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6.旦那様と本気相手の話を書きました。

本日一話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 現実逃避をしてから、丸一日もの間エマは夢うつつを彷徨った。

 目が覚めた時には、おでこの腫れも鼻の擦り傷も赤味が引いていた。多少ズキズキはするが……。

 リオンヌ家の使用人達は甲斐甲斐しく世話をしてくれる。部屋は花だらけだし、塵一つなく掃除されているし、好きな食べ物ばかりが運ばれてくる。至れり尽くせりだ。それはもう、夢心地だ。ファンタジーの世界に迷い込んだみたいだ。


(現実逃避してる場合じゃないんだよね……。いや、でも、もう何もかも忘れて、小説も書かずに、外にも一歩も出ずに屋敷に引き籠れば? この温い現実だけを手にして生きていけるんじゃない?)


 屋敷に引きこもって生きていける訳なんてないのに、向き合わないといけない現実が山盛りなのに、エマはその全てから全力で逃げようとしていた。エマの頭の中では逃げるための言い訳が浮かんでは消えて、それはもう脳内は大騒ぎだ。

 だが、机の上に置かれた郵便物の中に菫色の封筒を見つけてしまうと、一気に現実に引き戻されてしまった。見慣れたアナの力強い字を見れば、このまま逃げ続ける訳にはいかないのだと気持ちが冷めていく。

 脳内の至る所で噴火していた火山が、一気に沈静化していく。噴火が止まっただけで火山活動は続いているから、穏やかな気持ちとは言い難いが……。

 これから起こる事態を考えれば怖いが、アナから逃げ続けるのは嫌だという気持ちの方が勝る。

 ミントグリーンの便箋を取り出すと、エマはペンを執った。




 エマの呼び出しにアナはすぐに応えてくれた。手紙を出すとすぐに『午後一番でお伺いします』という手紙が届き、言葉の通り昼食後すぐにアナが現れた。


 昨日と同じソファで、エマとアナは向き合っていた。エマの後ろには、もちろん殺気の塊と化したセオとルピナが控えている。


(今日はカーキのドレスだけど、相変わらず輝くほど美しい。でも、やっぱり直視できない……)


 苦しそうに歪められても、美しいアナの顔を見続けることは難しい。エマが安心して見れるのは首から下だ。首の詰まったシンプルなカーキ色のドレスを見るしかできない。

 顔を直視できないのはエマとしてはいつも通りの態度だが、ミスをやらかしてしまっているアナには怒っているように見えたのかもしれない。

 額が膝につくほど頭を下げられた。

「本当に申し訳ありません。ごめんなさい、エマさん。完全に私共の落ち度ですので、いかような叱責も受ける覚悟です。ですが、担当だけは外さないで欲しいのです。こんな迷惑をかけておいて、自分勝手な話だとは思います。ですが、このままエマさんを見守りたいのです!」

 アナの声は切羽詰まっていて、本心なのが分かる。


 エマにアナを担当から外すなんて選択肢がある訳がない。だが、後ろの二人は怒り心頭だ。

「何勝手なことを言っているのですか! エマ様の秘密を暴露するなんて、そこまでして本を売りたかったのですか!」

「担当を外して欲しくない? エマ様が人気作家になったからですか? 卑しいですね……」

 とにかく辛らつだ。


「本を売りたくてエマさんの秘密をリークしたのでは、断じてありません! 私だって、エマさんの希望通り表舞台には立たせたくなかった! これから多くの者がエマさんに近づいてくるかと思うと……」

 アナの膝に置かれた両拳は、血管が浮き出るほど力を込めて握られている。エマは顔を見れないので分からないが、歯ぎしりの音も聞こえる気がする。

「決して人気作家の担当になりたい訳ではありません。人気作家であろうとなかろうと、エマさんはエマさんです。この先も変化し続けるエマさんを、側で見守り続けたいのです!」

 アナの言葉に、後ろの二人は「この二枚舌野郎」「エマ様の優しさに付け込むな」と大騒ぎだ。


 四年もの間、アナと毎日のようにやり取りをしてきたエマは、アナの言葉を信用できる。

「起きてしまったことは仕方がありませんし、私はアナさんの言葉を信じます」

 その言葉にアナは嬉々として喜び、後ろの二人は鼻白んだ。

 ルピナは心配そうに「いいのですか?」と、心の底からエマを案じてくれているのが分かる。


(リオンヌ公爵家の人達にする話ではないけど、ここまで心配してくれているのだから話をしておいた方がいいのかもしれない。私が、この最低な結婚話を受けた理由を……)


「こんなことは、セオやルピナにする話ではないとは思うの。でも、二人が私を心配してくれるのが分かるから、私の気持ちを伝えておきます」

 エマの言葉に三人はキョトンとしている。


「アナさんのことは信じているけど、今からする話はリオンヌ公爵家にとってもロルジュ伯爵家にとっても不名誉なことです。アナさんの胸の中にだけ閉まっておいてくれますか?」

 アナはエメラルドがこぼれ落ちそうなほどに目を見開いたが、「もちろんです」と掠れる声で了承した。


「この家の使用人であるセオやルピナには申し訳ないけど、リオンヌ公爵様と私の結婚は形だけの中身がないものよ」

 ルピアは息を呑み、うなだれた。

 いつもの冷静な家令らしくなく顔を真っ赤に怒らせたセオは、なぜか前方の扉を親の仇のように睨んでいる。

「……確かに旦那様は屋敷におりませんが、それは旦那様にも事情があり……。きっとすぐに戻って来られます!」

「リオンヌ公爵様が戻ってきたら、普通の夫婦として過ごせって? 私には無理ね」

 三人から悲鳴にならない空気が漏れた。


「私にこの結婚話が回ってきたのは、リオンヌ公爵様とアナベル様の仲に口を挟まず黙って書類上の妻になると判断されたからよ。そこに関しては、王家とリオンヌ公爵家の読みは合っていると思う」


(まぁ、腹が立ったから、空想の暴露本書いちゃったけど……)


「満面の笑みでスキップするように、愛する人が待つ家に行ったのよ? しかも、結婚したその日に。初めて聞いた公爵様の言葉は『私はこの家には立ち入らないから、君も自由に過ごしてもらって構わない』よ? そんな人を、戻ってきたらどういう顔で受け入れるの?」

 エマは腹を立てている訳ではなく、ただ淡々と事実を述べているのだが……。これだけの事実の前に、冷静でいられるのが却って怖い。


「リオンヌ公爵様とアナベル様は私を、二人が恋物語を続けるための生贄にしたのよ。でも生贄にだって思惑があるの。王家やリオンヌ公爵家がこの結婚を火消しに利用したように、私もこの結婚を利用しているのだから」


 エマは普段から大人しく、自ら進んで要望を口にすることはない。

 だが、だからといって本当に何も言えないお人形とは限らないのだ。

 タウンハウスや領地の会計報告を確認するエマは、的確に問題点を突いて改善を求める。人付き合いは得意ではないが、それ以外の部分では冷静で抜け目のない女主人なのだ。そうだったのだとセオは思い出し、青くなる。


 王家や高位貴族が高潔だと思っているのか、アナが青い顔を震わせる。

「……王家やリオンヌ公爵家が、そんな小癪な手段を? エマさんの思い違いでは?」

「アナさん、どうしたのですか? あれだけ大きな出版社にお勤めで、アナベル様とリオンヌ公爵様の大恋愛について知らない訳がないですよね? 世間に流れる噂に疎い訳がないですよね? あぁ、ここがリオンヌ公爵家だから、私の立場を心配して下さっているのですね」

 いつもと違って冷静さを欠くアナに驚くが、秘密を暴露した後のエマの公爵家での立場を心配しているなら納得だ。


(確かに当主のことを悪く言われたら、使用人達はいい気はしないわよね。でも、これは屋敷内の人間どころか、世間では誰もが知っている事実だもの。事実は悪口じゃない)


「私は大丈夫ですよ? リオンヌ公爵家の皆さんが私に求めるのは、女主人としての仕事です。お屋敷の皆さんは、公爵様とアナベル様の仲には干渉するなと思っているのです。もちろん私は二人の仲を咎める気はありません。だから使用人の皆さんには、本当に良くしてもらっています」

 エマはそう言うと、後ろの二人に向かってニッコリと微笑んだ。「そうですよね?」という気持ちだったが、二人はなぜか腕がだらりと下がった猿人のような格好で立っている……。


「公爵様は配慮に欠ける方だなぁとは思います。ですが、愛する人がいるのに書類上とはいえ妻ができてしまったのだから、嫌われるのは仕方のないことでしょうね」

 アナの心配を解消するために、エマはニッコリと微笑んだ。

 だが、それでもアナの表情は晴れない。さっきよりも顔色が青黒くなってしまっている。


(アナさん、そんなに心配しなくても大丈夫なのに……。この結婚が偽りだと世間だって知っているけど、あえて話すことでもないと思ってリオンヌ公爵家での生活について手紙に書いていなかった。だから余計にアナさんは、私が手紙に書けないような目にあわされていると思っているのかもしれない)


 アナは顔色が悪いまま、何か一縷の希望に縋るような目をしている。

「エマさんの新刊は、旦那様とこんな新婚生活が送りたいという願望だと思っていたんですが……。違うのですか?」

「全然違います。公爵様とアナベル様の甘い生活を想像して書いたんです。だって、今までは見せびらかすようだったのに、急に二人のイチャイチャシーンを見れなくなっては悲しんでいる人が多いでしょう? 私も一応関係者な訳ですから、二人の新婚生活を提供しようかな? と思いました」

 アナは呆然とした顔でエマを見ている。


(アナさんは勘違いしているなと思っていたけど、訂正できなかった。だって、王家も絡む醜聞に巻き込むのはさすがにまずいから……)


「さっき公爵様は配慮に欠けると言いましたよね? ちょっとそれに対する苛立ちもあって二人の生活を暴露するような内容を書いてしまいました」

「……配慮、ですか?」

「さっきも言いましたが、私は二人が恋を続けるための生贄です。私は偽物のリオンヌ公爵夫人として、世間から嘲笑される存在になりました。そんな私に対して『私はこの家には立ち入らないから、君も自由に過ごしてもらって構わない』の一言では足りないと思いませんか? 何かこう『君にも迷惑をかけるね』とか『それでも私はアナベル様を愛しているんだ』とか、もう一言位あってもいいはずです。それがない公爵様は配慮に欠けると思うのです!」

 こういう結婚だと分かっていて受け入れた訳だが、これから世間の格好の餌食となるエマにもう少し何か言葉があっても罰は当たらないはずだ。


「それこそ『君を愛するつもりはない』とかでもいいんですよ。あんなにうっきうきで『自由にしてね』って言われたら、まるで友達みたいじゃないですか? 私がこの状況を喜んで受け入れているみたいじゃないですか? 私だって嫌ですよ、後ろ指差されて『公爵夫人ぶっちゃって』なんて言われて生きてくのは!」

「……じゃあ何でエマさんは、この結婚を受け入れたの?」

「アナさんとの仕事を続けたかったんです。アナさんと今まで通り一緒にいられるなら、世間の中傷なんて我慢します! だから、アナさんに担当を代わってもらおうなんて、全く思っていません。これからもよろしくお願いします」

 エマはそう言うと、冷たく冷え切ったアナの手をギュッと握った。

「辛いことも苦しいことも乗り越えてこれたのは、アナさんがいてくれて支えてくれたからです。私にとってアナさんは、なくてはならない存在なんです。アナさんがいない未来なんて想像したくありません!」




 ロルジュ伯爵家は名門だ。その家の娘が生涯独身という訳にはいかない。男性恐怖症だろうが、いずれ強制的に結婚されられる。嫁ぎ先は、当然騎士の家だ。

 貴族の女性が仕事をするのは珍しくなくなっているが、騎士の家は例外だ。騎士の家は妻に仕事をさせず、家の仕事に専念させる。社交のできないエマは、生涯領地に閉じ込められるだろう。

 エマの父親が選んだ男の家に嫁いだら、エマは仕事を辞めさせられアナとの接点が絶たれる。ずっと心の支えだったアナとの手紙のやり取りも、会うことも叶わなくなってしまう。暗い檻に閉じ込められる上に、唯一の光を奪われたら……? 考えただけでゾッとする。

 だからリオンヌ公爵家との結婚に、エマは飛びついた。世間からは名前だけの愚かな妻と嘲笑されるが、アナを失わないのなら耐えられると思ったのだ。



読んでいただき、ありがとうございました。

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