Lv08―はじめてのおつかい
私は次の日の早朝、宿屋の人間が仕事の為に起きた音でまぶたを開いた。
防音コーティング技術なんぞがこの異世界にあるはずもなく、猫でなくとも気づくくらい音が響く。
私は起きあがらず、首を動かし部屋を見渡す。
ベッドの中は空っぽ、ではなく少女が――じゃないアリアが数時間前の姿と少しも変わらず寝ていた。
私は起き上がりあるじの膝の上に座り、かりかりと腹をやさしく引っ掻く。
あるじはそれでも起きないので、私は必殺技を使うことにした。
膝の上の袖を噛み、そのまま勢いをつけて飛んでベッドの上に飛び乗る。当然あるじの腕は前に引っ張られる。そして寝ているあるじは何の抵抗もなく前に引っ張られる。寝ているので踏ん張ることもできずに体は前へ倒れる。前にはベッドがある。だが、勢いはそこまでないので椅子から崩れ落ちるように倒れる。椅子からベッドまでの距離は遠いため、あるじの頭だけが届く。届くといっても、ベッドの布団部分には届かず木製部分にぎりぎり届く。
要約すると、あるじの頭はベッドの支柱部分にダイブした。ごりっ。
「~~~~~~!?」
不意打ちと痛みに声もあげずに悶絶して床を転がるあるじ。必殺・土下座起こし。目は覚めましたか?
「……………あのさ、毎回言うけどさ。もっと穏便な起こし方をしてくれない? 普通に鳴いて起こしてください」
でもわたしクックドゥドゥドゥーなんて鳴けませんよ。
「ニャーでいいよ! なんでアメリカ風ニワトリなんだ…………」
ニャーって言って起こしてくれって…………変態ですねあるじ。
「何で!? 猫にニャーと鳴けって言って何が悪いの!?」
あるじの大声でベッドで寝ていたアリアが起きる気配がした。私がベッドに飛び乗ると、床に座っていたあるじも気がついたのか振り向く。
「起きた?」
「……………起きた」
「調子はどう?」
「……………眠い」
「起きれる?」
「……………起きる」
アリアはぼんやりとした眼のまま起き上がり、かかっていたシーツが落ち、服を着ていない少女の上半身があらわになり、あるじが真っ赤になり、一糸まとわぬ姿のままアリアは小首を傾げた。
…………そういやワンピースの代わりを着せるのを忘れてた。
「ううー………………」
あるじいつまで唸ってるんですか? まだ、朝のことを考えてるんですかぁ。この思春期さんめ!
「違う。僕は何も見ていない。染み一つないどころか血管が見えるほど白い肌も細いくびれた腰も細身に合った平らな胸も逆八の字の鎖骨も何も見ていない」
見てるじゃないですか。
「それは関係ないの。僕が唸ってるのは寒いからだよ…………」
私とあるじとアリアは『地熱街』ウィルマの表通りを歩いていた。
寒い、とあるじが言ったこの街は、雪が降るシェイラ・ジャルガ王国の数倍マシとはいえ山に囲まれているため肌寒いのだ。
あるじの格好も一因だろう。今は、ジャンパーコートもワイシャツも着ずにぴちっとした黒い半袖インナー一枚と、下はジーンズだけで靴下も安全靴もはいていない裸足である。
「アリアは寒くない?」
「……………だいじょうぶ」
「良かった。僕が寒さに身を震わせるかいがあるってもんだよ」
あるじが言うように、今あるじが装備していない服はアリアが着ている。
元々彼女が着ていたワンピースはとても着ることができる物じゃなく、だからといって新しい服を買うという選択肢はあるじのレベルがあがって【錬金術】スキルを習得しないとスキルツリーに出現しない。
自然、あるじの服をアリアに着せることになった。
最初はワイシャツだけだったのだが、少女が男物のワイシャツだけ着るのは裸よりもやばいという鼻血を流しながらのあるじの報告で、インナーパンツに靴下と安全靴も譲渡した。
それでも、ぶかぶかなワイシャツの裾からは白いふとももが見え、襟からは鎖骨が丸出しでボタンとボタンの間から肌がちらちら覗くので、ジャンパーコートまでも着こむことになったのだ。
当のアリアはぶかぶかの袖に隠れた手であるじの手を握りぶかぶかの靴をカッポカッポ鳴らしながら、寒さなんてこれっぽっちも感じてないような眠たげな目であるじの横を歩いている。
どうやらアリアは羞恥心というものがないらしく着替えも自分でせずあるじになされるがままだった。記憶喪失というのは、そういうのもなくなるのか? そういう所も幼く見える。記憶がないせいで若干、幼児退行しているのかも。
身長はあるじより頭一つ小さいだけで年齢も大して変わらなさそうなのに、度々ぼけーと足が止まる。アリナの手を引いて歩くあるじの二人の姿は兄妹のように見える。
「それと、猫に言いたい事があるんだが」
胸の中にいる私をあるじが視線を少し落とした。
「お前は寒さに震える主を見て思う事はないのか?」
あったかくなーれ、あったかくなーれ。
「うわーい、温かくな………るわけあるか! おまえはどうしてまたそんな所にいるのか僕は聞いているんだ」
私はあるじの胸の中にいる、のではなくアリアの胸の中でジャンパーコートの襟から首を出しているのだ。傍から見ると頭が縦に二つ並んでいる。薄着のアリアが風邪をひくと大事なあるじが困ると思うので私のふかふかぼでぃで温めているのだ。
「それで大事なあるじが風邪をひいたら本末転倒だと思うなー」
不満そうに言いながらも足取りは変わらずペタペタとカポカポの二種類が聞こえている。裸足と大きい靴の二種類。歩幅も大きさも違う二人の足下から、合わさるように聞こえてくる。
二つの音に耳を澄ませていると、ペタペタと音が止み、それを真似するようにカポカポという靴のなる音も止んだ。
その代わりにあるじの声が聞こえる。
「ここか」
私達(歩いているのは二人)が立ち止まった目の前には大きな宿屋があった。
刑務所のように高い塀で囲まれた敷地の中には丁寧に手入れされた植木や庭があり地面には石畳と玉砂利が敷き詰められている。その中心にある建物は瓦の屋根で壁よりも木でつくられた柱が目立ち、縁側が地面よりも高い位置に作られている和風の建築様式である。
簡単に言うと日本庭園と日本式旅館。
高級温泉旅館『雪解け水で煮え湯を飲む』。
「なんか下手な和訳みたいだよな…………合ってるのかな?」
そしてシェイラ・ジャルガ王族がひいきにしている宿屋。
名前に関しては勝手に通訳されてしまうため真実はわからないが、ネコミミオッサンから聞いた宿泊の手続きをする宿はその名前だった。
つまり、私達はおつかいをしに来たのである。
お姫様から逃げる算段を立てていたのにおつかいをするのは、ひとえにアリアが原因だ。
今朝あるじよりも腰が低い『二兎追うものは分裂して追え亭』の主人がつくってくれたピロキシ〈露風おかゆ〉を自室で食べながら話しあった。
アリアは一晩経ってもやっぱり何も思い出せず、帰る場所も行くべき場所もわからないままであった。
「アリアはこれからどうする?」
というあるじのめずらしく気を遣うような言葉に、
「……………」
スプーンをくわえたままアリアは無表情にあるじの袖をつかんだ。意見はない、意思表示。
だから、私達はまず情報収集をすることにした。〈魔物狩り〉の件もそうだが捜索願が警察機関に届けられているかもしれない。
問題はどこで情報を集めればいいか、だ。普通なら警察に行けばいいのだが、かつての世界で警察機関の役割をはたしていた〈国際私営万物警護局〉に異世界支部はなかったと思う。
では、何処に行けばいいのか? 街の町長にでも会いに行けばいいのか?
それすらもわからないので、とりあえず手掛かりがありそうな所へ赴くことにしたのだ。
それがこの旅館『雪解け水で煮え湯を飲む』。
シェイラ・ジャルガ王国が贔屓にしている場所ならば、この街の事情に詳しいだろうと考えたからだ。情報というのは時に莫大な利益につながるので経営者は時世に詳しいのが定石である。
そうなると、『一ヘタレ』を名乗るより『お姫様のおつかい』として聞いた方が信用もされるし情報もすんなり聞きだせるだろう。
と、いうわけでアリアを連れてのあるじパシリモード。
「うーむ、立派というかなんというか。異世界で日本風の建物に出会う事になるとは思わんかったなー」
しみじみとあるじは微細で多様な感情がこめられながらも総量は少なそうな目で建物を見つめる。
「朝凪本家は純日本屋敷でさ、色々と思い出すんだよ…………」
家を勘当されたあるじは似たような建物にありし日の思い出を見ているのかもしれない。
かと思えば、あっさりとした足取りで入口らしき門をくぐる。
一歩、敷居をまたごうとしたあるじが転びそうになる。アリアが門から数歩離れた所で動かなかったからだ。
「アリア? どうしたの」
「……………いや」
「いや、って何が?」
「……………」
「言ってみて?」
膝を曲げて小さい子を諭すような言い草であるじは語りかける。普段のヘタレっぷりからは信じられない面倒見の良さだ。家族構成を聞いたことはないがもしかすると妹や弟がいたのだろうか。
その態度の効果があったのか、アリアが短く、人見知りをする子供のように話し始める。
「……………いや」
「なにが?」
「……………ここ」
庭を覗いてみるが、松の木や鯉が泳ぐ池があるだけで特に怖がるようなものはない。
「これからアリアのことを聞きにいくんだよ」
「……………」
「我慢できないほど嫌?」
「……………」
「少しだけ、我慢できない?」
「……………できる」
「よし!」
アリアを納得させるとあるじは手を引いて敷居をくぐる。
同時に。
私の体にバチッと電流が流れた。
「いたっ」
あるじにも流れたようで眉をしかめている。アリアは無表情だが目に少し涙が溜っていた。
「なんだ、静電気か……………久しぶりだからびっくりした」
私達がいた世界では『電気災害』という電子にまつわる自然災害が多発していて静電気程度は日常茶飯事だった。この世界では全くなかったので、少々油断していた。
「ない方が快適だけどな、っておわ!? 猫またスゴいことになってんぞ!」
うるさいです。
私は静電気のせいでふわふわな毛が逆立ってしまっていた。自分で言うのもなんだがホコリがいっぱいとれそうである。
「あははははは!」
笑わないでください!
私は笑うあるじを怒るが、一向に構わず笑うのをやめない。そんな私を憐れに思ったのか、アリアが私の頭を撫でてくれる。でも毛は元気よく逆立ったままだ。
そんなどうでもいい出来事を経て、私達は温泉宿の建物へ向かった。憎いことに門から宿までには広い庭があり門をくぐってからも数分は歩かなければならない。
玉砂利をじゃりじゃりさせ歩きながらも、善し悪しがわからない猫でも立派に手入れされているとわかる松や池に目を奪われ客を退屈させない作りになっていた。
ちょっとだけ優雅な気分に浸りつつ日本旅館の玄関の滑り戸を開く。がらがらっという音とともに声がかけられる。
「いらっしゃいませ。本日は『雪解け水で煮え湯を飲む』にお越しいただきありがとうございます」
胸の前で両こぶしを交差させるというこの地方特有の挨拶動作をしながら現れたのは緑色のハンチング帽をかぶりゴルフシャツを上質にしたような服装の中年男性だった。あごひげが全くなく口ひげが立派な顔に笑みをたたえる様は人の良さがにじみ出ている。
「私は当旅館の支配人、イージルでございます、お見知りおきを。お客様、ご用はご宿泊でよろしいですか?」
この寒い中あるじは上半身半袖インナーだけで下は裸足という変質者じみた格好であるのに、身なりでつまみ出さずに丁寧な対応をする旅館の支配人。上等な対応に慌てる、こともなくあるじは同じく慇懃に対応する。
「いえ、宿泊ではなくて予約をお願いします。数日後にシェイラ・ジャルガ王国の第三姫であらせられるユニ・シェイラ・ジャルガが逗留なされるために御宿にと思い、願い上げに参上いたしました」
「シェイラ・ジャルガ王国の……………?」
支配人は驚きとともにあるじを見る。上半身半裸の少年が国からの使いとは予想外だったのだろう。
あるじはアリアの手を引いて目の前に立たせる。いきなり矢面に立てられたアリアは眠たげだった目を閉じてあるじの手を両手で握っている。どうやら人見知りするらしい。あるじにはすぐ懐いたのに。刷り込み?
「この子のことなんですが…………」
主人は少女を突き付けられて訳がわからず不思議そうにしていたが、アリアの襟に光る軍章を見て合点がいったか目を見開く。
「王国の軍章………青地に雪竜! も、もしや…………あなたはシェイラ・ジャルガ王国の魔術師様で………?」
「この街で迷子…………はい? んー…………立場上、そうなるのかな」
アリアの話を止めて言い淀むあるじ。実はその立場から逃げだそうとしています、なんて言えない。
後で否定しておけばよかったと後悔することになるのだが。
あるじの煮え切らない返答を肯定とみたのか、支配人の顔が驚きに染まり、叫んだ。
「魔術師様がいらっしゃられたぞおおおおおおお!」
「へ!?」
朝の到来を告げるニワトリのようないきなりの叫び声に驚く私達の前に、声に引き寄せられた従業員が集まってくる。
「魔術師様?」「いらっしゃったのか!」「あの子が?」「本当に!?」
わらわらと集まってくる従業員達が怖いのかアリアはあるじの腕を抱きしめて顔をうずめる。あるじは相変わらずぽけーとした表情を少しひきつらせている。
「ま、魔術師が利用すると超歓迎してくれる特典かな?」
私は嫌な予感がしますけどね。
あるじを見る大勢の従業員の目は、不信ではなく期待のような感じであるのだ。この目を私は知っている。ユニの父親、あのシェイラ・ジャルガ王があるじに雪竜退治を頼む時の瞳(絶対逃がさねーぞの血眼)と似ていた。
逃げた方がいいんじゃないですか?
「あ、あの、歓迎されるのはありがたいのですが、僕は任務がありますのでこれにて失礼」
私と同意見なのかそそくさと風流な玄関から逃げだそうとするが、支配人や従業員の目がギランと光ったかと思うと何十人もの人間が一斉にあるじの足に縋りついた。まるで飴に群がる蟻のようだ。
「ひぃっ!? く、食われるー!?」
「魔術師様! 少しだけでいいので! 私達の話を聞いてください!」
「僕これから副業に行かねばなりませんので! 僕は山へ芝刈りに猫は川へ洗濯を!」
「それなりのお礼を用意しますので!」
ぴたり、と「それなりのお礼」の部分で止まってしまった。異世界で右も左も稼ぎ方もわからない私達にとってお金はまさに手が出るほど欲しい。
だが、その硬直は命取りだ。獣に食いつかれているのに一瞬の油断はまさに大きな敵となった。
「魔術師様一名ご案なーい!」
「ぅわお!」
従業員の一人にあるじの膝の裏が強く押され、倒れそうになった所をひょいと何人もの手によって担がれてしまう。
そしてそのまま飴はわっしょいわっしょいと蟻たちによって旅館の奥へと運ばれていく。
「ね、猫おおおおー!」
あ、あるじいいいいー!