Lv16―サイエンティストはかくありき
日が真上を通り越し傾きかけて、反対の空に薄青い半月が見える時ごろ。
街付近の森から戻ってきた私達がたどり着いた場所は天文台だった。
「ここだよ、ニイチャン」
「これはまた、個性的なお家で」
普通の民家のような外見の建物の屋根を吹き飛ばして半球状のドームを乗せたような造りをした、見た目は完璧に天文台な建物だ。
その建物の扉の脇におそらく建物の名前だろう看板があったが、残念ながら異世界文字で読むことはできない。
私の心の中を読んだわけではないだろうが少年―――リィクが疑問に答えてくれる。
「ここは『灰乞研究所』だぜ」
「灰? 灰ってashの灰? どういう意味?」
「知らネ」
少年はそう言うと玄関扉に近づいて、インターフォンなんて便利な物あるはずもなくドア鳴らしをごんごんと鳴らす。
「センセー! 客だよー! センセー!」
しかし、いくら待っても返事はない。
「留守かな?」
「ニイチャン、オレ中に入ってセンセー呼んでくる」
家人がいつまでたっても出てこないことにじれたリィクが、鍵はかかってなかった扉を勝手に開けてしまう。
「いいの? 勝手に入って」
「どーせ寝てるんだからいいんだ。ニイチャンはここで待ってて」
言い終わらない内に扉は閉まって中からどたどたと走る音が聞こえた。
「……………」
「……………」
そして天文台の前で待たされる私とあるじとアリア。
あるじは天文台を見上げていた。風で髪がかかる横顔はいつもと違い、精悍と言っても差し支えないくらい引き締まっている。
「猫」
な、なんですか?
その姿を見て私は放心していたらしく、いきなり話しかけられて少しうろたえてしまう。
「この建物に入ったら難しい話をすることになる。だからまかせた」
まかせた、って…………また丸投する気ですか!?
顔は精悍でも中身はいつも通りのあるじだった。
私が話を聞いてどうするんですか。
「頭の中で羊さん数えてるから」
いや、私が話を聞いている間あるじが何をするか、って意味じゃなくですね。
「安心しろ。僕は立ったままでも寝れる」
どこに安心の要素が!?
「猫が魔法の勉強をしている間、僕が遊んでくれと言わず邪魔をしない」
猫と人間の立場逆ですよ!
どうやら今回もあるじは何もしない気のようだ。
私としてはもう少し頑張れといいたい所だが、あるじはあるじでもう頑張っているのかもしれない。
私はちらりとアリアを足元で見上げる。
柄にもなく、打算もなく、あるじが逃げださず助けたいと思った少女。
ならば、私が力を貸すのは当然である。もちろん、助けたいと思った理由は後で絶対聞くが。
でも猫に頭脳労働を任せる飼い主って………………。
そんな頭を使わず脳が腐りかけているあるじは傍らのアリアに話かけていた。
「…………アリア?」
「……………」
無口な彼女が静かなのは別段変なことではないのだが、どうも様子がおかしい。
あるじの腕に自分の腕をからめながらも腰が引けているというか、まるで毛を逆立てる猫のようにおよび腰である。何かを、警戒している?
「アリア、どうしたの」
「……………いや」
いつもの覇気どころか中身がないような透き通った声色ではなく、不純物を詰め込まれたように固い声でアリアは言った。
「いや、って何が?」
「……………入りたくない」
「入りたくないって、ここに?」
「……………」
こくり、とあるじの腕にこすりつけるように首を振る。そのアリアの様子に困惑して頭をかくあるじ。だが私は困惑しなかった。アリアのその様子には見覚えがあったからだ。
「んー、でも話を聞きに行かないと」
私はあるじの足元を前足で叩いて教える。
あるじ、これ二度目ですよ。昨日の旅館前でもこんなやり取りあったじゃないですか。
「あー、あの時もアリアぐずってたよね」
あの時は旅館を守る【魔術】に不穏な空気を感じ取って入るのを嫌がっていた。
「ここ魔術師の家だもんな。セキュリティー魔術【セコーム】や【あるそく】の一つや二つあっても変じゃないよね…………じゃあ、どうしよ。どうしても入りたくない?」
「……………」
うなずくアリアに大して困ってなさそうに困るあるじが話しかけようとした時、扉が開いた。顔を出したのはくすんだ金髪少年・リィクだ。
「ニイチャン、センセー起きたから入ってきていいぜ」
どうやら家人は本当に寝ていたらしい。ただ今の時刻は夕方。
…………相当なダメ人間オーラを感じるのだが気のせいであってほしい。
あるじは私が顔をしかめた言葉には反応をせず、リィクに話しかけた。
「ちょうどよかった。リィク、この娘の面倒見るの頼んでいい?」
「面倒、って……?」
言われたリィクは困惑気味にアリアを見る。まるで幼子の面倒をみるように言われたが、アリアの外見はあるじと同年齢ぐらいでリィクよりも二回り年上だ。困惑するのも無理はない。
だがあるじは気にせずアリアに話しかける。
「アリア、良い子にしてるんだよ?」
「……………」
「じゃ、行ってくるよ」
アリアはついていきたいが、それでも建物に入るのが嫌なのでリィクと一緒に待つことにしたようだ。
アリアとあるじに交互に目をやって困っているリィクとぼーっとこちらを眺めているアリアを放って、あるじは扉を開いて中に入って閉めかけた。
「ニイチャン」
私が振り返るとリィクがあるじを見ている。
まだ幼さが残る顔立ちだが、子供と言うにははばかられる決意をした表情をしていた。
「もう手伝わせろとは言わないから………姉ちゃん、絶対見つけてくれよな!」
「……………」
今まで散々手伝わせろと言ってきたのに心変りがあったのか。あるじは後ろ手で手を振りながら扉を閉めた。
扉の前には窓がないため薄暗い通路が伸びており、奥の方からは光が漏れている。靴を脱ぐ必要はなさそうなので土足で上がっていく。靴をはいていない私も通路を歩く。
一番奥の部屋と通路を区切っている扉を開けると、暗闇に慣れた目を光が刺した。
円筒状のよくある部屋で壁際には書棚に大量に詰まった古そうな文献、中央の机に並べられたフラスコやすり鉢など、魔術師の部屋のイメージそのままの部屋だった。
ただ、白い清潔そうなベッドと部屋に差し込む明るい日差しが魔術師の部屋から胡散臭さを奪っていた。
「君が、リィクの言っていた魔術師かい?」
声の主はこの部屋の主でもある、中央机の脇の椅子に座る男性。
眼鏡を掛けた温和そうな目をした二十代中盤ぐらいの、白衣を着た何かの研究員といった風体。深緑色の長い後ろ髪を一本にまとめ、しだれ柳のように垂らしている。
男は立ち上がりながら名乗った。
「僕の名はハルヒニ。魔術師 兼 医術師だ」
気弱そうな微笑みを浮かべながら名乗った男に、あるじは気の抜けた笑顔を返した。
「在名です。ハルヒニさんにお聞きしたい事があるのです、が…………?」
あるじの語尾が疑問形になったのは、ハルヒニが立ち上がって部屋の奥に行ってしまったからだ。どうしようか悩む間もなく戻ってきた彼の両手にはティーカップとポットがあった。
「君、紅茶は好きかい?」
「え、ああ、それなりに」
「そうか、よかった」
ハルヒニにすすめられた椅子にあるじは座って、私はあるじに抱えられて膝の上。出されたティーカップを手に取った。
「ありがとうございま………す………」
あるじはカップの中身を見て微妙な顔になった。気になって覗いてみるとカップの中身には緑色の液体が入っていた。
緑茶だった。
「…………」
「君、紅茶すきかい?」
「そ、それなりに」
「そうか、よかった」
「…………」
「…………」
だ。
だから何だー!?
普通、ここは紅茶を出すべき場面じゃないのか? それとも頭回しに帰れと言っているのだろうか? だが鈍いあるじには遠まわしすぎる。緑茶を一口飲むと「あ、おいしい」と紅茶のことなど忘れてしまった。
ハルヒニ本人はのんきな表情で緑茶の香りを楽しんでいて機嫌よさそうである。
「君はこの街の人間じゃないよね。どこから来たんだい?」
「シェイラ・ジャルガ王国首都から」
「ほぅ、先月の騒動は大変だったみたいだね。様子はどうだった? 研究者ってのは出無精でね、最近も部屋でずっと実験をしていたから世事に疎いんだ」
恥じるように苦笑するハルヒニに答えるあるじ。
「んー、何とかやってけるって感じだったかな」
「じゃあ、他の街については知っているかい?」
「いえ、他の街は知らないです」
「? ここ地熱街に来るまでに鉱石街とか通らなかったのかい」
「あー、急いでいたから街とか通らないルート通ってきました」
完全に世間話になっていますよ。
私があるじにそう言って本来の話に戻そうとしたがハルヒニが話に食いついてきた。
「街を通らないという事は裏街道の平原の方を通ってきたのかい? それならシーパァ森について何か知っているかい」
「シーパァ森?」
知らない訳がない。〈魔物狩り〉がいた森。つい昨日そこに行ってきたばかりだ。
「知り合いから聞いた話だけど、あそこの森がなんだか様子がおかしいらしいんだよ。それで話を聞いておきたいんだ。ほら、シェイラ・ジャルガで動物の騒動があったばかりだから、少し過敏かもしれないけど、ね」
あれは動物が暴れたのではなく、背後にいた存在が魔法を使って操っていたから動物達に非は一切ないのだが、風評というのは怖いものだ。
あるじは緑茶をすすりながらふにゃりとした表情で話す。
「んー、あの森に〈魔物狩り〉が出て魔物たちが困ってたけど、それだけですよ」
「魔物狩り?」
「はい、魔物を殺し回っている人間がいて、もういないですけど………だから気にすることはないと思いますよ」
「そうか…………」
緑茶を口に付けてしばらくハルヒニは目をつぶっていたが、あるじと私が見つめている事に気がついて苦笑いした。
「はは、あの森は思い出深いから少し気になったんだ。あるだろう、君にも」
「思い出かぁ」
なんだかまたもや雑談に入りそうだったので私はあるじの膝に軽く爪を立てて話題を戻させる。
「えーと、そうだ失踪事件だ。この街で起きてる失踪事件は知ってますか?」
「ああ、知っているよ。リィクの姉のミィーアは、私が主治医だったんだよ」
ハルヒニは表情を曇らせた。名乗った医術師、とやらは医者のことらしい。
少年のリィクと魔術師のハルヒニの間にどんな関係があるかと思ったら、そんな関係だったのか。さすがに親子には見えないからな。
「僕はその事件を役所の人に頼まれて調査しているんです。それでその話について御意見をうかがいたいんですが」
「ああ、いいよ。私の顔見知りも被害にあっていて他人事ではないからね。私で力になれるなら惜しまずに貸そう」
そう言いながらハルヒニは人の良さそうな笑顔を浮かべた。
意外と話が早く進んでいる。身分証なんてものは持っていないので、もう少し胡散がられてもおかしくはなかったのだが、見た目通り人が良いのだろう。知り合いがその事件に巻き込まれているのも一役買っているのかも知れない。
「じゃあ、魔術について教えてもらいたいんですけど…………」
「ん?」
あるじの言葉にハルヒニは不思議そうな顔をする。
「君は魔術師じゃないのかい?」
「え!? ああ、いや…………」
魔術師と名乗ったのに魔術のことを聞く。これは野球選手がユニフォームの着方を聞くようなものだ。不可解極まりない。
やんわりとした追及に慌てたあるじがあからさまに動揺して左右に視線を揺らす。
「こ、これ!」
何かを思いついたのか、はっとした表情になって、私の脇をつかんで持ち上げた。ぶらりと宙に揺れる私の後ろ足。私はなされるがままに大人しく捕まる。
「実は僕じゃなくてこいつが魔法を使うんですよ。それで、その魔法を使うのを見たリィクが勘違いして………」
「へぇ、君の使い魔かい?」
「い、いえただの猫です。それで僕は、その生まれつき魔術が使えない体質で、その手の話題を避け続けてたんでほんと基礎から魔術についてお話を聞きたいです!」
ふむ、と今作った設定だというのに納得したふうにハルヒニはうなずいた。
「基礎って、どのくらいかい?」
「誰でも知っているような事からで!」
人が良いからなのか、本当に説明を始めようとハルヒニはそう説明するべきか目を閉じ腕を組んで考えこみ始める。
というか、意図せずに失踪事件とは別の当初の目的《魔法について調べる》が達成されようとしている。私の日ごろの行いが良いからか。
というか私は未だに持ち上げられたままなのでいい加減離してほしい。
考えがまとまったハルヒニは指をくるくると回しながら説明し始めた。
「一番簡単な【魔術】は何だと思う?」
「…………………」
黙りこんで口元に手をやるあるじ。
……………あるじ、無理にボケようとしなくていいですからね。
「!?!?!?」
ビクッ、とあるじの肩が跳ねた。本当にボケる気だったのか。
天井を見て私の非難の視線をかわしながら、ゲーム脳から無い知恵を振り絞って答えた。
「えーと、回復魔法とか? ケアルやらホイミやら」
「いいや、身体を強化する魔術だよ」
穏やかに首を振るハルヒニは追加で説明をする。ボケられずに拗ねている場合じゃありませんよあるじ。
「魔術は、当たり前だが【魔力】を使って行使される。体内にある魔力を使って通常物理法則とは別の手順で物理現象を発生させるのが【魔術】だ。だから一番簡単なのは体内にある魔力をそのまま肉体に影響させる身体強化魔術だよ」
MP使って魔法を使う。これはまたわかりやすいシステムである。
「だけど、これを【魔術】と呼ぶ派と呼ばない派があるんだ。
呼ばない派の理由は、身体強化といっても初歩では大した効力はないから。打たれ強くなったりするだけで、肉体の影響誤差範囲内――言かえると根性でその差を埋める事が出来る。
何より、人間ならば差はあれど無意識にでも使えるから、というのが呼ばない派の理屈だね」
少しばかり専門的な話になってきたが、あるじは大丈夫だろうか。
「…………………」
虚ろな目で虚空を見上げている。駄目でした。というかそろそろ降ろして。脇が痛い。
口から魂が抜けている状態のあるじを話に聞き入っていると思ったのかハルヒニの魔術講座基礎編は続く。
「それで魔術と呼ばない派では基礎の魔術は【発火】となっている」
ハルヒニは机の上の紙片を中指と人差し指で挟んで私の鼻先に突きつけた。
私が見ていると紙片はぼっ、と独りでに燃え始める。見えないライターで火を付けたかのように挟んでいる指の反対側から小さな火が現れ、紙片を焼き始めたのだ。
私はほへーと眺めていたのだが、魂が抜けていたあるじは突然の発火に驚いた。
「ぅおう!?」
灰色の目に活力が戻ったのはいいのだが、驚いて私を取り落とさないで欲しい。急に落とされたが、私は難なく四足で着地する。
私は謝罪を要求しようと見上げるが、野球選手のサイン色紙を眺める野球少年のよう燃える紙片を食い入って見ていた。
ハルヒニはそんなおさなげな様子にくすりと笑う。
「【発火】は文字通り念じるだけで火をつけられる、極々初歩の魔術だ。この程度なら物心ついた子供ならだれでもできる。リィクも使えるだろう。
だからこそ、無意識では扱えないこれこそが【魔術】の基礎だと主張している魔術師もいるんだよ」
「ほー」
もう火が消えてしまって半分ほどになった紙片をあるじは受け取ってすがめる。
しかし、全員が使えるなら魔術師は大量にいるんじゃないのか? この街には大して魔術師がいないから、事件解決にあるじが指名されたのだ。
その疑問をあるじが通訳する。
「そうだね、魔術を使える=魔術師ならそうなんだけど、そうじゃないんだ。
魔術はここから先が一段と難しくなる。ここから先は【呪文】を唱えたり【道具】や【触媒】、【魔法陣】といった手順が必要になってくると扱える人間は100人に1人がいい所だ」
【呪文】は魔術を使う時に言う、言葉にならない音のことだろう。
【道具】はユニの魔法の杖みたいなマジックアイテム。
触媒とは薬物の効果を促進させたりする薬物のことで、魔術的な意味の【触媒】はいわゆる補助アイテムか? 【雪竜の血】がそれっぽい。
【魔法陣】は召還魔法の時に見たアレか。
簡単な魔術ならば誰にでも使えるが、道具を使う程の高度な魔術だと扱いが難しくなる―――のだろう。なんとかわかりやすく解釈してみたが、あるじに伝わっただろうか。
見上げると、真剣な目で紙片を見つめながらぶつぶつとつぶやく少年がいた。正直、二三歩後ずさりしたくなるよう病的な光景だが、呟き声を猫耳でとらえて納得がいった。
「…………燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ萌えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ」
誰にでも使える魔術という事で挑戦しているらしい。もし私があるじの親だったら速やかに病院へ連れて行くような試みだが、ここは異世界だ。本当に魔術が使えるかもしれない。
ここ数年ないくらいの真剣さで魔法を使おうとしている。
…………この一文、異世界召還事情とか考慮しないとただのアホだな。
だが紙片に火はつかず力んだ指のせいでぷるぷる揺れるだけだ。
…………………あるじ。
「い、いやだっ! 僕は諦めないっ!」
あるじは魔術を使おうと必死に紙片を見つめている。もう恋に落ちるほど見つめていていいですから通訳してください。
あるじが紙片に夢中になって遊んでいる内に、用事を済ませてしまおう。
…………これって猫と飼い主の立場逆じゃないのか?
私は翻訳機と化したあるじを通じてハルヒニに当初の話をする。
それでどのくらいの魔術師なら柵を乗り越えられますか?
「柵………ああ、この街を囲っている柵の事だね。ふむ、そうだね………【魔術師】についてはどこまで知っているかい?」
とりあえず魔術を使う人が魔術師というのくらいは。
「ならまずは【魔術師】について話してみようか。さっきも言ったけどね、厳密には魔術が使える人=魔術師ではないんだ。魔術師とは純粋に魔術にのみ従事する人間のことを指すんだ」
純粋に魔術にのみ?
「例えば僕は魔術の研究の傍ら、魔術を使って検診をする【医術師】だ。魔術を医療目的で使う人は医術師と呼ばれる。他にも目的によって【錬金術師】【祈術師】【風術師】って名乗りが変わるんだ。これらは職業だと思っていいよ」
専門が違うと名称も変わるという事だろう。ならば魔術師は?
「でも、【魔術師】だけは違うんだ。魔術師を名乗る人間は二種類。片方は僕みたいな魔術の研究者、もう片方は正統な魔術をふるう者」
正統な魔術?
私がわからないことを感じ取ったのか、指を立てながらハルヒニは付け加えた。
「正統な魔術師は文字通り【魔】の【術】を操る。専門がないことが専門なのが魔術師なんだ」
わかったようなわからないような言い方で、本人もそうだとわかっているのか苦笑する。
「じゃあもっと分かりやすく言おうか。
【魔術】は【天使】と【悪魔】を殺すために生み出された魔の術である、と」
―――――――天使と悪魔。
この異世界においての人間の敵。
まさか、こんな所でも話を聞くことになるとは思わなかった。
「100年前大陸全体に【結界】を張る以前から、異世界から侵略しようとしてきた天使と悪魔。それに対抗するべく生み出されたのが【魔術】。今まで人が感覚的に使っていた【魔力】の使い方をより高度に扱うのが【魔術】だ」
異世界の住人。彼らとの問題は意外と根が深いようだ。異世界の象徴たる魔術が戦いの為に生み出されたものだったなんて。
ということは【魔術師】とは―――――――
「――――【魔術師】を名乗る人間は生粋の研究家か純粋な戦闘家のどちらかなのだよ」
脳裏に浮かんだのは雪国の城であった黒外套の魔術師。
殺し屋〈タナトス〉に勝るとも劣らない殺気を持っていた、人殺しの魔術師。
あれが正統な魔術師なのだろう。
「だからこそ魔術師というのは少ない。魔術を使える人間が多くても、魔術師を名乗る人間は1000人に1人くらいだ」
この異世界の事情を聞けば聞く程ファンタジーワールドの想像から遠ざかっていく。
侵略する天使と悪魔。
連続少女失踪事件。
凄惨な魔物の死体。
武力としての魔術。
異世界に来ても、ここは現実なのだ。幻想のような世界は有り得ない。
「その上で、最初の質問に答えようかな。あの柵を魔術で越えることは可能だよ。だけどあれを飛び越えてまで誘拐をしようと思う人間は――――――いない」
可能だが、しない?
妙な言い方に困惑するが、ハルヒニはずれた眼鏡を直しながら丁寧に解説してくれる。
「いいかい、あの柵は侵入と脱出を防ぐために【魔術】で作られているんだ。
数百年前に旅で訪れた名もなき魔術師が温泉のお礼という事でこしらえた、歴史はまあ、関係ない。
重要なのは【魔術】の存在を知っている魔術師が創ったということだよ。並の魔術で通れるようにはしない」
魔術で造られているのだから、魔術による対策もバッチリという事か。
「あれを壊すのは、竜のウロコに傷をつけるようなものだよ。まず無理だ」
たしかに【炎の蛇】でも焦がすことぐらいしか出来なかった。
ならば飛び越えるのはどうだろう。馬鹿正直に壊す必要はない。
「飛び越えた方が壊すより1000倍は楽だけど、それでもやはり難しい。高さが4メートルもあるんだ。身体強化や重量軽減の魔術、【跳躍】系の魔術を使っても余程の魔術師でないと無理だ」
なるほど壊すのも飛び越すのも無理。
それとやっぱり、あるじの脚力があってこそとはいえ軽々と飛び越せそうだった【加速魔法】の魔法は地味にすごい魔法だったのか。
それでさっきの〈可能だがしない〉はどういう事ですか?
「そんな鉄壁の防御網をくぐって誘拐したのが裕福とは言えない少女六人というのは、あまりにも割に合わない、と思わないか?」
難攻不落の魔法の柵を越えられるのに、したことはたかが誘拐。ホワイトハウスに入って犬のチャーリーを誘拐するようなものである。せめて猫を誘拐するべき。
「そんなことができるスゴ腕の魔術師ならどこへ行っても引く手あまたで誘拐なんて犯罪はしないだろう」
…………そういう見方もできるのか。
利益よりも労力が上回るほど馬鹿らしいことはない。赤字がわかりきっているというのに、投資するのは愚か者だ。
だが、それだと結論は『柵を飛び越えるのは無理』となってしまう。
街の出入り口には検問。
街を囲む柵は難攻不落。
完全にお手上げ状態である。
早くもお手上げである。これが推理ゲームならまだ情報が少なすぎて投げだしている。どうやらまだ推理パートに入るには早かったようだ。
そういえばさっきからあるじが静かだな、と私はあるじを見上げた。まだ紙片に熱視線を送っているのだろうか?
見上げると驚くべき事に燃え尽きていた。紙片ではなくあるじがだが。
どうやら魔術の才能が全くないらしい(人間なら誰でもできるクラスの魔術が使えなかった=魔術が使える可能性が途絶えた)あるじは真っ白に燃え尽き虚空を見上げて、天のお迎えを待っていた。
「ネコラッシュ…………もう疲れたよ………」
猫であふれかえっている駅を想像してしまった。ホームに来るのは猫バス限定。
私がファンシーな世界に浸っている間の数秒であるじは復活した。
「って、あきらめきれるかー! というか魔力って何だ? カロリーとかのエネルギーのことか? それを消費するってどういう意味で? どういう原理で?」
魔術が使えないのが納得いかないあるじが真剣に考え始めた。
「そもそも普通の物理法則とは別の手段というのがわからない。手順を省くってこと? それとも全く別体系の法則か!?」
頭をフル回転させて問い詰めるあるじだが、ハルヒニは涼しい顔だ。
「そこら辺は私の専門じゃないからわからない。そこら辺は魔法原始学だよ」
「お役所仕事な…………じゃあ何の専門ですか?」
微妙に違うあるじの落胆であるが、私としては予想以上の収穫だったと思う。
柵についてのことだけでなく、簡単な魔術についての概念も教えてもらえたのだ。これ以上の情報を釣りあげるのは無理だろう。
だというのに私達は予想以上のカジキマグロを釣りあげてしまった。
「私の専門は――――――――召還魔法だよ」
私達をこの世界に召んだ元凶にして禁術である【召還魔法】の専門家を一本釣りしてしまったのだ。
説明なげぇっ! と書いてから思った。
わかりにくいところがあればご指摘お願いします。改稿しますので。