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2.部屋には旦那様の絵を飾らないで下さい。

本日一話目の投稿です。

よろしくお願いします。

「わがまま言って、ごめんなさいね」

 エマはそう言って、セオとルピナとメイドに頭を下げた。

「とんでもない! こちらこそ、気が利かず、申し訳ございませんでした」

 三人を代表してセオが謝罪した。

 だが、セオが謝る理由はない。全面的にエマの我が儘なのだから……。




 夫に去られたエマが、セオとルピナに案内されたのはエマの私室だ。夫婦の寝室を挟んで、夫人の私室と夫の私室がある世間一般的な貴族の夫婦の部屋だ。エマは公爵夫人になった訳だから、この部屋を宛がわれて当然なのだが、エマには受け入れられなかった。

 何度二人に名前を呼ばれても、部屋の中に入ることを身体が拒否した。


 黙っていれば察してくれるかと思ったが、誰もがエマにこの部屋を使わせようとする。エマは仕方なく、自分の思いを告げた。

「私がこの部屋を使うべきではないと思うの……」

「! エマ様はリオンヌ公爵夫人です! エマ様以外にこの部屋に相応しい方はいらっしゃいません!」

 セオが必死になって部屋を使う正当性を訴えてくれるのはありがたいが、エマはどうしても気が進まない。

「そう言って頂けるのはありがたいのだけど、本当に相応しい方は別にいらっしゃるから……。私も、気を遣ってしまうし……。申し訳ないけど、別の部屋がいいわ。図書室の近くだったら、言うことないんだけど……」

 セオもルピナも悔しそうにうつむいていたが、パッと顔を上げると冷静な家令の顔になり「すぐに準備させます」と言ってくれた。


(手間をかけて申し訳ないけど、書類上の妻がこの部屋を我が物顔で使っていたなんて、本妻からしたら気分が悪いと思うの。この部屋を勧めた使用人に対する心証が悪くなっても困るし、この部屋は開かずの間にするべきだわ)


 セオを始めリオンヌ公爵家の使用人はみんな優秀で、すぐに図書室近くの客間をエマのために準備してくれた。

 セオが扉を開けて中を見せてくれると、エマの身体は動きが停止した。

 エマに準備された客間は飴色に磨かれたアンティーク家具が置かれた、エマ好みの落ち着いた部屋だ。図書室の隣だからなのかマホガニーの使いやすそうな大きな机が置かれ、エマは一瞬で心を奪われた。若草色のカーテンも、くすんだ青みがかった緑色の絨毯も、シックで落ち着いた菫色のテーブルランプも、みんな全てエマの好みだ。

 ただ……。

 扉を挟んだ寝室には、緑のリネンに包まれたベッドがある。そのベッド上に、レアンドルの肖像画があるのは、いかがなものだろうか……? 


「あの……。とても素晴らしい部屋で、本当に私の好みの物ばかりで、この部屋で過ごせるのが楽しみです。ですが……、その……」

 さすがに今日嫁いできた身で、「あの絵を外してください!」とはエマも言い辛い。

 ここでもエマの気持ちを察したセオが「エマ様は、リオンヌ家の女主人です。気になることは何なりと言って下さって構わないのです!」と、力強く背中を押してくれた。


「あの、こんなことを言って、申し訳ないのですが……」

 セオもルピナもメイドも耳を傾け、エマの消えてしまいそうな小さな声にも反応してくれる。

「リオンヌ公爵様の肖像画を、私の部屋に飾るのは、いかがなものかと……。リオンヌ公爵も四六時中私に見られるのは、我慢ならないでしょうし……」


(公爵様の大切な方も、書類上の妻の部屋に肖像画を飾ってあるのはいい気がしないと思う。即刻外してください! 何より私の安眠妨害です! 何? この屋敷の至る所に公爵様の自画像が飾られているけど、公爵様がナルシストなの? それとも、公爵家のしきたりなの?)


 セオはグッと何か言葉を呑み込んで、またも完璧な家令の顔をエマに向けた。

「即刻外します。ですが、絵をお部屋に置かせていただけないでしょうか?」


(なるほど、しきたりなのか……。ならば、嫌だけど仕方がない……。名前だけとはいえ、一応この家に嫁いだのだから)


 エマの表情を読み取ったセオが、妥協案を提示する。

「もちろん絵は裏に致します。部屋に置かせていただくだけで構いません」

 しきたりなら破る訳にはいかないとエマも折れて、「裏にして、その奥に置いて頂けるなら……」と一番視界に入らない場所を指示した。

 ホッとした表情のセオが「もちろんです!」と言って、絵を下ろしてくれた。




 新たな部屋で持参した荷物の整理を始めたエマは、玄関ホールでの出来事を思い出した。冷静になったエマの脳裏に、嬉しそうに弾む足取りで屋敷から去って行くレアンドルの後姿が浮かぶ。


(間違いなく、本物の愛の巣へ行ったのよね。こうなることは、分かっていた。でも、あの配慮に欠ける言葉は、どう取ればいいのだろう?)


 レアンドルと初対面のエマより、レアンドルをよく理解しているのはセオとルピナだ。レアンドルの言葉の意味がエマには分からないが、二人なら分かるかもしれない。

「あの、先程の玄関ホールでの話ですが……。リオンヌ公爵様は、少し言葉が足りなかったと思うのです……」

 エマがそう切り出すと、セオが勢いよく滑り込んできた。

「そうなのです! 坊ちゃんは愛するエマ様に、屋敷で快適に過ごしていただきたいと言いたかったのです!」


(公爵家の家令は、私みたいな妻にも尽くしてくれるのね……。でも、大丈夫。私は自分の立場をちゃんと弁えているから)


「恐らく……『私がお前を愛することはない』って言いたかったのよね?」

 エマに発言をスルーされたセオがめげずに、「そんなことは一言も仰っていませんでした!」と断言する。


(言った言わないではなくて、公爵が発した言葉の裏に、どんな意味が込められているかってことなのよ。男の人には分かり難いのかしら?)


 エマはルピナを見て、再度確認をしてみる。

「なら、契約結婚かしら? 『半年後には離婚するから、それまでは屋敷で自由にしていても構わない』ってことかしら?」

 ルピナは青い顔で「いくらエマ様が作家でも、話が急展開過ぎます!」と叫んだ。

「えっ? それを、知っているの……?」


 エマは恋愛小説家として、数冊の本を出版している。だが、純粋な愛を綴ったエマの本は、読み手を選ぶ内容で、正直それ程売れていない。もちろん自分が作家だと公言していないどころか、隠しているくらいだ。だから、エマが作家だとルピナに知られているのは、驚きでしかない。

 いや、国内で最も権威のある公爵家だ、それくらいのことを調べ上げるのは簡単なことなのかと、エマは思い直した。

 公爵家がエマの全てを知っているからこそ、当たり障りのない女としてエマはレアンドルの妻に選ばれたのだ。


 ルピナは初対面の時と同様に、頬を赤く染めて「ジルロ様(ペンネーム)の、純愛令嬢シリーズの大ファンです!」と言ってくれた。

 この発言はエマが作家だと知られている以上の驚きだ。エマに大ファンだと公言してくれたのは、出版社で担当をしてくれているアナ以外では初めてだ!


「……あ、ありがとうございます……。今日は人生で一番の最悪な日かと思いましたが、ルピナのおかげで、最高の一日に変わりました。出版社の担当の方以外で、私の本を読んでいる人に会えたのは初めてです。ありがとうございます!」

 今日初めて笑ったエマを前に、ルピナはもう感極まって倒れそうだった。




 夜も更けて部屋で一人になったエマは、菫色のテーブルランプを点けた。菫色の花がステンドグラスで散りばめられた幻想的なランプだ。

 優しい明かりに心を和ませたエマは、引出しからミントグリーンの便箋を取り出す。ペンを取ると便箋に今日の出来事を綴りたいが、一向にペンが進まない。


 日記みたいなものだが、日記ではない。これは手紙だ。手紙の送り先は、小説家としてのエマを担当してくれているアナだ。アナと出会ってから四年間ほぼ毎日、その日の出来事を便箋に綴って送るのがエマの日課だ。

 もちろん小説の話で終わることもあるが、他愛もない日常の出来事を綴ることの方が多い。事件なんて何もない、どんなにつまらない日々の話でも、アナは嫌がったりせずに楽しそうに返事をくれる。エマが「独り言みたいなものだから、返事は不要です」と伝えても、アナは「エマさんの手紙を読むと、どうしても自分の気持ちを伝えたくなる」と返事を返してくれる。周りに感情を吐き出す相手がいないエマにとっては、この遣り取りが何よりも心の支えとなっている。


 アナが担当になってくれて手紙でやり取りをするとなった時に、初対面なのにも関わらずアナはエマの心に寄り添ってくれた。

「エマさんが日々何を思って、どう感じているのか気になります。楽しいことはもちろん、辛いことも悲しいことも何でも吐き出して下さい。もう苦しみを溜め込まなくていいんです」

 アナにそう言われて、エマは小説に昇華できないドロリとした感情が自分の中に燻ぶっているのを知った。そんな自分でも認めたくない汚い感情を、アナはゆっくりと解きほぐしてくれた。人に知られたくない醜い自分を吐き出せるほどに、アナを信頼するのはあっという間だった。




 アナとの出会いは今から四年前だ。

 エマが応募した新人作家のコンテストを通して、二人は出会った。

 エマの作品はコンテストには入賞しなかったが、コンテストを主催した出版社から連絡があり、出版社の応接室で顔を合わせることになった。まぁ、そこにやってきたのは男性で、アナではなかったのだが……。

 恋愛小説だから来るのは女性だと勝手に思い込んでいたエマは、驚きのあまり相手の顔を見ることもできず、真っ青な顔のまま息さえままならない。相手の男性だって、何があったのかと大慌てだ。

 同行してくれた乳母がエマは男性恐怖症だと事情を説明して、出版社から早々に退散した。

 その時に男性は「次は必ず女性にしますから、またお話をさせて下さい」と乳母に伝えていたらしい。


 後日約束した王都で人気のカフェの個室に現れたのが、アナだ。

 背の高いスラリとしたアナは、赤い巻き毛に緑の瞳をした二十代前半の美しい女性だった。あまりの美しさときびきびとした身のこなしを前に、エマは雷が落ちたと思えるほど全身に衝撃が走った。頭が真っ白になったエマは、「恋愛経験百戦錬磨のお姉様だ」と頭に浮かんだ言葉がそのまま声に出てしまったほどだ。

 十五歳の小娘の馬鹿みたいな感想にも、アナは「そうでもないのですよ……」と恥ずかしそうに微笑んでくれた。そのはにかんだ笑みは、アナから発せられる妖艶さも冷たさも欠片もなく、思わず触れてしまいそうになるくらい可愛かった。


 あまりの美しさとそのギャップに息を止めて見入ってしまったエマは、乳母に背中を叩かれなければ呼吸困難に陥っていたはずだ。

 女性だと分かっているのに、美しすぎるアナを前にするとエマは息ができなくなる。男性とは違って恐怖心はないのだが、緊張しすぎて息が止まる。息が止まるのだから、言葉なんて発せるはずもない。

 そんな厄介な上に賞の取れなかったエマなんて見捨てても構わないのに、アナは微笑むと「手紙でやり取りしましょうか?」と提案してくれた。最初の一年は本当に手紙だけの遣り取りだったが、手紙だけでも信頼できるアナの人柄のおかげで、今では一カ月に一・二度程度は顔を合わせて話もできるようになった。


(とはいっても地味な私には、アナさんの美しさが眩しすぎて正面から見るなんてできないけど……)


 十歳で母が亡くなった時に、エマは日々の話し相手も悩みを打ち明ける相手も失った。そんな心の拠り所を失ったエマの胸に燻ぶり続けてきた心の傷を、アナは癒してくれた。

 作家としても、エマ個人としても、何度も心が折れかけたのを、ずっと支えてくれたのがアナだ。アナがいたから本が出せたし、王都にも残っていられる。

 人付き合いが得意でないエマには、女友達もいない。唯一心を許せる相手が、アナだ。

 男性恐怖症が多少改善されたのも、アナの手助けがあったからだ。

 アナのおかげで今のエマがある。アナに出会わなければ、今頃は屋敷の奥で心が壊れていたかもしれない。


読んでいただき、ありがとうございました。

夜にもう一話投稿予定です。

よろしくお願いします。

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