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3.旦那様が出て行っても、案外よく眠れました。

本日二話目の投稿です。

よろしくお願いします。

 若草色のカーテンの隙間から、朝日が漏れ入ってくる。カーテンを開けると、美しい中庭が広がる。朝日に照らされる草木は美しく懐かしく、まるで領地にいるような落ち着いた気分になれる。窓を開けると入ってくるひんやりとした清々しい空気が心地よく、自分が招かれざる嫁だということを忘れてしまいそうになる。


(夫に出て行かれたというのに、見ず知らずの屋敷でぐっすりと眠れてしまった……。枕が変わると眠れないタイプかと思っていたけど、私って結構図太いのかもしれない)


 自分に呆れてぼんやりとしていると、起きるタイミングを見計らっていたようにルピナが現れた。

「おはようございます! お仕度させていただきますね」

 張り切った声を出すルピナに、エマは申し訳ない気持ちになる。

 エマの瞳に胸まである自分の真っ黒の髪が映る。金色や茶色など薄い華やかな色の髪が主流な国の中で、濃い色でましてや真っ黒の髪なんて珍しい。

 エマの父親のように短髪にできればいいのだが、生憎令嬢は髪を伸ばさないといけない。真っ黒で真っ直ぐな長い黒髪など、地味な上に重い。瞳の色だって珍しいってだけの地味な紫だ。どう手を加えても地味でみっともない自分に支度なんて不要だとエマは思っている。


(私のことを「菫の花のように可憐よ」と言ってくれたのは母とアナだけだ。私は珍しいだけの不気味な珍獣『幽霊令嬢』なんだから……)


「……あの、見ての通りの地味さです。支度なんて自分でできるわ」

「エマ様の支度とは、顔を洗って、髪を数回とかして、動きやすいワンピースに着替える。でいいですか?」

「……そうです」


(実家での生活を見ていたの? というくらい当たっている)


 ウズウズとした様子のルピナが宣言する。 

「エマ様はリオンヌ公爵夫人です。それに相応しい格好をしていただきます。私も腕が鳴ります!」

 やる気満々のルピナの両手がわきわきと準備運動を始めているのが、エマにとっては不安でしかない。幽霊を公爵夫人にレベルアップできるはずがない!

「……確かに貴族籍の上では、私はリオンヌ公爵夫人です。ですが、リオンヌ公爵様の中では、私はあくまでも書類上の妻です。自由にしていいということでしたし、似合わないのに無理して着飾る必要はないのでは?」

 鏡台に見たこともない化粧品を次々と並べ、エマに似合う色を考え始めたルピナにはエマの話を聞く気はないらしい。


(公爵家の使用人は優秀だけど、強引だわ……。もう、泣きそう)


 口で敵うはずのないエマは、ルピナにされるがままだ。鼻を覆うほどあった分厚い黒の前髪も、菫色の目の上で切られてしまった。さすがにその瞬間は「嘘でしょ!」と悲鳴のような声が出たが、「動くと手元が狂います!」と言われてしまえば、黙って座っているしかない。いつも顔を洗っただけの肌にも、いくつものクリームやら何やらを塗り込まれた。


 鏡に映るエマをうっとりと見ているルピナが、ホウっと感嘆のため息を漏らす。

「今まで洗いっぱなしで、この透明感ですか? 信じられない……」

「透明感? あぁ、幽霊みたいに青白くて、いるかいないか分からないってこと?」

 エマの言葉にギョッとしていたルピナだが、幽霊感を出さないためにか頬にそっとピンク色を塗ってくれた。


 母も二人の兄も亜麻色の美しい髪だが、エマは父から黒髪を受け継いでしまった。父親の黒髪は精悍で力強い印象だが、地味なエマには黒髪はただ重苦しいだけだ。領地に住む子供からも「カラス女」といじめられた記憶が、まだ生々しい。

 だが、ルピナは直毛の黒髪をハーフアップにして、軽やかさを出してくれた。エマが見ても、重苦しさが軽減したように見える。さすがプロだ!


 髪と化粧が終わると、次は着替えだ。カラス女は地味なので、着れる色は限られる。エマの手持ちは、カーキかグレーか、焦げ茶色だ(さすがに黒は避けている)。

 だがルピナの手にあるのは、水色のドレスだ。

 エマが口をパクパクとして驚いていると、ルピナはさも当然という顔で「ちゃんとエマ様に似合う服を準備しておりますので、ご安心ください」と言った。


(いつの間に?)


 コルセットを締められながら、エマは申し訳なさそうにルピナにお願いをする。

「みっともないから……、胸をもっとギュッと潰れるほど締めてくれない?」

 ルピナは「……みっとも、ない?」そう言って眉を顰める。

「誰かにそう言われたのですか?」

「……子供の頃に、近所の男の子達にデブデブ揶揄われて、みっともないって言われていたの。確かに周りと比べると大きくて下品だと思うし……」

「それは、エマ様の勘違いです!」

 いつもは息苦しいほどに締め上げていた胸が、緩く呼吸もしやすい状態になっている。

「コルセットが要らないほどの細い腰に、たわわな胸! これは世の女性の憧れのプロポーションです!」


(初耳だ……)


「カラス女と言ったのも、その男の子(クソガキ)達なんですね?」

 領地での嫌な出来事を思い出して、暗い表情のエマがうなずく。

「私の実家は優秀な騎士を輩出する家系だから、身内だけでなく領内でも騎士を育てることに力を入れているの。だから、近隣の子供に剣術と読み書きを教える騎士学校があるのよ」

 エマの父親は今でこそ領主に専念しているが、かつては有名な騎士だった。エマの二人の兄も騎士となり、一番上の兄はもうすぐ立太子する第一王子の護衛を勤めている。

 エマの父親には国のために一人でも多くの優秀な騎士を育てるという志高い夢があり、エマの母の死後は騎士の育成にのめり込んでいた。

「それは、また、やんちゃな子供が多そうですね……」

「……えぇ、元気な子ばかりだった……」


 元気な男の子は兄で見慣れていたが、騎士学校の子供は別物だ。兄達が妹には決してしない悪戯ばかりしてくるのだ。

 エマの真っ黒な髪を揶揄って、「カラス女」。大きくなり始めていた胸を揶揄って「ふしだら女」。領地の日焼けした女の子とは真逆の青白ささえ感じる白い肌を揶揄って「幽霊女」。珍しい菫色の瞳を揶揄って「珍獣」。それはもう、暴言の数々を投げつけられた。

 少年達からすれば貴族の令嬢が珍しくて言った言葉だが、エマは酷く傷ついた。取り返しのつかない大きな傷が残るほどに……。


 国を守る強く立派な騎士を育てるという父の思いを、母はいつも誇らしげにエマに語っていた。母に「お父様の考えは、ロルジュ伯爵家の誇りなの」そう言われ、エマも「ロルジュ伯爵家の誇りを、私も守る!」と子供心に思っていたのだ。

 だからこそ、生徒である子供達に酷い言葉で揶揄われても、父の役に立とうと我慢して騎士学校の手伝いをしていた。


 だが、あの日。

 いつものように「みっともない身体の紫目の地味女!」と揶揄われ追いかけられ、エマは植え込みの陰に隠れ震えていた。

 怯えるエマが面白いのか、最近はやたらと身体に触れてきて気持ちが悪いのだ。彼等は気の小さいエマが周りの大人に告げ口をしないと高を括って、完全に調子に乗ってやりたい放題だった。


 エマが周りに言わずに我慢していたのは、彼等が思っていた理由とは違う。ロルジュ伯爵家の一員としてエマなりに、立派な騎士を育てるというロルジュ家の誇りを守ろうとしたのだ。

 父が育てているのは強く立派な騎士なのだから、エマを追い回す彼等のせいで父の志を傷つけたくなかった。父が指導する未来の騎士の中に、どうしようもないクズが紛れているなど決して知られてはいけないとエマは思っていたのだ。

 家の役に立てないエマがロルジュ伯爵家の一員としてできることは、自分の心をすり減らしても我慢することだけだとエマは思い込んでいた。

 そんなエマの気持ちに気づいて助けてくれる人は、悲しいことにエマの側にはいなかった……。


 そんなエマの気持ちなど知りもしない彼等は、エマが見つからない苛立ちを物に当たって発散し始めた。その中の一つに花壇があった。

 生徒の一人が「これは、あの牛女がよく手入れをしている花だろう?」そう笑いながら、亡き母が「エマの瞳の色と同じね」と言って大切に世話してくれていた菫の花を指差した。

 木や囲いを蹴り飛ばしていた者達も集まり、全員が目尻を下げ口元が上がる気持ちの悪いゾッとする笑顔を見せた。その瞬間にエマも危機を感じたが、彼等が怖くて身体が動かない。

 菫の花は引き抜かれ、ちぎられ、踏み荒らされ、見るも無残な状態だ。エマは大事な母との思い出を守れないどころか、目の前で壊されていくのを見ているしかできない無力な自分を呪った。

 その惨状を前に、エマは騎士学校に関わるのを止めた。




「エマ様が髪で顔を隠されていたのは、その子供達の言葉のせいですか?」

 エマは押し黙ってしまったが、それ以外にはあり得ない。

 騎士に憧れる普通より気性の荒い子供達が、エマの気を惹こうと言動がエスカレートしてしまったのだろうとルピナには予想がつく。もちろん、とても許されることではないが……!


 彼等の行き過ぎた行動のおかげで、エマは男性恐怖症になった。それだけでなく、自分の容姿がみっともなく人前に晒してはいけないとも思い込んでしまった。その結果として、人と目を合わせることも拒んで、家に引きこもるようになってしまったのだ。




 ルピナに案内されて食堂に入ると、公爵家らしい広く豪華な部屋だ。漆喰の白い壁に、大きなシャンデリアがいくつも並んでいる。部屋の中央に鎮座する細長いテーブルにかけられた、シワひとつない真っ白なテーブルクロスもキラキラと輝いて見える。


 その大きなテーブルに一人分の食事だけが準備されているのを見ると、母を亡くした時のことが思い出される。

 エマは病弱な母と共にずっと領地の屋敷で暮らしていた。父親も六歳と四歳年上の兄も王都のタウンハウスで生活していて、滅多に顔を合わせることはなかった。

 母の死後であっても、エマの進学が近くなるまで王都に呼ばれることはない。

 母を失って、広いテーブルに、たった一人で座って食事を摂る。それはエマにとって、この上ない苦痛だ。次第に痩せ細っていくエマを心配してくれたのは、家族ではなく使用人達だった。


 昔の辛い記憶を思い出してしまうから、正直に言えば席には座りたくもない。だが、仮の妻の身分で、これ以上我が儘を言う訳にはいかない。エマは黙って席に着き、一人で食事を始めた。ほとんど食が進まないまま、席を立つことになったが……。


(この屋敷にいる限り、この一人での食事が一生続くんだ……)



読んでいただき、ありがとうございました。

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