Lv01―目を開けるとそこは、知らない場所
浮遊感。
まるで体温と同じような温もりで、粘度が高くそのくせ粘着質がない液体のプールに沈んでいるような不思議な感覚。
それは世界を移動する現象の身にだけ感じられる感覚。
視界から白い光が薄れていくと水は抜けていき、
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…………………………………………………………………………………………………………………ほぁ?
気が付くと白銀の光はなくなって視界が元に戻っていた。
はっ、あ、あるじは無事かっ!
私が見上げると(あれ? あるじに抱き締められていたはずじゃ?)あるじは何が何だか分からないという顔をしていた。
私もそんな顔をしているのだろうか。
だって、さっきまで汚い路地裏にいたのに今は猫の視点から見るととても天井が高く薄暗い部屋の中にいるのだ。
屋外から屋内への歩いてもない一瞬での移動。
これだけでも驚ける。驚いてやるにゃ。だが他にも驚きの要素が。
何がというと目の前に小さな少女がいること。
齢は12、13程か。髪はロングの白銀に瞳も銀灰色。あるじの目と少し似ている。
少女は髪と同じく真っ白な外套(ローブ)を身にまとい部屋の壁にもたれるように座り込んでいた。彼女は私たちと同じような驚いた顔をしている。
さらに驚かせてくれる極めつけは私たちの後ろにいる男たち。
黒服借金取りじゃないので一安心。というわけにはいかない。
何故って、彼らの格好は皮鎧に肩当て、籠手(こて)に掴まれている80cmくらいの西洋剣〈サーベル〉、といった中世の戦士、いや野武士のような風貌をしていたからだ。
彼らも同じような困惑した表情だった。
……………………………………………わけがわからないにゃ。
突然現れた少女と男達。いや、突然現れたのは私たちなのだろう。状況から考えるとそうなる。
もっというなら、男達が少女を襲おうとしたところに私たちが乱入したようだ。
私たちの身に何が起こったのか、それはまず置いといて、
「ザ・テレポーテーション!」
変なポーズと共に錯乱しているあるじも置いといて、今一番の問題は。
武器を持った男達に囲まれているということ――――――――――――
「おらぁっ!」
男のうちの一人が西洋剣を主に向かって振りおろす。
喧嘩が弱いあるじは簡単に引き裂かれ――――――ない。
軽く一歩下がっただけでその剣を避ける。剣は切るべき相手を見失い地面にぶつかりガキン。
あるじは喧嘩が弱い。
護衛人〈セキュリティー〉などの戦闘のプロなら仕方がないが相手が借金取りや一人の不良の場合で逃げる。場合によっては飴をなめてる小学生でも逃げる。
だからこそ逃げることと避けることに関してはピカイチだ。
殺し屋〈タナトス〉の魔の手からすら逃がれられるあるじがこの程度の輩にやられることはない!
でも避けるだけなので相手も倒せないけど。
いつもなら避けて避けて避けて相手が隙を見せたら脱猫!(脱兎の猫ヴァージョン)が手段なのだが、あるじはちらりと部屋の出入り口を見るだけで逃げようとしない。
とりあえず、あるじ逃げましょう!
「でも男達が道をふさいでるから」
確かに出入り口には男が二人いる。目の前の西洋剣を振った男を加えるなら三人。
でも、あるじならそのくらい振り切れるでしょう?
「僕は、ね」
僕は?
私は猫だから人間の2、3人の脇をすり抜けるくらいどうってことない。
じゃあ、何で?
そして私ははっと気がついた。
「女の子には流石に無理だろ」
あるじのイイ所の一つ。
それは一人だと絶対に逃げない事。
たまたま居合わせたのだから、こっちは巻き込まれたようなモノだから、逃げても責められるいわれはないのに。こういう時のあるじは絶対に逃げない。
だが、実際問題あるじに男達が倒せない以上逃げるしかないのだが。
「あ、あの」
女の子があるじにおずおずと話しかける。その声は困惑と、そして悔恨。
「に、逃げてくだ…………」
「大丈夫」
あるじは少女のか細い声をさえぎる。
「大丈夫、僕が何とかするから」
そして振り返って笑った。曇りのないこの場にふさわしくない笑み。
現実的に見て、不可能な約束。
自分だけは助かる道があるのに、それを簡単に捨てた。
……………………………まったく、これだから、あるじは私の主なのだろう。
あるじが後ろを向いたのを隙だと見たのか空気を読まず男が剣を振りかぶる。
そして振り下ろす。ゴッ、と風が切れる音がした。
私があるじの名前すら呼ぶ間もなく、あるじは、
その男の顔に拳を入れていた。
「ぐぶぇっ」
男は顔を殴られて後ずさった。まさか線の細いこの少年に反撃されるとは思ってなかったのか驚いている。
だが一番驚いているのは私だ。あるじが、喧嘩で、一撃入れた?
いや、一番驚いているのは私ではない。
「え、当たった? 僕の拳が? え? ええ?」
あるじだった。攻撃した本人が一番驚いていた。
もしかすると能ある猫は爪を隠す説を考えていたが、どうやらあるじにとってもその結果は予想外だったようだ。
「おるぅあ!」
まだ放心するあるじに向かって今度は横薙ぎに剣が振われる。
その瞬間、あるじは腰を落とし、左ヒジでその剣を持つ腕を跳ね上げ、軌道がずれた剣が頭上を通りすぎ、あるじの右の拳が男の顎にアッパーカットを決める。
男はその小さくはない体を床に倒して動かなくなった。
一発KO。
「猫。僕………………弱い、はず、だよな?」
あるじは未だに放心のような状態。そんな状態で男を倒したのだ。
おかしい、おかしすぎる。
確かにあるじは武術のようなものを軽く修めているらしい。
だが今までにも逃げるわけもいかない時、あるじが拳を振るったことも何度かあった。その時は敵に軽く避けられあしらわれ、捕まることすらなかったが子供を相手にするかのようにボッコボコにされる姿を何度か見たことがある。
前に自信満々で言ってた事だが「僕を倒すのは赤子の手を捻るより難しいぜ」と赤子を引き合いに出す時点で健康な青年としてどうかと思う。
下手すると私よりも弱いレベル。
だが、今のあるじの動きはまるで強い格闘家のようだった。
どういう事だ?
そこである仮説が浮かんだ。
あ、あるじっ!
「ね、猫。何かわかったか?」
こ、こういうことでは? 今まであるじが負けていたのはあるじが弱かったのではなくて、
相手が強すぎたからでは!?
「な、なんだってーーーー!」
驚愕の真実。
そういや今まで抵抗したのは殺し屋〈タナトス〉とか護衛人〈セキュリティー〉などの戦闘のプロ達だ。片や化物、片や格闘エリート。一般人が逆立ちしても敵いっこない相手。
そして一般人に毛が生えた程度の借金取りなどが相手の時は数が多いため反撃よりも逃走を優先していた。
図解するとこういう事。
殺し屋〈タナトス〉>=護衛人〈セキュリティー〉>>>|越えられない壁|>>>借金取り(群れ)>私>あるじ>>男達。
そう考えれば説明がつく。
あれだけ攻撃を避けたりするのが得意なあるじだ、そこに少し攻撃を加えればそれなりに戦えるハズ。
実はあるじは(それなりに)強かった!
「え、えへへ、褒めるなよ」
といっても西洋剣を持った男二人と戦えるかどうかはわからないですけど。
「あ」
あるじはまだ他に二人男がいることを失念していた。
男達は仲間がやられたのを見て、もうあるじをただの小僧と見ていない。さっきは油断もあったのでアッサリ倒せたけれ――――剣が振り下ろされた!
「ふっ!」
あるじはまた紙一重で避けて拳を入れようとするが、もう一人の剣が突き出されあるじを狙う。
「づっ!?」
が、剣筋が鈍くなった。そりゃそうだ、私がそいつの足に噛みついたから。骨までは無理でも筋ぐらいは噛み切れる。
あるじは剣筋が鈍くなった剣をかわしその男のふところに入り、今度は右手のひらによるアッパーカット。
「アームハンマー!」
それに加えてよろける男に左拳をハンマーのように側頭に打ちつける。脳震盪でも起こしたのか男は崩れ落ちた。
残るは一人。
どうやら(実はそれなりに強かった)あるじと私なら二人くらいどうにかできるようだ。刃物というか剣にしても銃弾やら日本刀やら微振動ワイヤーに襲われるのが常な裏路地に比べればカワイイもので恐れるに足らない。
「というか何なのこの状況?」
あるじが前の軽装備の戦士スタイルな男達と、背後の袖も裾も長い白ローブを着ている触れれば折れてしまう雰囲気のある育ちのよさそうな銀髪少女を見ながら自身の黒髪の頭をかく。
誘拐されそうな所にあるじの乱入?
「途中参戦ってことか。というかあの白銀の光と魔法陣はなんだったの?」
あの魔法陣は何だったのか、ここは何処なのか、あれが噂のテレポーテーションというやつだったのか?
「僕が超能力者に目覚めたに5百円」
じゃあ私は、あるじがまだ混乱しているに猫缶一個。
「そもそもここは何処だ?」
さあ?
「僕は誰だ?」
哲学のかほりがしますね。私が知る限りでは〈私のあるじ〉としか言えませんけど。
「ここは何処? 僕は誰?」
何で記憶喪失的な台詞ですか。
「人生で一度は言ってみたいセリフだろ。他には、『僕を倒した気でいい気になるなよ! 僕は四天王でも最弱な存在。僕の仇はヤツらがとるだろう!』とか」
あー、言う機会なさそうですよね。
「だろー」
あるじ友達いませんものね。仇とってくれそうな人とかいないでしょう。
「そう言う意味じゃないよ!」
自分の隠された力(まさかこの語句をそのままの意味で使う日が来るとは………)に驚いたものの、それなりに戦闘の経験(刃物で襲われたりするのはざらで、拳銃とかの時もあった。まあ、例外なく逃げたわけだけど)があったあるじはもう落ち着きを取り戻している。
まだよくわからないことだらけだが、絶望的だった状況が明るくなった。
その時、入口の扉が開く音がした。