抑込む
突然だが、僕は魔法が使えない。
使わないのではなく、使えない。それは――僕という存在が作られた過程にある。
僕の両腕に宿る魔遺物。これは、本来種族由来で発生したものではなく、僕を製造した後に強引に接合したもの。
魔遺物とは、通常では成し得ないものや考えられない原理で魔力を保有するものの総称である。旧世界の遺産という要素が強いのか、これらは遺跡などから出土することが多いため、遺物という名が当てられている。
そして、僕の[強欲な左掌]と[怠惰な右掌]もその例に漏れず、それぞれが固有に魔力を宿しており、魔力を放ってその存在感を主張しているはずだった。
――本来なら。
話は変わるが、ファウスティナや村の少女が信仰する七聖教には、明確に“神敵”が存在する。それは、七聖教が聖典とする“創世記”にて明確に記載されており、人の業から生まれたとされる存在、らしい。
そして――以前から眉唾物と考えてはいるのだが――どうやら、僕に接合された両腕はその存在の一部だという話なのだ。
僕を産み出した男も、そのすべてを鵜呑みにして信じていたわけではない。だが、魔遺物と呼ばれるに相応しく、そうでないと断定する根拠を見いだせなかったことも事実だった。
そこで男が最も懸念したのは、何らかの手段で教団が神敵の権能を受け継ぎたる僕を感知すること。
教団には、原初の聖女たちの力を受け継ぐ聖女が数人存在するらしく、それが感知系に特化した能力を所有している可能性もないとは言い切れない。
僕からするに現代の聖女とは、献金を徴収するために祭り上げられたお飾りだと思っているのだが、それもまた同様にそうでないと断定するものがない以上は検討せざるを得ない。
何はともあれ、そのような経緯で僕の初期機能として授けられた能力が[魔力抑制]だった。
一見すると理にかなった調整だが、魔力系の感知を一才受けないというメリットにして、それを打ち消して余りあるデメリットが存在する。
それが、魔法と一部の能力が行使できなくなるというものだ。
魔法とは、祝詞に併せて自らの魔力一柱へ献上するプロセスで魔力を体外へ発散する。それを封じられている以上、魔力を体内で循環させる自己強化や、体内で完結する能力のみしか使えなくなる。
これが、僕が魔法を使えない理由だった。したがって、[魔力抑制]の能力を継承していないこの僕のコピーは、僕が本来使えるはずだった魔法適性に基づく魔法を発動することができる。
それは間違いないのだが――。
「僕が使えない手札を易々と切られるのは、そう良い気分じゃないんすけど」
力を失って落下する腕を、【側枝】で伸ばしたもう一方の手で掴み取ると、接合が早まるようにと切断面に押し付けながら[再生]を行使する。
僕に魔法という手札は存在しないが、反対に奴には能力という手札がない。となれば、使えば当然の如く魔力を消費する魔法の方が先にガス欠になることは自明の理。
その姿を維持するだけでも魔力を消費している以上は、それ以外に魔力を使っていては尚のことだろう。
すると異形の怪物は、千切った触手を主へ献上するように恭しく空へ掲げると、再び魔法を行使した。
「「「「「――戒律:【偽善】《第二篇》『見返りはあって然るべき』」」」」」
掲げられた触手が、まるで時を加速させたかのように一瞬にして風化し、ボロボロと塵となって消えていく。何を――と思う間もなく、先の魔法で消費した以上の魔力が怪物へと充当されていくのがわかった。
魔力回復の魔法なんて、理不尽もいいところだな。本来ならそれなりの代償が必要となるようだが、僕らにとってはそう痛手にはならない。
異形の怪物は、代償の対価として受け取った魔力で身体を満たしながら洞窟の中央で不気味に脈動している。赤黒い肉塊の表面を覆う体鱗が、呼吸に合わせるようにわずかに開閉し、その隙間から油じみた粘液が滲んでいた。触手の一本一本は先ほど斬り裂いたはずだが、もはやどれが切断されたものだったのか判別もつかないほど再生している。
中央の大口は半ば笑うように裂け、内側の鋸歯が不規則に軋んだ。
ピリッ――っと、魔法行使の魔力の余波が緊張を伴って僕の皮膚の上を走る。
次の一手を考える間にも、触手は止まらない。視界の端で揺れたと思った瞬間、三本が同時に床を抉りながら迫ってきた。一本は胸元を貫く軌道、一本は脚を払うように低く、もう一本は退路を断つように壁沿いを這ってくる。
片腕が完全に接合し終わったのを確認しながら身を沈めた。胸を狙った一撃が頭上を通り、遅れて風圧が髪を巻き上げる。次いで脚払いの触手を【空歩】で生み出した見えない足場に身を預けて跳び越え、壁際から回り込んできた最後の一本には、くっついたばかりの腕を【前脚】へと変形させながら無理やり叩きつけた。
金属音にも似た甲高い音。
刃は触手の外皮を裂いたものの、やはり深くは届かない。衝撃吸収膜と鱗、その下にあるワックス状の油膜が斬撃を滑らせている。
「どうしたもんすかねっ!」
切っ先を引いた瞬間、裂け目から肉が盛り上がり、傷がみるみる塞がっていく。
[再生]の能力を所持していないのにも関わらず、再生速度は想像以上だ。傷を“治す”というより、パッチワークの如く不足箇所を補うように体組織を生み出しているのだろう。
しかも、怪物はただ待つつもりもないらしい。僕が距離を取るよりも先に、裂けた部位の内部から新しい触手が噴き出し、鞭のようにしなって頬を掠めた。
後方で壁面が爆ぜる。
通常の魔物や人族の枠組みに収まらない戦闘方法であるため、軌道予測がほとんど意味を成さない。そして、それ以上に厄介なのは、目の前の存在が戦いながら学習し始めていることだった。
生まれたばかりの赤子のようなもの――という認識はすでに過去のものになりつつある。理性も技術もないが、自分に向けられた攻撃とその結果については短い時間の中で確実に把握し始めていた。
動作を確認するかのように、触手が波立ってうねる。
壁際、天井付近、足元。洞窟という閉鎖空間全体を使って獲物を囲い込むような動きへと、少しずつではあるが変わっていた。
どうしたものか。
必要なのは決定打ではない。あの身体を一撃で破壊することはおそらく難しいからだ。
種族特性、体組織、魔法、それらが継戦向きに上手いこと噛み合っている。――ならば、崩すべきは構造か。
僕の手が追いつかないのを良いことに、相変わらず触手で獲物を集め、中央の口でそれを喰らって魔力へと変える。
魔力回復魔法と言えど、常に魔法を行使し続けることは現実的ではない。この循環さえ断てれば、後は僕の[吸魔]でいずれ息切れする。
そう結論づけた矢先、怪物の触手の何本かが不意に僕から逸れた。地面を這い、壁の穴へ潜り込んでいく。嫌な予感がして目を凝らすと、貯蔵庫の奥から小さな影が引きずり出されかけていた。
子供――残りの一人だ。
「おっと、それは困るんすけど」
一歩目は地を踏み締め、【空歩】を二度、三度と連続で空を踏み、触手の網の上を飛び越えるようにして一直線に距離を詰める。怪物もそれに反応し、中央の口が大きく開いて全身の触手が一斉にこちらへ殺到する。
右、左、上。まさに縦横無尽。
――避けるだけでは追いつかないか。
「――ぅあ゛」
僕は敢えて一本を引き受けた。脇腹にめり込む衝撃を利用して、勢いのままに身体を捻って回転する。回転の遠心力に任せて【保護膜】で包んだ【前脚】を振り抜くと、壁際へ伸びていた触手の束がまとめて断ち切られた。
遅れて、子供を拘束していた触手がほどける。
小さな身体が床へ転がり落ちると同時に、怪物が怒りとも苦悶ともつかない濁った咆哮を上げ、身体中に散在する小口が、洞窟の壁を震わせる不協和音を吐き出した。空気がびりびりと震え、鼓膜の奥で耳鳴りが弾ける。
その音に混ざって、再び言葉が紡がれた。
「「「「「戒律:【偽善】――」」」」」
怪物の身体中に蔓延る体鱗が、ボロボロと剥がれ落ちて――それはすぐさま煤へと至る。




