Lv23―終演の開幕
とん、と私は床に4つの足をつけ着地する。
着地したすぐ隣には比喩でなく黒コゲになっている【天使】の少年。その周りに蚊取り線香でやられた血吸虫のようにコウモリ達が何匹も電撃で麻痺して落ちている。
あるじは口元から流れる血をふきながら少年を覗きこむ。
「生きてる、よな?」
ええ。加減しましたし、元々気絶させる【魔術】らしいですから。
あるじがそう言うとわかっていたのでそれなりに加減はしたつもりだ。だが、髪がちぢれ白眼をむき指がびくんびくんと痙攣している様は死んでいるようにも見えなくはない。
全く、あるじはヘタレだ。あんなにボコボコにされて弄ばれたのに敵の命すら気に掛けるだなんて。
「って、うわ! お前、毛付きホコリ取りみたいになってんぞ!」
静電気のせいです!
あるじが言う通り私の毛は雷の【魔術】の余波で起きた静電気のせいでぶわぁと逆立っている。王者の風格を持つ鬣(たてがみ)というよりジレンマな針山を想起させる。
「すごいな……………久しぶりに見たけど新発売のブラシみたいだな」
うるさいです。うりゃ、うりゃ。
「痛っ、静電気痛っ」
あるじに体をなすりつけてパチパチと静電気を流す嫌がらせ。微妙に痛い。
「でも………………よく倒せたよな」
西洋剣〈サーベル〉と鞘を拾って収め、ベルトに挟む。あるじは骨折こそしていないがあちらこちらから血が流れ服もあちらこちら破れボロボロ。
だが、本人はあんま気にしてなさそう。まあ、元の世界ではこの程度の負傷珍しくなかったからなあ。
私は歩くのもダルいのであるじの腕の中で休息しながら感想戦を始める。
【天使】ってスゴかったですねえ。コウモリを本当に手足のように操って。
「しかも、あの【翼】で魔力をカミサマからもらってマジックポイント常時全快とか誰か攻略の仕方をチュートリアルしてくれ」
あお向けに倒れてる少年の背中には既に【翼】はない。
10万ボルトを喰らわして気絶するとじゅるりと不快な音を立てて背中の中に収納されてしまったのだ。だからあお向けに倒れた拍子でポッキリ折れたりとかはなかった。
「天使………………ほんとにいたんだなぁ。とりあえず拝んでおくか」
ぱんぱんと柏手を打って拝む。
その天使をあるじがぶっ倒しちゃったんですけど。
「大丈夫、神様はそんな狭量じゃないよ。アイツはいいヤツだ」
その使いっパが私達をモルモットにしようとしたんですけどねー。
緊張感が皆無な調子な私達。
「というか、猫。【魔法】使えるならさっさと使えよ」
使えたのはほんとギリギリだったんですよ。
「追い詰められて隠されたぱわーを発揮したというのか。なんという主人公補正。さすが勇者。かっこいいね。僕もうパーティ離脱していい? もうホント疲れた…………」
あるじも勇者名乗ってるんですから、そんなこと言わない。
「偽勇者だけどな! 魔法使えないし。と、そうだ」
はっ、として巨大な扉の方を向くあるじ。
どしたんどすえ?
「ユニ追いかけないと」
ああ、お姫様を逃がしたまんまでしたね。
「大丈夫かなあ…………動物とかに襲われてたりしないかな」
もしくは、【天使】の部下の黒外套(ローブ)たちと出くわして逃げ回ったりとか。
「…………………………」
…………………………。
「さ、探しに行かないと!」
あるじは慌てて走り出そうとする。待ちなさい。
天使はどうするんですか? 縛っておいても【魔法】、いや【神術】でしたっけ、動物を操られたら意味がないですよ。
「そ、そうか。じゃあ……………どうしよ?」
とりあえず担いで連れてって、起きそうになったらまた【電撃】くらわせて気絶させましょう。
「なんという恐ろしいピカチュウだ。でも、いい案だからそれでいこう」
「させない」
私達の行動はその一言で遮られた。その声の主は一体誰だ? 答えは簡単だ。この部屋の中にいる人物は二人。あるじと……………天使。
天使が満身創痍の体で巨大な扉の前に立っていた。
「え?」
少年が倒れていた場所を振りむいてみるが、そこには数匹のコウモリと焦げ跡だけ。
あれを食らって立てるだなんて…………………!
「流石、【天使】ってことか…………」
あの【電撃】を食らって見るからにボロボロな姿に加えてナイフで刺された肩は血が流れて、しかも私がいた肩、【電撃】の発生源に近かった右頬はゲルロイド状にただれている。
天使だなんて神聖さはもうどこにもなかった。
そこにいたのは戦いに敗れたただの子供。
「僕…………はまだ、負けて、ない!」
顔は怒りでさらに醜悪といっていいほどになっている。まだ、戦意は失っていないようだ。
「もう決着はついたと思うけど?」
彼をまとっていた【鎧】は死んでこそないが地面で目を回している。【電撃】がよほど効いたようだ。
「まだ、お前に……捕え、られて、た………コウモリが………いる!」
「どこに?」
コウモリなんてもういませんよ。
この広いドームの中を飛ぶコウモリは一匹たりともいない。だが、地面の上にも彼を守っていたコウモリ以外は落ちていない。
コウモリが一匹もいなくなっていた。
「何で、だ……………」
「何でって、イベントが終わったからすみやかにお帰り願ったんだよ。映画が終わったら速やかに帰りましょう」
また操られても厄介なのでコウモリさん達に私から話して帰ってもらったのだ。動物同士は簡単な意思疎通くらいはできるのです。仲間になりたそうな目で見てきたのはいなかったけど。
「くそっ!」
反撃前の余裕あった態度はなくなり悪態をつく。動物がいない猛獣使いには先程までの不気味さはない、ただの小物に見えた。
同じく小物のあるじは戦う前と変わらず緩んだ微笑み。
「まあ、諦めなさいな」
「まだだ!」
少年は血を吐くように、いや【電撃】のダメージが内臓までまわったのかそれとも気管近くの血管が破裂したのか吐血しながら叫ぶ。
「僕の能力は【神文字】を刻んでしまえば見えてなくても動物を操れる!」
「コウモリさんを呼び戻そうっての? 無駄だよ」
あるじが意味ありげに手を伸ばすと少年の背後に、否、巨大な扉の前に一瞬で【エルミニの雪遮竜壁】が現れ、扉が開くの防ぐ。
「ふむ、他の小さな通路はふさげない…………こともないかな。あの【炎の蛇】で入り口を通路ごと壊しちゃえばいいんだし。そうすれば動物はもうやってこれないよ」
これはハッタリだ。あるじも私も天使ほどではないが精根つきて使いなれてる【エルミニの雪遮竜壁】はともかく【炎の蛇】は出せそうにないのだ。
でも【神術】で操るべき動物がいない彼は子供と変わらないだろうから今のあるじでも簡単に制圧できるだろう。
一歩、踏み出して彼に近寄ろうとする。少年に打つ手はない。
ハズなのに、彼は笑った。
ズン、と何かがドームを揺らした。
「?」
このドームの部屋は山の中の洞窟にある。山で爆発でも起きたのだろうか。それとも、まだ天使は動物を操って騒動を起こしているのだろうか。
ならば一刻も早く天使を止めなくてはいけない。また一歩、あるじは踏み出す。
ズン、と何かがドームを揺らした。
「……………………………」
ズン、と何かがドームを揺らした。
……………………………。
ズン、と何かがドームを揺らした。
「なあ、猫」
なんですか、あるじ。
「なんか、だんだん揺れる間隔が短くなってないか」
しかもどんどん揺れが大きくなっている気がします。
「この展開、ってさ………………嫌な予感がするんですけど」
激しく同意します。
「………………あ、やっべ、ガス栓締め忘れたから帰って確認してくるわ」
だから、この世界だけでなく元いた世界にも家無いですから帰ろうとしないでください。さらに言うならあるじはガスコンロがついてるような高い物件を借りたことは一度もありません。
ズン、と何かがドームを揺らした。
音も揺れも少しずつ大きくなっていき―――――なんて回りくどいことを言わずにハッキリズバッと表現するならば次の一文で済むだろう。
何か、大きなモノが近づいてくる。
明らかに足音とおもわしきリズムが巨大な扉の向こう側から聞こえてくるのだ。
「…………猫。魔法の【壁】があるから、この部屋には入ってこれないよね?」
【エルミニの雪遮竜壁】はあの【∃】のナイフを除けば鉄壁らしいですから、大丈夫なはず、ですけど。
ズン、と何かがドームを揺らした。
この低く響く音を足音とするならば、その足音を鳴らすモノは当て推量で………………2、3トンはありそうな巨体の持ち主だろう。
「どんなにスゴい動物でも【エルミニの雪遮竜壁】は破れない! ……………ですよね?」
敵にそんな事を聞かないでください。チェーン店のファミレスで「ここのスパゲティは日本一ですよね!」と聞くようなものだ。否定も首肯もしづらい、嫌な客だ。
だが店員さんは快く答えてくれた。でもその笑みは苦笑ではなくいちゃもんをつけるクレーム客のような暗い口元の歪み。
「そうだね、【エルミニの雪遮竜壁】は魔法的・物理的の両面において追随するモノを許さない【魔術】。まっとうな手段では壊すのは不可能に近い。あの【∃】の結界壊しのナイフは反則も反則な手段だから真似できる手段じゃないしね」
「ほっ……………」
あんな含みのある言い方で安心して額の汗をぬぐうあるじは、もうほんと馬鹿なの? 死ぬの? 私を巻きこまない形で心臓麻痺が死因で死んでくれ。
「でも、一つだけ例外があるんだよ」
巨大な扉がギ、ギ、ギ、と重いかすれた音を出しながらもったいぶるように少しずつに外向きに開く。
「それは【エルミニの雪遮竜壁】のオリジナルの担い手が現れること。オリジナルの担い手は【エルミニの雪遮竜壁】に干渉することができる、つまり発動を解除することも可能なんだ」
まず現れたのは足。
それは岩石のような分厚い鱗におおわれ、あるじの持つ西洋剣〈サーベル〉に劣らない鋭さと優れる太さを兼ね備えた爪があった。
「お、オリジナルってまさか………………」
【エルミニの雪遮竜壁】。竜壁。
「で、でも、竜は操れないんじゃ」
「そうだね。王である雪竜は、僕どころかこの世界全ての存在でも殺すことはともかく操ることは不可能だといってもいいだろうね」
次に現れたのは翼。
鳥の羽根ではなく天使のような無機物的ではない、強いて言うならコウモリ達のものに似た大きいそれは飛ぶためと言うよりも吹雪から動物達を守る威厳の象徴にみえた。
「王である雪竜はね。一匹、子供がいるんだよ。この山の継承者である王子がね。まあコッチも僕の能力じゃ操れないけど」
最後に現れたのは頭。
蛇のように長い首の先に乗っている頭部はトカゲのごとき爬虫類と喩(たと)えるには貧弱さはなく、これはこの種族にしか出せないであろう見るだけで畏怖させられる恐ろしさを秘めた、幼くして王者の風貌。
「直接操れないのなら他の動物を使って操ればいい」
ついに動物を使うと表現した天使は勝ち誇るように言う。
巨大扉が開ききると同時に侵入を防いでいた【エルミニの雪遮竜壁】が意図せずに勝手に消えた。雪が解けるように呆気なく。
「雪竜の王子。【エルミニの雪遮竜壁】オリジナルの担い手だ」
そこには人の数倍の大きさの銀色の影。
硬質的な色ながらも雪のような儚さをも内に含む、古き土地『蠢く天の道標』の王者の正当後継者。
「GHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
雪竜の幼竜が、鬨の声を上げるように吼えた。