恐慄く
別視点
「行くぞッ!」
私の号令を合図に一斉に走り出す。先頭を走るのは私とダイン。並び走るダインは動きにこそ影響はないが、魔力消費から来る疲労感が表情から伺え、併せて頭痛を堪えるように眼を細めた。
眼の行使による脳のキャパシティが限界を迎えつつあるのだろう。本音を言えば初撃を成功させた彼を休ませたいところなのだが状況がそれを許さない。最低でも異形種と思われる個体へ私を会わせるまでは。
「――ッ! こっちです!」
湯気から土埃へと変わっただけの相変わらず視界の悪い区域内で、ダインの案内を頼りに進むとやがて集落の中心地と思われる場所へと辿り着く。
ダインの視線から察するに、相手は流星の落下によって立ち昇る黒煙の先だろう。訪れる緊張感を飼い慣らして足を踏み出そうとした瞬間――。
――ギシャ゛ア゛ァァァア゛ア゛ア゛ッッ‼︎
私たちを襲ったのはつんざくような咆哮。それは、聞いた者の身を竦ませるような根源的な恐怖を呼び起こす類のものだった。
思わず身を硬直させた私たちの前へ遅れて声の主が黒煙の中から姿を現す。
「グァ――」
種は間違いなく蜥蜴人だろう。だが、通常種と決定的に違うのはその巨体に敷き詰まった体鱗。群青色の鱗はその一つ一つが反り返っており、ヤスリのように全身を覆いつくしていた。
そして何より目を奪ったのは腹部に浮かび上がった特徴的な模様。何かの紋章のような模様が、黒色の刺青のように刻まれている。
まず感じたのは強烈な既視感。私はこれに似たものを見たことがある。
そうして生まれた既視感は、あっという間に脳から記憶を引き出して私へと叩きつけた。
まだ私が見習い騎士だった頃――突如として現れ、一種の災害として撃退に夥しい数の犠牲を出した魔物。
「貴種……?」
私たちが異形種だと思っていたのは貴種で。一度浮かび上がった記憶は堰を切ったようにフラッシュバックする。
剣を構えた直後に腕だけ残して蒸発した先輩。
指を鳴らすたびに無差別に飛んでいく首。
蕩けるような声音により始まる同士討ちと動き出す首無し騎士たち。
抱いた恐怖心はそのまま身体へと影響を及ぼし始める。身体が小刻みに震え、空気が薄くなったかのように呼吸が整わない。
勝てない。ここで死ぬ? まだ死ねないのに。
切り込まなくては。だが、それに意味があるのか?
足が重い。思 考 が――。
「ファナっ‼︎」
いつの間にか髪を下ろしたダインが目の前にいて、知覚すると同時に頬に衝撃が走った。痛みとともに急激に冷める思考。遠くなっていた戦場の音が戻る。
私は何を……?
「ぁいつの咆哮に[重威圧]の能力が含まれていたんだと思います。と、過去の出来事のせいで今回は特にファナとの相性が悪くて恐慌状態になってました」
[重威圧]――能力の効果か。いつの間にか身体を流れる血が冷えたような感覚は消え失せて、なるほど確かに先ほどまでの私は微塵も冷静ではなかったと知覚できた。
「打消魔法をかけたのでもう大丈夫です。そ、それと、さっきの一撃は僕のおまけです」
すかさず入る状況説明に混乱しながらも、冗談混じりの言葉のおかげか自然と持ち直す。
先ほどの痛みは頬打ちによるものか。
クリアになった思考の中でダインは貴種から視線を逸さぬまま続けて私へと語りかけた。
「も、紋章からしてファナの知る伯爵種ではなく最下級の准男爵種だと思われますっ」
言われてハッとする。私の知る紋章はもっと複雑で身体への占有率も大きかった。仮にダインの言葉が真実なら、同じ貴種でも驚異度がまるで違う。
だが、それでも貴種であることに変わりはない。何人逃げ切れるかは分からないが、撤退するのが最善ではないのか。
私の再び立ち昇り始めた不安を察してか、彼には珍しく叫ぶように言葉を放った。
「なにより――今のファナなら准男爵種なんて余裕ですッ」
それはある種無責任とも言えるほど根拠のない言葉で。他の者が言われたのなら一笑に付すか怒り狂うかのどちらかだろうが、何故だか彼の言葉ならば本当に勝てる気がしてくる。
――またダインに扱いやすいとでも思われるのだろうな。
それでも、今だけは嫌な感情は湧かず、むしろ自然と笑みがこぼれた。
刀を抜いて貴種を正面に見据える。相手は相変わらず静観の構えであり、仕掛けてくる様子は見られない。
そんな中でチラチラと横目に私たちの様子を見ていた、周囲で戦う仲間がその緊張感に耐え切れなくなったのか声を上げた。
「俺を含めて周りも視界には奴を入れ続けろ――生き残りの証言によると後方にまで影響するような攻撃を使うらしいッ!」
後方にまで影響する攻撃。現地調査で見た、続け様に抉れるように切れた樹々の幹を思い出す。能力か魔法かは分からないが飛ぶ斬撃のようなものか。
中距離攻撃にも対応できるよう一挙一動を見逃さないよう相手を捉えて離さない。
再び訪れる緊張感――だが、私たちと貴種の間での探り合いの時間は再度第三者にて邪魔されることになる。
「――キシュゥ……」
突如として生まれる存在感。ゆっくりとした歩調で現れたのは大斧を肩に乗せて明らかに強者としての雰囲気を身に纏った蜥蜴人だった。
変異種? いや、間違いなく更に上位のプレッシャーを放っている。彼から事前に聞いていた報告ではいなかったはずだ。
ダインへ視線を送ると焦ったような表情で、再び前髪を持ち上げて周囲を見渡しながら何かを察したように声を上げた。
「にっ、二次種が一匹しかッ!」
――進化か!
偵察時には二匹だった二次種が一匹になり、突然現れた上位個体。いくら奇襲が成功したといっても二次種相手に先の魔法が直撃して死んだとは考えにくい。つまりは自ずとその答えに辿り着く。
普通ならそう易々と起こる現象ではないのだが、最悪を狙ったような何ともタイミングの悪いことだ。状況から考えれば三次種相当の相手――すぐさま対策を考えなければパーティの壊滅すら見えてくる個体。
巨大な大斧を持っているというのに素早い動きで蜥蜴人を相手取っていた近くの仲間へ近づくと、ブレるような太刀筋でいとも簡単に半身ずつに断つ。
……想像以上にまずいな。
三次種の動きを冷静に分析しながら、三次種の中でも戦闘特化型であろう高い戦闘能力に内心焦りが止まらない。
乱入者は上下分かれて倒れ伏した者のことなど一切気に留める様子もなく、次に近い場所にいる冒険者へ視線を向けたのを見て、これ以上の被害を食い止めるため飛び出そうとするが――。
「くっ――」
ここで初めて貴種が動いた。私の気が逸れたのを感じたのか気付けば私の目の前に移動しており、鎌のような形状による爪撃が私を襲う。
咄嗟に刀で受け止めたその一撃は何より重く――。まるで自分を差し置いてよそ見をする余裕があるのかと言わんばかりの一撃。
ああ、本格的にまずい。
だが私の焦燥感になど構いもせず、三次種は新たに狙い定めた標的へと走り出す。私も動けない、ダインの魔法でも確殺は不可能。
どうすれば――ッ。
そこで何故かピタッと、三次種が動きを止めた。
「何が……?」
それは何かを察したような不自然な急停止。そして、明後日の方向を向いたかと思うと突然その方向へと走り出す。そこに照らし合わせたかのように三匹の派生種が現れた。
――派生種、派生種、魔具種。
どれも厄介な個体たちだが、付き従うように後ろを走るのは直属の配下ということか。
三次種が三匹を流し見て、ひと鳴きすると魔具種は戦場へと戻っていく。どうやら派生種二匹とスリーマンセルでどこかへ向かうらしい。
なぜこのタイミングで? 一体何が起きている――?
一先ず脅威が離れたのか分からないが、目の前の貴種へと刀を構え直す。ほんの少しの油断が生死を分ける戦場で、離れていった個体にまで思考を割いていたら私がしくじる。
気味の悪い思いを抱きながらも、スイッチを押すように頭の回路を眼前の敵へと切り替えた。




