Lv09―湯けむり温泉街事件
突然の別れで玄関に残されたのは、私とアリアと緑帽子の支配人。
「さて、お嬢様方も行きますか?」
支配人は笑顔を浮かべるが、アリアは突然の事態に無表情でおろおろしている。
私はアリアの胸元から飛び降りて、一度振り返ってから歩きだす。ちゃんとついてきなさいという意思が伝わり、アリアもとことこ歩きだしてその後を支配人がついていく。あ、靴はぬぎなさいよ。
あるじがどこへ行ったのかは案内がなくても大体の音がする位置でわかる。二、三度、廊下を曲がると、あるじを胴上げして担ぐ従業員の群れが見えた。
従業員達は一つの部屋の前で止まると、あるじをポーンと部屋の中に投げ入れ去っていった。部屋の中をのぞくと、膝立ちでなんとか着地したあるじと畳に正座する支配人が二人いた。
私が驚いて後ろを向くとそこには緑色のハンチング帽をかぶった支配人が。
部屋を見ると赤色のハンチング帽と白赤マーブルのコサック帽をかぶった支配人が二人いた。
「ぶ、分身の魔法か!?」
と、私と同じように驚いているあるじ。答えはすぐに明かされた。緑帽の支配人が部屋に入って二人の支配人に話しかけた。
「兄さん達! 魔術師様が来てくださったよ!」
「本当か弟よ。この少年がか?」
赤帽子の支配人がいぶかしげにあるじを見る。どうやら兄弟のようだ。それには三人とも似すぎているが、三つ子というやつだろう。
「シェイラ・ジャルガ王軍の魔術師軍章を持っていたから本当だよ!」
「しかし、イージル弟よ。軍章ぐらいなら盗みでも手に入る。シェイラ・ジャルガ王国の魔術師といえば一騎当千の猛者だ。少年がそれ程のつわものには見えない」
「失礼だよリオーマ兄さん! たしかに幸も薄くて陰も薄そうな少年だけど魔術には関係ないよ」
緑帽の支配人があるじをかばい赤帽の支配人が疑うという喧嘩しているが、両方とも本当のこととはいえ初対面の人間に失礼である。
この世に生まれてから数十回目の急展開にうんざりするあるじにアリアは近づいて背後から首を回すようにして抱きつく。どうやら引き離されたことから学習して、離れないようにくっつくことにしたようだ。
二人の喧嘩はヒートアップして「リオーマ兄さんはいつもそうだよ! いいとこ取りばっか。兄さんばっかりずるいや!」「イージルには長兄のつらさなんてわからない! この私のプレッシャーが緑色にわかるか!」「緑を馬鹿にするな! 派手で頭悪そうな赤色のくせに!」ただの兄弟喧嘩になっている。
話題からそれたあるじは、背後から抱きついていたアリアを抱きすくめるように前に移動させてあやしている。アリアはまだご機嫌斜めなのか。
兄弟喧嘩と兄妹いちゃいちゃという収拾をつけたのは、いままで黙って瞑想をする僧侶のように目をつぶっていた、赤白マーブルのふわふわのコッサック帽をかぶった支配人だった。
「私の【幻壁の結び】を通過した時点で、魔術師なのは間違いあるまい」
「キオ・ピオ弟…………しかし偶然という事も」
「偶然で破られる程、私の魔術は未熟ではない」
「【幻壁の結び】?」
あるじが支配人・赤と赤白帽の話に横やりを入れるが、赤白帽がすんなり答えてくれた。
「【幻壁の結び】はこの旅館、いや塀に掛けた魔術だ。敷地に入った時、魔力の流れを感じただろ」
「ああ、あの静電気のことか」
私の毛並みがぶわっとなったのは自然現象ではなかったのか。
赤白帽子はなんというか、魔術師らしい落ち着いて静けさであるじを見つめ、兄である赤帽子に説明する。
「塀の切れ目を感じさせず、魔術の心得がない物は門から入る事が出来ない魔術だ。魔術師か魔術師を従える者以外は門前払いする。此処にいる以上、どちらかが魔術師なのだろう」
「む…………」
さすが、高級旅館。魔術による防犯もバッチリなのか。
赤帽子支配人が論破されうなり、赤白帽支配人が私達――あるじとアリアに視線を投げかける。あるじが何かを言おうと口を開くが、それよりも早く緑帽の支配人が熱い目をしてあるじにつめよる。
「やっぱり魔術師様ですよね!」
「いえ、違います」
「助けてください魔術師様!」
聞いてない。あるじの咄嗟な否定を気にせず緑帽子は真摯な目を向けていた。
先程の魔術の説明ですでに頭が混乱しかけているあるじは大声で止める。
「ちょ、ちょっと、待って! まずは落ち着いてくれ!」
「し、失礼しました」
緑帽の支配人がようやく自分が熱くなっているのに気付き、あわててあるじから飛びのく。
あるじの嫌がっている顔には、厄介事の予感に30%、おっさんに迫られたから35%、王様にも迫られたことを思い出してが35%含まれていた。
そのあるじの嫌顔に冷や汗を垂らしながら緑帽の支配人が咳払いをする。
「こ、コホン。すいません紹介もまだしていないのに。こちら赤いハンチング帽子をかぶっているのが私の兄リオーマです」
「リオーマだ、よろしく。この街の客分役人と貨幣経済流通管理商人会の役員をやっている」
「こっちの赤白まだら模様のコサック帽が弟キオ・ピオです」
「キオ・ピオだ。同じ魔術師で、この旅館の警備責任者だ」
そう丁寧にされてしまうとヘタレなあるじは嫌顔を維持できず恐縮してしまう。あわてて足を正して正座する。
「あー、僕の名前は在名。シェイラ・ジャルガ王国第三姫の護衛役です。こっちは連れの猫とアリア」
私はあるじの横に座りにゃーと鳴くが、アリアはまだ怖がっているのか抱かれたままだ。
その空気を消すようにあるじが苦笑いで質問をする。
「と、ところで。お三人は、み、三つ子ですか」
「いえ、七つ子です」
七つ子!? この顔があと4つも存在するのか!
「後の4人は大陸各地に散って仕事をしています。今頃何をしているやら」
「オッサンの七つ子って需要なさそうだな…………」
ぽつりともれる本音は聞こえなかったのか、三人は気にせず口を開いた。
「それで魔術師様に頼みたい事が」
「あー、質問や依頼は事務所を通してください」
「実はこの街に最近物騒な事が起こっているんです」
「この世界の人はみんな僕の話を聞かないのはどうして!?」
「少女が行方不明になるという事件が多発しているんです!」
「……………………」
ぴたりと頭を押さえ嘆いていたあるじの行動が止まった。少女、という部分に気を引かれたのだ。腕の中のアリアを抱きしめ静聴する。
緑帽支配人はその動作に脈アリと感じたのか話を進める。その表情は暗くりっぱな口ひげを触りながらと、あまりいい話ではなさそうだ。
「数日前…………正確には3日前に役所に一人の女性が駆け込みました」
「役所?」
「リオーマ兄さんは街の役所で仕事をしているんだ。女性はとある少女の母親で娘がいなくなったと血相を変えてやってきたのです」
「……………続きを」
あるじは自分の首に顔をうずめるアリアのつむじに目を落としながら促す。
「この街は温泉宿街という人の流れが多い土地のため、少女が男と駆け落ちするなんてことも珍しくなく、兄さん達も最初は話を聞いて記録に残すだけだったんです」
「だが、話はそれだけではない」
緑帽の話を赤帽子が引き継いだ。こちらも口ひげを手遊びに触っている。
「その次の日、今度は3人の人間が家族がいなくなったと駆けこんできた。話を聞いた所、16の少女と9歳の少女二人がいなくなったらしい。話によると行方知らずになる前は全員が変わった様子はなく、駆け落ちするような性格でもないようだ」
「そしてさらに次の日にも一人、朝になっても恋人が帰って来ないという報告があったんです」
「そして今日も、一人の少年が姉が昨日から帰って来ない、と泣きついてきた」
温泉街連続少女失踪事件、とでも推理漫画ならサブタイトルにつくのだろう。そして主人公がその事件の謎を解き解決する。だが、この世界は推理漫画ではなく異世界の現実。そして主役はヘタレと猫。
名探偵ならば事件が起こると嬉々として解決しようと渦中に入っていくのだろうが、ヘタレは事件が起これば恐々と逃げるために渦中から出ていく。
だが、事件を解かなくとも問題は解決せねばならない。
もしかすると〈アリアがこの失踪した少女のうち一人なのかもしれない〉のだから。火中の栗を拾いに行く必要があるのか見定めるためにも一目散で逃げるわけにはいかないのだ。
それがわかっているあるじはアリアの髪を撫でながら―――何故そこまで真剣になるのか―――目を閉じて話を整理しながら疑問点を上げていく。
数日にわたっての、計6人の少女の失踪。
「人買い、という線はない?」
元の世界で少女が失踪すると、大体は家出か駆け落ちか人買いにさらわれたかのどちらかであった。
人買い――人間を拐(かどわか)しどこかの有力者に人権を無視して売り渡す商売人。その先が労働力としての炭鉱か、玩具としての金持ちの遊び場のどちらにしろ悪夢には違いない。
表の人間をさらう浅い裏の住人。卑しき砂金拾い。無能ゆえの脱落者。染まりきれない弱者。三文悪人。様々な蔑称をつけられながら、警察に、国際私営万物警護局に、護衛人〈セキュリティ〉に、殺し屋〈タナトス〉に、様々な人間に狙われ殺されながらも根絶やしにはできない、この世界にもいるだろう職業。
「人買いはない。検問があるから、荷物を調べたら一発だ」
「? 僕はそんな検問されなかったけど」
「それは軍章があるからですよ。この街はシェイラ・ジャルガ王国に属しているので、それがないと普通はノーパスなんて有り得ません」
軍章すげー、とどうでもいいことを思うがあるじは慣れない頭を使って質問をする。
「……この街は山に囲まれているんだから、素直に街門からでななくても」
「この街は一見、山から入りやすそうに見えるが動物・人間両用の侵入防止杭が街を囲うように打たれている。それもただの木製じゃなく【魔術性】のだ。破壊はほぼ不可能だと考えて構わない」
赤帽子が丁寧に答えているが、あるじは返事をせず考え込んでいる。そして何かに考え付いたのか眉を跳ねさせ顔を上げた。
「…………ん? それで何で僕に何を僕に頼むんだ?」
今の話だけを聞くと、名探偵(実在するかは分からないが、魔法があるんだもの名探偵もいると信じたい)でも連れて来いと思う。すくなくともあるじの出番ではない。どんな時があるじの出番か聞かれると困るけど。
至極もっともなあるじの言葉に、緑帽の支配人は両手で口元を隠すように組み真剣な表情で答える。
「実は私達、この事件の犯人は魔術を使っているのではないかと疑っているんです」
「魔術…………」
【魔術】
魔法の壁を作り出しての防御、電撃を放出して攻撃、炎の蛇を操り襲撃、といった戦闘に便利そうな通常の物理法則を完全無視した術。
私達の世界にはなくて、この世界にはある法則。
「魔術性の杭は壊すことこそできないが、中級魔術の【跳躍】でなら飛び越えられる」
「それなら監視カメラでも………って、監視カメラなんてあるわけないか。なら人を置いて監視していたりは?」
「街を覆う杭全部をか? 現実的じゃない」
赤帽子が苦い顔しながら深いため息をつく。この事件に悩んで苦労させられているのがありありと伝わってくる。
「失踪者本人か何か手掛かりがないか山は捜索したし、街中に探し回った。近隣の村にも聞きこんでいるがどれもうまくいかない。私達には打てる手段はもうない。それに…………」
言葉を続けようとした赤帽子の口が止まった。緑帽子も赤白帽子も目を伏せる。
なんだ? と思うよりも早く、それは告げられた。
「それに…………ここだけの話だが、一昨日の夜、捜索指揮をとっていた街長が―――何者かに殺された」
「―――――――――」
私とあるじは絶句した。
この部屋にいる人間は哀悼・驚愕の差はあれど等しく口を閉ざした。
一人を除いて。
アリアはあるじの腕の中が気に入ったのか、目をつぶりながら眠りやすいように体を動かしている。
昨夜、路地裏で見つけた血まみれの記憶喪失少女。
まさか―――――関係ないだろうな?
私以上に驚愕しているだろうあるじだが、それをおくびにも出さず情報を聞き出そうとする。
「何者かって、わかってないの?」
「ああ…………役所の街長室で首元を刃物で一搔き、しかわからない。間の悪いことに捜索で人をかりだしてたから役所には人がいなく目撃者はゼロだ」
「指紋、髪の毛、監視カメラ、生体電認…………どれも無理そうだな。死体は、もう?」
もう、というのは既に火葬なり埋葬なりしたのか、というころだ。
死体はいろいろなことから犯人を浮き彫りになせる重要な証拠物件である。刃物の切り口、深さ、血のかたまり具合、筋肉の硬直度、それだけで犯人の身長・体格・犯行時刻ぐらいは特別な道具がなくとも概算で割り出せる。
質問に答えたのは赤帽子。役所で働いて、それなりに偉いらしいので詳しいのだろう。
「ああ、既に墓地で眠っている…………街長がなくなってその間、失踪者の捜索指揮は誰もとっておらず、捜索は滞った。今こそ私が指揮を取っているが、それでも街長が亡くなったのは大きく街中での捜索で手いっぱいだ。その上、最初の失踪者が出てからもう5日もたっている。…………正直、どうしようもないのが現状だ」
「………………」
あるじはそれに何も答えず、アリアを抱きしめる。
「だから魔術師である、貴公に頼みたい………!」
さきほどまであるじを疑っていた赤帽子が頭を下げる。年下の少年に中年男性が帽子を脱いで頭を下げる――そこまでこの事件は行き詰っているのか。
大人が子供に頭を下げるというのは、若者にはわからない苦渋に満ちているだろう。それからは頭を下げながらも断らせない雰囲気がひしひしと伝わってくる。
しかし、それがあるじに伝わるかどうかは別問題だ!
「魔術師ならキノピじゃないキオ・ピオさんがいるじゃないですか。僕には無理ですよー」
空気を読まずにあるじは面倒事をかわそうと逃げる。私も帽子をとった赤帽子をどう呼べばいいのかで悩むだけ。
それに対して、話の焦点が当てられた赤白帽が静かに口を開いた。
「この街の為、街の平穏を守るためなら私は全力を出すのもいとわない。だが私は【幻壁の結び】に特化した魔術師だ。それ以外の魔術はほぼ使えない」
「【エルミニの雪遮竜壁】を扱うシェイラ・ジャルガ王家みたいなもの?」
そのあるじの言葉に赤白帽はふっと笑う。
「そうだな、あの王族の秘儀を3段階くらい落とした感じだ。私はこの敷地に特化していて、ここでは大抵の出来事を見逃さないが、【無為感知域】もこの旅館の敷地内を出るとかなり狭くなる……………
不完全な魔術師なのだよ、私は。だから私には消えた少女達を救う事は出来ない」
それは自嘲するかのような笑いだった。
無為感知域………また新しい用語だ。覚えていられるだろうか、と私は心配になるが、あるじの懸念はそんな所にはなかった。眉を潜めてうつむいている。
赤白帽の話の最後の辺り――「不完全な」――の部分であるじの肩が跳ねていた。何かを思ったのだろうか。
からっぽ。
不完全。
この街に来てから、あるじは、らしくないことばかりする。
厄介事確実な血まみれの少女を拾い、
「――――――はぁ、わかりましたよ。条件があります」
妥協して自分から逃げるのをやめた。
事件に首を突っ込むのは悪いことではない。この街で起きた事件なら、この街で拾った血まみれだった少女に何か関係がある可能性が高いと判断するのは至極当然だ。アリアのことを考えるなら悪くない判断である。
それだけ、なのだろうか。ここ数年間起こらなかったことが、ここ数週間に二回も。私はあるじに聞こうとあるじの表情を見て、止めた。口をはさむのは無粋だと思ったからだ。
あるじの表情はいつもの仕方がない、と諦める情けない表情。だが目付きは、いつもの抜けた形ではなく、挑むように鋭い。
「もっと詳しい情報を―――明確な失踪日時と失踪した人のリストが知りたいです」
赤帽子は説得がこんな簡単にいくとは思ってなかったのか、それともあるじの急変した真剣さに驚いたのか「わ、わかった、用意しよう」と取り繕うように言った。
あるじはそれにも構わず、自分がどれだけ真剣になっているのにさえ気付いていないだろう。
「それと、シェイラ・ジャルガ王国首都とウィルマ直通の道で何か事件はありませんでした? 例えば…………魔物が大量発生したとか、魔物狩りが近くに出たとか」
「い、いや聞いてないです。何にも」
緑帽子が赤帽子に代わって答える。緑帽子もあるじの雰囲気にのまれていた。
「それならいいんです。姫がそのルートでこちらに来ると聞いていたので」
そう取ってつけるが、帽子兄弟には事件にとりかかる前に職務の心配ごとを片づけるために聞いた、と考えただろう。
これで、魔物の大群が勝手に討伐される心配も当分ない。
同時に、魔物狩りについて詳しいこともわからないが。
最後に、本当に最後に、重要度が一番低い案件を片づけるように、あるじは聞いた。
「もう一つは―――研究をしていたりする【召還魔法】に詳しい人物を紹介してください」
私達をこの世界に導いた方法を知るために。
私達の身に起きた事実を把握するために。
私達の【異世界召還論】を証明するために。
だが私は忘れていたのだ―――――
魔術士である赤白帽が、困惑気味に教えてくれる。
「…………いるわけないだろう」
――――――期待は裏切られる物、ということを。
「【召還魔法】は100年前から【禁術】に指定されているじゃないか」