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番外編:旦那様の苦悩(6・7の旦那様視点)

本日二話目の投稿です。

今日の最初の投稿で本編は完結しています。

 真っ青な顔をした広報担当が突然床に這いつくばるから何事かと思えば、とんでもないことを言いやがった。

「ジルロ先生がリオンヌ公爵夫人だと漏らしてしまいました。既に物凄い勢いて広がって、世間を賑わせております。申し訳ございません」

 脳を揺らす衝撃だ。

 俺が夫としても経営者としても未熟なんだと思い知らされたのは、その報告を受けた瞬間、怒りより先に不安が先に立ったからだ。

 エマが表舞台に立てば、エマの才能や美しさや愛らしさに人が群がってしまう。そんなのは、耐えられない!


 エマがジルロだということは、社内でも極秘事項として扱われていた。自分が作家だと知られたくないのは、エマたっての希望だからだ。

 エマの希望はもちろん何よりも優先されるし、俺自身もエマが表舞台に出て人目に触れることを避けたかった。

 エマの美しさも知性も純粋さも愛らしさも(言い出したらキリがないが)、とにかく全てを知っているのは俺だけでいいんだ。他の誰にも教えたくないし、知られたくない!

 俺の心が狭かろうと何だろうと、エマの希望と合致しているんだから構わない! 

 

 それなのに……。

 最新作が空前の大ヒットとなったことで、広報担当にも隙が出てしまったんだと思う。あいつをどうにかするのは後の話で、まずはエマに伝えに行かなくてはならない。

 気が重いが、アナの仕事だ。




 アナの格好で屋敷にやってきた俺に使用人達の目は厳しい。

 俺が子供の頃から世話になっているメイド長は、「そんな恰好ではなく、レアンドル様としてエマ様を傷つけている行為に頭を下げるべきではないですか?」と静かに激昂した。

 愛するエマが、自身を俺の浮気の隠れ蓑だと思っている誤解を解いて詫びろと言っているんだ。間違いなく正論だ。

 他の使用人の視線も、完全にメイド長に同調している。

 エマが使用人達の心を掴んでいるってことに関しては、女主人としてのエマの手腕を誇りに思う。それに、人付き合いが苦手で勘違いされやすいエマの性格を理解して惚れ込んでくれている使用人達も誇りに思う。

 俺にそう思われても誰も嬉しくないだろうが……。


 男性恐怖症であるエマを不安にさせないために、俺がアナとなってエマと会っているのは、屋敷の人間ならみんな知っている。なぜなら、俺はエマを屋敷に迎えるための準備を、三年前から始めているからだ。

 エマの目に触れる男性使用人は四十代以上だし、庭もエドと共にエマ好みに変えた。部屋の内装も食事もエマの好みに合うように、使用人達に協力してもらって着実に準備を重ねたのだ。

 俺がエマを愛していることを使用人達は疑ってはいない。ベルノルト(アナベル)とのことも、王家の絡みで言えないだけで何かあるのだろうと察してくれている。

 だからこそ、みんながエマと話し合えと言っているのだ。俺だってできるものならそうしたい。だが、髪が伸びないんだ! もう少しだけ待って欲しい。




 メイド長たちの執拗な意見を振り切って、エマの部屋に着いた時には俺は汗だくになっていた。化粧が心配だが、直している暇はない。

 部屋に入った俺は、エマに土下座をしてエマがジルロだと知れてしまったことを伝えた。

 案の定エマは放心状態で、エマに心酔しきっているセオとルピナが怒りを露わにして飛び出してくる始末。


 毎日エマについての報告を二人から受けている。

 エマは自分が生贄にされた妻だと信じて疑っていない……と。奥様と呼ばれることを拒否したことも、夫婦の寝室を使うことを拒否したことも、この部屋の肖像画を外すように頼まれたことも、俺とベルノルトに遠慮して使用人達とも線を引いていることも、蔑むような目で報告を受けている。

 そう今の向けられているのと同じ、冷え切った視線で……。

 俺は蛇に睨まれた蛙状態だったので、エマから目を離してしまった……。


 俺達三人から死角となったエマは、事実を受け入れたくないあまり一瞬で意識を飛ばした。ぐらり何てもんじゃなく、ヒュンッという音でもしそうな恐ろしい勢いで机に顔を打ち付けた。

 真っ白で滑らかな額と鼻が赤く擦り傷になっている。目の前にいながら守れなかったことを俺は悔やんだ。だけど、本当に突然で一瞬の出来事だった……。


 エマを抱きかかえてベッドまで運んだ俺は、当然看病することを主張した。

「誰のせいで、エマ様の美しいお顔に傷がついたかお分かりですか? そんな犯罪者を大事なエマ様の側に置くとでも?」

「ここまで顔を打ち付けても目を覚まさないほどショックを受けられています。旦那様はエマ様のショックを少しでも軽減するために、やるべきことが他にあるのではないですか?」

 そう言われてしまえば、俺だって出て行かざるを得ない……。




 次の日の朝にエマから手紙が届いた。夜の報告の時点では、まだ目を覚ましていないと聞いていたので泣きたくなるほどホッとした。

 すぐにでも屋敷に向かいたかったが、アナになるには時間がかかる。


 屋敷に向かうと、セオとルピナが臨戦態勢で迎えてくれた……。

 エマの額と鼻が少し赤いのが心配だが、アナに対しても顔を上げてくれないことの方が気になった。さすがのエマも怒っているのか……。

 責任を取れと担当を外されたらどうしよう? 俺は今更ながら焦った。

 レアンドルで接したのでは、エマに拒否されて話もできない状態だ。エマの愛らしい笑顔を守れるのはアナだけなんだ! 絶対にエマから離れたくない! 

 俺はソファに座りながら土下座をする気持ちで頭を下げ、自分の気持ちを伝えた。

 エマは担当を続けたい俺の気持ちを分かってくれたが、セオとルピナは怒り心頭だ。

 しかし、「二枚舌野郎」って……。アナが俺だと知られるには今は時期尚早なんだから、勘弁してくれ。


 まぁ、二人の怒りは正直どうでもいい。エマにさえ気持ちが伝わればいいんだ。ホッと胸をなでおろしている俺に、エマが爆弾を投下した。

 リオンヌ公爵家とロルジュ伯爵家に不名誉? ベルノルトとのことか? いや、それよりも、エマの気持ちを伝えるって何だ? 今まで自分は生贄妻だと散々気持ちを伝えていたはずだ。どういうことだ? 何だか分からないが、とにかく不安で仕方がない……。

 この結婚に関してエマは、アナへの手紙でも何も語っていない。生贄だと勘違いしているエマが、王家や公爵家にアナを巻き込まないよう配慮していると思っていたが、違うのか? アナにも言えない隠された気持ちがあったということか?

 俺は驚き、呆然とした。

 アナはエマのことは何でも知っていると思っていたのは勘違いだったのか? エマが最も信頼して頼っているのは、アナじゃなかったのか? 全部俺の思い違いか?


「この家の使用人であるセオやルピナには申し訳ないけど、リオンヌ公爵様と私の結婚は形だけの中身がないものよ」

 エマがそう勘違いしているのは聞いていたし、俺がきちんと話をしていないせいなのも知っている。だが、本人から直接聞くとなると、殺傷能力が凄まじい……。

 エマにこんなことを言わせている俺を、セオが鬼神のごとく睨みつける。しかし、そこは家令だ。俺のためにフォローを忘れない。

「……確かに旦那様は屋敷におりませんが、それは旦那様にも事情があり……。きっとすぐに戻って来られます!」

 そう、俺は髪が伸びれば戻るんだ。




 四年前に出会った時のエマは、心を閉ざして自分の未来を諦めていた。コンテストに応募したのだって、乳母に「自立すれば家族への迷惑が減る」と言われたからだ。

 驚くほどに自分に自信がなく、家族の目や世間の目を気にして怯えていたのがエマだ。

 そんなエマが自由に動き回り、感情を吐き出せるのが小説の中だ。いつも感情を押さえ込んでいる分、小説の中のエマは感情豊かだ。

 そんなエマを文字ではなく、エマ本人に直接見せて欲しいと俺は思ったんだ。


 だけど、エマが感情を表に出すには、物語にも書けない家族への葛藤や、少年達への怒りや、自分への失望を解きほぐして、折り合いをつける必要がある。

 だからアナはエマと向き合い、少しずつ前に進んできた。怯える以外は表情に乏しかったエマが笑顔を見せてくれるまでになったのは、アナという存在があったからだ。

 間違いなくアナはエマの心の支えだ。そのアナが実は俺だったと知れば、エマは心の支えを失ったと思って心を閉ざしてしまうかもしれない。そうなれば、一気に四年前に逆戻りだ。また心を閉ざし未来を諦めてしまう。

 結婚式でレアンドルを前にしたエマが倒れた時に、俺はそう感じて怖くなった。エマの心を守ってきた俺が、エマの心を壊すような真似をしてはいけないと強く思った。

 だから、次の言葉を聞くまでは、自分の行動が間違っていないと信じていたんだ……。


「リオンヌ公爵様が戻ってきたら、普通の夫婦として過ごせって? 私には無理ね」


 えっ?

 呆然とする俺に向かって、セオとルピナが「当たり前だろ!」という厳しい顔を向けてくる。


「満面の笑みでスキップするように、愛する人が待つ家に行ったのよ? しかも、結婚したその日に。初めて聞いた公爵様の言葉は『私はこの家には立ち入らないから、君も自由に過ごしてもらって構わない』よ? そんな人を、戻ってきたらどういう顔で受け入れるの?」

 この時のエマの声が怒りに震えていたり、顔が怒りに染まっていれば、俺も少しは安心できたかもしれない。だがエマの口ぶりは至って冷静で、冷めた目の下で状況を的確に分析していた。


 叫びたい!

「四年間待ち望んだエマが、俺の屋敷に存在していることに感激したんだ! この先ずっと、ここで俺と共に暮らしてくれるという事実に歓喜していたんだ。俺が帰ってくるかもしれないと心配させる状況は辛いと思って、あえて『この家に立ち入らない』と言ったんだ。エマを安心させたかっただけなんだ。暫く家を出るのは苦しいが、二人の未来を思って我慢したんだ!」


「リオンヌ公爵様とアナベル様は、私を二人が恋物語を続けるための生贄にしたのよ。でも生贄にだって思惑があるの。王家やリオンヌ公爵家がこの結婚を火消しに利用したように、私もこの結婚を利用しているのだから」

 生贄? 大切なエマを生贄になどするわけがない。むしろ俺の恋心が生贄になっている……。

 それに、何? この結婚を利用? エマは結婚を利用しているのか……? 


 瀕死の俺はエマの思い違いに気づいてもらおうと声をかけるが、世間の声を知らないのか? と一蹴されてしまった。それどころか、エマのリオンヌ公爵家での立場を気にかけていると勘違いされた。

 エマが公爵家での立場が悪くなるはずがない。今一番立場が崖っぷちなのは、俺なのだから。


 公爵家の使用人がエマには女主人としての役割しか求めてないって? 俺とベルノルト(アナベル)の仲に干渉するなと思ってるって? 勘違いだ。後ろを見てくれ! セオとルピナが荒ぶる視線を俺に向けている!

 しかも俺とベルノルト(アナベル)との仲を咎めない? 俺達は男同士だし何でもないが、そこまであっさりと受け入れられると悲しい……。

 本当にレアンドルには興味が一切ないんだな……。セオとルピナだって放心状態だよ。


「公爵様は配慮に欠ける方だなぁとは思います。ですが、愛する人がいるのに書類上とはいえ妻ができてしまったのだから、嫌われるのは仕方のないことでしょうね」

 エマは俺を安心させようと笑顔を見せてくれたけど、俺の心は汚泥でも流し込まれたみたいに真っ黒で重い。

 確かに俺は配慮に欠けているんだろう。愛するエマと結婚できて浮かれているのに、嫌っていると思われているのだから……。


 床に崩れ落ちそうな気持を立て直し、俺は小説について聞いてみた。

「エマさんの新刊は、旦那様とこんな新婚生活が送りたいという願望だと思っていたんですが……。違うのですか?」

 ずっと恋に対する憧れや純粋な初恋に対する想いを題材にしてきたエマが、結婚した途端に溺愛に対する憧れ? 願望? を口にしたんだ。当然夫である俺との生活を夢見てくれたと思って、何が悪い? いや、エマの願望に決まっている!


 だが、俺の願望は間髪を容れず撃ち落された。

 俺とベルノルト(アナベル)の甘い生活を想像して書いた? 俺達が甘いって何だよ?

 確かに国内外に俺が恋人だと思わせる必要があったから、定期的に二人でいる所を見せつけないといけなかった。あいつは幼馴染で気の許せる友人だし、俺がエマのために女装していることも知っている。ベルノルト以上にエマの話をする相手はいないだろう?

 エマの話をすれば自然と笑みも零れる。それを甘いと言われるなら、ベルノルトに対してではなく、エマに対してだ! ベルノルトとではない、俺は記憶上のエマとイチャイチャしていたんだ!


 しかし、エマの爆弾投下話はまだ続く……。

 俺は配慮に欠けるそうだ。配慮に欠けた俺にイラっとして、俺とベルノルトの生活を暴露したそうだ。


「さっきも言いましたが、私は二人が恋を続けるための生贄です。私は偽物のリオンヌ公爵夫人として、世間から嘲笑される存在になりました。そんな私に対して『私はこの家には立ち入らないから、君も自由に過ごしてもらって構わない』の一言では足りないと思いませんか? 何かこう『君にも迷惑をかけるね』とか『それでも私はアナベル様を愛しているんだ』とか、もう一言位あってもいいはずです。それがない公爵様は配慮に欠けると思うのです!」


 何で俺がそんな思ってもいないことを言わないと? 俺はエマを愛しているんだ!

 いや違うな、俺に怒る資格はない。俺の秘密も話せていないし、レアンドルではエマを怖がらせると思って簡潔な文章にしたのが不味かった。確かに俺は配慮に欠ける。

 でも、エマを友達なんて思っていない。愛しているんだ。こんなにもエマを追いつめたかった訳じゃないんだ。ごめん、エマ本当にごめんな。

 エマにこんなにも辛い思いをさせているなら、アナが俺だと告白して全てを伝えよう。

 エマはアナを失うし、レアンドルは地の底まで落ちるだろう。でも、いいじゃないか。俺がエマを愛しているのは変わらない。嫌われても、愛していることを伝え続け、死ぬまでに受け入れてもらえるよう努力するだけだ。


 俺は事実を伝える前に、一つだけ気になっていたことをアナとしての最後の質問にした。

「……じゃあ何でエマさんは、この結婚を受け入れたの?」

「アナさんとの仕事を続けたかったんです。アナさんと今まで通り一緒にいられるなら、世間の中傷なんて我慢します! だから、アナさんに担当を代わってもらおうなんて、全く思っていません。これからもよろしくお願いします」

「辛いことも苦しいことも乗り越えてこれたのは、アナさんがいてくれて支えてくれたからです。私にとってアナさんは、なくてはならない存在なんです。アナさんがいない未来なんて想像したくありません!」

 俺が歓喜したのは言うまでもない。そして同時に、エマからアナを奪うこともできなくなった。

 八方塞がりとはこのことを言うんだろうな。

 レアンドルがアナに勝てる日は来るのだろうか?




 担当問題が解決すると、エマは自分の世間での評判を知りたいと言った。

 俺とベルノルト(アナベル)との新婚生活を書いたつもりのエマからしたら当然のことだが、エマはこの小説が俺とエマの新婚生活を赤裸々に綴ったと思われているとは考えてもいない。

 そりゃ多少はエマが想像したみたいに、俺とベルノルト(アナベル)に嫉妬して暴露したと言う馬鹿は存在するが、そんな奴等は俺が始末すれば済む話だ。


 どんどんと話が悪い方へ悪い方へと進んでいくエマを放置していたら、ルピナが止めに入った。

 小説はエマと俺の新婚生活だと世間は認識していると教えられると、受け入れられず納得いかない様子だ。想像力豊かなだけに、「王家やリオンヌ公爵家が情報操作を……」と言い出した。


 断じて情報操作ではない!

 エマが俺との新婚生活における願望を書いてくれたと思っていたんだ。俺はそう思っていたんだから、本の売り込みをかける時に「我が家の日記みたいな話でして」と自慢してしまうのは仕方がないことだ!

 エマがレアンドルに慣れさえしてくれれば、すぐに小説の通りの生活が始まるから日記と言っても嘘ではない。俺には小説以上の溺愛をする自信も準備もある。

 だから情報操作ではない。

 ただの、俺の勘違いだったんだ……。


 そんな俺にエマの攻撃の手は緩まない。

 俺とベルノルト(アナベル)に詫びたいという。俺とベルノルトの仲を心配している……。もう、泣きたい。

「眼中にもない名ばかりの妻役を溺愛していると思われるなんて、お二人には苦痛じゃないかしら? 深く愛し合う二人には、取るに足らない些細な出来事ならいいのだけど……」

 俺とベルノルトには些細な出来事だけど、俺とエマには非常に大きな問題だ。何としても乗り越えなくてはいけないが、どうしたらいいか分からない。

 やっぱり俺はエマに全てを伝える大事なタイミングを見落としたんじゃないだろうか?


おわり


こにて完結です。

これは投稿するか悩んだのですが、せっかく書いたので載せることにしました。

最期までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
面白かった ざまぁの具合も身内だけで私刑をする程度の範囲だけどその私刑が1番ダメージの大きい反省させる意味で1番良い気がしてオチも含めて面白い満足できる話でした
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