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8.これは……、旦那様の寵愛がある方が着るドレスでは?

本日一話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 エマが愛でるだけだった中庭にテーブルが並べられ、眩しいほどに白いクロスがはためいている。時期的に薔薇が見頃で、庭師のエドによって手入れが行き届いた薔薇園を眺めるだけでも圧巻の光景だ。

 だが、今日はそれだけではない。

 リオンヌ公爵家の新妻であるエマの初のお茶会だと気合を入れたエドが、会場中を美しく可憐な花で飾り立てている。

 気合が入っているのは、エドだけではない。

 料理長のドミニクも大層な気合の入れようだ。軽食からスイーツまで全てにおいて、味や見た目だけでなく細部に至るまで完璧に仕上げている。

 それ以外の使用人達も、気合十分のセオの指揮の下で完璧な体制で臨んでおり、全く死角がない。

 もはや城で行われる園遊会を遥かに超えた仕上がりとしか言いようがない。


 その使用人達の仲でも一番気合が入っているのが、間違いなくルピナだろう。

 もう何日も前からアホ毛から足の爪の先までを磨かれ続けているエマは、大抵のことは諦めがついている。だが、そんなエマにだって、どうしても譲れないことがあるのだ。

「……拒否するわ」

 エマにしては珍しい否定だ。

 ルピナにはエマの声が届いていないのか、満面の笑みで拒否したはずのドレスを手に近づいてくる。


 エマはもう半泣きだ。いつものエマならば、ルピナに余計な手間をかけさせないために、化粧を崩すような真似は我慢する。だが、もう、我慢の限界だ!

「……わ、私は十分妥協したと思うの! 主催したくもないお茶会をするのだって、『お茶会じゃない。サイン会だ!』とセオに丸め込まれたからよ! この会は、サイン会なのよ! 主役は本よ! 私じゃないの!」

「エマ様が書かなければ本は生まれません。エマ様は主役である本の母親です。親が子を祝わないで、どうするのですか?」

 目は据わったまま口元だけニッコリと微笑んだルピナの手には、ド派手なゴールドのドレス。ゴールドベージュの生地にキラキラと光る金糸の刺繍がドレス全体に施されていて非常に目立つ。芸術品のような美しい刺繍は短期間で刺せるものではない。一体いつから準備されていたのか……。




 今日はエマ主催のお茶会(サイン会)だ。

 レアンドルとアナベルのイチャ甘新婚生活(想像)を描いた小説は、なぜだかレアンドルとエマの日常だと世間に勘違いされてしまった。

 小説について語り合いたい、二人の新婚生活の話を聞きたいと、お茶会の誘いの手紙が絶えない。断りの手紙を書くだけで一日が終わるくらい、絶えない。断っても何度も何度も手紙がくるからキリがない。

 ここはサイン会だと思って腹を括るしかないという話になって、今日に至る。


(厳しい審美眼を持った世の女性達が、リオンヌ公爵様と幽霊令嬢との仲を勘違いするはずがない。公爵様とアナベル様の間に割り込んだと空想している私を嘲笑いに来るに決まっている。一度だけ、一度だけでもみじめな姿を見せれば、皆さんの気も晴れるだろうし、私も義理を果たしたことになる。今日さえ我慢して、気合で乗り切れば……)


 ルピナの迫力に負けて着せ替え人形状態のエマは、鏡に映る自分を前に気が遠くなりそうだ。

 体の線がはっきりと分かるゴールドのドレスに、ネックレスもイヤリングも髪飾りも指輪も大きなエメラルドだ。完全にレアンドルの髪と目の色……。


(こ、これは……、公爵様の寵愛を受けているアナベル様しか身に着けたらいけないやつじゃない? これから「勘違い女」と嘲笑われに行くのに、こんな格好をしてこれ以上付け入る隙を与える必要あるかな? 無いよね? こんな結婚を受け入れた私が悪いのかもしれないけど、これじゃ割に合わな過ぎじゃない? 惨め過ぎて死んじゃうかもよ? 私……)


 鏡の前には絶望感たっぷりのエマと、頬を赤らめて「かんっぺきです!」と目を潤ませるルピナ……。


 ため息とともに魂まで出て行きそうなエマの肩を掴んだルピナが、エマの間違いを正そうと真剣な顔で菫色の瞳を見つめた。その思い詰めたような表情に、エマの腰も引けてしまう。

「エマ様は馬鹿な子供達に心を傷つけられたせいで、ご自分の容姿を勘違いしています。エマ様は本当に美しいのです。艶やかな黒髪も、透き通るような白い肌も、気品のある菫色の瞳も、知的なほどに通った鼻筋も、愛らしい小さな唇も、全てが美しい! これだけ知性的で美しいお顔なのに、胸が大きくて腰がくびれたこのスタイル! 完璧以外の言葉は、もう女神しかありません!」

 ルピナの言葉に、もちろんエマは引いた。


(ルピナは作家としての私を知っているせいか、ちょっと行き過ぎてしまっているところがあるのよね。本当に良くしてくれて大好きだけど、ちょっと私を過大評価し過ぎ)


 中庭には続々と人が集まり、屋敷の中にまで女性達の騒がしい声が届いてくる。

「『幽霊令嬢』が公爵夫人なんてねぇ」

「名ばかりの公爵夫人でしょう?」

「あの『幽霊令嬢』を、あのレアンドル様が溺愛する訳ないわ。頭のおかしい妄想を書いて、よく人前に出てこられるものね」

「えっ? 小説ではレアンドル様は『幽霊令嬢』を溺愛してるじゃない! 違うの?」

「そんなはずないでしょう? 『幽霊令嬢』が溺愛されるくらいなら、わたくしが嫁いだわよ!」

「未だにアナベル様と離れられないんだもの。あれだけ美しい方がいらっしゃるのに、何がどうして『幽霊令嬢』なんて相手にするのよ? 妄想にしたって烏滸がましいわ!」

「まさかの珍獣好きとか?」

「だったら、最初からアナベル様を選ばないでしょ!」


 エマを軽んじた笑い声が部屋にこだましている中、血管の浮き出たルピナが顔を真っ赤にして部屋から飛び出して行こうとする。

「ダメよ! これからお茶会なのに騒ぎを起こすべきじゃないわ」

 エマの言うことが正しいだけに、ルピナも渋々戻ってくる。

「何も知らないくせに、酷すぎます!」

「あれが世間の声なのよ。事前に聞けて、私も覚悟ができたわ」

 ルピナを落ち着かせるために、エマは何とか笑顔をみせた。多少引きつっていたと思うが……。


(嘘です、覚悟なんてできません! もう本当に着替えたいけど、行くしかない……)


 死地に臨むエマの頭の中には、走馬灯のように今日までの日々が溢れ出してくる。楽しかったこと、辛かったこと。どちらかといえば辛かったことの方が多い人生だが、ここ数年の楽しかったことの側にはいつもアナがいる。アナの支え、アナの賞賛、アナの激励、アナはいつでもエマに寄り添ってくれた。


(嘲笑い貶められるために人前に出るなんて、道化師そのものだよ。どうしてこんなことになったのだろう? アナと一緒に過ごしたいと思っただけなのに、こんなにも代償が大きいなんて……)




 もうほとんど自棄になって現れたエマに、あれだけ騒がしかったお茶会の会場がシンと静まり返った。誰もが驚愕の表情をエマに向け、そのまま時が止まったように固まっている。


(一体何が起きたの? 空は青いし、色とりどりの薔薇は美しい。公爵家のもてなしも隙がなく完璧。特に驚くような事態は何もないはずよね?)


 空を見上げて頭を捻りながら、エマはホストとしての最低限の挨拶をする。

「本日は我が家のお茶会にお越しいただき、ありがとうございます。エマ・リオンヌでございます。皆様とゆっくりお話しできるのを楽しみにしております」


(嘘です。文句と嫌味を言ったら、さっさと帰ってください。できれば、何も言わずに今すぐ立ち去って下さると嬉しいです)


 黒く長い睫毛を伏せたエマが椅子に座っても、集まった令嬢達の視線がエマを追いかけてそのまま留まっている。

 その視線を感じているエマは、なかなか顔を上げることができない。あまりの緊張感に、汗が頬を伝う。


 ここに集まっているのは、エマと歳の近い二十人の令嬢だ。お茶会を望む手紙が多過ぎて、収拾がつかなかった。だから「リオンヌ公爵夫人は歳の近い友人を求めている」という体で人数を絞ったのだ。

 年上のご婦人方は、エマが身分の高い公爵夫人とはいえ年下だと見下した態度を取ってくる。だからこそ歳の近い令嬢に絞ったのだが……。

 ひそひそと囁かれる「誰?」「どういうこと? 『幽霊令嬢』よね?」「いや、アナベル様の方がお綺麗よ!」という声。年が近ければ近いで、身分差を忘れてしまうのか遠慮がない。

 分かり切っていたこととはいえ、エマにとっては苦痛でしかない。

 

 眉毛がハの字に下がるのを何とか堪えているエマの右正面に座ったガゼンダ公爵夫人が、ざわざわと聞こえてくる失礼な声を遮断してくれた。

「噂には聞いていたけど、エマ様は圧倒的な美しさね。リオンヌ公爵様が、慈しみ大事に育てた花だというのが分かるわ。溺愛するのも納得ね」

「……………………溺愛なんて、そんな。わたくしは、妻の名前を賜っただけですので……」

「本当に噂通り謙虚な方なのね。エマ様には欲がないというのに、公爵様は凄い執着心ね」

 ガゼンダ公爵夫人は楽しそうにレアンドル色のドレスと宝石を見ると、好奇心で染まった琥珀色の瞳の右目だけをパチンと閉じて悪戯っ子のようにウィンクして見せた。


(ひぃぃぃ、違うんです! このドレスも宝石も用意したのは公爵家の者で、公爵様の意向は一切反映されてないんですぅぅぅぅぅ)


 エマがいるテーブルには全部で三人が座っている。エマの右正面が、ガゼンダ公爵夫人で、左正面が一つ年下のグーストン侯爵家の令嬢であるアイラだ。

 アイラは少し吊り上がった赤い目に羨望の色を湛えて、「愛されるって、人をここまで変えるのですね」と熱を込めてエマを見ている。

 他の席の令嬢達も、何に納得したのかひたすらエマを見てうなずいている。

 そんな空気に呑まれてしまったのか、どこの誰だか分からない令嬢がとんでもないことを言い出した。

「リオンヌ公爵様は、結婚するまでエマ様に美しさを隠すよう指示していたのね。酷いやきもち焼きだけど、これだけ美しいのなら、仕方がないわね……」


(いやいや、そんな指示されてないし。一回しか会ってないし。やきもちどころか、自由を宣言して飛び立っていきましたよ? 私相手に美しいって、これはもう中傷が始まっているのでしょうか? こんな褒め殺しなら、さっきまでの失礼な中傷の方がましだよ……)


 エマの予想通りレアンドルがエマを溺愛しているなんて、半信半疑というか、完全に疑われていた。エマが出てくるまで、『幽霊令嬢』を馬鹿にした話でもちきりだったのだ。

 だが、レアンドルの色をまとい美しく生まれ変わったエマが登場すると、会場の空気ががらりと変わった。さすがに誰も『幽霊令嬢』とエマを馬鹿にできない。


 幼少期に容姿を揶揄われたせいでエマは自分を地味で不細工だと思っているが、実際はルピナが主張する通り美しい。

 エマにはアナベルのように妖艶さや派手さはないが、落ち着いた知性的な美しさがある。アナベルが棘も含めて美しい深紅の薔薇ならば、エマは清楚な白百合だ。


 最初のガゼンダ公爵夫人の一言が、会場中の令嬢達を惑わせてしまった。エマの美しさがレアンドルの溺愛によって引き出されたのだと、みんなが勘違いしてしまったようだ。

 エマを馬鹿にしようと意気込んで来た者も『幽霊令嬢』だったら馬鹿にできたが、リオンヌ公爵夫人として美しく輝く女性を嘲笑うことなどできない。


読んでいただき、ありがとうございました。

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