ帰りました」

 本当に急展開ですね!?




 補足するが、かぐや姫はもっと奥深い物語だ。

 翁と媼(おじいさんとおばあさん)に育てられ美人になったかぐや姫は、五人の貴族から求婚を受ける。が、断り続ける。何故ならかぐや姫は月の世界の人間だったからである。地球の人間とは結ばれることはできないのだ。

 それでもと求婚を止めない貴族達にとある物を持ってきたら求婚を受け入れると言いだす。

 火鼠の皮衣。

 燕の産んだ子安貝。

 蓬莱の玉の枝。

 仏の御石の鉢。

 竜の首の珠。

 どれもこれも伝説の品。手に入るはずもなく貴族達は諦めた。


 しかし、かぐや姫の噂が王子の耳に入る。王子はかぐや姫に一目ぼれをして求愛するが、かぐや姫はたとえ相手が王子でも自分は月の人間だからと拒む。

 それでも、と王子は通いつめ詠を歌って求愛する。かぐや姫も次第にそれを楽しみにするようになった。


 ある日が来るまでは。

 その日はかぐや姫が月へ帰る日。月の人間であるかぐや姫は大人になったら月から迎えが来て帰らねばならないのだ。

 迎えが来る日の晩。王子はそれをさせまいと自ら剣を持って軍を率いて月からの迎えを追い返そうとする。だが、月の光に照らされた軍は心奪われ自失してしまう。

 子供の時から育てた翁と媼、詠うことしかできなかった王子を置いて、かぐや姫は月へ帰ってしまいましたとさ。




 あんまりめでたしめでたしじゃない感じの物語である。

「もし王子が月からの迎えを何とかしてかぐや姫と結ばれたら、こんな歌を歌いそうじゃないか?」



《私を月へ連れてって

 あのね、私の手を離さないで》



 月へ帰らなかったかぐや姫が王子に「月へ連れてって」と言って困らせる。戯れに無理難題をふっかける。

 そう考えると何ともまあ、奥の深い話である。

「だから」

 記憶をなくしたアリア。

 今こそあるじと一緒にいるが、彼女には彼女の生きてきた場所、共に生きてきた人、帰るべきところがあるだろう。

 記憶を取り戻したら、彼女は帰ってしまう。

 育ての親と恋する男を置いて、月へ帰ったかぐや姫のように。

「僕は月へ連れて行けないけど、アリアが月に帰る時まで僕は一緒にいるよ」

 それはあるじの精一杯の誠実さ。



 アリアもその事がわかったのか、上気した頬でほんの少しだけ微笑んで、ちゃぷりと湯船に沈んだ。

「おぅわー!? 風呂は長く入ると脱水症状になるから入浴前後は水分補給を欠かさずにー!」

 お湯につかり過ぎてのぼせたようでアリアは真っ赤になって目を回していた。あわててあるじは介抱しようとアリアを抱き上げて程良く血行が良くなり色気が増した無防備な姿を直視してしまい鼻血を吹いて温泉に沈む。そして徐々に沈んでいくあるじの上で私はタイタニック号のディカプリオ気分でいたが結局は温泉の藻屑となった。

 水面に沈む直前まで上を向いていた私は、満月に近い楕円の月へ願った。

 かぐや姫、見ていたら助けて。

 当然、かぐや姫は助けてくれず私達パーティは回復の温泉(セーブポイント)で全滅した。




先週まるまる更新しなかったので、明日もう一話更新します。

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