Lv04―『フロポン平原』・大量発生
フロポン平原。
芝より少し長いトダシバや多年草で紫の小さな花を咲かせるシィリやノアザミ、一部地域にはすすき野のようなスイッチグラスの群生が生えている。
総面積こそエドガルズ四大草原のなかで一番狭いが、北はエルミニ山脈、東にはカラナド砂漠、南にはホプーヘ大平原が広がる多様な環境に囲まれているため棲息する動植物の種類はかなり多いらしい。
肉食の動物や魔物よりも猛禽や兎などの小型草食動物やプレイリードッグなどが生息しているらしい。今まで見た限りでも、危険そうな動物にはお目にかからなかった。
私達(それにユニと愉快な護衛団とお世話係の灰色服メイドの計33名)はそのフロポン平原を地平線の向こうまで横断している一本だけの人気がないあぜ道を移動していた。
このあぜ道は『白き土地』シェイラ・ジャルガと、『狭間の街』アルラントを結ぶ最短ルートの街道であり、馬車や騎獣が歩きやすいように舗装されている。アルラントまで南下してそこから別の街道で西に行くとアレスタクト大聖都にたどりつく。
その途中であるフロポン平原はあたり一面の緑の世界。そよぐ風。薫る若草の匂い。やさしい日差しの太陽。まだ少し肌寒いが、目に優しい緑が心をいやす。避暑地には最適な土地だ。
ああ、なんと、いう、素晴らしい、自然。ここ、ろが、洗わ、れるよ、うです。
と、いうか、あ、るじ、これど、うにか、して、ください!
「無理、言う、なよ。ぽんぽ、ん跳ねる、のは、僕のせ、いじゃ、な、い。鳥クンに、言って、くれ」
私達が何故変なしゃべり方をしているかというと、あの目つきの悪い、金と銀の中間の羽根色をした鳥君(命名・あるじ。セリクッド=シルシノーム=シエルティⅩ世という長い名前を自己紹介したが華麗にスルー)に乗って移動しているからだ。私は鳥君の首にしがみつくように乗っている。
鳥君、といってもハトやカラスといった小型の鳥とは比べ物にはならないどころか成人男性より大きいため人を乗せることぐらい訳なく、鞍や手綱をつける様は頼もしく見えた。これで快適な旅の足も用意できて一安心。ではなかった。
「うお、うお、世界が、縦に、揺、れる。モグラ、叩きの、モグラ、になった、気、分」
あるじが言うように揺れるのだ。縦に。
バイクや自動車と違い、動物による移動なので快適にいくとは思っていなかったが、まさかここまで揺れが激しいとは。うぷ、吐きそう。
そんな旅序盤(シェイラ・ジャルガ王国出立からはや二日。魔物やら盗賊やらは出ず、護衛らしい護衛仕事はなかった)で早くもギブアップしそうな一名と一匹の事などお構いなしに鳥君は私達を乗せて軽快に草原の小道を走っている。
これが速いこと速いこと。
人一人と猫一匹乗せているとは思えない身軽さでダッダッダッと、しなやかな二本の足で走り続けていた。それなのに乗っている一人と一匹の方が疲れてるとか、もう本当にごめんなさい。あ、揺らさないで口から何か生まれる。
そんなタノモシイ(間違っても楽しいではない、頼もしいも違う)鳥君の足が急に止まった。休憩だろうか?
ここまでの道のりは数時間走って前の馬車が止まると一時間休憩、というのを繰り返してきた。
前の馬車というのはユニやメイドさんが乗っている豪華な馬車のことで、その周りを二足四足の様々な騎獣に乗った二十数名の兵士が取り囲み周囲を警戒しながら走っている。
少し大仰だと思うような大人数と警戒だが、一国の姫だからこんなものだろうか。身一つでたまに財布すら持たないあるじとは格が違う。持っていてもコンビニのポイントカードぐらいしか入っていないから持ち歩く必要がないのだ。
その四両連結されている馬車の後をつけるように鳥君は最後尾で走っていた。馬車といっても引いているのは馬とは微妙に違う異世界動物だが。
比喩ではなく重く感じる頭を上げて前を見ると、やはり馬車は止まっていた。
「や、やっと、休憩できる………」
鳥君が止まると同時に私とあるじは鞍から転げるように降りる。
そろって草原で大の字になって寝ころぶと傾きかけた太陽と青い空に白い雲が見えた。
「…………平和だなー」
私はあるじの言葉に同意しようとしたが、できなかった。私はすぐさまその場から飛びのいた。私が寝ころんでいた地点を通ってそれはあるじにダイブした。
「ごばっ!? 襲撃かっエンカウントかっ!」
「アル様お久しぶりですですっ」
「ゆ、ユニか……………」
あるじに襲いかかったのはユニだった。私は馬車の扉が開いて銀色の髪の少女がトコトコ走ってくるのを見たので避難したのだ。そして寝転がっているあるじにボディプレス。
「い、今の一撃は命にかかわる威力だよ。これ数時間前の休憩のときも言ったよね」
「アル様に一秒でも早く早く会いたかったんです。それで走ったんですけどけど、つまずいてしまって」
自分の腹の上でころころ笑うユニを見てあるじは諦めたのかくてんと頭を地面につけた。
「えへへ、アル様アル様っ」
「あーはいはいアルですよー」
あるじの上で抱き枕にしがみつくように両手を胴に回し足をパタパタさせて上機嫌なユニに比べて、あるじは乗馬+揺れ酔い+ボディプレスで瀕死のようだ。
ユニは数日前の宴会の夜以来、あるじによりいっそう懐いて傍から見ると本当の兄妹のように、たまに度を超えていると思う程スキンシップをとるようになった。
猛攻といってもいい程のここ数日のスキンシップに最初こそそれとなく注意したり避けたりしていたが、今ではヘロヘロでなされるがままである。
「アル様、涼しいですね…………」
「んー。だね………」
少女特有な音程が高いユニの小声に、あるじは穏やかな声を返す。ユニもあるじの腹の上でまったりしている。私も近寄ってあるじの隣で横になる。
「知ってますか、ますか? この平原には、たくさんの動物がすんでいるんです」
「おー」
「野兎や野鳥だけではなくてですね、かわいいのに肉食の兎のピユン、土に穴を掘ってたまに顔を出すルピニユ、動きは鈍いけど魔力が大きいルングルなんてすごい声で鳴くんですです」
「んー」
「なのに、全然声とかしなくて、静かですね」
「あー」
流れる雲をその灰目に映すあるじは、短くも適当ではない実感のこもった声で答える。それにユニが小声でまたなにかを言い、またあるじが短く答える。
「こうして、寝そべって、空だけを見てると見てると、この世界には私達しか、いないような気になりませんか?」
「うー」
ユニは少し思案顔になってから、空を見上げた。
「……………この世界は【結界】で囲まれています」
異世界の姫が偽物の勇者に語る。
「【天国】と【地獄】から【天使】と【悪魔】が入ってこれないように大きな半球の見えない壁でおおわれているんです。結界は対物理・対魔法の壁でどうやってもその壁を壊すこともできない代わりに、出ることもできないんです」
「ほー」
「この大陸は大きな鳥籠なんです」
「…………………」
その鳥籠の外から来たあるじはあおむけで空を見て、ユニは離さないとばかりにギュッと抱きつく。
あるじへの懐きっぷりは、勇者という存在に執着しているだけでは説明できないほどである。
ユニは勇者に何かを見出しているのだろう。
それは魔王を倒す英雄としてか、神を殺す剣としてか、はたまた世界を救う光としてか。
今この時にも感じているだろう、なんの力も持っていない偽物の勇者は芒洋と空を見上げている。
「あ、空に月がある………この世界に月あったんだ。と思ったらもう一つあった」
「全部で三つ、空には月が浮かんでるでるです。でも三つが空にそろう事はないので『すれ違い』って呼ばれています」
青い、というよりも水色な空に、薄く光を放つ半月が浮島のように二つ離れて並んでいた。一つは上弦、もう一つは下弦で、二つ近づければ満月になるだろう。
あるじの瞳に影がさした。ユニが覗き込むように身を乗り出してきたからだ。少し口の端を曲げてらしくもなく、悪戯を隠す子供のような笑うのをこらえようとして、出来なかったような笑みを浮かべる。
「もし、私があの月に行きたいと言ったら……………連れて行ってくださいますか?」
「……………そんな歌があったなー、昔」
露骨に話をそらすあるじ。まあ「無理だよ」とヘタレるよりかはいいが。それにつられてユニも聞き返す。
「歌、ですか?」
「そう。140年くらい前に、人類が月へ行く計画があった時に流行したんだよ」
「月へですかですかっ!?」
「そ。私を月へ連れてって、って歌。確かこんな歌。
《私を月へ連れてって。
そしてお星様に囲まれて遊びましょう。
あの近い星とあの強い星の春はどんなのかしら。
あのね、私の手を離さないで。
それとも、こう言いかえましょうか―――》」
あるじの止まった歌声に、ユニが続きを聞こうと身を乗り出した。大音量の声がかけられた。
「姫! 何てはしたないことをしていらっしゃる!」
「ひゃあ!」
姫、と大声を上げたのはあるじではなく、スィニクスもといネコミミオッサンだった。
ユニは突然の大声に驚いて跳ね起きて顔を赤くしている。驚いて変な声を上げたのと、さっきまでの抱き合って寝転がるような体勢を見られたのを、今さら恥ずかしがっているのだろう。
「姫、草原で寝転がるだなんて行儀の悪いことはなさらないで下さい」
「こ、転んでしまってしまって」
「他の者も見ているというのに…………」
その言葉でようやくまわりを見たユニは騎士、灰色メイド、騎獣たちの視線が集まっている事に気がついて顔を赤くする。
「で、では、私は私は戻ります、アル様またあとであとでっ」
そう言って脱兎の速さで馬車の中へ戻ってしまった。
残されたのはぼけーと寝転がったままのあるじ。こちらは図太いため視線にさらされているのに少しも赤くない。というよりもユニを異性として見てないからジャレ合いぐらいにしか思っていないのだろう。
それに私と立ったままのネコミミオッサン。
このオッサンどうやら猫耳は常時装備らしくここ数日共に旅をしているのにはずしている所を見たことがない。それさえなければ渋いオジサマといった感じなのに。
「……………」
「……………」
あるじを見続けるネコミミオッサンと、そんなの関係ないとばかりに寝転がったまま空を見上げる社交性のないあるじ。どちらも無言で、猫である私がどうにかせねばと思ってしまう程に気まずい。
なんだこの空気……………。
そして空気を破ったのは、やっぱりと言っていいのか、空気の読めないあるじではなくネコミミオッサンだった。
「………問題が起きた、見せたいものがある」
「問題?」
その言葉にようやくあるじは顔をあげたが、その視線の先にネコミミオッサンはもういない。すたすたと馬車の脇を歩いて行ってしまっていた。
ついてこい、という事らしくあるじは一息で立ち上がり、あとに続く。私はその足元をトコトコ歩きながら話しかける。
というかあるじ、さっきのって…………。
「? 何のこと」
あるじが私を見下ろしながら不思議そうに首をかしげる。
歌詞の続きですよ。あの歌のです。
「『On other words』、和訳で『私を月に連れてって』だな」
その歌は1世紀半くらい前に流行した。当時の亜米利加大統領が「今年代中に人類は月へ行く」と公約した時代背景をうかがわせる歌である。
その歌のフレーズ、《それともこう言いかえましょうか》、の後に続く歌詞ですよ。私一瞬どきりとしましたよ。
「なんで?」
なんでって…………。
この歌は「今年代中に人類は月へ行く」という言葉で人類の月面進出が現実味を帯びてきた時代に、女性が恋人に向かって戯れに無理難題をふっかける、というシューチュエーションである。
歌というのは基本的に色恋沙汰を嘔うのが多く、この歌も例外ではない。
そりゃいきなりそんな歌をそらんじるシーンにでくわしたら私、気配を消してぷりちーなヌイグルミに成りきれる自信ないですよ。
そんな私の抗議にもあるじは首をかしげながらとんでもないことを言った。
「言っている意味がよくわかんない…………? そういやさ、僕あの後に続く歌詞忘れたんだが、知ってるか?」
そういうのは二人っきりの時に……………はい? 忘れた?
「そう、何だったっけ? 数回聴いただけだからあんま覚えてないんだよ」
それは例えるなら、結婚式の時に「その結婚ちょっと待ったあ!」と言って花婿をさらっていくような暴挙だった。
………………………アホですか、いや、こう言いかえましょう、流石あるじ。
ムードもへったくれもない言葉をあの場面で言わなかっただけ良しとするか。
「?」
本当に覚えてないらしく首をかしげるが、私は話をそらした。
私達、どこまで進むんですかね?
オッサンの後をついていっているのだが、豪奢な馬車や鳥君たち騎獣隊から離れて、それどころか道からも外れてはこびる草を踏みながら歩いている。
中には背丈があるじの膝まである植物があり、私の足が短いとか関係なく、私の行く手を阻む。が、通れない程ではない。
「あのー、どこまで進むんです? 馬車から結構離れて、こんな何もない平原に来ても野草しかないですよね。あ、昼ごはんの調達ですか? それなら食べれる雑草の種類とか僕わかりますよー」
「もう着いた」
あるじが色々話しかけるも、愛想のない一言でバッサリ切られてしまう。
しかしその事よりも〈着いた〉という方が私は気になった。私達が今いる場所は、他の平原よりも少し盛り上がった丘だった。
低めの草しか生えておらず手入れがいき届いた芝生みたいでピクニックで弁当を広げるにはピッタリだが、よもやオッサンが私達と楽しく弁当をつつくためにここに連れてきたとは思えない。
「……背をかがめて、丘の向こうを見てみろ」
「……………………」
目的も言わないその横柄な態度に私は少しむっとしたが、あるじは大人しく従って服が汚れるのも構わずホフク前進でずりずり這いだした。従順すぎ。反発心というものはないのか。
よくわかんないが、私はかがむ必要はないだろう。私はその横はトコトコとついていく。というか足を使っている私の方が明らかに速いので追い抜いていく。
「あ、こら待て。置いてくなよ」
なにか言っているが気にせず私は草を踏みしめ丘の頂上にたどりつく。
といっても新しい発見は何もなく、天然緑色が茂っているだけだ。
あるじを見るもホフク前進真っ最中。
「ほっほっほっ。こうしてると軍の訓練所(ファーム)にいた頃を思い出す。ゲームのだけど」
そのまま敵軍に突っ込んで蜂の巣になれ。
口には出さず(しゃべれないけど)私は丘の向こう側を見る。急な斜面――といっても高さは人一人分くらい――になっていた。
そこから立って見える風景は、やっぱり一面の名もなき草と咲き誇る花。
いや、違った。
私の視界の中央には緑色ではない点があった。灰色だ。目を凝らしてみると、動物だった。
長い耳を垂らし綿毛のような尻尾の兎だ。700メートルほど先の草原からぴょこんと耳と顔がのぞいている。
まさかオッサンが見せたいものってこのファンシーなアニマル?
ネコミミつけているしそういう趣味なのかな、といぶかしんでいると体の脇にあるじの顔が突き出た。
「うお! なんじゃありゃあ?」
何だ何だ? あるじもあのウサギに心を揺さぶられたんですか!? 浮気ですかっ私の方が100倍ぷりちーなのにっ。
「そうじゃなくてアレ見ろ」
ぺちぺちネコパンチする私の前足を払いながらあるじは人さし指を伸ばす。
伸ばした指の延長線上には、さっきの灰兎がとってとってと走っているだけだ。
うん、驚いた。
灰色ウサギにではない。
灰色ウサギが走っていった先に、50匹以上の灰兎の群れがいたということだ。
ウサギ。哺乳類ウサギ目の25センチ程の小動物。私よりも小さく、愛玩動物として飼われることも多い愛くるしい生物。
それが50匹。
どんなに小さくてもそれだけの数が集まるとちょっとした恐怖だ。
「おいおい、なんだよあれ…………」
問題なのは兎じゃない。50匹の方にある。
兎が50匹いようが100匹いようが、3ケタになると怖いけど、所詮ウサギだ。それは関係ない。
問題は、50匹いるのが兎だけではないという事だ。
「どこの動物園だよここは」
黒い体毛の熊程の大きさがある狼。
赤いトサカが立派な鶏。ただし体長2メートル。
鰐のような蜥蜴。二足歩行している。
魔法世界でおなじみのスライム。リアルだとアメーバを拡大したみたいですごい不気味。
一つ目の蝙蝠は空を飛んでいる。一つ目の蝙蝠、というよりも巨大な一つ目が本体っぽい。
そんな異世界情緒あふれる何十種もの動物達が大群がそこにはいた。
10では足りない。100でも届かない。1000はないと信じたい。
先日、50匹もの蝙蝠に襲われたことがあったがあの時とは比べ物にならない数だ。
「問題、ってのはこれか………たしかに、マズイな」
動物の大量発生がそんなに問題ですか。驚異的な数ですけど、野生の動物はこっちから関らなければ何もしませんから気にする程の事じゃないと思います。
「…………アレ見てみ」
またもや人差し指を伸ばしてある一か所を示すあるじ。私もそれで納得した。
あー、確かにこりゃ問題ですね…………。
例え動物達が大量発生しても森の中なら問題ではなかっただろう。
問題なのは場所だ。
動物達が座ったり飛んだり鳴いたりしているのは青い青い草原の上、だけではなく草が生えてない場所にまで及んでいた。
そう、あぜ道だ。
私達が来た道の先に動物達が陣取っているのだ。
動物達の大群が通せんぼしているようなもので、これでは先へ進めないだろう。
あるじは、はーっ、とどういう気持ちでかは理解らないがため息をついた。
「大群というか大軍だなこりゃ。たしかに問題だー」
問題だー。
「………問題だ」
「うおビックリしたぁ!」
いきなり真横から聞こえてきた渋い声に驚きあるじの肩が跳ねた。私も、私以外にあるじの言葉に続いたのでびっくりして尻尾がたってしまった。
私達を驚かせた人物はあるじと同じくホフク前進体勢で動物達を見ている。ネコミミのオッサンは、あるじとの間に私をはさむような位置にいつの間にか顔があった。
「び、ビックリした。いきなり現れんでください。それと、問題ってやっぱりあれですよね」
「……ああ、あれだ」
「完全に道ふさいでるよな。迂回するしかないんじゃないですか?」
「そうだな」
「…………」
「…………」
また止まる会話。あるじの黒髪とオッサンの銀髪が揺れるが、さわやかでも何でもない。こんな男どもの暑苦しい顔に挟まれてる私の身になってくれ。
「そこで君に頼みたい事がある」
「頼み?」
今度はオッサンが沈黙を破る。その言葉に何かを第六感で感じたのかあるじの顔が引きつった。
「頼みって、まさかあの魔物の大軍を蹴散らせとかそういう物騒な頼みじゃないですよね?」
「………………」
「黙らないで!」
「……大丈夫だ。そんなことは頼まない」
「ほっ」
「頼むのはあの魔物の大軍をすり抜けて先に街へ行くことについてだ」
「ほ?」
埴輪のようにあるじの目と口が丸くなった。オッサンはあるじを見ずに淡々と告げる。
「……だから、君にはあの魔物の群れをかいくぐって次の街へ行ってもらう」
「無茶ぶりですねというか決定事項だー!?」
また無理難題だ。ドラゴンスレイヤーの次はソリッドスネーク。
とはいえここ数週間も一応、食事や水ももらい養ってもらっている身なので仕事と言われてしまえば拒否はできない。
急にやってきた急展開に(危ない危険と同じ意味)たじろぎながらも回避しようとするあるじ。
「ふ、普通に迂回しましょうよ。ほら、決められたレールを走る人生ってのもつまらないらしいし」
あるじ、その例えは意味が違います。
「……迂回はできん。あの道を通らないなら整備されてない草の上を行かなければならなくなる……………ちょうどこの辺りから勾配がでてきて段差が多くなる。………騎獣隊だけならともかく姫が乗る馬車では無理だ」
「うぐ…………で、でも僕だけ次の街にいっても意味ない気が。お姫様の護衛がお役目だし」
「姫には申し訳ないが今夜はここから少し離れた場所で夜を過ごしてもらう。君には先に行って街の人間にこの状況を説明して欲しい。街も近くに魔物の大群がいれば、明日すぐにでも魔物の討伐隊を派遣してくれるだろう」
「…………ひゃ、百歩譲って僕だけが街に行くのはいいけど」
あーあ、妥協しちゃったよ。ヘタレだから交渉ごとは大の苦手なのだ。馬車が行くことができないだけなのだから、行くのは別にあるじじゃなくてもいいのに。
「う、迂回して行っちゃ駄目? 馬車は無理でも鳥君なら多少の段差は飛び越せると思うんだけど」
必死で妥協案を構築するあるじに対しオッサンは無表情で否定する。
「……駄目だ。迂回すると倍以上の時間がかかる。今回は急務だから一刻でも早く先に進まなければならない。……勇者なら文句は言うな」
「で、でも僕が行かなくても、魔物の群れを誰かが通報して討伐隊がもう派遣されてるかも」
「……それはないな。この道は早く次の街へ行けるが、整備されてないから鉄蹄(馬や騎獣につける鉄の蹄。靴みたいなもの)の減りも早ければ駅(馬を休めたり交換する場所)もない。
急いでなければ鉱石街『シラィア』を経由する表街道を行くはずだ。……勇者なんだから他人を当てにするな」
「この道は緊急車両用なのか…………。じゃ、じゃあ大前提である魔物の大軍をすり抜ける、ってどうやればいいんだ?」
「……風のような速さで駆け抜けるなり魔術で姿を消すなりすればいい……勇者ならできるだろ」
「前から思ってたけどさ! この世界の人は勇者に期待しすぎ! 等身大の僕を見てよ!」
あるじが悲鳴を上げる。このままいくと、勇者という名のもとに猛獣とのふれあいコーナーに飛び込まなくてはならなくなるのだ。あせるのも無理はない。
猫にとってはノミ100匹の群れに飛び込むようなものだ。あれは恐ろしい…………。刺されてカユくなっても自分じゃうまくかけないという地獄。がくがくぶるぶる。
自分の想像に恐れている私とその隣で同じく震えているあるじ。どうやら反論の内容がつきたようだ。
震える私達二人を残してネコミミオッサンは逆ホフク前進でバックしていく。もう話すことはないとばかりに無表情だ。
同じく無表情なあるじがぽつりとつぶやいた。
「…………猫サン」
なんですかあるじ?
「…………どーしよ」
どーしましょうか。
いきなりの特攻野郎猫チーム・魔物の大軍に強行突破大作戦! に途方に暮れる私達。
動物達の大軍は相変わらずで、どこかへ移動したりする様子もない。どうやら宿泊コースをご予定のようだ。
「…………おい」
途方に暮れ伏せたままのあるじに背後から声がかかる。オッサンだ。
「もしかして思い直してくれた? そりゃそうだ無理がありすぎるよ」
わずかな希望と共に振り替えるあるじの顔面に向かって何かが放り投げられる。それを慌てることなくつかみ取ったあるじは、いぶかしげな表情でソレを見た。
「これは?」
「それは軍章だ」
手の中には小さく輝く長方形のバッチがあった。服の襟に針を刺して留め金で固定するタイプのもので、青地に白い竜? が描かれている。軍章というからにはシェイラ・ジャルガ王国の紋章なのだろう。
「……それを見せれば身分証となる。それがあれば街の通行所も無監査で通れる」
「わーい、いいアイテムありがとう。でも動物には意味ないなあ!」
そう言うもののあるじは少し嬉しそうだ。オッサンが心配してバッチをくれたのだと思ったのだろう。少しの優しさが胸に染みる職業、それが勇者。
そして期待が裏切られる職業、それも勇者。
「……街に着いて討伐隊を手配したら、姫が街に到着したら一早く休めるように宿屋『雪解け水』に行って宿の手配をしておけ。………軍章があれば必要な手続きは勝手にしてくれるはずだ」
「…………………………………」
新たなおつかいの追加だった。