Lv26―ブタイウラ/Grandfather's Clock
「ふんふーん、ふふふーんふふふー、ふふふん、ふふふーんふふふーふふふーん」
寝泊り用に与えられた客室の中で、あるじは窓際の椅子に腰かけ機嫌よさそうに鼻歌を歌っていた。
曲目は『Grandfather’s Clock』。私の好きな歌。
あるじは『逃げる』コマンドを選べるようになったので精神的に楽になり上機嫌なのだ。この世界に来てから珍しく一回も逃げ(られ)なかったからなぁ。
私はそんなあるじの膝の上に乗り丸くなっている。時々、毛を梳(す)いてくれるあるじの指が気持ちいい。
召還されて戦って天使を倒して、色々な問題が解決した気になるがまだまだ問題は山積みである。
「問題って?」
まず現実的に生活費。
でもこれは簡単に解決できる。というかお姫様に頼めばどうとでもしてくれる。こういうの何て言うか知ってますか?
「…………………せびる?」
ヒモです。
「………………勇者って実はヒモだったのか」
新たな世界を知ってしまったあるじは遠い目をしている。
大丈夫、無職よりかはランクアップしてますから。
「駄目な方向にな」
問題そのにゃー。
「……………にゃー?」
………………噛んだだけです。その二。元の世界に戻る方法です。といってもこれは優先順位低めです。
「どして?」
私はあるじがいればどこにいたって同じですし、あるじだって向こうに家族とか仕事とか戻る理由ないですよね。
「まあ、そうかな?」
むしろ借金取りとか殺し屋に襲われない分こっちにいた方がいいんです。あっちはあっちで物騒な世界ですから。
「『都市』とかはそうでもないんだけどな。平和だぞ、あそこは」
あそこは育ちがいい人、金持ち、才能がある人だけが住める地域ですよ。あるじはどれか当てはまりますか? 当てはまりませんよね。だからゆっくり観光気分で帰る方法を探しましょう。
「長い旅行と思えばそれもありか」
でも、【召還魔法】については調べないといけないみたいです。
「どして?」
それが最後が一番の難題。召還魔法で呼び出された私とあるじについて。
「……………………………【天使】、か」
そう、天使が言っていたことについてだ。『召還者』。《天使の敵》。《召還者は災厄を呼ぶ》。多分、【天使】にだけ伝わっている伝承。
奇妙なのは人間が召還されるという事象についてどうして人間側ではなく天使側の方が情報を持っているのか、だ。
【召還魔法】。まだまだ何かありそうです。
「つついて出るのは蛇か、それとも天使か、もしくは【翼】か」
神様かもしれませんよ?
召還魔法についてさらに一つ懸案が。
あの天使の《動物の群れを操る》【神術】を見て思った事。
それは《群れを操る》という点について。
群れというのは一たす一たす一たすは三ということ。個が集まって群れになる。
だが《群れを操る》という【魔法】は個は操れず群れを操る。三には効果があるが一には効果がない。それはあの怪鳥のことからもわかる。あれが天使の手下ならわざわざショートカットさせるようなミスは起こさない。
まともに考えるのなら集団心理とかを利用した絡繰だろう。私を操れなかったことからもわかるが、一定以上の自意識を持つ動物は操れないのだろう。魔法に理屈をあてはめるだなんて馬鹿げているが、そこで一つ面白い仕組みに気付いた。
そしてそれの確信を得るために、お姫様にとあることを聞いたのだ。
浮かれるお姫様とへらりと笑っているあるじ。その一歩後ろをトコトコ歩く私。
あるじが私の質問を切り出した。
「――――――【召還魔法】ってさ、本来は動物を呼ぶための魔法でしょ」
「? はい、そうですけど。あ、虫とかも呼べます呼べますよ。無作為なのでどの種類が召(よ)ばれるかはわかりませんませんけど」
「ならさ、群れとかを呼んだらどうなるの?」
「…………………………?」
「口の中に虫を飼う狼とか、もしくは女王蟻とか呼んだらセットで他の虫も付いてくるの?」
「えーと………………、狼(スール)の場合は付いて付いてきますね。お腹の中の菌とかと同じ扱いで」
「つまり密着していれば一緒に呼ばれる、ってこと?」
「ですが、女王蟻の場合は単体しかついてついてきません。召還後に女王蟻自身が仲間を呼んだりはできますけどけど………………………それが何か?」
「いあいあ、どうってことないよ」
お姫様はお礼に頭を軽く撫でられて疑問はどっかいってしまったようだが、私はその疑問を考え続けてきた。
「つまり、共生関係の動物や虫は呼べるけど、連るんでいるだけじゃセットでは呼ばれないってことだろ」
それも共生の方も一方が大きすぎると呼べないでしょうね。狼は虫が小さくて狼を構成する細胞の一部分であると認識されていると思います。
つまり原則、【召還魔法】は一個体しか呼ばない。
これから導き出されることは。
あるじが珍しく苦そうな顔をする。
「僕らが二人呼ばれたのはおかしいということか」
私とあるじは一心同体。だが一個体という訳ではない。一たす一が二になっているのであって、あくまで一匹と一人。
なのに、私達は一緒に呼ばれてしまった。
「そこで僕らが一匹と一人呼ばれた、僕らの【異世界召還論】はどこか変だということになるわけだ」
はぁー、と新たな悩みの種にうなだれるあるじ。そのままいくと椅子から転げて地面に頭を打ち付けるくらいの勢いだったが、私がいたためモフッと白い毛に顔をうずめる結果になった。
「もごもご」
何かをしゃべっているが私の体に口を押し付けているから聞き取れない。少しくすぐったい。
って、毛を食べないでください!
「ふわふわー」
食べるといっても少し食(は)んだだけで、あるじは私の胴にすりすりと頬ずりして柔らかさを堪能することに切り替えた。
思考停止したあるじだが、私は揺らされながらもぼんやりと考えていた。
いきなり飛ばされた魔法の世界。天使と悪魔がいる世界。借金取りがいない世界。殺し屋〈タナトス〉がいない世界。
いつのまにか鼻歌は詩がともなう歌に変わっていた。あるじは何故かこの曲だけは英語で歌う。
それはとある時計と持ち主の話。
《私のおじいさんの時計は彼よりも大きかったから、
九〇年間、床に立ち続けてきたのよ。
おじいさんより半分以上も大きかったけれど、
それまで生きてきた重みは少しも違わなかったわ。
時計はおじいさんが生まれた日の朝に買われたの。
その時からいつも時計は彼の宝物で誇りだったのよ。
でもね、急に止まって、二度と動かなくなってしまったの。
おじいさんが亡くなったその時から》
平和なようで平和ではない世界。元の世界より殺伐としていない世界。元の世界の『都市〈シティ〉』の方が安全な世界。路地裏ではない世界。日なたの世界。月明かりを求めない世界。
膝の上から目を上げると窓から月が私達を眺めていた。
この月は、元の世界とどう違うのだろう。
私はまぶたを閉じつつあるじの歌を聴きながら思った。
ま、あるじがいるならどうでもいいか。
そこは、雪が月光を反射して闇夜に綺麗に浮かび上がりちょっとした舞台になっていた。
唯一の役者は観客のいない舞台で踊ることに意味はないと言わんばかりに雪原(ステージ)にざくざく足跡をつけて歩いていた。
雪は深いのか一歩一歩大きく足を持ち上げないとならなく、その上下運動で黒い外套(ローブ)と一体の被っていた帽子(フード)がとれて醜い男の素顔が明らかにる。
やはり見る者はいないから構わないのか帽子(フード)を被り直そうとしない。
ちょうど月が見やすくなったとばかりに空を見上げて呟く。
「失敗したかー。あんの木偶の坊の男でも荷物運び庫くらいには使えたのに」
姫を誘拐しようとし【天使】の元につき多くの人間を殺した黒外套は外見に似合わない明るいしわがれた声で月に語りかける。当然、月は返事をしない。それなのに黒外套は話し続ける。
「大体さー、この仕事私向きじゃないだろ。入念の準備したってのに全部おじゃんになって、最悪。準備とか食費とか交通費が経費で落ちなかったらどうしてくれよう」
外套(ローブ)のポケットから丸い小石のようなものを取り出す。軽くコンコンと指で叩くと淡い色の光が点った。それは【魔法陣】だ。
その小石を耳に当てながら、顔に手をやりビリビリビリと顔を剥いだ。正確にいうならば、顔に張り付けていた人工皮膚(マスク)を取り外した。
醜い顔をはぎとって現れたのは二十くらいの赤髪の美女。
「おーい、通信だー」
黒外套は顔に残った人工皮膚をとりつつ月に向かって声―――しわがれた老人の声ではなく女性特有の高い声―――を放つ。
今度は意外なことに声が返ってきた。
『はいはい、こちら伝言ちゃん。番号と暗証お願いしまーす』
「あいあーい、こちら【蒼火の魔術師】。暗証は【fuiy izQz】」
『…………はい、認証終わりましたー。お久(ひさ)でーす』
「おひさー」
『どうしたんですか? 予定よりも早かったじゃないですか』
「それが、色々あってな」
『色々ですかー』
黒外套は赤毛を振り乱して頭をかきむしる。赤毛が月光を受けて燃えるように輝く。
「もー、最悪。姫の誘拐なんて楽かと思ったらいきなりスゴ腕の魔術師が現れるは幼竜と出くわして食われかけるは天使の《回収》に失敗するわ」
『はー、それは散々でしたねー』
「労ってくれ」
『それは後で司長からゲンコツと共にもらってくださーい』
「いやーーー!」
赤毛をさらに振りみだすが、勢いがつきすぎてそのまま雪の中に倒れた。
「うわー、どっちの意味でも冷てー」
『ですけど、【翼】の《回収》にも失敗したんですか? 欠片くらい拾ってくればいいじゃないですか』
「それがまた最悪なことに【天使】が死んだ場所が竜の祭壇だったの。どう動いても竜の鼻先をかすめないと無理そうだったから諦めた」
『せっかくの大物の【天使】で絶好のチャンスでしたのに』
「しかも状況次第ではそこらの魔術師と同程度の強さしか発揮できないから捕獲もしやすかったっぽい。しかも【主天使】」
『【主】ですか……………そんな大物が』
「まあ、殺されちゃったけど。感じた雰囲気だとスゴ腕魔術師が倒して竜がとどめを刺したな、あれは」
こんな夜中に雪野原にいるのも、雪原のど真ん中で【通信魔術】を使って連絡を取り合うのも変だが、この二人の奇妙さの極めつけは一点に限る。
百年前から姿を現さなかった【天使】がこの人間の世界にいたというのにそれが当たり前だという前提で話し合っているのだ。
この世界の常識を無視して、伝説の存在を現実視している。
『ありゃりゃー、しかしそのスゴ腕の【魔術師】は気になりますねー』
「まあなー。俺の炎を受けきった、というか【エルミニの雪遮竜壁】を男が使えるだなんて話聞いた事ねえぞ。しかもあの王族特有の銀の髪じゃねーし。もしかするとあの王国の隠し玉、っつーか隠し子だったのかもなー」
『いえ、私が言うのはそう言う事ではなく』
「あ?」
『【天使】のトドメを【雪竜】にさせた、という事です』
「どういうことだ?」
『まあ建前上、それをすることで雪竜をあの国が助けたのではなく、雪竜とあの国が共に戦ったというシナリオを書き上げたのです』
「…………………………………」
『だからあの国は今も【檻】を作った雪竜がまだいるというのに討伐隊をつくらず騒いでいるんですよ。普通、脅(おど)されていようが自分を脅(おびや)かそうとした存在を人は許しません。でも、今その国では竜バンザーイ国バンザーイとかやってますよね』
「…………見てきたように言うんだな」
『ただの憶測ですよ。でも、当たっているようですね。ちなみに憶測の材料はあなたが正規のルートで帰らず雪原を帰り道に選んでいることからわかります。人工皮膚をとって声を戻してしまえば誰もアナタが黒外套だと気づかない。なのに慎重を期しているのはあの国がもう落ち着きを取り戻して街道に検問でも張ってるからでしょう?』
「……………………………大当たり」
誰もあの老人のような黒外套の中身が美女だとは思いもしないだろうが、万が一を考えて裏ルートから帰還することにしたのだ。
『しかし、全部がうまいことやられちゃいましたね。そしてその状況を作り上げた【魔術師】。注意した方がいいでしょう』
「だな」
あの城のような別荘の中で出会った少年を思い出す。どこにでもいるとろそうな子供だった。が、気になるのはあの猫。
あの猫は、何か変な感じがした。あまりよくない、あいまいな言い方だが、この世の存在ではないような気がする。
「外見は黒髪に少し銀が混じった灰目の少年。そして傍らには白い美しい猫。
【蒼火の魔術師】の名においてこの者を我ら『結社』の『要注意人物』に指定する。
もし機会があったら殺しとこうか」
第一章『召還魔法で踊る猫と主のエテューデ』終幕。
第二章『偽勇者と儚い少女のゼレナーデ』に続く。
第一章完結。第二章までしばらく連載停止します。
第二章は春休みが終わるまでには再開したい。
しばらく間が空きますが猫とあるじを忘れないでください(笑)