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5.旦那様と私の新婚生活を書いたのではありません。

本日二話目の投稿です。

よろしくお願いします。

「ジルロ先生、今日も段ボール三個分もファンレターが送られてきました!」

「えぇっ!」

「ジルロ先生、王都で一番売れている女性誌からインタビューの依頼が来ています!」

「……インタ、ビュー?」

「ジルロ先生、舞台化の打診が!」

「……!」


 何がどうなっているのかと言うと、ジルロの新シリーズにして最新作が爆発的にヒットしてしまった……。

 国中どころか、大陸中の女性の心を鷲掴んでしまったらしい……。

 もはや侍女と言うより、ジルロの秘書と化したルピナがあっちこっちと大忙しだ。エマは積み上がる書類の前で、頭を抱えてしまう。


「エマ様? 大丈夫ですか?」

 ルピナの淹れてくれた紅茶を飲みながら、エマはこんがらがった頭を揺すっていた。気持ちとしては、絨毯の上に寝転んで叫びながらローリングしたい。それくらいエマは追い詰められていた……。


 美味しい紅茶に心が緩むと、溜まりに溜まった不満が溢れ出てしまう……。

「私はずっと、等身大の自分を物語の中に描いてきたの。恋への憧れとか、理想とかを書いてきたわ。だから、今回の作品は、私じゃないのよ! 自分が書いた作品という気が、全然しない……」

「確かにジルロ先生の『純愛令嬢シリーズ』とは路線が違いますが、この『溺愛シリーズ』も最高です! 純愛で描かれる令嬢のひたむきな恋心も大好きです! でも、溺愛で描かれる夫婦の絆や旦那様の溺愛っぷりも本当に胸が高鳴ります!」


 純愛令嬢シリーズは、エマの恋愛に対する憧れを詰め込んだ物語だ。だが、溺愛シリーズは、完全にレアンドルとアナベルの日常を空想して書いた。

 王家と公爵家はエマなら沈黙を貫くと思って選んだのに、空想とはいえ二人の生活を暴いてしまった。そこに多少の悪意がなかったと言えば、それは嘘だ。だからこそエマは、何だか後ろめたい気持ちになってしまう。

 でも、二人の恋のために選ばれた生贄とはいえ、生贄なりに意地がある。何を言われても、言われなくても、我慢ができるとは限らないのだ。生贄だって、人間なのだから……。


(発想としては、王家と公爵家に刃向かってでも自分達の思いを成し遂げる二人は、今頃どんな生活を送っているんだろうと思っただけなの。こんな新婚生活なのかな? とアナにこぼしただけ。それもほんの少しだよ。それなのに、アナの反応がいつになく良くて、あれよあれよという間に完成してしまった……)


 表情が晴れないエマを心配したルピナが、紅茶を淹れ直してくれる。立ちのぼる湯気と心落ち着く香りに、エマがホッと息をつく。

「ハーブティーね、心が落ち着くいい匂い。ありがとう」

 ティーカップ片手にエマが久しぶりに笑顔を見せると、ルピナが頬を赤らめる。


 香りの良いハーブティーを飲むと、少しだけ心に余裕ができる気がする。ホウっと空気を吐き出すと、心の澱も一緒に出て行ったようで気持ちが軽くなるのは気のせいか?

「私は元々人付き合いが苦手で、同世代の子供達が集まっても輪の中に入れなかったわ。話し相手は母だけ。でも母は病弱だったから長い時間は話ができない。だから、いつも物語ばかり読んでいた」

 物語の主人公達がエマの友達で、いつもエマの心をわくわくさせてくれていたのだ。

「十歳で母が亡くなって悲しくて悲しくて仕方がないのに、私には自分の気持ちを吐き出す先がなかった。苦しい気持ちを胸に秘めたままの私に、乳母が物語を書くことを勧めてくれたの。現実を受け入れる日記と違って、物語は別人の話にできるから私は自由に言葉を発することができた」

 そうやって自分の気持ちを言葉にして、エマは母の死を受け入れた。孤独な気持ちも、書くことによって乗り越えてきた。


「物語を書くことが、エマ様の自己表現ということですね?」

 ルピナの言葉に、エマはゆっくりとうなずく。

 その言葉の通りで物語の主人公を通して、エマは言いたいことを言い、やりたいことをした。エマの作り出す物語は、エマそのものだったのだ。


「でも、今回の作品は違うの。私の気持ちなんて、どこにもない。自分の想像で書いたのだけど、他人の生活を暴き出してスキャンダルを晒してしまった気分になる」

 自分の思いを描いた作品は世に受け入れられたとは言えないのに、他人の生活を盗み見たような作品が大ヒット。これではまるで今までの自分が否定されてしまったようで辛い。


 エマは何も書かれていないミントグリーンの便箋に目を落とす。アナへの手紙は、いつも書くことが多過ぎて困ってしまうほどなのに、ここ最近は「忙しい」以外に書くことが見つからない。

 手紙に書きたいことは一つだけ。溺愛シリーズはエマにとって、誇れる作品ではないということ。でも、それは手紙には書けない……。

 辛いことに、アナは作品のヒットを喜んでいる上に、この新婚生活がエマの理想だと勘違いしている。

『エマさんの理想の新婚生活は、私の理想と同じです! 新婚時代だけではなく、ずっと末永く続く小説みたいな幸せな毎日が楽しみです!』


(そんな期待のこもった手紙に何て返事をすればいいの? 私の理想の新婚生活じゃなくて、他人の新婚生活を勝手に想像しましたなんて言える? だって、この作品を書くに当たって、私に悪意がなかった訳じゃない! ニッコニコの笑顔で羽が生えたように屋敷から出て行った公爵様に腹が立った。世間から好奇の目で見られるために嫁いできた私に向かって、あの態度はないんじゃないの? 配慮に欠け過ぎだと思った。でも、王家も絡む醜聞にアナさんを巻き込む訳にはいかない……)


 エマの心から溢れ出してくる暗く濁った空気がこもる部屋に、ドタドタという大きな足音が近づいてきた。

 基本的には静かな屋敷だ。ルピナの顔も何事か! と強張り、エマを守るように前に立った。

 エマも武器になるようなものを探すが、当然何もない。ふと視界に入ったのが、隙間に押し込まれたレアンドルの肖像画だ。最悪あれを放り投げてルピナと共に逃げようと立ち上がった。

 エマが肖像画の側に寄る前に慌ただしいノックの音が響き、返事も確認せずに赤髪の女性が飛び込んできた。


 転がるように入ってきた大柄な女性を見て、エマは驚いた。

 グレーの地味なドレスなのに美しさを隠せない女性は、間違いなくアナだ。何事にもきちんとしているアナが、事前に約束も連絡もなくエマのところに来るなんて初めてだ。しかも、全速力で走ってきたのか、赤髪が汗で顔に張り付き息も荒い。

 あまりにもいつもと違う様子のアナに驚いて、「どうしたんですか?」とエマは駆け寄った。 

 そんなエマの足元で、アナはいきなり土下座をした。


「申し訳ございません!」

 アナの低く落ち着いた声が、いつもと違って上ずっている。こんな焦って落ち着きのない声を聞いたのは、この四年間で初めてだ。

 土下座をしたアナの後頭部を見下ろしているという自分の状況が、エマには信じられない。一体何が起きているのか?


 呆然と立ち尽くすエマの隣に、いつの間にやら不穏な空気のセオとルピナが立っている。

「急に頭を下げられても、エマ様を混乱させるだけです。何があったのか事情を説明していただけませんか?」

 セオの冷たく厳しい声は、まるでアナを突き刺すようだ。突き刺したのはセオだけでなく、ルピナも全てが凍てつきそうな冷たい視線でアナを刺し続けている。


 普段はアンティークの家具に囲まれてゆったりとした時間が流れている部屋が、一瞬にして修羅場と化している。

 ソファに移動した四人は、アナ対三人の体制で座った。両脇に座るセオとルピナからの圧が強すぎて、なぜかエマが一番縮こまるという不思議な状態だ……。

 セオとルピナの「さぁ、早く!」という圧に押され、アナがエマの目を見つめる。その目はまるで命乞いでもしているようだ。


 アナが観念したように目を伏せた。今までエマに勇気をくれていたアナの口から、絶望が告げられる。

「わが社の手違いで、ジルロ先生がエマさんだとバレました……」

 両脇から黒い炎が立ちのぼるほどの殺気が放たれた。

 その恐ろしいほどの殺気さえも気にならないほど、エマは放心状態だった。




 エマが作家デビューをしたのは、二年前だ。

 昔と違って仕事を持つ令嬢も増えている。語学が堪能な令嬢は翻訳を仕事にすることも多く、出版業界には貴族が少なくはない。だが、エマは自分が作家であることを、家族と乳母とアナ以外には伏せてきた。

 理由は簡単。恥ずかしくて、人に知られたくない秘密だからだ。

 作品はエマそのものだ。地味で目立たず「幽霊令嬢」と呼ばれる自分が、恋愛に憧れているなんて誰にも知られたくない! パーティーの壁の花どころか、明かりの届かない暗がりの中にひっそりと隠れている自分が、光り輝くダンスホールに憧れているなんて誰にも知られたくないからだ!

 それなのに、その秘密が暴かれてしまった……。


(リオンヌ公爵夫人になったというだけで世間の笑い者なのに、これ以上蔑みの的にならないといけないの?)


 両脇から「職務怠慢!」「人権侵害!」などと怒号が飛び交っていたが、エマの耳にはほとんど入ってこない。あまりのショックに思考が停止し、現実逃避したエマは気を失った。一瞬で意識喪失したせいか、誰も止められないほど勢いよく前のめりに倒れ、机に顔面をしこたまぶつけた。それなのに目を覚ましはしなかったのだから、よほど現実から目を背けたかったのだろう……。


読んでいただき、ありがとうございました。

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