9.全く旦那様に愛されてないです。
本日二話目の投稿です。
よろしくお願いします。
予想外の展開に悔しそうに唇を噛みしめる令嬢を尻目に、エマの本を携えてきた令嬢達は、レアンドルの溺愛を信じて小説についての感想を述べ始める。
「真冬の湖の分厚い氷より冷たい公爵様が、あんなにも情熱的な言葉を口にするなんて……。興奮しすぎて、心臓が止まるかと思いました!」
「分かります! 八十七ページの言葉ではなくて?」
「八十七ページもいいですけど、百二十一ページの拗ねる公爵様も最高です!」
「間違いない! 一瞬気を失いかけました! 百五十六ページの公爵様も可愛くて、悶えましたけど!」
「えぇ、えぇ、二人の愛の深さが分かり、心が温かくなるシーンでした!」
各テーブルでは、小説の話で花が咲いている……。
(ごめんなさい。全部想像です。公爵様のことなんて何も知りません……)
「確かにあの冷徹な公爵様が、愛する妻相手に一喜一憂してコロコロ表情が変わるのは意外でした。ですがわたくしは、お互いをずっと一途に思い合う二人が日常を大切にしている様子が良かったです」
「ガゼンダ公爵夫人、分かります! 心を寄せ合える相手に出会えた感謝の気持ちと、恥ずかしがりながらもそれを伝え合う二人が物語を通して見られるのが最高でした! 昨今の婚約や結婚では考えられない純愛です」
そう言ったアイラの表情は暗い……。公爵夫人はかける言葉が見つからないのだろう、目を逸らしてしまった。
エマの純愛溺愛小説が人気になっている背景には、この国で起きている昨今の恋愛事情が非常に関連している。
セントール国では、空前の婚約破棄ブームが巻き起こっているのだ!
エマの描いたレアンドルとアナベルの純粋な一途さと、その愛を大事に育む溺愛っぷりは、この国では考えられないほどのファンタジーと化しているのだ。
婚約破棄をされた失意の女性や、いつ婚約破棄されるのだろうと日々恐れている女性にとっては憧れの話となってしまっている。
加えて想像力豊かな読者たちによって、とんでもないプレミアがついてしまった……。
大事な恋を引き裂かれて悲しみのどん底にいたレアンドルがエマと出会い、激しい恋とは異なる心満たされる愛を得た。
恐ろしいことに、世間ではそう思われているのだ……。
『婚約破棄なんて劇薬がなくても、日常の中に幸せはある』
そういうメッセージが、エマの物語の中にはある。と勝手に解釈されてしまった……。それが、世間の令嬢達に受けているのだ。
(解釈は人それぞれだけど、こんなにもずれる? この話は公爵様とアナベル様の物語だよ。愛の巣でイチャイチャと愛を語らう二人を想像して書いただけ。それが、どうしてこんなことに?)
アイラが遂に涙を零した……。彼女は生まれた時から婚約者と決まっていた幼馴染の侯爵子息に、先日の夜会で大々的に婚約破棄されたばかりだ。
「リオンヌ公爵様に愛されているエマ様が羨ましい……」
(いや、本当に、足の小指の爪の先程も愛されてません! 妻という名の他人です!)
「家同士が決めた政略結婚でしたが、物心ついた頃からずっと彼に相応しい妻になろうと努力してきました。彼だけを見てきたんです。なのに……」
アイラが手にしている薄桃色のハンカチが、涙で色濃くなっていく。
未婚の令嬢からすれば明日は我が身の話だ。自然と気持ちが入り込み、握りしめる拳にも力が込められる。
アイラと婚約者の仲は悪くなかったそうだが、婚約破棄の甘い誘惑には敵わなかったのだろう。
婚約破棄が流行った理由は分からない。気がつけば「男の嗜み」なんてほざく馬鹿もいるほどになっていて、男性側が堂々と浮気をする手段の一つになっている。
浮気相手となる女性は、ほとんどが平民だ。女性側からすると、玉の輿に乗る(慰謝料も可)機会、貴族令嬢を見下す機会となっていて美味しいらしい。男性側からすると、家同士のしがらみもなく身分違いであと腐れがない。本当にクズだ。
別のテーブルでアイラの友人らしい令嬢が、誰にともなく理不尽さを訴える。
「おかしいです! どうして何も非のないアイラ様が、傷物扱いになるのでしょうか? なぜ浮気をした男は、何のお咎めも受けないのでしょうか? なぜ浮気相手である女は、罰せられないのでしょうか? 悪いのはアイラ様を裏切り傷つけた二人なのに……」
「同感です! 相手の不貞で婚約破棄をされたというのに、家名もプライドも傷つけられるのが令嬢側だなんておかしいです!」
お茶会の出席者の多くは未婚の令嬢達だ。アイラに起こった悲劇は他人事ではない……。誰もが抱いている不安と不満が、なぜかこの場で爆発し始めている。
ガゼンダ公爵夫人がレジスタンスのごとく立ち上がり、令嬢達を意味ありげに見回した。
「みなさんの仰る通りで割を食うのが、被害を被った令嬢だけなんておかしいわ。婚約破棄はもはや社会現象だというのに、相手を繋ぎ止めておけなかった令嬢として白い目で見られるなんて我慢できない!」
夫人の熱が伝わったのか、集まった令嬢達の瞳に同じ意志が揺らめいている。
ガゼンダ公爵夫人の後に続けとばかりに、別の同志も立ち上がった。
「不幸は一度の婚約破棄では終わらないのです。一度婚約破棄をされた令嬢と見下しているから、次の婚約者だって容易く浮気に走る。これは、悪循環よ!」
「婚約した方がモテると言っている馬鹿も多いのです!」
「この国に誠実な男など存在しないのよ!」
次々に同志が増えていく……。
(えっ? これは何の会? 婚約破棄撲滅委員会? 私、会員じゃないんだけど……)
ガシャンと机が揺れてエマのカップにある紅茶が飛び散り、純白のテーブルクロスに茶色い染みが点々とできる。呆然と染みを見ているエマだって、この状況はガゼンダ公爵夫人がテーブルを両拳で殴りつけたせいだと分かる。
周りの令嬢達から溢れんばかりの賛同を得て、怒りが迸ってしまったのだ。
「外には漏れておりませんが、わたくしも夫から婚約破棄されました。ですが、政略結婚だから我慢しろと両家に言われ、問答無用で嫁がされたのです。ですが、一度味を占めた夫は、浮気三昧……。婚約破棄などする糞野郎は許しても信じてもいけないのです! そんな男と結婚すれば、待っているのは地獄です!」
(ひぃぃぃぃ、ガゼンダ公爵夫人のアドバイスは生々しい上に壮絶です! 現実は恐ろしい。まぁ、私も似たようなものですが……)
その言葉にアイラがハッと顔を上げると、夫人は労わりのこもった瞳をアイラに向け微笑んだ。
「そのような糞野郎と結婚させられず、アイラ様は不幸中の幸いでした」
その穏やかで凛としているのに艶やかな微笑みは、誰もの心を魅了してしまう。心のこわばりが取れて、ホッとうっとりしてしまう笑顔だ。
「アイラ様は本当に頑張りました。ですが、貴方一人が両家の犠牲にならなくてもいいのです。アイラ様は、エマ様のように愛されるべきお方です!」
その言葉にアイラは、ワッと泣き崩れた。それだけでなく、周りからもすすり泣く声が聞こえる。
もはや何のために集まったお茶会なのか、目的が迷子だ。
エマは急展開についていけず、呆然と成り行きを見守るしかできない。いや、意味が分からなくて、とりあえず空を仰いだ。
見渡す限り、澄んだ青い空だ。もうずっと空だけを見ていたいが、そうもいかないらしい……。見上げた空は青いままなのに、お茶会の会場は灰色の雲で覆われたような陰鬱な空気に包まれていた。
灰色が庭に影を落とし、薔薇園の色鮮やかな花々も色褪せていく。
(あぁ、せっかくエドの用意してくれた花も見ずにもったいない……)
心は退席しかけているエマを引き戻すように、アイラが涙を溜めた目でエマを見上げてくる。
「頻発する婚約破棄に一石を投じるために、エマ様はこの作品を書かれたのですよね?」
菫色の表紙に緑色で題名が書かれたエマの本を突き出されれば、何もコメントしない訳にはいかない……。
エマに一石を投じたつもりは、当然ない。投じたとすれば、レアンドルの配慮のなさに対してだ。
これだけの令嬢達から期待の視線を向けられては、とてもではないがそんなことは言えない……。かといって人付き合いを絶ってきたエマに、気の利いたことが言える訳もない。
「……み、みなさん、せっかく来て下さったのですから、リオンヌ家自慢の薔薇園を堪能してください……」
一瞬にして令嬢達は白けた顔になったが、公爵夫人にそう言われては見ない訳にはいかない。
エドが丹精込めて手入れをしてくれている庭は全てが美しいが、薔薇園は色とりどりの薔薇が咲き誇り本当に美しい。どの種類の薔薇も、その花が一番美しく見えるように手入れされているのだ。これを見ずに帰るなんてもったいなさ過ぎる。
(まぁ、みなさんからしたら薔薇園なんてどうでもいいのでしょうけど……。大体さ、浮気どころか本気で屋敷にも帰ってこない旦那様を持った私に、何が言えるっていうの? 最初から、この結婚に夢なんて持ってないって話よ)
令嬢達の視線が薔薇園に集中しているのをいいことに、エマは小さくため息をついた。
付き合いで薔薇園を一目見るだけだろうと思っていた令嬢達の視線が、一点に釘付けになったまま動かない。息を止めて見入っている者もいれば、驚嘆の声が漏れている者もいる。
心は完全にお茶会から退席したエマも、「何事か?」と薔薇園に目を遣り卒倒しかけた。
読んでいただき、ありがとうございました。