Lv22―VS猫の手
少年が―――歪な【翼】を生した天使が、倒れ伏す私達にゆっくりと歩いて近づいてくる。
「ふう、ようやく終わった」
あるじはうつぶせで倒れ伏していて顔はこちらを向いているが脳震盪でも起こしたのか視線は虚ろで反撃の意思は全くといってなさそう。
私はあるじの元へ行こうとするが頭が痛くて動けない。
「これで術者回収、と。僕じゃお兄さんを『研究所』に連れていくのは骨が折れそうだけど動物に頼めば何とかなるかな。ああ、安心していいよ命まではとらないだろうし衣食住は保障されると思うから」
衣食住は保障。
どこかで、最近聞いた気がする、なんの慰めにもならないことを言うがあるじは何も反応しない。それを満足そうに眺めて、次に倒れている私を見る。そして救いの手を差し伸べるように腕を私に向かって伸ばす。
「でも、猫さんの方は必要ないかな」
その腕の先には胸に【┳┓】の文字が刻まれたコウモリが。
「火の【魔法】を扱う猫、ってのは珍しいけど――――――要らないね」
口を開き衝撃波の準備のために光を溜める。
「だから死んでもらうよ」
私の体は鞭を打てば少しは動きそうだが、それだけだ。私だけでは、【エルミニの雪遮竜壁】を使えない以上、他に使えそうな【魔法】もないから時間稼ぎもできない。
私はぼんやりと思いだしていた。
この間の夜、お姫様が帰った後。私とあるじが眠りにつく間際の会話。
何であの時、逃げなかったんですか?
「? 何時のことさ」
【召還魔法】でこっちの世界に呼びだされる直前の事です。
あのくらいの借金取り達ならどうにかできたんじゃないですか?
「………………………」
こっちきて、実はあるじは強いことがわかりました。そうでなくても、逃げることに関しては一級なんですから殺し屋〈タナトス〉や護衛人〈セキュリティー〉相手じゃなければどうにでもできたと思うんですけど。
「……………………………」
何故、私に逃げるように言って自分は捕まろうとしたんですか。
「……………………………」
答えてください。
風が吹き、窓をガタガタと揺らす。私はベッドに寝るあるじの目を見るが、あるじは天井を見ている。
「うーん、とね」
いつもの調子で、話しづらいとかなく、話す。
「もう、いいかな。って、思ったんだよ。僕が逃げているのは、さ。別に、命を狙われているとか重要人物を殺した、とか黒い過去があるからじゃなくて、ただの家出なんだよ」
ただの家出で殺し屋〈タナトス〉や護衛人〈セキュリティー〉といった物騒な人材が出てくるのかはともかく。私は話を聞く。
「そこら辺は色々手違いがあっただけなんだよ…………………才能ないから勘当されたのに家の都合で呼び戻されるなんて嫌だったから逃げ回ってたんだ」
勘当された、の部分では妙に力がこもっていたが、感情的な語りではなかった。
「でもさ、逃げて逃げて逃げて。疲れた、なんて甘い事は言うつもりはないけど、ジリ貧な気がしてきたんだ。逃げる理由も大したことじゃないんだし、もういいかなって。捕まっても家に戻されるだけで、外国に売り払われたりオッサンのペットになったり内臓とられたり殺されるわけじゃないんだから」
その眼は今まで見たことがない透明な色をしていた。
「ボディーガードが嫌で逃げていたのにさ、結局こっちの世界ではお姫様守っちゃって。やっぱり三つ子の魂百までで、やっぱり僕はここが終着地点かな。これ以上先には行けないんだよ。魔法使いにもなれなければ勇者にもなれないんだ……………………」
あるじは最後まで私を見なかった。
「猫に逃げろって言ったのは、ウチの家訓ではペット飼っちゃいけないから家にバレると酷いことされると思ったからなんだ。いや、本当にあるんだよそういうのが。そういうフザケた家なんだよ。でも………………」
私はヘタレなあるじが好きだ。
私は馬鹿なあるじが好きだ。
私は子供なあるじが好きだ。
「嫌なことは飲み込む…………………大人に、なろうかな、って」
物わかり言い事を言うあるじは嫌いだ。
悟ったような事を言うあるじは嫌いだ。
今みたいな透明なガラスのようなあるじは嫌いだ。
「朝凪在名の冒険はここで終ってしまった! みたいな」
家族じゃなくてペットだから。
猫にしては賢いだけの、ただの猫だから。
私はなんの力もない、猫だったから。
もっと逃げる日々を続けたかった、なんて言えなかった。
手を引いて一緒に逃げよう、とも。手をつないで一緒に生きていこう、とも言えなかった。
だって、私の手は物をつかめない猫の手なのだから。
「さあ、これで」
天使は無慈悲に、覚悟をする時間すら与える死刑宣告を始める。
「終」
その時思い浮かんだのはあるじの顔ではなく。
「わ」
私達に死ぬ覚悟をさせた、
「り」
黒外套の炎の魔術師―――――――――
「だ!?」
その言葉は驚愕で途切れる。
何の前触れもなく地面から幾多のも蛇が現れ、少年の首筋にかぶりつこうと飛びかかってきたのだ。彼に従うべき動物が彼を襲う。
その蛇の名はフランメン・ツー・アイネム・シュランケ・ツザンメン・ゼッツェン。
―――――――――【炎にかたどられた、宙を這う獲物を探す蛇】。
炎の魔術師が使った【魔術】。【エルミニの雪遮竜壁】だって呪文を教わったりしてやり方を覚えたのではなく見ただけで使えたのだから他の【魔法】を使えてもおかしくはない!
それだけの理屈で咄嗟に、だがうまく発動した最後の一撃。
「この程度っ!」
彼の元にいたすべてのコウモリによる【光の壁】が彼を守る。
一匹目がその【光の壁】にぶち当たって――――――噛み砕いた。
「なっ………………上級魔術かっ!」
【ファイガ】とは比べ物にならない熱量を備えた【蛇】たちが今まで鉄壁の防御を誇っていた【鎧】を砕いていく。だが、【壁】が砕けた次の瞬間には他のコウモリによる【壁】がすぐに補填される。
だからこれは純粋な力比べというより速さ勝負。
【壁】が追加される先に蛇を滑り込ませる!
一匹目、再び現れた【壁】を砕いてエネルギーを使い果たしてかき消える。
二匹目が背後から飛びかかり数枚ごと【壁】を砕く。
三匹目、無くなった【壁】でできた鎧の穴に飛び込もうとするがそれより先に【壁】が発生し相討。
四匹目、今度は死角の足元から地面と【壁】との間にできた隙間に滑り込ませる。それも足に噛みつくより先に幾多のも【壁】が現れ相討ち。
五匹目、六匹目、七匹目で一斉に一点突破で突き破ろうとする。相手も全力で対抗して九もの【壁】とせめぎ合う。
結果、【壁】をガシャァァァとすべて粉々に砕く。三匹の【蛇】も力を使いはたして消滅する。
少年は、コウモリは全力を出したせいで正面に隙ができた。ここを襲えば―――――
だが、【蛇】は襲いかからない。もう一匹も残ってないからだ。
「は……………ははっ!」
額に汗を浮かべ初めて真剣な表情をしていた少年だったが、最後の猛攻も防ぎきったことで余裕を取り戻す。そしてあるじが【魔術】を使ったと勘違いした天使があるじに向かって吠える。
「このレベルの【魔術】を詠唱なしで発動するのは淒いけど、最後の不意打ちの為に今まで隠してたのにも驚いたけど、無駄なあが……………き」
少年の言葉が、途切れる。
あるじが倒れているはずの場所からいなくなっていたからだ。
「上かっ!」
ばっ、と何かに気付いたかのように顔を上に向けたのは本当にいい勘をしている。いや、違う。足元によぎった何かの影に気付いたのだろう。
それは天地無用だとでもいうように天井に足をついて着地していたあるじの影。
「な、に…………?」
あるじはコウモリのように重力に逆らい天井にしがみついて、黒髪だけが重力に従い垂れ下がって額が大きく見えている。
だがそれはおかしい。この広い部屋の高い10メートルはある天井には着地どころか手を届かせることすらできないだろう。
あるじが着地したのは天井ではなく壁。私が展開した【エルミニの 雪 遮 竜 壁】。
私とあるじは言葉を交わさずに目と目でかわすことでの一瞬の意思疎通による反撃。
新たな【壁】を展開したことで今までコウモリ達を捕まえていた【壁】が消え解き放たれるが今さら何の意味もない。
「ひゅっ……………!」
一息の気迫と共に【壁】を足蹴にして加速し、そして少年に向かって刃物を振りかざしながら飛ぶ。その速度は弾丸のような視認することすら難しい、今までのあるじより数倍速い。
「な、速っ!?」
人では到底出せないような速度で襲いかかるあるじに、想定外の事態に少年は対応できない。【魔術】の速度、【加速魔法】がかかった速度に対応できるはずもない。
だから、【光の壁】を目の前に出したのは反射的な防御行動。
【加速魔法】はただ単なる速度を上げるだけの、現象的には足にロケットブースターをつけるだけの【魔術】。複雑な動きができないから直線的に襲いかかるには有用だが、それは【壁】がない場合。【壁】を回り込むなどの複雑な動きはできない。
だから、あるじは飛び降りるようにして振り上げた刃物を【壁】につきたて、壊し、そのままナイフは少年の肩に食い込み血が跳ねる。少年は刃物で切られた事よりも【壁】を壊されたことに動揺する。
「な、【光の壁】がっ!? どうしてっ」
「コレ、結界を壊すナイフだったんだろ」
「!?」
刃物の刀身には【∃】の文字が輝く。そう、あるじが手に持つナイフはあの時、手に入れた結界壊しのナイフ。西洋剣〈サーベル〉は飛び上がるのに邪魔だから地面に放置されたままだったのだ。
ついに破った【光の壁】。だが、ナイフなんて小さな刃物で攻撃するなら躊躇せずに首を狙うべきだった。刺されただけでは人程の大きさの動物は止まらない。
「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!」
少年はそのままへし折らんとばかり勢いであるじの腕をつかみナイフの動きを止める。
その表情は幼さなどかけらも残らない憤怒。
「僕は! 僕は『主天使』だぞ! 人間ごときに負ける訳が!」
宿主の叫びに同調し背中に生えた枝のような【翼】が暗い光をともす。主人の怒りに応えてコウモリたちが口を開き衝撃波を放とうと光を集める。
「お前なんか雑魚に! この強い僕が! 天使の僕が! 僕の【神術】が! 僕の【魔法】が!」
「いや、君の魔法はたしかに淒いよ」
天使、いや、【魔法使い】としちゃ確かに一流なんだろう。
サーカス団に入ったら永久就職できる。
だが、私達の世界の殺し屋としては三流だ。
首を搔っ切ったわけでもない相手から注意をそらすなど愚の骨頂。
だから、敵の接近を許してしまう。
とん、と少年の肩に急に重みが加わる。増援の解き放たれたコウモリが到着したのかと確認しようとした少年の動きは止まった。
目の端に映ったのが蝙蝠の黒ではなく雪のような白。
少年の肩に飛び乗った猫の姿だったからだ。
ここならもう、【光の壁】に阻まれることはない。
にぃ、とあるじは笑って決めゼリフを言い放つ。
「ピカチュウ、十万ボルトだーー!!」
「まっ………………」
少年が何かを言うよりも早く、私の【魔法】は発動する。
――――――――【切り裂く形なき 麻痺矢】!!
ぴーかー、ぢゅううううううううううううううううううううううううううう!
「あ、があぁああああぁガアアアアアァアああアアァああアアアアア!!」
バチバチバチッとはぜる大量の火花と視界を塗りつぶす閃光が、紫電と共にほとばしった。
私は初めて、この世界に来てしまったことを感謝する。
前は何もできずに借金取りのせいで分かれるしかなかった。
だが今は猫の私が力を得ることで、妥協せず望んだ道を選べた。
飼い猫ではなく相棒としてあるじの隣にいられる。
この時、私はやっとあるじの手を握る権利を手に入れたのだ。