12.旦那様、どういうことですか!
本日一話目の投稿です。
よろしくお願いします。
「ぃたっ! 何をするんだ!」
アナベルの野太い怒鳴り声が脳内に響くと、エマの視界が少し鮮明になった。
アナベルの右手は、アナの左手によって机の上に貼り付けられた状態だ。エマはアナの右手に腰を掴まれて、アナベルから引き剥がされている。
「殿下、どういうつもりですか? お遊びが過ぎます!」
何だかどこかで聞いたことのあるようなアナの声は、いつもより随分と低い……。
だが、エマにとってそんなことは、どうでもよかった。
アナが助けに来てくれた。それだけで安心して身体の震えが収まってくる。エマは落ち着くためにも、子供のようにアナの胸にギュッと抱き着いた。
「どういうつもりって? エマはレアンドルと離縁して、第二王子と結婚してもらうって話をしてた」
「はぁ? 何馬鹿なことを言っているんですか?」
「馬鹿なことじゃない。エマはレアンドルのことなんて、全く好きでも何でもないんだから。レアンドルみたいな浮気者と結婚しているよりいいだろう?」
「! 誰のせいだと!」
アナとアナベルが激しく言い争い始める中、エマは出せる限りの声で間に割って入った。
「……ま、待ってください……」
自分でも思っていた以上に小さく擦れる声だったが、二人の言い合いが止まったのでエマはハッキリと断言した。
「……第二王子殿下とは結婚できません!」
断られると思っていなかったのか、こぼれんばかりに青い瞳を見開いたアナベルがよろけた。
「レアンドルを愛しているのか?」
「いいえ、全く」
間髪を容れないエマの返答に、アナがガックリとうなだれた。
「だよなぁ? なら、なぜ?」
「王子妃になったら、今のようにアナさんに自由に会えなくなります。そうなるくらいなら、浮気者でも何でもリオンヌ公爵様と結婚している方がましです。お二人の仲は邪魔しませんので、ご安心ください」
エマがギュッとアナに抱き着くと、アナもギュッと抱きしめ返してくれる。
そんな二人を冷めた目で見ていたアナベルが、「複雑すぎだろ……」と呟いた。
「要はエマはレアンドルのことは何とも思ってないけど、アナのことは大好きで何よりも大事ってことかな?」
アナベルの質問にエマは、「その通りです!」と自信をもって答えた。
アナベルは呆れた顔で、アナの赤髪を引っ張ると「これでも?」と聞いてきた。
(アナさんと友達なのかもしれないけど、いくら王女だからって髪を引っ張ったら駄目でしょう? アナさんが痛い…………!)
赤髪のウィッグがアナベルの手にぶら下がっている。
エマが見上げる相手の髪は、金色だ。耳が隠れるくらい伸びた金髪の男性……。
「……えっ? 何で? リオンヌ公爵様……?」
アナベルへの恐怖でまじまじと見ている暇がなかったが、よく見れば今日のアナは化粧もしていない。抱き着いた時にボタンが当たるなと思っていたが、服装も男性の服装だ。
「エマがベルノルトに城に呼ばれたと聞いて、出先から飛んできたんだ。女性の格好をしないとエマを怖がらせるのは分かっていたけど、着替え途中にベルノルトがエマの髪に触れているのを見てウィッグだけで飛び出してしまった」
レアンドルはそう言ってエマを抱きしめたまま、アナベルが触れていた髪を優しく撫でている。
「えっ?」
(いやいやいや、今日は化粧も着替えもしてませんって話より先にすることない? どうして公爵様がアナなの?)
「レアンドル、お前馬鹿だな。何で女装してたのか説明してやれよ」
めずらしくアナベルがまともなことを言った。声は完全に野太いけど……。
「出版社はリオンヌ家が持っている会社の一つだ。四年前俺は出版社の立て直しをしていて、新人作家の発掘をしている時にエマに出会った。最初は純粋な話を書く子だなと思って声をかけたんだ」
「何言ってんだよ。一目惚れだろう? 男性恐怖症って言われたんだから本物の女性に担当を変えればいいのに、わざわざ女装してまで会いに行くなんて惚れている以外何だよ?」
レアンドルの緑の目が暴力的にアナベルを睨みつけると、アナベルはわざとらしく「あら、怖いわ」と言って後ろに下がった。
「そうだな、ベルノルトの言う通りで、心が温かくなる作品を書くエマが、作品通りに可愛らしい子で一目惚れだったんだ。手紙の遣り取りや会う度に、エマにも作品にもどんどん惹かれていった。アナとしてだけど、エマが俺に慣れてくれるのが嬉しかった」
確かにアナは少しずつ慎重にエマとの距離を詰めてきてくれた。
「って言ってるけど、エマが他の男に取られたら困るって、すぐにロルジュ伯爵のところに婚約を申し込みに行って断られたんだよな」
またアナベルが横槍を入れてくる。
レアンドルは舌打ちでもしそうに、アナベルを睨みつけている。
「伯爵には『エマは誰にも嫁がせる気はない』と言われた。エマの二人の兄にも『エマは責任をもって自分が面倒を見る』と同じように言われた」
「えっ? そんなはず、ありません……」
エマはロルジュ伯爵家の娘として、絶対に結婚しなくてはいけないと思っていた。それは父親から、そう言われたからに他ならない。
貴族学校に入る前に、同級生を集めたお茶会があった。エマはそのお茶会に着くなり、男性恐怖症で倒れたのだ。エマの症状がこうまで深刻だと思ってもいなかった父親から、半ば無理矢理に男性恐怖症になった経緯を説明させられた。
父親の尋問のような態度に恐怖を感じたエマは、全て吐かざるを得なかった。その時に父親に言われたのだ。
「私の男性恐怖症が酷すぎて貴族学校に入れなかった時に、役立たずの私に落胆した父が『エマの将来の見通しを立て直さなくては。まずはあいつらから……』と言ったのです。政略結婚の駒にはならないから、どこか受け入れてくれる騎士の家を探していたはずです」
「伯爵が落胆したのはエマに対してではない。自分に対して落胆したんだ」
レアンドルが真剣な表情で話しているのはエマにも分かる。嘘はないのかもしれない。でも、信じられない。
「父は信念をもって生きている人です。父が自分に落胆するなんてあり得ない。落胆するのなら、家族の足を引っ張る私以外にはいません」
エマの父親は信念を貫き、国のために身を捧げてきた人だ。そして二人の兄も父に倣うように生きている。身体の弱かった母でさえ、父の信念を誇りに思い支え続けた。貴族学校にも行けず政略結婚の駒にもなれないエマだけが、父の足を引っ張っているのだ。
「『自分の信念をエマに押し付けて我慢させて、一生に関わる傷をつけた。家族さえも守れなかった私が国を守れるはずがない』と伯爵は言っていたよ。だから伯爵は騎士団を辞めて、領地の騎士学校の立て直しを始めたんだ。『腐った根性の人間は騎士に相応しくない』と徹底していて、かつてエマを傷つけたような輩は今は一人もいない」
「……そんなはずありません。父の信念に比べたら、私なんて取るに足らない石ころですから……」
「エマは自分に自信がなく過小評価しすぎているし、自分は家族のお荷物で愛されていないと思っているけど、それは違うんだ」
(過小評価なんてしていないし、ロルジュ伯爵家の役に立たない私が家族には愛されていないのは事実だ)
エマの強張った顔を見たレアンドルは悔しそうに首を振り、「いつも頑張っているエマが愛されない訳がないんだ」と言った。
「伯爵も兄達もエマを愛している。でも不器用過ぎて気持ちの伝え方が分からないんだ。自分達が気持ちを伝えられなかったせいでエマを傷つけたと分かっているのに、未だにエマを傷つけた元凶である自分達がエマの側に行くことは許されないと言って自分を罰している」
(話についていけない……)
「とにかくロルジュ伯爵家は傷ついたエマを嫁がせる気はなく、大切に守ろうとしていた。そこに俺が割って入ったんだ。俺はアナとして信頼を勝ち取っているし、エマを傷つけない。絶対に幸せにするからエマと結婚させて欲しいと、何度も頼み込んだ」
真面目な話をしている横から、顔を顰めたアナベルが入ってくる。
「伯爵達三人のエマに対する罪悪感に付け込んで、随分と無理矢理了承させていたけどな」
「うるさい! 伯爵からは然るべき時が来るまでエマには伝えてはいけないし、エマが拒否したら諦めろとも言われていた。無理矢理なんかじゃない」
無理矢理だったのだろう。レアンドルの口調から焦りを感じる。
(家族の話は分からないが、一度きちんと話し合うべきなんだと思う。でも、公爵様の話が根本的におかしいのは分かる。公爵様の話では、望んで私と結婚したみたいに聞こえる……)
エマはレアンドルの腕の中から抜け出そうとするが、とても力では敵わない。仕方なく自分のできる最も冷たい視線をレアンドルに送る。
「話に無理があります。公爵様と殿下が愛し合い続ける隠れ蓑として選ばれた私が、幸せになれるはずがありません! ちょっといい加減、離してもらえませんか?」
レアンドルの顔はもう泣き出す寸前だ。エマを離す気はないようだが……。
アナベルは相変わらず軽い調子で話してくる。妖艶で美しく気品あふれる王女はどこに行った?
「あれ? もう話し方もとっくに素なんだけど、エマは察しが悪い方なの? 分かんない?」
(察しが悪い? 察しが悪いのだろうか? でも、それを言うのなら、アナベル様こそ柄が悪いと思う。王女としてもう少し、何かあるよね?)
アナベルはにっこりと笑ってドレスの襟元を下げると、真っ白な喉を晒した。
「俺、男なんだよね。第二王子のベルノルト・セントールです」
「………………!」
(確かにある! 喉ぼとけ……! どういうこと?)
読んでいただき、ありがとうございました。




