Lv12―食い逃げと策士と大食らい
シーロア・シェイラ・ジャルガ。
『白き土地』シェイラ・ジャルガ王国の国王モーシス・シェイラ・ジャルガの一人息子。
氷のように透き通った大剣『薄面』と数々の魔法を使いこなし王国軍の中で最も強いと嘔われる一騎当千の猛者。
体型はそんな武者であることを感じさせない、今年23になる優男。男にしては少し長い銀の髪と端正な眉、鼻筋が通った典型的な美青年である。
そんなに太く見えない体つきは、毎日しているらしい訓練で服の上からでもわかるくらいしっかりとしている。が、野生的というよりも舞台で踊っている方が似合うと思ってしまうのはやはり育ちがいいからなのだろう。
なんて情報は私達にとっては缶ジュースの中に入って取れなくなったプルタブ以上の価値もないので捨ておく。
意味があるのはただ一つ。
シェイラ・ジャルガ王国で唯一の王子。
ということは、王国第三姫であるユニの兄だった。
「いーや、まさかあーんな所で、【エルミニの雪遮竜壁】の使い手に出会うとはな」
「僕も、あんな所でユニの兄上に合うとは思ってなかった…………」
ハキハキとしているのに妙な訛り〈アクセント〉をつけて話すユニ兄と、妙にテンションが低いあるじの二人は『地熱街』ウィルマのとある飲み屋『雪解け水って意外とおいしい屋』の一角にあるテーブルに座っていた。
私は机の上に乗り、優雅にくつろいでいる。場末の飲み屋なので衛生観念がないらしく私が乗っていても怒られない。ファミレスだとすぐ追い出されるので、ちょっと嬉び。
戦った私達とユニ兄が何で同じテーブルに座っているかというと、私が【エルミニの雪遮竜壁】を使い、男がユニの兄だとわかったことでお互いに話し合いの余地が生まれたからである。
【エルミニの雪遮竜壁】は竜とその契約した一族にしか使用できない秘術。私達がシェイラ・ジャルガ王国の関係者だという証明は簡単だった。
とりあえずこの森から出ようということで、赤い花園を尻目にシーパァ森から出ようとする道すがらで色々質問をぶつけると、
「何で襲ってきたんだよ?」
「騒ー動の黒幕かと思ーったからだ」
「………騒動?」
「ああ。王国ぜーんどが【雪遮竜壁】に覆われて外に出られなくなるのと同時に動物があーばれているんだよ」
「…………どっかで聞いたような話だなー」
「そーどーの原因を探すために山の中をうろついていたら、怪しい人影がいるじゃないか。それでこの騒動の裏にだーれがいるのかと思って試してみた。攻撃して反撃したら敵、反撃しなかったら無関係」
「………逃げたら?」
「かんがーえてなかったから、追いかけたーんだ」
どうやらユニ兄はこの間の『エルミニ大山脈騒動』が終わった事に気づかず、騒動をどうにかしようとしてこの森までさまよい出てしまったらしい。って、エルミニ山脈からシーパァ森まで80キロは優にあるぞ…………。迷子にも程がある。
そんな波乱にとんだ野生生活を送っていたため衣服がボロボロなのもうなずける。
「雪が吹き荒れるエルミニ大山脈と違って、この森には雪が全然降ってないということにも気付かなかったのか?」
「ここ山脈じゃなーかったのか! どーりで、暑いわけだ」
いくらここが涼しい寒冷地でも、気温マイナス20度を防ぐ毛皮付き外套を着てフードまでかぶっていたらそりゃ暑い。
なんでも極度の方向音痴らしく雪山でもよく迷子になる、って凍死しないの?
二人と一匹で森を出た後、話ができる所に向かうため――二カ月ぶりに木の実や生肉ではなく料理が食べたいというユニ兄の要望もあり――私とあるじは鳥君に乗って街へ向かう事に。
しかし、鳥君は流石に男を二人も乗せられない――というか、鳥君が乗せるのを嫌がった――から移動手段に困るはめになると思ったが、ユニ兄が【魔術】を使って鳥君と同じくらいの速度で街まで走ったことで解決した。
鳥と人間のデッドヒートを観戦しつつ街に着くともう日が暮れて門が閉まる直前だった。
とはいえ月が二つ、空の端にかかっているのに街はかがり火をたいてまだにぎわっている。温泉街らしく宵口はまだ商売時間帯なのだろう。
さすがに魔術による全力疾走は体力をかなり消耗するらしくユニ兄はヘロヘロになりながらもさっさと休憩するために、軍章を使って街門検問をノーパスし(ユニ兄は大剣という凶器を背負っているのに、だ。あるじは権力がどうたらこうたらと愚痴っていた)近くの飲み屋『雨水って意外とおいしい屋』に入った。
この街のネーミングセンスってどうしてこう壊滅的なの?
飲み屋は安っぽい造りで、そうは見えないが王子という身分が高いユニ兄が入るような所ではないが本人はいたって気にしていないようだ。
「らっしゃーい。空いてる席どぞー」
木の扉を開くと、賑やかしい声と歓迎の声が聞こえる。今は午後7時ぐらいだから入りどきなのだろう。安っぽい内装と粗雑な造りの机と椅子がいくつも配置されていて、同じく安っぽそうな客達が大勢詰めていた。
ところどころ「こ、こいつスゲェ! 食いすぎだろ」「このままだと大食いチャレンジ成功する!?」「ば、化物か!」なんて声が聞こえ、どこぞの大食いチャンピオンがどんどん食べているのも騒ぎの一役を買っていた。
「ルプルの焼きにーくと、ジョッキ二つー。葡萄酒で」
ユニ兄は慣れた風に従業員へ注文を済ませると、奥の空いているテーブルの椅子に毛皮付き外套をかけてから腰かける。外套の下の灰色軍服も一緒に脱いでしまったので半袖と鍛えられた二の腕が見えた。
あるじもジャンパーコートを椅子にかけて正面に座る。コートをぬいだので半袖インナー姿になり貧相な二の腕が見えた。
………………。
「な、何だよ、猫」
…………いえ、別に。あるじには何も期待もしていませんでしたから。
「今の動作の何がお前に絶望を与えたんだ!?」
私はあるじの膝の上を経由してひょいと机の上に飛び乗った。
「あ、こら乗るな」
あるじは行儀の悪い私を注意するがジョッキを持ってきた店員は何も言わなかった。ユニ兄も大して気にしていないようだ。
「ねーこ、酒飲ーむか?」
私にジョッキを傾けてきたのでぺろっと一口だけ舐めたが、あまり好きくない味がした。…………だんだん鼻の奥が痛くなってくる。前足で顔を洗うように鼻をこするが、痛みは取れない。痛い痛い!
それを見てユニ兄はけらけら笑う。
「飲めないくーちか?」
「猫に酒の良さは分からないだろ」
あるじは赤黒い液体で満たされたジョッキを傾け自分の口に注ぎながら、私の手を押さえる。放して放して。
「我慢しなさい。引っ搔いてもアルコールは抜けないぞ」
というかなに飲んでんだ16歳。
「でー、だ」
ジョッキの中身を3分の1ほど飲みほしたユニ兄が口を開く。
「話はみーちすがら聞いたが―――そのねーこが雪竜の眷属ねえ」
鳥君の爆走RUNでこの街に向かう途中に、2カ月という間もヒキコモリの反義語的な活動をしていたユニ兄にこの間の雪山騒動解決編の秘話を教えたりしたのだ。
解決してから1週間も経つのに誰も教えてやらなかったんか、という友達いない子レッテルに対し、森の中で2カ月ぶりの人類遭遇だった、と答えたユニ兄。
とはいえ全くの真実を教えたわけではない。教えた話で事実と違うのは私達が【召還】されてないことと、あの魔物さん達にお話ししたように私が雪竜の眷属だから【エルミニの雪遮竜壁】を使えるといった事だけ。
召還だけでなく私の能力についても雪竜の助言を受けて秘密にすることにしたのだ。
「――――白猫が雪竜の眷属とは………なーるほど。ユニの手伝いをしてくれた君達にはお礼をするべきかーな。妹を助けてくれて、ありがとう」
「あ、そんな、頭を下げなくても…………」
「そーう? んじゃ、あざーす」
「急に軽くなった! いいけどさ…………」
あるじのタメ口も気にしていないし意外とノリがいいなユニ兄。
ユニはプリンセス! って感じがしたがユニ兄はプリン?ッスみたいで偉い人とは思えない。一応、大国の王位をいつか継ぐ者、つまり国で二番目くらいに偉いだろうに。
銀の髪や顔立ちもあって隠せない高貴さが鼻から噴出されているが、2カ月サバイバルを共にした衣服とガラス色の大剣が何とか気のいいあんちゃんに貶めている。王子様がこんな所にいたら大騒ぎだが、気づかれてはいない。
本人もその事がよくわかっているのか周りを気にしないでごくごくと喉をうるおしている。
そうでなくてもすぐ背後のテーブルで「がんばれ、後数皿だぞ!」「今まで100人を屠ってきた『味覚殺し(タング・ディスファンクション)』を倒せるのか!?」「食べた肉はどこに収まってるんだ!」などと鉄の胃袋の持ち主が超注目を浴びているのだから目立たないのかもしれない。
「でー、だ」
ユニ兄がおもむろに切り出す。
「俺としては、色々話聞けーてありがたーい―――で、いいが………君は違ーうよな。俺に聞きたいことあーるんじゃないのか」
ジョッキを揺らして中の液体が波打つ音を楽しむかのように、耳の横にジョッキをかざす。
「そーれは………あの森で何していたのかー、に関係しているだろ」
にやりと表現するのが的確である品のない笑みを浮かべるが、元がいいとそんな笑顔までもが様になる。これがプリンスオーラ……………!
それに対しプアオーラを放つあるじは雑草をもさもさ食べている。無論、誤字ではない。道草を食うという比喩でもない。
飲み屋なのに金のないあるじは鮮度100%の野草を食べることで飢えをしのいでいるのだ。葡萄酒は自分は頼んでないと主張しておごらせる気だろう。せ、せこい。
「…………聞きたいんだけど、どうして〈魔物狩り〉なんて?」
ジョッキを静かに置きいつも通り締まりのない顔のあるじに、何かを見たのかユニ兄もジョッキを置いた。
「………………………」
「なんで、魔物を殺したんだ? それに―――」
―――あんなことを。
多種多様多量の動物が死んでいた――なんて簡単な言葉では言い表せない――惨状にあるじはらしくもなく感情移入をしているようだ。
らしくもなく自分から戦闘を仕掛ける程に、だ。
結果として〈魔物狩り〉を森から遠ざけることに成功したというのに、表情も何もかも冴えない言外のあるじの言いに、ユニ兄はテーブルに肘をつき手の平に顎を乗せてあるじを眇める。
「なぜ、殺した―――と言われても、俺はたーいした答えは返せないが、いいか?」
「……………………」
無表情の無言という何の感情も現れていないあるじの意思表示を、続きをうながすものと解釈したユニ兄は簡単に言った。
「それなーら一言―――――――――魔物だから殺した」
あまりにも理不尽な一言。
魔物だから、敵だから、倒す。経験値を、アイテムを手に入れるために倒す。それは非現実での当たり前。だが現実では非道な行い。
そんな挑発ともとれる言葉にあるじは何の反応も見せなず、そんな態度を見てユニ兄はニヤリと笑う。
「怒るかと思ったが、なーるほど。くーだらない博愛精神からの発言じゃーないみたいだな」
「…………今のは嘘?」
「ああ、わーるかった。質問の意図がわーからなかったからな、てーきとう言っただけだ」
手をかざして微笑しながら悪びれるユニ兄にあるじはお返しをする。
「それで僕の反応を見て、僕の性格・行動指針を把握しようとした?」
「……………そこまで、見抜かれてーるとは」
あるじの鋭い指摘に頭をかくユニ兄。
ユニ兄はどうやら信用したフリをして疑っていたようだ。今のはわざと悪意のこもった言葉であるじを揺さぶりボロを出させようとしたのであろう。
まあ、彼が私達に仮とはいえ信用を置いているのは【雪遮竜壁】の魔法と軍章だけだから当然とも言える。
【雪遮竜壁】がそれだけ、他人を信じさせる説得力があると思っていたのだが。どうりで簡単に信用したと思ったら、実はこちらをさぐるためだったという訳だ。
「わーるい悪い。王子ってのもメンドーくさいことに易々と他人を信じーるわけにはいかないんだ」
「王子ってのも苦労事が多そうだからなー」
「ホントホント、少しやーんちゃなことしたらすぐ噂が広がーるわ親に報告さーれるわ」
素行の悪い学生か。
大変だねー、などと呑気に言う一般市民。大変なのは収入ゼロのあるじの方である事を忘れてないだろうか、この人は。
身分が天辺でも底辺でも苦労する人間は大変だなー。猫にはわかりません。
話がそれなかったのか、そらせなかったのか、ユニ兄はもう一度質問に今度は嘘をつかない、と前置きしてから答える。
「答えるなら―――やっぱり、魔物が俺の前に立ったからだな」
「……………その意味は?」
「王子としての覚悟、だーな。王子としての俺の後ろにあーるのは国だ。そしてその国を民を守る俺の前に立ちふさがるのなら、国を脅かす者として同義だ。俺の国に害なすならば―――容赦はしない。
それが同朋でも、動物でも―――竜でも、だ」
私達が解決したエルミニの大山脈の騒動。
エルミニ大山脈に棲む動物達が起こした反乱に似た暴動。幾千もの幾万のも動物達がシェイラ・ジャルガ王国を襲った。
その際、王国は壊滅間際まで追い込まれたのだ。
雪国という厳しい環境で共に生きる同朋(いきもの)、なんて甘い事は言っていられない状態。
勝つか負けるか。生きるか―――死ぬか。
死なば全てを食われ、負ければ全てを失う。
「……………………」
それは私達のいた世界と同じ路地裏の条理、弱肉強食。裏路地で人知れず横たわった死体が誰も知らず闇に葬りさられる世界。
生きることだけが己を証明し、勝つことだけが己に意味を手に入れる。
そんな世界の住人だった私達には、彼の言葉を否定できない。
「そーんな、理由じゃなーっとくできないか?」
「……………………いや、そうでもない」
そもそも否定する意味はないのに、あるじの表情は硬い。
実を言うと死体なんて見慣れている、とは言わないが初めてではない。それこそ巨大な虎のなれ果てから、同じ人間まで。
いつも逃げ回っていた私達だが、それでも危険な世界にいたのだ。雪山でも、見た。もっと原形をとどめていないモノも見たこともあったが、その時はあるじもこんな表情はしなかった。
魔物だから倒すべし。金を、素材を、経験値を得るために倒すのは当たり前。それがこの異世界で当たり前の設定。
あの花園の血溜まりにあるじは何を感じたのだろうか。
私がそれを知るのは―――2日後の夜、雨に打たれながらなのだが、この時はただ不思議だった。
微妙な空気が流れる中、エプロンをかけた女性店員が「ルプルの焼き肉お待ち!」と皿に盛られた何かの肉を持ってきた。香ばしい焼かれた肉の匂いがしてヒゲがぴくぴく動いてしまう。
「で、話はそーれだけか?」
「それに関係する事なんだけど、少なくともあの森にしばらく近寄らないでもらいたいなー………なんて」
「? まあ、そのくーらいならいいが………」
ユニ兄はそう言ってこの話はおしまいとジョッキをあおる。
これであの森から《魔物狩り》を追い出したことに、なったのか? これで魔物も森に帰れるだろう。意外と呆気なく終わってしまった。
ふぅ、とあるじは額の汗を袖で拭き達成感に浸っていた。犯人が身内の兄という棚ボタがあっただけで、あるじは何もしてない気がするのだが。
ユニ兄は肉を添えられた串で刺して食べる。それを見て、あるじのジョッキを持つ手をカリカリと爪を立てずに搔いた。
あるじ、あるじ! 私も肉、食べたい!
「お金ないから我慢しなさい。その代わりツクシあげるから」
ツクシより肉をっ! と机の上で駄々をこねる私の口に産地直送採れたてツクシを突っ込んだ。うう、苦いよう、ひもじいよう。
もっさもっさとツクシを食べる人間と猫コンビを見て、哀れむような表情でユニ兄はそっと皿を差し出した。
「肉、食ーべる?」
「食べるっ」食べますっ。
ジュバッ! と一瞬で皿から消える肉。後には添え物の野菜すら残らなかった。
「……………そ、そーんなに焦ーんなくとも」
「食卓は戦場! ベジタリアンでもないのに草ばっか食べてられるかあああああああああ」
ネズミの自給自足はもういやああああああ。
自給自足な生活の影におびえる私達二人。お姫様・ユニから逃げるなら、ここ数週間の毛並みが良くなるライフスタイルは朝霧に消えるだろう。朝昼晩用意してもらっていたご飯にはもう二度と出会えない。
さようならヒモ生活! 久しぶり極貧生活!
さあ、狩猟生活が君達を待っている!
よくわからないコマーシャルが脳内で流れる私の耳にユニ兄の若干ひいた声が聞こえた。
「そ、そーか。よくわーからないが矜持みたいなものか」
むしろ矜持なんて持っていたら雑草は食べません。それに比べて添え物の野菜のうまいことうまいこと。雑草の茹で加減の黄金律を編み出してはしゃいでいた私達がまるで傍から見たらかわいそうな子じゃないか。
あるじもようやく怪奇ベジタリアン! の恐怖から復帰して、口の中にまだ入っていた肉をもぐもぐ再開する。
ユニ兄はジョッキの中身を飲み干して、だんっとテーブルに叩きつけるように置いた。
「飯も食い終ーわったから、俺はもう国に帰ろうと思う。さーすがに国を空ーけすぎた。騒動が解決したーなら帰らーない理由がなーいからな」
「ま、待て待って! まだ聞きたい事がゴクン…………!」
いきなりの帰還宣言にあるじは慌てて止めようとし、咀嚼していた何かの肉を飲み込んでしまった。それで何故かあるじは頭を抱える。
「しまった! 後数時間は噛み続けてお肉の幸福感に浸ろうと思ったのに…………」
みっともないからやめなさい!
「猫は咀嚼できないから、この幸せがわからないんだ!」
ほら、ツクシあげますから代わりに噛んでなさい。
「もしゃもしゃ。うう、苦いよう、ひもじいよう」
泣き泣きツクシを噛み噛みしているのが憐れすぎたのかユニ兄は立ち上がりかけていた腰を下ろした。
「………ユニが助けられた礼くーらいならする。聞きたいことがあーるんだろ?」
「あ、えーっと…………」
「ユニのスリーサイズが聞ーきたいのか?」
聞いてません!
「それは本人に聞くからいい」
聞いちゃいけません!
私がたしなめると、質問内容を思い出したあるじが切り出す。こんな大事なことを一秒たりとも忘れられるあるじは大物なのか馬鹿なのか。
「そうじゃなかった。【召還魔法】について詳しく知りたいんだ」
「召還まほー?」
予想外の質問だったからかユニ兄は素っ頓狂な声を上げる。
【召還魔法】
動物を手元に召び寄せる魔法。
私達を異世界に召んだ魔法。
そして――――――禁断の魔法。
高級宿で聞いた話だと、100年も前から禁止されている由緒正しき禁術なのだという。
これで納得がいった。
王国お抱えの魔術師というハイレベルな技能を持つ人たちに聞いても詳しい事がわからなかったことと、追い詰められた土壇場でユニが【召還魔法】を使って【勇者】が現れたのを信じた理由。
禁術。
古くから禁止される故に詳しく知る人はおらず、禁忌と扱われているからこそ起死回生の一手に成りうると考えたのだ。
まさか予想とは別の意味で――【召還魔法】自体の情報が全然手に入らなくて――手を焼くとは考えてなかった。
ユニ兄も腑に落ちない表情で眉を寄せている。
「しょーかん魔法か…………なーんでそんな禁術を知ーりたいんだ?」
「う……………」
質問返しに口ごもるあるじ。まさか召還されたからですっ、なんて言えるわけない。
あからさまに目をそらす反応を見てユニ兄は「言ーいたくないなら答えなーくていい」と制してから召還魔法講座を始めた。
「【召還魔法】―――――ってのは、変な禁術だーな。
必要魔力がかーなり少なくて、【式構成】は現存まーほうの五指に入るくらーい複雑なのに発動は容易。幼等魔術師でーも使える」
「必要魔力? 式構成? 発動は容易? 幼等魔術師?」
未知なる単語の連発に早くもあるじが熱暴走を起こす。ユニ兄が半ばあきれながらわかりやすく解説してくれる。
「必要魔力は魔術を使ーうのに必要ーな魔力の量。
【式構成】はそーの魔術の設計図みーたいなものだ。【魔法式】とも言う。
発動が容易なのは、【召還魔法】は呪文も触媒も必要なく、ただ最初の一つの簡単な式を発動するだけで自動に連鎖して勝手に式が展開して発動する―――――って、魔術師なのにこんな基礎も知らないのか?」
「…………お、おさらいを兼ねて」
冷や汗を垂らすあるじ。私も【魔法】は使えるが理屈はさっぱりなので援護は無理。そもそも私がどうやって魔法を使えているのかがわからない。
まとめると、魔法は魔力を使って発動する超常現象で、それには呪文や触媒が必要な時もある。そして発動するには魔法式が必要である、と。こんな感じだろう。
で、召還魔法は魔法式が全部読めなくても、最初の一節が読めればあとはオルゴールのように自動発動だから誰にでも発動できる………ということらしい。
「改めて考えてみると禁術の意味がわーからないな」
この質問は彼の盲点を刺激したらしくアゴに手を当てて考え始める。
「触媒もこーかも大したものじゃーない。動物を召ぶだけの魔法だ。同じ禁術である【イナスィイアの沙羅曼珠】や【死眠街】【火神崇拝】、【運命】系に比べて劣る、というか正直どーでもいい魔法のはずだーが……………」
「…………………あ、あのー、次の質問いいですか?」
「んー、ああ、いーぞ」
あるじそっちのけで思索にふけり始めたユニ兄を止めて次の質問。
「〝TheSun〟と〝TheMoon〟という魔術師について、何か知らないか?」
〝TheSun〟と〝TheMoon〟―――――太陽と月。
竜の話にあった、召還魔法をつくった二人の魔術師。
500年も前の人物―――だが、そこから召還魔法に関して何か突破口が開けるかもしれないという魂胆である。
というかこれくらいしか思いつかなかった。質問の内容はどれも私の提案である。あるじは「ネット掲示板がない僕は無力だ」と、考えることすらしない。
まさか【召還魔法】がここまで――禁術なんて扱いで情報が少ない――厄介な代物だとは予想していなかったために手掛かりが全くないのだ。
藁をもつかむ状態。
だが、
「んー? …………知らーんな。聞いたことない」
やはり藁では溺れる者の力にはなることができず沈んでしまった。
むぅ有名人じゃないのか、とかんばしくないお返事に困って二人そろって眉を寄せるあるじと私に、ユニ兄は立ち上がりながら軍服と外套に袖を通しはじめる。
「おーれはもう行く。君はどうやら信用できる人間みたいだからな」
「しんにょう?」
それは漢字の部首です。こいつは信用ならないヘタレだな、とかの信用です。
「ああ、信用ね…………さっきの話の続き?」
王子はうんぬんだから信用うんぬんの話ですね。
その王子様は軍服を外套でうまく隠しながらボタンを留めながら気軽に言う。
「王子というよーりかは、一家の長男として、だな。ウチの極秘事項を知ーっている人間がいたら、さすがに気になる。ウチは腹黒いことしか考えていなーい母と頼りなーい妹達と輪をかけて頼りなーい父しかいないから、俺が気をつけないーと」
苦笑交じりに王子様は言った。一見酷いことを言っているが、そこには隠しきれない愛情がこもっていた。
家族…………ねぇ。
ユニ兄は着た軍服の前釦を留めながら、口端をあげる。
「君のことは暫定的に信用したから詳しいことは聞かない。ユニの護衛なのに何でユニがいないかとか」
「ぎっくんっぱ」
その驚きかた古いですよ!
冷汗を流してヒューヒューと口笛モドキを吹くあるじ。だから古いから。
まさか『劇場版・猫とあるじの逃亡計画』前売り券を買うともれなく猫ストラップついてくるキャンペーン! を実施しているとは言えない。軍隊で逃亡は銃殺刑です。勇者の逃亡はどうなるのだろうか。
「だから、聞きはしない」
「た、助かった…………」
冷や汗を拭きながらあるじは笑った。あの、私はハンカチじゃないんですが………。
壁に立てかけていた大剣を背中に背負い、ユニ兄はまるで明日もまた会う友人と別れるかのような気軽さで別れを告げる。
「じゃあ、がんばーれよ」
「………何を?」
「とりあえず、勇者をじゃないか?」
「え?」
呆然となる私達を通り過ぎて、ユニ兄は飲み屋から出ていってしまった。
ちょうど早食いチャレンジャーが「いいぞラストスパートだ!」「新記録が出るかこれは!」「後少し、後少しだー!」クリアしそうな歓声が聞こえた。
その楽しげな雰囲気から離れた表情をしているだろう私とあるじ。
「僕ら、勇者なんて単語を一回も使わなかったよな…………」
ですよね……………。
まさか召還魔法の話を聞いただけで私達の正体(召還された=勇者)を看破したのだろうか。
それとも、実は人と合うのは数か月ぶりでも誰かと連絡を取り合っていて聞いたのかもしれない。私達のことをそれとなく聞いていたのかもしれない。
どちらにしろ、何も知らないような素知らぬ顔で話していたなんて、意外とくせのある人物だったのかも。
「まあ、二度と会わないだろうから、どうでもいいや」
端的に私達の心情を表したあるじはのんきに葡萄酒をあおっている。正体を知られてもハゲたり寝つきが悪くなったりするペナルティがあるわけでもないので、バレた場合は「ま、いっかー」で済ませられるのだ。
しかし、私はそんな一言では済まない事実に気がついた。
いいんですか、行かせちゃって。
「………ユニがこの街の近くに来てること言うの忘れてたな。どうしよ、追いかける?」
それもそうなんですけど。あの人、お金払っていきませんでしたよ。
「………? …………………、……………!!!」
なんのことか意味がわからないという締まりのない表情から、ふとコンビニに立ち寄ったら店員がチェンソーもった殺人鬼だったような表情をするあるじ。
視線を落とすと、そこには空のジョッキと空の皿がある。
「……………く、食い逃げやがった!」
あるじがユニ兄におごらせようと考えていたように、ユニ兄もあるじに払わせる気だったのだろう。まさか、勇者のことを黙っていたのも店を出る時の一瞬の隙を突くためだったのか………?
なんというか、やはり一枚も二枚も上手だった。
「ずるい! 僕のなけなしの良心が自重させていた奥義を簡単に使ってくるなんて………!」
憤慨する(といってもユルいので擬音をつけるならぷんぷん)あるじの肩をとんとんと誰かが叩いた。
「王子様なら飯代名一つや二つや三つくらいぽんと出して………って、誰? 今忙しいんですけど」
「忙しいなら、お先にお会計を済ませてはどうですかな?」
「へ?」
肩を叩かれて振り返ると、そこには笑顔を浮かべているが目は少しも笑っていない巨体の店員がいた。肌が浅黒く目元のほりが深い、飲み屋の店員というよりはカジノの用心棒といった風体だ。唯一口元は怖くないが、いやらしく笑っているのが別の恐怖をかきたてる。
「まさか金がないのに、飲み食いしたとは言いませんよね? いひっ。もし、お金がないのなら返済計画について私とベッドの中で話し合いましょうか、、へっへっへっ。
《炭坑で石運びゲーム時間無制限》から《ペット体験衣食住だけ保障》まで各種ご用意してますよ。さあ、相談は………ウフッ」
「………………」
この展開、どこかで見たことあるぞ………?
あるじは視線を上下下右左右と必殺技コマンドっぽくさまよわせて、わかりやすくうろたえている。
「さあ、めくるめく労働の世界へ行きましょうか」
「くっ…………ええい、控えい控えい!」
せまりくる巨漢のプレッシャーにあるじが壊れ何かを言いだした。
「我こそはシェイラジャルガ王国の第三姫の護衛なるぞ。この軍章が眼に入らぬか!」
権力を盾に食い逃げする気だー! さっきまで権力を嫌ってたのに。だが、軍章を見た巨漢は巌のように動かない。
「だから何ですか?」
「へ」
「たとえ軍人様であろうがお金がないのなら飲まず食わずで『雨水って意外とおいしいや』と虚ろな目で言ってしまうくらいまで働いてもらいます。うふっ」
「あ、この店の名前ってそういう意味だったのね……………」
権力に屈しないという見上げた根性に見下ろされる権力に尻尾振ったあるじはいきなり大声をあげて指差した。
「……………あー! あんな所にこの店を潰す気まんまんの人間がっ」
「何ィ!? ………ただの大食いチャンピオンじゃないか。食べた量は店が潰れる勢いだが」
「今の内に逃げるっ」
「のあっ、こら待ちやがれっ!」
結局こうなるんですよねー、と巨漢の男があらぬ方向を向いている内に私達は飲み屋を転がるように出て大通りを走り始める。いわゆる食い逃げだ。多分、あの巨漢は追ってくるだろう。
はあ、とため息をついて一抹の罪悪感とともに飲み屋の看板を見上げると、ちょうど早食いチャンピオンが食べ終わった歓声が聞こえた。
「のあっ、こら待ちやがれっ! 逃がさないよ久しぶりの美味しそうな獲物ォ!」
飲み屋『雪解け水って意外とおいしい屋』の店内でどたどたとあわただしく店から逃げた食い逃げを用心棒が追いかける、なんて目立つことがあったというのに客は誰も彼らに注目しなかった。
それよりも注目される出来事があったからだ。
客が見守っているのは、猫達が座っていた席の背後に座っていた人物。テーブルには皿やどんぶりといった、食い散らかされた大量の残骸とでもいうべき食器が山高く積み重なっている。
大量の視線を集めていた挑戦者がごとりと丼を置くと、わっと歓声が上がった。
「うぉー! 初めて達成者が出たぞ!」「まさか…………こんなことがあるなんて」「いいもん見れたぞ姉ちゃん!」「また一つこの店に伝説ができた!」
客は思い思いの言葉をかけるが挑戦者は無愛想に手を上げることすらしない。
しかし、客たちは無愛想さに気にもしない。今しがた超特盛激辛激甘激塩コース3人前をたいらげるという人智の知れない所業を目の前にして、いい出し物が見れたと興奮冷めやらぬまま客たちは帰っていく。
「んー……………」
辛・甘・しょっぱい三属性の料理を交互に出すことで波状攻撃を相手の胃に打ち込み降参させる《味覚殺し(タング・ディスファンクション)コース》を三人前も胃に収めた当の本人は特に喜びもせず食後の茶をすすっていた。
「んー?」
細身のどこに大盛コース三人前が入ったのかわからないが、腹をさすりながら女性は考えるように、でもどこか楽しそうに目を細める。
「エルミニの魔術師にシェイラ・ジャルガの王子、か」
歯に挟まった肉をとった串をくわえた女はニヤリと獰猛な笑みを浮かべる。さっき3人前たいらげたというのに餓狼を彷彿とさせる笑み。
「なーんだか、面白そうな事になってるじゃねえか」
後ろで一本に纏めた赤髪を不死鳥の尾羽のように舞わせ、烏が羽ばたくように黒い外套を羽織りながら【蒼火の魔術師】はくわえた串を噛み砕いた。