Lv21―姫の逃亡の果て
左、直進、右、右、左、直進。
そしてまた現れた分かれ道。一つは今と同じ大きさの通路。もう1つは大の男なら通るのは苦労しそうだがユニの身長なら減速せずに進める通路。
だが、ユニは今と同じ通路を選んで走る。
その後を追うのは一匹の蛇。
火系の上級魔術【炎にかたどられた、宙を這う獲物を探す蛇】。
ユニは走るのに邪魔だという理由ではだけた毛皮付き外套(ファー・コート)をひるがえし後ろを向きながら名称だけの呪文を唱える。
「―――――――――【魔法壊除】」
突き出された杖が光を帯びてすぐに消えたかと思うと合わせるように火の蛇も消える。
【魔法壊除】。
系統【+】の抵抗魔法。
系統と言うのは【火】【水】【雷】【土】【風】に加えて【光】と【闇】で構成される【魔術】の種類分けのことである。当然、火の蛇は【火】に属する。
系統は強弱関係も表す。例えば【火】の壁には【風】の槍よりも【水】の剣をぶつけた方が少ない力で壊せる、など。
だが、その中には【エルミニの雪遮竜壁】のような例外がある。
この魔法は雪の壁なのだから系統は【水】―――――かと言うとそうでもない。
【水】は【雷】に弱いのだが、【雪遮竜壁】はどの系統も等しく拒絶する絶対防御の魔術だ。
このように系統の竦みから外れた魔術を正負魔術として、防御・補助なら【+】、攻撃なら【-】と分けられる。ここら辺は〈詠唱なしで名称だけで発動できる〉などと未だ未解明な部分が多いため分類もかなり適当だ。ちなみに【召還魔法】もこれに含まれる。
【魔法壊除】も抵抗魔法と呼ばれる典型的な【+】の一つで、相手の魔法をほんの少しの魔力だけで消してしまうという便利な【魔術】だ。時計の歯車を一つだけ抜き取って全体を止めてしまうイメージ。
だが、発動に時間がかかる・相手の【魔法】の種類を把握しなければならない・防御魔法には使えない・【魔法】が発動している間に壊さないといけないため高速演算が求められる、など使用条件が難しい。
なのでこういう、遠い地点から発動されてこちらに届くのに時間がかかる、なんて状況でしか使えない。
だが魔力の少ない今のユニには数少ない手札となっている。
炎が消えたのを確認すると外套(コート)に付いている帽子(フード)をぴょこぴょこ揺らしながら脱兎の勢いでまた走りだす。石に躓いて転びそうになるも何とか持ちこたえて、また走り出すユニに背後の方から声がかかる。黒外套(ローブ)の老人のような声だった。
「いい加減、諦めたらどうだ。この竜の巣窟は入り組んでいて適当に走っているだけでは外に出ることすらできないぞ」
「…………いい加減、追いかけるのをやめたらどうです?」
ユニは呼吸を整えながら立ち止まり振り返る。そこには黒外套と男達二人。話に答えたのは少しでも体力を回復させるためだ。
少しでも会話を長くさせるため相手の興味を誘うような話題を探す。視線をさまよわせている内に男二人の疲れた表情が目に映る。
「………………二人? もう一人はどうしたんですか」
【召還魔法】を使った夜には男達はもう一人いたはず。待ち伏せでもするために―――――いや、それはないかこっちはジグザグに予想できないように走っているのだから。
「ふん」
黒外套はそのフードで隠れた顔を歪めたように見えた。
「死んだよ」
「え?」
「だから、死んだ」
「…………………………………」
「俺が殺したわけじゃない。【天使】にやられた、任務失敗の見せしめとしてな。動物達に生きたままバリボリと、しかも小さいヤツに少しずつ少しずつ。
だからこの少し前までお姫様に狼藉を働こうとはしゃいでいた屑達も怯えて使い物にならないったらない」
その言葉通り黒外套の背後に控える男二人はおどおどしていてユニの視線を避けるように目をそらす。
【天使】。
人外の【翼】を持つ存在。おとぎ話とまではいかなくても歴史に埋もれた未知の種族。
人の世界が理由もわからないまま侵略された、天国の敵。
それを聞かされた時には動揺で転びそうになり、今でもあの少年と対峙しているアルの所へすぐ向かいたい気持ちで足が止まりそうになる。
でも、あの人は勇者だから大丈夫だ、と自分に言い聞かせて走ったのだ。
「ふん、初めて【天使】を見たがあれほど醜いとは思わなかったな」
天使もそうだがこの黒外套(ローブ)も得体の知れなさでは同じようなものだ。【天使】に力づくで従わされているにしては恐怖よりもただ単純に忌避感が大きいように思える。
どっちにしたって、ユニの、一国のお姫様の護衛である国有数の魔術師達をまるで雑草をむしり取ったかのような感覚で殺したのだから強力な魔術師に加えて危険人物には違いない。
ユニがそんな相手にどうにか持ちこたえているのは、ひとえに相手が殺さず生け捕りにするために手加減しているからである。どうやら【エルミニの雪遮竜壁】を壊したあのナイフも持っていないようだ。運はこちらに向いている。
「その醜い【天使】に従っているアナタも似たようなものですよ」
「ふん、俺だって好んであんな化物の傍にいるわけじゃない。こちらにもいろいろ事情があるんでな」
「事情………………」
「そんなことよりこの場を切り抜ける方法を考えた方がいいと思うがな。俺から逃げきったとしてもどうにもなるまいが」
「そんなこと………………!」
「ではどうする? 俺を倒す? 動物達を収める? 天使を倒す? どれも不可能だな」
「……………………」
「お前には無理だ」
「…………………………………っ!」
認めたくない事実を突き付けられ体中の力が抜けそうになる。
あの夜も【召還魔法】であの人が現れなかったら。今だってあの人が自分の代わりに戦っている。自分は王国の姫なのに命をかけているのは自分の都合で召(よ)んだ少年。自分の無力さに目の前が溜った涙で曇る。
それが相手の狙いだというのに気付かず。
「【fiju fWwTkHN fgugf ffwwuu】」
いきなり黒外套(ローブ)が口に出した動物の唸り声のような呪文は中級魔術の【貫く赤い槍】。彼が突き出した指に明かりが灯り一条の線となってユニに照射される。いわゆるレーザー。
「っ! 【エルミニの雪遮竜壁】!」
そのとっさに反応して【魔術】を発動できるセンスは素晴らしい。レーザーは【壁】に照射されるも貫くどころか表面に焼け跡すら残せない。
だが、これも相手の手の内。
「く…………!」
今の【貫く赤い槍】はたしかに速いが視認できない程でもなくこれだけ彼我の距離があれば余裕を持って避けられる。それが正解だった。でも防御魔法で防いでも結果は同じだから大した失敗ではないだろう、と大抵の人は言うだろう。
そう、普段の魔力全開のユニだったら間違いではないが今の魔力が枯渇しかけているユニは無駄に魔術を使うべきではなかったのだ。
黒外套が話をしていたのは足止めではなく、余裕をなくさせ反射的に防御をとらせて魔力を早く消費させるためだったのだ。
見事術中にはまってしまったユニは唇を噛みながらも魔力を無駄にしないために【壁】が発動している間の10秒の猶予を走りながら考える。
今の【エルミニの雪遮竜壁】でもう残りの魔力はつきかけた。精々、あと一回が限度。
今の魔力とこの状況で使えそうな魔術も【雪遮竜壁】と【魔法壊除】ぐらいで攻撃魔法はまったくの無理。
それだけではない体力の方も尽きかけている。
図太く逃走に慣れている猫と主コンビならともかく、お姫様である少女には人並の体力しかなく、しかも人殺しに追いかけられるという緊迫感は通常以上のスタミナを消費する。
いい加減、疲れて根性とかでは無理な状態になってきた。
あと数秒後に【壁】が自動的に解除されて黒外套とユニの間を遮る物がなくなればもう終わりだ。どんなに弱い【魔術】であろうと避けるだけの力もないからまた【壁】を張るしかない。
もう、いいんじゃないだろうか? 十分頑張った。人殺しに追われて洞窟内を駆け回って少なくとも黒外套を自分に引き付けることはできたのだ。あとは【エルミニの雪遮竜壁】を張って大人しく震えていればいい。
でも。
あの人の顔がちらついて、棒のような足で地面を蹴り肺で冷たい空気を取り込み続ける。
止まれるわけがない。あの人の為にもなるのだから。
しかし現実的に体力も魔力も限界だ。
だから最後の賭け。
次の角を曲がったら倒れてもいい、と自分の全力を振り絞って曲がる。
もう【壁】が消えて黒外套が呪文を唱えているかもしれない、もう【魔術】が発動されてこちらに放たれているかもしれない。その足を止めて振り返って確認したくなる気持ちをねじ伏せて全速力で走る。
そして、たどり着いたのは。
「――――――――――」
これ以上進むことができない行き止まり。
いるのは数匹の動物だけで、出入り口もなければ隠れそうな場所すらない。万策尽きただろうユニはうつむかず前を向く。
「終わりだ、お姫様!」
そんな彼女にとどめの魔術【火球】が放たれる。死にはしないだろうが確実に動けなくなる一撃。そしてこれを防いでも、もう逃げることもできない。
それでも、最後の魔力を振り絞って杖をかざして呪文を叫ぶ。
「―――――――――【魔法壊除】」
【雪遮竜壁】の防御ではない相手にしかける攻撃からは、不屈の意志がうかがえる。
だが。
魔力が足りなかったのか。
火の玉は消えることも勢いすら減らず。
ユニに襲いかかり。
バァンと弾ける音がした。