駆引き
別視点
[生存本能]。
自身の生命力が、死の危機に瀕した際に発動する能力である。発動者の戦闘力を飛躍的に上昇させるそれは、極限での戦いに明け暮れた変異種だったからこそ発現した希少能力。
意味こそわからなかったが、変異種は本能から理解していた。
使い方も、その効果も。
時間制限があることを除き能力のデメリットを強いてあげるならば、使用者の強い興奮と自己陶酔感であったが、変異種は完全に律したうえでそれすらも自らの戦闘意欲に組み込む。
変異種がまず行ったことは、携えた斧をその場で一閃。
剛ッ――と離れた魚たちにまで伝わる風圧とそれに伴う覇気。
その一回だけで変異種は自身の現状の能力を理解した。
そして満足する。これならば十分に戦えると。
次いで大きく踏み込む姿勢をとったかと思うと、消えた。
転移ではない。凝縮されたわずかな時間の中で魚の動体視力だけは逃さなかった。
――踏み込んだ体勢から、バネのように一直線で向かう赤蜥蜴の姿を。
鋭利な脚爪をスパイクのように地面に突き立てて爪痕の線を残しながら減速――脇ヒレの近くまで姿を現したときには、もう斧を掲げて攻撃のモーションに移っており。
なんとか反応した魚が勢いよく振り向いて歯を差し出す。
耳をつんざくような濁った轟音。
それは今までに起こった接触音とは明らかに違ったもので何かが壊れるような乾いた音を伴ったものだった。
見るといくつかの鋭歯に亀裂が。それを変異種は見逃さなかった。
交錯の直後、斧での二撃目が間に合わないと判断し、斧を持たぬ左手を振りかぶって殴打。
肥大した憤怒の腕は、一才の躊躇も持たずに鋼鉄を誇る鋭歯へと向かっていき――数本分へし折れる。
「――ッッ‼︎」
ある種の超音波にも似た、声にならない悲鳴。
攻防の苛烈さから、一歩下がって傍観することしかできない二体と、ようやく吹き飛ばされたダメージが癒え、身体を引きずりながら戻ってきた蜥蜴人らが揃って身を強張らせる。
実際のところ、その声には[威圧]の能力が乗せられており、その効果も相まって敵対する者たちを縛り付けていた。
それを目の前で浴びせられた変異種は――。
「ギィシャァァァァアア゛ア゛ッッ‼︎」
己の身体に喝を入れるような、強烈な雄叫び。
魚の悲鳴にも負けぬ腹の底から吐き出した鳴き声は、魚の高周波音を一部なりとも相殺し、動きが制限されることはない。
そして、こちらに隙ができなければ、単純にわざわざ腹を出して痛みに身を捩らせるだけの言ってしまえば俎板の鯉。
当然見逃すはずもなく。次に狙うは窮地を作った原因。
「ピョッ⁉︎」
疑似餌兎との繋ぐ管の切断。
蜥蜴人の叶わなかった超硬度を誇る管はいとも容易く別れていった。
これで周囲を鬱陶しく跳び回る部位を処理できたと思った矢先――。
疑似餌兎は管が切れたのにも関わらず、すばしっこく飛び跳ねながら魚に寄り添うように位置取る。
それは、まるで鎖から解き放たれたような悠々しさを以って身体から仄かな静電気が毛を逆立てていた。
――どういうことだ?
本体から切り離されたのにも関わらず、平然と動く疑似餌兎。どこか腑に落ちない不気味な感覚が身体からついて離れない。
だがそれもすぐに自己完結する。
おそらく、蜥蜴の尻尾のようなものなのだろう。つまりは一時的な参戦に過ぎず、発電も満足にできないであろう最後の足掻き。
そう結論付けて魚の元へと縮地――待ち構える魚へ斧ではなく、地面に転がる歯をすくうように拾い上げて投擲した。
想定外の攻撃。だが、対処不能なものではなく目を狙って投げられた歯を、頭の角度を変えて同じく歯で迎撃する。
本来ならこれで終わったであろう攻防。
その未来が変わったのは、変異種の不意の一撃、魚の負傷による思考の鈍化、負傷の箇所、そのいずれかが及ぼした結果か――。
歯は魚の歯抜け部を潜り抜けて、そのまま口内へと突き刺さった。
この光景を見ている第三者がいたとすれば、思わず失笑を誘うような喜劇的なミス。
変異種は無情にも一閃を繰り出す。
――そしてそれは、疑似餌兎が雷を纏いながら変異種へ向かっていくのと同時で。
コマ割りのようにゆっくりと流れる時間。
もう斧の向かう先は変えられない。否、変えたとしてもどちらにも致命傷は与えられないだろう。
そして、疑似餌兎の攻撃は確実に自らを致死に至らせるでろうもの。
魚が思った以上に痛みに悶えておらず、じっと変異種を見て離さない様子を見て確信する。
あえて受けにいったのだと。油断を誘い、この瞬間を作り出すために。
肉を切らせて骨を断つ。完璧な疑似餌兎との連携は見事であり美しさすら感じさせた。
疑似餌兎は電気を迸らせながら赤蜥蜴へと突き進む。
勝利の確信を持って。
「――?」
だが、すぐに疑似餌兎へと訪れた少しの違和感。
変異種の掲げた刃が、自らの額に影を落としている。
一体どういう――。
「ギャぴッ――」
変異種の斧による一撃は、終始綺麗な一直線を描きながら、疑似餌兎へと向かっていき、脳天から潰すように両断した。
その光景を目の当たりにして初めて見せる魚の動揺。
なぜ、どうして。
そんな言葉が透けて見えるほど、魚は目を回して混乱する。
魚と疑似餌兎。二匹は端から別の魔物だった。
言うなれば寄生。疑似餌兎は共生型の寄生生物であり、寄生主から日頃魔力を供給してもらうことで、敵対生物と出会った際には電撃による牽制を行うという共生関係が生まれていた。
だが、変異種はそれを知る由もない。
事実、変異種自身も蜥蜴の尻尾のようなものと称しており、だからこそ先の奇襲が失敗するはずがなかった。
しかし、だからこそ変異種は疑似餌兎から攻撃したとは夢にも思わないだろう。
蜥蜴の尻尾という分析はあくまでも経験に則った憶測であり。間違った憶測よって手痛い攻撃を喰らった変異種からすれば、何より真っ先に潰したいのは未知数である疑似餌兎だった。
不特定要素がなければ自力で勝るのはこちらである。
よって疑似餌兎を狙ったのは必然であったが、それがドンピシャで功を奏す。
周囲の伏兵は消し去った。あとは将のみ。
未だ狼狽える魚へと歩み寄っていくが、魚は慌てて宙を舞いながら攻撃の届かない上空まで距離を取る。
攻撃手段がない以上は膠着状態。
魚が逃げ出そうと、泳ぎ出しに尾びれを細かく揺らし始めた時、
変異種はおもむろに、斧を投げ捨てた。
魚は思わず動きを止める。それは静観に努めていた蜥蜴人たちも同じで。
その場の誰もが呆気に取られる中、変異種だけはその両腕をゆっくりと魚へと向けて広げた。
それはまるで、対峙するのに武器は不要とでも言わんばかりの挑発。誘うように赤色光の灯る双眸は魚をジッと捉える。
引くか、乗るか――。
「――ッ、キシュャアァァアッッ‼︎」
一瞬の逡巡の後、選んだのは変異種への上空からの弾丸突進。
それを選ばせたのは、無手の姿に勝機を見出したからではなく――ひとえにこの領域で上位者に君臨していたことによる捕食者としてのプライド。
魔物の知能でも舐められたと理解できるそれは、自身の撤退を許さなかった。
初速から一気にトップスピードへとギアチェンジ、風を切りながら文字通り“弾丸”となって落ちていく。
対して、変異種は向かいくる魚を前にして思わず口角を吊り上げながら四股を踏むように低く構えた。




