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1.結婚式が終わり次第、旦那様が出て行きました。

よろしくお願いします。

 温かく柔らかい春の陽射しが天窓から差し込む細長い道。道を照らすその光は祭壇に向かって伸びていて、まるでこの道を歩く二人に神の加護を授けるみたいにキラキラと輝いている。

 その道の脇には何列にも椅子が並び、色とりどりのドレスや礼服を着た人達が座っている。

 だが、座っているのは礼拝堂の半分程度で、公爵家の婚礼の規模としては「何かの間違いでは?」と思うほど人が少ない。文字通り身内のみだ。だが、この二人の結婚式であれば、この程度で十分なのだ。

 この礼拝堂で誓われるのは、真実の愛でも、永遠の愛でもないのだから……。


 祭壇の前には涼しい顔の新郎と、半死半生という雰囲気の花嫁。そんな対照的な二人を前に困り顔の司祭。

 厳かな祭壇の上には、複雑で流線的な形をした窓にはめ込まれた幻想的な色のステンドグラスが美しい。

 いや、ステンドグラスよりも花嫁よりも何よりも華やで美しいのは、新郎だ……。

 白地に金糸の刺繍が施されたタキシードが、細身で大きすぎない体に眩しいほどによく似合う。緑色の切れ長で涼し気な目元、陶器のように滑らかな鼻梁、薄い唇。全てが完璧だ。何か指摘しろと言われるのなら……? 今日のこのスタイルならば、艶やかな金髪は短髪ではなくもう少し長い方がより色気が上がることぐらいだ。まぁ、今の短髪でも漏れ出た色気が礼拝堂で大洪水を起こしているが。


 司祭の言葉に息も絶え絶えに答えていた花嫁のベールが、誓いのキスのために上げられた。

 レース一枚のおかげで何とか耐えていた花嫁の菫色の瞳に、芸術品のように美しい新郎の顔が直接映り込んでしまう。もう、暴力と言っても過言ではない衝撃だ。


(どうしよう? 眩しすぎて目が消失しそう……。はぁ? キスするの? 愛を誓わないのに? どうして? いくら人間離れしている美しいご尊顔とはいえ、男の人は怖いです。私のような地味な珍獣が、美の隣に立っているなんて……。この白く厳かな空間に、私が一滴の黒い染みを作っています! もう限界です!)


 頭の中が沸騰しすぎて蒸発した花嫁は、限界を超えて意識を手放した。

 目の前で崩れ落ちる花嫁を慌てて抱き留めた新郎の耳に入ってきた声は、「……髪は長い方が、よかった……」という意味不明の言葉だ……。







 結婚式で気を失うという大失態を犯した花嫁は、エマ・ロルジュを改め、ついさっき意識のないままにエマ・リオンヌになった。

 結婚式の真っ最中に意識を失い、気づいたらリオンヌ公爵家の屋敷で目を覚ましたばかりだ。

 新妻になりたて、目を覚ましたてのエマの前には、夫になりたてのレアンドル・リオンヌが立っている。


 今日の予定は礼拝堂での結婚式のみ。王家にも連なる公爵家当主の結婚式なのに、披露宴は行わない。そんなことは常識では考えられない。しかし、あのレアンドルと、あの『幽霊令嬢』と呼ばれているエマの結婚式だ。だったら仕方がないことだと、世間はエマに同情と嘲笑を寄せていた。


 そんな肩身の狭い思いをしている上に、目が覚めたばかりの新妻に対して、レアンドルの態度は普通では考えられないものだった。いや、この二人の関係性を考えれば許されるのか?

 エマは夫の放った言葉の意味を考えるが、理解が及ばない。


(えっ? 今、なんて言った?)


 スーツケース片手に玄関から出て行こうとしているレアンドルが発した言葉は、エマの耳には届いたが、ちょっとエマの理解を超えていた。

 現実として受け入れるためにも、もう一度レアンドル本人から言ってもらいたい。そのためにエマは必死で顔を上げて、玄関ホールに立つレアンドルを見ようと試みる。が、上手くいかない。レアンドルの輝くほどの美貌が眩しすぎて直視できないのだ。


 リオンヌ公爵家のタウンハウスは、広い! 「城か?」と思うほどに広く、歴史の重みを感じるが、古臭く陰気な訳ではない。屋敷を作り上げるレンガの一つ一つにさえ公爵家に大事にされ、共に時を過ごしてきた軌跡を感じる。

 夫婦が向き合っている、この玄関ホールもそうだ。

 ドーム状の屋根でできた塔のため、玄関ホールは丸い。ドームの中心部はガラスで、その周りはフレスコ画が描かれ華やかだ。

 巨人でも通れそうな大きな一枚板でできた合わせ扉。その扉の向かい側の壁には、当主であるレアンドル・リオンヌの大きな肖像画が飾られている……。


 そしてその肖像画の下では、まごうことなき本人が肖像画以上の美しさを放っている。

 芸術品以上に美しいレアンドルは、今日妻になったばかりのエマが自分の言葉を理解していないのを察し、親切にももう一度言葉にしてくれた。

「私はこの家には立ち入らないから、君も自由に過ごしてもらって構わない」

 本日新妻になりたてのエマは、夫からこの言葉を二度聞いた……。清々しいほどに、満面の笑みを浮かべられて……。


 数時間前に新婚夫婦になったはずの夫は、笑顔でそう言うとスーツケース一つ持って出て行ってしまった。

 スーツケース一つで家から出て行くなんて、昨日今日思いついての行動のはずがない。既に生活できる準備が整った別宅があるということだ……。


 足取り軽やかに出て行ったレアンドルとは対照的に、大きな合わせ扉は重く静かに閉じていく。エマはその茶色く重苦しい扉を呆然と見つめるしかできない。

 何が起きたのか判断がつかない状態のエマは、涙も出ないのだから……。


 大体レアンドル・リオンヌとエマ・ロルジュであった二人が、初めて顔を合わせたのは数時間前だ。場所は先程エマがぶっ倒れた、礼拝堂だ。

 初めて見たレアンドルは美しすぎて、エマは呼吸をするのも忘れてしまった。それじゃなくても人前が苦手で、特に男性の側は避けて通ってきた。結婚式などという場は、エマの緊張をピークにさせるだけの場所だ。

 そんなエマなのだから、誓いのキスを前に倒れてしまうのは仕方がなかったことだ。だが、レアンドルからすれば、公爵家の面目丸つぶれだろう。

 レアンドルがエマを置いて出て行くのは、仕方のないことだとエマも納得している。


 大体、最初からあり得ない結婚だったのだ。

 エマが父親から結婚を言い渡されて、今日までたったの一カ月だ。空いた口が塞がらないどころか、口を開けている暇さえなかった。

 どうしてこんなにも急な婚姻が必要だったのか?

 それは、レアンドルの色恋沙汰の後始末に、エマが巻き込まれたからだ……。







 レアンドルは、美しい。

 触れてしまいたくなるほど輝く金髪からのぞく白く染み一つない額に、冷ややかだが色気の溢れたエメラルドのように輝く緑の瞳。平均身長よりは高いが、騎士のように大きくはない細身の体は、レアンドルの美しい顔によく似合う。

 美しく冷たいのは容貌だけではなく、レアンドルは群がる令嬢達に対する態度も残酷なまでに冷たい。それでも彼の美しさと、事業が順調で裕福な公爵家という特権を求めて令嬢達は絶えることなく群がる。二十五歳という年齢も、結婚を狙う令嬢達には格好の的だ。

 だが、レアンドルが令嬢達に穏やかな目を向けることは一度たりともない。

 彼が穏やかな表情を向けるのは、ただ一人だけ。たった一人の大切な女性だけに向けられるのだ。その特別感が、世の女性達を魅了した。いつもは冷たいレアンドルが、愛おしそうな目を恋人に向けるのを見るために、二人の周りに人が群がるのだ。

 そんな二人が遂に見納めになってしまった時は、令嬢達は落胆し涙を流した。




「……くさま、奥様!」

 肩をゆすぶられてやっと、エマは自分が呼ばれていることに気がついた。

 声のする先に目を向けると、この家の家令だと自己紹介された年配のセオが、グレーの瞳を心配そうに揺らしてエマを見ていた。


「はい。ごめんなさい。奥様が私だと思わなくて……。奥様だなんて、恐れ多いから『エマ』って呼んで欲しいのだけど……。ダメかしら?」

 エマが眉を寄せて頼むと、セオも同じように眉を寄せて「かしこまりました。仰せのままに」と言ってくれた。奥様と呼ばれなくて済んだことに、エマは安堵しかない。


(書類上の妻が、「奥様」なんて呼ばれたら罪悪感もあるし、何より惨めよね?)


「全く旦那様も、やっと待ち望んでいたエマ様が屋敷に来て下さったのに、何を考えてるんだか? あの浮かれ切った笑顔は見ていられませんでしたから、暫く屋敷を離れてくれた方がエマ様のためかもしれませんね」

 完璧な家令は、完璧な笑顔で、完璧に主をフォローした。


(ははは、そうですね。……なんて思う人はいません! 面倒な形だけの結婚を終えて、やっと愛する人の下へ行ける浮かれ切った笑顔でしたよ?)


 エマの苦り切った顔に気づいたのか、家令はサッと話題を変えた。

「玄関は冷えますから、お部屋に案内します。その前に、エマ様付きの侍女を紹介させてください」

 セオはそう言って、エマとそう年の変わらない女性を前に立たせた。

 茶色の髪をお団子に結い上げた、ヘーゼル色の丸い目の女性は頬を上気させ緊張しているのが分かる。

「ルピナでございます! エマ様の一つ年上で二十歳です。王都の流行には常に気を付けております! 誠心誠意エマ様に尽くしますので、末永くよろしくお願いします」

 そう深々と頭を下げられたエマは、拍子抜けして吹き出してしまった。

 ルピナが焦った顔を上げて「な、何か、失礼を……?」と青い顔をするので、エマは慌てて顔の前で手を振った。

「失礼なんて全くないわ。ルピナの挨拶の方が、今日結婚式をした人みたいだなと思ったら可笑しくて……。そう言えば、私とリオンヌ公爵様なんて一言も言葉を交わしていないわね……」

 もちろん、笑っているのはエマ一人で、玄関ホールに集まった使用人達は凍り付いていた……。


読んでいただきありがとうございました。

まだ続きますので、読んでいただければ嬉しいです。

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