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Lv07―儚い少女




「はい、はい……………ええ、よく言っておきますよ。では失礼」

 木製の扉越しにくぐもったあるじの声が聞こえる。話し相手は、この宿屋『二兎追うものは分裂して追え亭』のネーミングセンスが最悪な主人であろう。



 血まみれ少女が傷を負っていないか調べたもののどこにもなかったので、あるじが背負い近くの宿屋に連れ込んだのだ。

 ………………………後半だけを読むとまさに外道!

 まあ、あるじにそんな度胸はない。



 そんなことを考えると、当の本人が扉を開けて入ってきた。

「いやー、権力すごいねー」



 あるじが言っているのは襟に輝いている白銀の軍章の事だ。

 ユニの城の客室に比べたら狭くて雑なこの仮宿でも、一文無しの私達にとっては手の届かない場所である。本来ならお金がない私達は部屋をとるなんてことはできない。

 この宿に入った時も宿屋の主人に駄目だと突っぱねられた。

 しかし、唯一のアイテム「ぐんしょうばっち」を使うとあら不思議。私達の能力値は変化しなかったが、主人の腰パワーが低くなり歓待してくれた。そして部屋をとってから、こっそり少女を運び入れたのだ。



「ほんと、権力って、権力って……………!」

 一般小市民のあるじにとっては権力は憎いらしい。そんな憎悪の声よりも私が気になるのはあるじが持っている物。それは私の位置からだとトレーの裏側しか見えないが、スープとパンだろう。匂いでわかる。

「これ? 気を利かせたのか夜食作ってくれた。もう真夜中なのにありがたい話だ………ホント権力って…………!」

そんな話はいいから早く早く、と私はあるじの足を前両足でかけ上る勢いで叩く。

「わかった、わかった。そんなに焦るなよ」

 あるじはトレーをベッドの脇のテーブルに置き自分は椅子に座った。私はその上に飛び乗り、あるじがちぎってくれるパンを食べる。はぐはぐ。

「鳥君に乗ってずっと走ってたから夕飯食べれなかったけど、そんなに腹減ってた?」

 ぼけーとしてた誰かと違って今日は働いたんでねっ!

「うぐっ………」

 あるじは顔をしかめながらも、パンをちぎりスープにひたして私の口元に近づける。はふはふ。ちょっと熱いです。

「ん。ふー、ふー」

 次は吐息で冷ましてからくれた。でりーしゃす。

 あるじも自分の分のパンを食べる。

 もぐもぐ、と二人分の咀嚼音が聞こえる。


 だが、この部屋にはもう一人いる。目の前のベッドで寝ている、脱色の下品な色ではない天然の白髪(はくはつ)を持つ見た目あるじと同世代―――16程の少女だ。

 あるじより頭一つ分くらい背が低く、手足や胸の肉付きが悪いため白髪も相まって病弱さをかもし出している。

 寝息を立てずまるで死んでいるかのように静かだがちゃんと心臓が動いているのは確認した。かけられた薄いシーツがかすかに上下しているのもわかる。


 そんな少女に私の第猫感が告げている。厄介事だ、と大音量で。

 大量の血を浴びた少女は(血まみれの服は処分して、熱湯でこびりついた血を拭き取った。目隠しをさせてやったので問題はない)全く怪我をしていなかった。ということはつまりあの大量の血は本人のものではなく…………。



 あるじ、どうするんですか。

「どうしよう…………」

 あるじも厄介事だと気がついているのか、腕を組む、は私が膝に座っているのでできないから両手を私の頭に重ねている。

「…………どうしよう、このスープにタマネギが入ってた」

 別にタマネギぐらい好き嫌いしないで食べなさ………ってタマネギですかっ!?



 説明しよう。猫がタマネギを食べると、タマネギに含まれる有機チオ硫酸化合物という酸化作用をもつ酵素は赤血球のヘモグロビンを酸化させ、赤血球内にハインツ小体という物を作る。このハインツ小体は血管の中を流れている間に溶血しやすくなるため、急速に赤血球の数が減少して場合によっては重症の貧血を起こす。



 つまり猫にとって玉葱という食べ物は、あるじにとってラーメンフルットッピングを頼んで月末は光合成のみで乗り切るような、禁断な食べ物なのだ。

 ぎゃー、ぎゃー、ぎゃー! 食べちゃいましたよ!

「どどどど、どうしよう!」


 二人そろって深夜なのに慌ててしまう。10分後、辞世の句を詠み始める私に「ま、まあ少しだから大丈夫だろ」という無責任な一言で決着はついた。

 なんか、どっと疲れた……………。


「う、ん……………」

 うん、じゃないですよ。あるじがちゃんと確認しないから―――――。

「僕、うんなんて言ってないぞ」

 はい? じゃあ、誰が言うんですか。私達しかいないこの部屋で。本当にあるじが言ったのではないらしく首を捻る。

「うーん?」

「う、ん……………」

 もう一回聞こえた。

 その声がした方に私とあるじの首が向く。依然、ベッドで眠る少女の姿があった。

「起きたの?」

 あるじが問いかけると、「ん……………」聞き逃してしまうような声が少女の唇からもれる。数秒後、少女はゆっくりとまぶたを開いた。

「……………」

「起きた?」

「……………?」

 少女は起き上がらず首だけを動かす様子は、彼女が寝起きであることを差し引いても気だるげだ。すぐ近くに座るあるじを見つめた。

「……………あなたは………誰?」

「それは僕が聞きたいんだけど」

 あるじが苦笑いをして頭をかく。取り直して別の質問をした。

「名前、教えて?」


 コミュニケーションの第一歩は名前を知ることである、とどこかの偉い猫が言っていたような気がするだけで言ってないと思う。


「……………私の………名前」

「そう、君の名前」

「……………あなたの、名前は?」

「僕?」

 逆に質問を返されてしまったあるじは、それでもいいかと自己紹介を始める。

「僕の名前は朝凪・サバギィ・在名。こっちは猫」

 ミャオンと自己紹介に合わせて鳴いてみるが、少女はこちらを少しも見ない。見ているのはあるじの目だけ。少女は幼子のようにあるじの言った言葉を繰り返す。

「……………アサナー、キ?」

「在名が名前。言いにくいならアルでいいよ」

「ありな……………」

「ん。ちゃんと発音できるなら在名でね」

「ありな」

「うん」

「ありな」

 少女は噛みしめるようにあるじの名前を連呼する。あるじと同年代にしてはえらく幼い印象だ。

「じゃあ君の名前は?」

「……………」

「い、言いたくない?」

「……………」

 少女の無言の圧力(?)に負けてあるじが矛先を変える。

「この街に住んでるの?」

「……………」

「どうして、あんな所に? 女の子があんな時間にあんな場所であんな格好でいたら危ないよ」

「……………」

「危ないよー。ないよー。返事がないよー……………」

 またしても無言の圧力にあるじは敗れてうなだれる。他にもいくつか質問をしているが、やはり無言だ。その無言は話したくないというよりも、衰弱のあまり口が動かないといった雰囲気である。




 私が気になるのは、質問の内容だ。「猫派? 犬派? 猩々派?」「ポケモンで最初は何を選ぶ?」「『ポリヒドラ・レポート』についてどう思う?」くだらないどころか理解できない質問にではない。

 その中にとある質問が含まれてない事についてだ。

 その質問とは〈あの全身についていた血は何?〉だ。

 興味があるない以前に、ここまで関ってしまった以上その内容は聞くべきだ。

 それどころか、あるじはあの少女を路地裏に放置して逃げるべきだった。路地裏で倒れる血まみれの少女だなんて、絶対何かストーリーが始まる。それが追われる姫を救う英雄譚か、はたまた巻きこまれて海にコンクリ詰めされた一般人の捜索報道かはわからないが。

 通常のあるじならまず間違いなく、「家の元栓締め忘れちゃった。僕ってドジッ子♪」と誰にでもなく言い訳して有りもしない元栓を閉めに家に帰るだろう。家にある栓は、耳栓くらいしかないのに。

 そのはずなのに、あるじは少女を拾い保護した。

 相手が少女だから、という理由で拾ったのではないだろう。異性だから優しくなるような人種なら自分に異常なほど懐いていたユニを放って逃げだそうとはしない。

 拾った、ということは少なくとも関る気があるのだろうに、確信的な質問は避けている。

どっちつかずだ。

 まるであるじの中で、逃げたい気持ちと少女を助けたい気持ちがせめぎ合っているかのようである。




 第三者視点で冷静な考察をする私の頭上で、あるじは少女にまだ質問を続けている。だが、ネタもつきたのか肝心な質問しないまま黙りこむ。

 その沈黙がイヤなのかそれとも肝心な質問をしたいのか他にしたい質問があるのか、視線を私の頭と少女の瞳へ交互にやる。

 言いたげな視線に押されたのかは分からないが、少女が一度も動かさなかった視線を伏せた。

「……………わからない」

「わからない? 何が?」

「……………どこから、来たのか」

「へ? えーと、それはつまり、忘れたってこと?」

「……………わからない。私の、名前も。何も、おぼえてない」

 少女が悲し気に瞳を伏せると、あるじも戸惑いの視線をさまよわせる。

「………………………それってもしかして」

 記憶喪失?




 正しくは生活性健忘症。

 自分の名前、生年月日、親の名前、生まれた土地、住んでいる家、といった生まれてからいままでの自分に関係すること全てを忘れるという障害。

 重要なのは、全てを忘れてそこらをハイハイバブバブするわけでなく、常識や一般論は覚えているのに自分と関係する記憶だけを綺麗に忘れる、よくドラマなどであるやつだ。

 原因は外的衝撃。物理的もしくは精神的な、強いショックだ。




「じゃあ、あの血が何かもわからない?」

「……………?」

 本命の質問を今になってようやくするが、ふるふるとかぶりを振って少女はわからないと意思表示をする。


 本人のものではない血にまみれた少女は、記憶喪失少女だった。

 ……………厄介事が二倍になった。


 だがあるじはその事を気にもせず次の質問をした。

「いつからの、記憶がある?」

「……………気が付いたら、あなたの目の前にいた」

 つまり、私達が知る以上のことしか少女も彼女のことを知らないのか。

 また、あるじは気にもせず質問をする。

「じゃあ、どうして僕に声かけたの?」

 それは私も気になっていた。

 あの時間に、あんな場所に、あんな格好でいたのはともかく、あるじに話しかけてきたのは何故なのだろうか。

 ―――――そしてあの一言は、どういう意味なのだろうか。

「『私と同じ』ってどういう意味?」

 あるじは後ろめたいことがばれたかのように苦笑している。まるでこの質問をするためだけに彼女を助けたかのような感じだった。

「……………あなたは、私と同じ」

「それは、どういう意………」

「わからない」

 あるじの言葉を遮り少女はつぶやいた。

「……………わからない」

 あの時、あるじを見た瞳には明らかな切なさと哀れみがあった。

 今の瞳には悲しみと戸惑いがあるだけ。

「そう、思った……………あなたを見て、わからないけど、思った」

「そっか……………」

 あるじもまた切なげに少女を見つめる。何か通じ合うものでもあるのだろうか。



 少女は言った。私と同じ、と。

 からっぽだ、とあるじに言った。

 それは頭の中がからっぽというより、もっと抽象的な言い方だった。人間としての中身がない、と言っているような言い方だった。

 私はそうは思わない。

 あるじはヘタレでゲーム脳で臆病で弱くて逃げたがりで他の人を見捨てられないお人好しなヒト。中身がありすぎてちょっとした混沌(カオス)である。

 でも、あるじはその言葉か彼女自身に何かを感じたのだ。

 でないと自分から厄介事に首突っ込むはずはない。コミュニケーションをとろうと考えるはずがない。そういう事が嫌で今まで逃げて、逃げて、逃げてきたのだから。



 その二人は、今は人差し指をくっつけ合っている。

「いーてぃー」

 何をやってるんですか……………。

「未知との交流といったらまずこれかな、と」

 さっきの真剣味の十分の一もないようなお気楽さで笑っているあるじ。少女の方はわかってないのか無表情である。というよりまぶたが閉じかけで寝むそうだ。

「眠い?」

「……………うん」

 少女はくっつけていた一差し指を、幼子(おさなご)が熊のヌイグルミを抱くようにあるじのそれと絡める。あるじはそれを見てすこしだけ微笑んだ。

「じゃあ、詳しいことは明日にでも話そう――――っと、名前は…………やっぱり憶えてない?」

「……………うん」

「名前、どうしようか」

「……………ん」

 気の抜けた静かな声で語りかけるあるじの声は子守唄のように少女を眠りに誘う。目がとろーんとして今にも閉じてしまいそうだ。

「憶えてないなら…………名前、付けちゃおうか。何か希望ある?」

「ありな」

「なに?」

「ありなが…………いい」

「それは僕の名前だよ」

 苦笑するあるじは、何かを考えるように視線を斜め上にあげて、すぐに少女の寝顔に戻す。

「じゃあ、アリアで」

 希望に沿ったのはいいが、在名からアリアって安易ですね。

 微妙なネーミングセンスを非難する私に反論しようとしたわけじゃないだろうが、少女はぽつりとつぶやいた。

「アリア……………が、いい」

「そう、じゃあアリアだね」

「……………うん」

「おやすみ、アリア」

「うん………あり、な……………」

 少女――アリアは自然に下がってきたまぶたに抵抗せず、そのまま眠りに着く。


 残ったのは、いつものあるじらしくないあるじと、小さな灯が揺れるランプ、そして膝の上で丸くなる私。

 寝息も立てず時間が止まってしまったように眠る少女に、ベッドのすぐ隣にある窓から月光が差し込む。その寝姿は、数時間前まで血まみれだったとは思えない静謐さを秘めている。かけられた薄いスーツに影が落ち、彼女の細すぎるシルエットが浮き彫りになった。

 病人にも令嬢にも姫にも見える、この少女。

 ……………絶対、この娘は厄介事ですよ。

「そうだねー」

 あるじは短く、猫の耳以外では捉えることもできない小声で言った。

 あるじ、わかってますか? いつものあるじらしくないってこと。関わり過ぎだってこと。

「そうだねー」

 …………………どうしてですか? 一目ぼれですか?

「違う、と思う。何だろう、よくわかんね……………猫は嫌か? 厄介事は」

 いいですけどね、別に。いつものことですから。

「そうだな。いつもの事だ」

 ベッドを占領され寝る場所のないあるじは椅子の背もたれに体を預け、瞳を閉じた。私はその膝の上で、同じく目を閉じる。


 風向きが怪しくなってきたが、それこそいつもの事だ。あるじがその風で木の葉のようにどう舞うにしろ、私はその葉の後を追うだけである。

 自己完結させ後は意識が落ちるのに身を任せていると、私の耳がぴくんと動き音を捉えた。

 その音は小さく不明瞭で、寝ている少女から漏れた寝言だった。

「……………たすけて」

 その一言に、私は少しくらいの厄介事ならいいかな、と思い直した。



 少しの厄介事で済むわけがないと、心の底で思いながら。





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